1911年12月14日、人類は、はじめて南極点に到達しました。到達したのは、ノルエーの探検家ロアール=アムンセンひきいるアムンセン隊でした。

午後三時。「とまれ!」という声が三台のソリの御者たちからほとんど同時にあがった。ソリにつけている距離計が、いっせいにゴールインの数値を示したのだ。非天測推定の極点、つまり南緯90度。

ひと息ついた五人は、われにかえると一つにかたまり、力いっぱい握手をかわして成功を祝った。アムンセンという強力な指導者のもとに、いまこそ人類史に輝く一項が、五人のたぐいない団結と勇気によって達成されたのである。五人は感動のあまり言葉も少なく、ただその力をこめた握手に、たがいの気持ちを伝えあうのだった。

しかし、この時点で、南極点をめざして、あとからすすんでくるもうひとつの隊、英国ロバート=F=スコット大佐ひきいるスコット隊がありました。

近づくにつれ、しかし、それは自然のものではなくて人工物だということがはっきりしてきた。たしかに最近極点を訪れた人間がいたのである。(中略)もう疑う余地はない。ノルエー隊に先を越されたのだ。

もう道を探す必要もなかった。皮肉なことにアムンセン隊の足跡がはっきりとついていて、立派な道案内をしてくれるのだから。

希望の土地が一転して絶望の土地になったのである。

スコット隊は、アムンセン隊におくれること34日、1912年1月17日に南極点に到達しました。

こうして、前人未踏の南極点をめざす「地上最大のレース」は、アムンセン隊の勝利、スコット隊の敗北という結果におわりました。


本多勝一著『アムンセンとスコット』は、この「地上最大のレース」について、「勝った側」と「敗れた側」を同時進行的に叙述した実話です。

本書を読んでいると、アムンセンは幸運であり、スコットは不運であったというような簡単なことではなく、アムンセンは成功するべくして成功し、スコットは敗れるべくして敗れたという必然性を読みとることができます。

たとえば、アムンセンは、わかいときから、自分の強烈な意志で、極地探検家へと驀進したのに対し、スコットは、英国海軍の軍人であり、王立地理学協会の会長マーカム卿にみこまれて「任命」されて隊長になったのでした。

こうしたことが、極点への情熱と心がまえや、隊の運営方法の差としてはっきりあらわれてしまいました。主体性は、人間行為にとって本源的に重要であることをあらわしています。

南極点をめざすというおなじ行動をしながらも、両者には大きな相違があり、わたしたちが彼らからまなぶべき点はたくさんあるとおもいます。


人類で最初に南極点に到達したアムンセン隊の偉業は、人類史上の記録的意味、歴史的意味をもっています。これは、単なる冒険とはあきらかにちがいます。

これは、地球上の空白領域をうめていく行為であったのあり、パイオニアワークでした。地平線のむこう、フロンティアをもとめる行動です。人類は、本源的には、既知の領域から未知の領域に旅をする存在であるとかんがえられます。このことが、現在でも世界の人々が、オリジナリティー(独創性)を必要とする姿勢となってあらわれているのでしょう。

したがって、もし、そこに誰かが足を踏みいれたならば、その瞬間に、そこはもはや空白領域ではなくなってしまい、そこにはもう、フロンティアは存在しなくなるのです。

ここに、アムンセンとスコットが熾烈な競走をした理由、なぜ「最初」に南極点に到達しなければならなかったのか、2番目ではだめだったのかという理由があるのだとおもいます。 

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スコット隊は、帰路、全滅してしまいました。彼らの失意も、人類史上にのこる大きなものであったことでしょう。スコット隊はたしかに敗れました。しかし、アムンセンもスコットも、ともにパイオニアワークをめざしたのであり、パイオニアワークは、たとえ敗れても、堂々としたやり方だとおもいます。


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