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写真1 ミニ企画展「はい、チーズ! 写真の歩み」入り口

東京・上野の国立科学博物館で開催されているミニ企画展「はい、チーズ! 写真の歩み」を見ました(会期:2015.4.5まで、注1)。銀塩写真までの写真の歴史を簡潔に紹介していました。

写真が誕生する以前、絵をかく道具として「カメラ・オブスクラ(写真鏡)」がつかわれました。レンズのついた箱のなかに45度の角度で反射鏡をおき、スリガラスにうつった像をなぞって絵をかきました(写真2)。この像を記録にのこすために写真が発明されました。

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写真2 カメラ・オブスクラ


写真技術は、1839年、フランスの発明家ダゲールとイギリスの発明家タルボットによって発明されました。日本へは19世紀半ばにつたわりました。日本で最初に撮影された写真は、1854年に、ペリー艦隊とともに来日した写真家ブラウンが函館で撮影したものです。

会場には初期のカメラとして「湿板カメラ」が展示されていました(写真3)。

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写真3 湿板カメラ

 
「湿板カメラ」の「湿板」とは、無色透明のガラス板に光に反応する化学薬品をぬった写真版であり、撮影直前にその場でつくり、乾燥する前に撮影・現像をしなければならなかったために「湿板」とよばれました。この湿板で撮影するカメラのことを「湿板カメラ」とよび、湿板の感度がひくいために日中の屋外またはあかるい室内で撮影はおこなわれ、数秒から数十秒を要しました。シャッター機構はなくレンズキャップの開閉で撮影しました。ピント調節は、後部のスリガラスにうつる像を見ながらおこないました。

その後、ロールフィルムの発明、カラーフィルムの発明、レンズの進化などにより、よりうつくしく、より手軽に写真が撮影できるようになりました。

このような写真の歴史を見ると、フィルムの発明がひとつの大きな転換点でした。そしてその後の、銀塩カメラからデジタルカメラへの転換は人類史上にのこる非常におおきな転換となりました。


そもそも写真は記録の手段としてはじまりました。写真撮影の過程を見てみると、対象を目で見る場面、被写体や構図を決める場面、シャッターをおす場面そして写真を他人に見せる場面があります。情報処理の観点からとらえなおすと、対象をみる場面はインプット、被写体や構図を決める場面はプロセシング、シャッターをおす場面と写真を他人にみせる場面はアウトプットに相当するとかんがえてよいでしょう。

写真をとって他人に見せるということは、何らかのことを相手にしめすことであり、それは自分のメッセージを相手つたえる行為であるといってよいでしょう。したがってアウトプットの手段として写真を意識することには大きな意義があるとおもいます。 

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図1 アウトプットの手段として写真を意識する
 

▼ 注1
国立科学博物館・ミニ企画展「はい、チーズ! 写真の歩み」 

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