『池上彰と考える、仏教って何ですか?』の第二章「仏教発祥の地インドへ」では、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王と池上さんとの対談をよむことができます。東日本大震災、原発・エネルギー問題、仏教の心理学、チベット問題などについてかたられていて、法王とのこの対談は本書の価値をとても高めています。
チベットは、現在は、インドに亡命政権をおいています。
一九五九年三月、ダライ・ラマ法王は二十四歳のとき、中国の軍事的な圧力にさらされていたチベットを後にし、インドに亡命しました。
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法王は、東日本大震災のあと、4月には日本を訪問され、特別慰霊の法要をし、11月には被災地を慰問されました。
多くの困難や苦しみに直面したときに、大きなちがいをもたらすものは、私たちのもののかんがえ方にあることをのべています。
多くの困難や苦しみに直面したときに、大きなちがいをもたらすものは、私たちのもののかんがえ方にあることをのべています。
普段から物質的な発展だけを追い求め、外面的な幸せを得ることだけを考えていたとしたら、内面的なことをあまり考えずに過ごしていたとしたら、このような惨事が起きたとき、すべての望みを失ってしまいます。しかし、日頃からどのようなものの考え方をするべきかについて考え、心を訓練していれば、逆境に立たされた場合でも、心の中では希望や勇気を失わずにいることができるのです。
日本人がこれまで、物質的な価値をおいもとめすぎていたこを指摘し、震災は、精神的な価値に気づくチャンスだと強調しています。
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原発事故、エネルギー問題、復興については、つぎのようにのべています。
私たちは科学技術を必要としていますし、科学技術を向上させていくことも必要です。しかし、同時に、津波の予知などには限界があるということも認識しなければなりません。巨大な自然災害が起きたときは、科学技術に助けを求めても、時には私たち人間の能力をはるかに超えていることもあるのです。
わたしたちは、今日、科学技術にも限界があることを認識しなければならなくなりました。
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チベット問題についてはつぎのようにのべています。
私たちチベット人のことについて少しお話ししましょうか。私たちは祖国を失いました。私は十六歳のときに自由を失い、二十五歳のときに祖国を失ったのです。しかし、希望と決意を失ったことは一度もありません。自由と祖国を失った時からすでに五十年、六十年の月日が経ちましたが、今もなお、私は完全な情熱と自信を持ってこの問題に立ち向かっています。
法王は、「中道のアプローチ」という、チベット人の自治が実現できれば中国からの独立はもとめないという妥協案を提出しています。わたしたちは、アジアにおける国際紛争についてももっと理解しなければなりません。
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心の精神世界についてはつぎのようにのべています。
仏教は、私たち人間が持っている様々な感情について、つまり、心という精神世界について、大変深い考察と探究をしています。私たちの心とはどういうものなのか、感情がどのような働きをしているのかを正しく理解することは、問題や困難に直面したとき、自分の破壊的な感情を克服するために大変役に立つのです。
自分の心がどのように機能しているのか、そのシステムを正しく知ることが重要であると強調しています。
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対談をおえて、池上さんはつぎのようにまとめています。
ダライ・ラマ法王のような卓越した指導者を持たない私たち日本人には、心のよりどころが希薄です。法王の提案する、よく生きるための一般教養としての仏教をヒントに、不安と恐れを克服する術を日本人なりに考えていく必要があるのでしょう。
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法王と池上さんのように、グローバルな視点にたって、地球上のほかの宗教とも比較しながら仏教をとらえなおしていくことは、現代の複雑な世界情勢のなかで、自分なりの人生を展開していく方法を見つけるためにも必要なことだとおもいます。特に、心の機能やシステムについて理解をふかめていくことは重要でしょう。
▼ 文献
池上彰著『池上彰と考える、仏教って何ですか?』飛鳥新社、2014年10月24日
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