『梅棹忠夫 語る』の第五章から最終章では、学問、人生、民族学博物館などについてかたっています。

「空想こそ学問の原点」という話からはじまります。

空想というのはわたしの生涯の大きな特徴やね。(中略)想像力というか、イマジネーションや。

想像力が重要であることを指摘しています。 想像力がとぼしいと、全体像がわからなかったり、ストーリーがえがけなかったりします。


つぎに、ひらめきについてです。

みんなひらめくけど、それをとらえることができまい。宇宙線は、全部同じように届いているんだけれど、それをとらえることができない。

これは、梅棹忠夫著『知的生産の技術』の「発見の手帳」の話です。ひらめいたらすぐにメモをとれる体制をつねにととのえておかなければなりません。現代では、スマートフォンのボイスメモが便利です。

iPhone を「発見の手帳」としてつかう - 梅棹忠夫著『知的生産の技術』をとらえなおす(1)- >>


つぎに、知的生産物の整理についてのべています。

自分にとっての第一番は観察記録。これが第一。 (中略)自分の目で見た観察記録です。なぜ自分のオリジナルの観察を大事にしないのか。

みずからの観察とその記録の重要性について指摘しています。観察記録は、自分のファイルのなかでも中核的なファイルになるでしょう。そのような核心がしっかりしてこと、ファイリング・システムは成長するのだとおもいます。 


そして、民族学博物館創設のころの話です。

決断ということはひじょうに大事やな。決断して実行する。

泉さんにまかせたいと思っていたのだが、とつぜん亡くなられてしまった。だから、引き受けざるをえなかった。

請われれば一差し舞える人物になれ。

人には逃げてはならない状況がある。そのとき、ちゃんと舞ってみせることが必要だ。責任を果たす覚悟と能力がいる。  

こうして、梅棹さんは、国立民族学博物館の初代館長に就任し、同館の発展に尽力しました。


おわりに、梅棹さんの最後の言葉を引用しておきます。

わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった。


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