METライブビューイング:ワーグナー作曲 <ニーベルングの指輪 第3夜>『神々の黄昏』を鑑賞しました(場所:新宿ピカデリー)。

指揮:ファビオ=ルイージ
演出:ロベール=ルパージュ
出演:デボラ=ヴォイト、ジェイ=ハンター・モリス、エリック=オーウェンズ、ヴァルトラウト=マイヤー
MET(The Metropolitan Opera) 上演日:2012年2月11日

第3夜では、神々の世界から人間界へと舞台をうつし、ギービヒ家をひきいるハーゲンと、無垢の英雄・ジークフリートの死闘がはじまります。

「指環」を、恋人のブリュンヒルデにあずけ、ジークフリートは人間界へと冒険に出て行きます。たどりついたのは、ライン河のほとりに建つグンター家の屋敷。アルベリヒの息子ハーゲンは、ブリュンヒルデが持つ指環を手に入れようと、ジークフリートに忘れ薬を飲ませて妹のグートルーネに心をうつさせ、ブリュンヒルデから指環をうばわせます。怒りにかられたブリュンヒルデは、不死身のジークフリートの急所をハーゲンにおしえてしまいます。英雄・ジークフリートはたおされ、「ジークフリートの葬送行進曲」がながれます。やがて世界は炎につつまれ、神々と英雄の物語は終わりをつげます。


神々の世界とは、法則がはたらいている世界のことであり、それは、自我をもった人間がうまれる以前の世界のことでもあります。この世界のことを、人間がくらす地上に対して天上の世界ともいいます。

はたらいている法則とは「引き寄せ」の法則であり、この根本的な法則があるがために、ひとたびひとつの「中心」が生じた場合、そこに、世界のすべてのパワーが引き寄せられてきます。そのパワーの中心こそがニーベルングの「指輪」であり、したがって、その「指輪」をはめたものは世界を支配することができ、すべての夢を実現することができるとおもってしまうのです。

一方、神々の長・ボータンは、ただ、法則によって生かされているのではなく、自らの意志によって自主的・主体的に行動できる「人間」をつくりだしたかったのです。その人間は、自らの意志によって前進し、自らの判断によってたたかい、自らの力によって敵をうちくだきます。このような人間、すなわち英雄を生みだしたかったのです。ここに、自我の確立、主体と環境との分離を見ることができます。

しかし、自我をもった人間は、自我を拡大していく存在にほかならず、それによって生みだされたあたらしい世界とは、愛と憎しみにみちあふれた感情の世界であり、平和と戦争とをくりかえす血なまぐさい世界であり、成功とズッコケのある滑稽な世界です。

そして、自我によってつくられた世界、自我によってとらえたもの、この世に実在すると人間(英雄)がおもっている光景は、実は幻にすぎません。幻であるからこそ、自らの意志を顕在化させ、物語をつくることができるのですが、他方で、それは簡単に滅び消え去ってもいきます。実現がある以上、滅亡もおのずとおとずれるのです。

こうして、愛と憎しみが交錯する複雑な世界はやがて炎につつまれ滅び去り、神々も人間もいない、ただ、法則のみが存在する安らぎの世界、本来の世界にもどっていきます。

ルパージュ演出の『ニーベルングの指輪』の最終場面は波があるだけです。この波と、ワーグナーの音楽の波動こそが、ただ、法則があるだけの世界にもどったことをおしえてくれています。