『梅棹忠夫 語る』では、梅棹さんが、まだ学生だったころ、自然学者・今西錦司から指導をうけたことがかたられています。

三校時代に世界の未開地の探検を夢見ていた仲間がいた。意気盛んやったが、強力なリーダーが必要であることを痛感していた。それは今西錦司をおいてほかにないと、今西さんを行きつけのおしるこ屋の二階まで引っ張りだし談判して、承諾を得たんや。

リーダーとしての今西さんの力量はめざましいものやった。行動の判断はもちろんのこと、フィールド・ワークを進めながら思索を深めていく手法を骨の髄までたたきこまれたな。


フィールド・ワークを進めながら思索を深めていく手法」というところがポイントです。今西錦司の指導・影響はとても大きかったことがうかがえます。

そして、実際に探検をすすめていきました。

北部大興安嶺縦断(一九四二年)をやった。探検隊の見習士官として訓練を受けた「今西グループ」のはじめての実戦でした。そのあと今西さんが所長だった西北研究所に行ってモンゴル調査もやった。

このような探検が、梅棹さんの仕事の基礎になっていることがわかりました。


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