千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』(日本経済新聞社、1988年6月)を読みました。

川喜田半泥子は、KJ法創始者の川喜田二郎の父であり、本書は、川喜田半泥子の本格的な伝記です。半泥子は、銀行家にして鬼才の陶芸家、複線的な人生を生涯つらぬき通しました。


半泥子は、自然の素材に対して忠実であることを美の特徴であるとした。半泥子の茶碗には自然の姿がある。半泥子は、ほとんど茶碗に絵付けをしない。茶碗そのものに自然をうつした。わざとらしい人工の跡を見せない。これは、荘子の「無為自然」の思想に通じる。無為自然とは、人為をすてて自然のままに生きることである。文明人は、本来渾然として一体をなしている自然を、認識のために分解してしまうが、自然のまま無差別の世界に生きることにこそ本来の道がある。

半泥子の子、川喜田二郎はKJ法を創始しました。その実践の究極は「本然」に到達することです。本然とは、もともとそうであること、自然のままであることです。わたしたちはいずれ、もともとの姿、本然にたちかえることになります。KJ法でとく「データをして語らしめる」とはそのための筋道であり、こうして、渾沌それ自体をして語らしめることができるのです。

データをして語らしめるKJ法の本質は、自然の素材をして語らしめる半泥子の方法に通じています。川喜田二郎は、著者・千早耿一郎に、「しらずしらず父親の影響を受けたかもしれませんね」とかたったそうです。


▼ 参考文献
千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』日本経済新聞社、1988年 
おれはろくろのまわるまま―評伝・川喜田半泥子