写真1 大阪市立自然史博物館のネイチャースクエアの入り口
大阪市立自然史博物館を先日みました。別館のネイチャースクエア「大阪の自然誌」の展示がとても充実していました。この部屋の展示は「自然史」ではなくて「自然誌」でした。特に、里山に注目することにより、大阪の人々と自然環境とのかかわりについて理解することができました。
このネイチャースクエアは、大阪にのこっている自然と人間とのかかわりをまなぶための部屋であり、大阪の海・川・水辺・平野・丘陵・山地などについて、そこで見られる生き物や地層を、また自然観察コースなどを具体的にしめしながら解説していました。
写真2 展示室の内部
大阪も都市化がすすみ、特に、1960年代以降、丘陵地帯の開発いちじるしかったそうですが、それでも、いくらかの自然が細切れになりつつものこっています。
大阪府下の林は、クヌギ・コナラ・リョウブなどの落葉広葉樹に赤松がまじった林が多く、そこは、さまざまな植物や獣や昆虫が生息していて、里山になっていました。丘陵地帯には、薪をとる山・草地・ため池・田んぼ・社寺林などがくみあわさってできた里山が発達しました。
写真3 里山の展示
かつて人々は、原生林をきりひらいて田畑や居住地として利用し、さらに、集落の周囲の林を、燃料や用材・肥料・山菜などをえるために利用してきました。自然のいとなみと人間のはたらきの調和によって里山は維持されていました。
近年では、こうした里山は利用されなくなりましたが、この博物館は、里山の意義をとらえなおして、のこされた里山を大切な林として保護し、後世にのこしていこうと活動をすすめているそうです。環境保全のために、里山があらためて注目されています。
このような里山をモデル(模式図)で簡略にあらわすとつぎのようになります(図1)。
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このような里山をモデル(模式図)で簡略にあらわすとつぎのようになります(図1)。
図1 人々と自然環境との相互作用により里山が生まれた
人々は、自然環境から恩恵をうけつつ、それをうまく改良・利用して生活をいとなんでいました。そのような、人々と自然環境との相互作用により里山が生まれました。里山とは、本来の自然ではなく、人々が改良した二次的な自然のことです。
これを、さらに単純化するとつぎのようなモデルになります(図2)。
図2 主体-環境系のモデル
人々とは、その地域の主体であり、自然環境は簡略に環境とよぶことができます。主体が、環境からさまざまな事物をとりいれることはインプット、一方、環境に対してさまざまな働きかけをし、環境を改良していく行動はアウトプットととらえることができます。主体は、その過程で情報を消化し、情報処理をしているわけです。
インプットやアウトプットをより効果的におこなうために、人々は、さまざまな技術を発達させました。技術は成長するとその地域の文化となります。上記の里山は、このような過程でつくられてきたとモデル化できるのではないでしょうか。したがって、里山は、その地域独自の技術や文化をつくりだすものととらえなおすこともできます。
図2の主体-環境系のモデルは、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕という、ひろい意味の情報処理系であると見ることができます。
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このようなモデルをもって、「大阪の自然誌」を見てみたところ、人間から自然環境までを総合的にとらえなおすことができました。
大阪平野は大阪の中心部になっていて、それを、千里・京阪奈・泉北・羽曳野などの丘陵がかこんでいます。丘陵の背後には山地が、手前には大阪湾があり、中央には、大阪湾にむかって淀川がながれています。「大阪の自然誌」の各展示物の空間配置が、このような自然誌をモデル化した構造になっていました(図3)。
博物館の自然誌展示は、一見、複雑でわかりにくいと感じますが、このように、モデルをつかうことによって見通しが非常によくなり、見おわったあと、すっきりした気持になって帰宅することができます。
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