梅棹忠夫著『知的生産の技術』の第3章「カードのつかいかた」では、カードの記入のしかた、原則、組みかえ操作などについてのべています。

カードは、他人がよんでもわかるように、しっかりと、完全な文章でかくのである。「発見の手帳」についてのべたときに、豆論文を執筆するのだといったが、その原則はカードについてもまったくおなじである。カードはメモではない。

そのかわり、豆論文にはかならず「見だし」をつける。カードの上欄にそれをかいておけば、検索に便利である。「見だし」は、豆論文の表題でもよいが、むしろその内容の一行サマリーといったもののほうが、いっそうその目的にかなっているだろう。
一枚のカードにはひとつのことをかく。この原則は、きわめてたいせつである。

このようにカードは、見だし(一行サマリー)と本文とからなっていて、一枚一項目の大原則をもっています。

したがってカードとは、情報(データ)のひとまとまりを記録したものであり、現代の一般的な用語をつかえばそれはファイルのことです

1個のファイルには1つの見出しがかならずあり、その下部構造としてデータの本体(本文)が存在する構造になっています。コンピューター・ファイルでは、見出しをダブルクリックすることによりデータの本体をひらける仕組みになっています。

大切なことは、わたしたちがファイルをつくるときにはカードをおもいだし、その原則と意義を意識しながらつくることです。

つぎに、カードの操作について説明しています。
 
操作できるということが、カードの特徴なのである。

カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、組みかえ操作である。知識と知識とを、いろいろに組みかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけない関連が存在することに気がつくのである。そのときには、すぎにその発見をカード化しよう。そのうちにまた、おなじ材料からでも、組みかえによって、さらにあたらしい発見がもたらされる。これは、知識の集積作業ではない。それは一種の知的創造作業なのである。カードは、蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。

知的創造作業についての重要な原理がのべられています。

わたしは、紙のカードは現在ではつかわなくなりましたが、紙のカードはつかわなくても、ファイルをつくってファイルの操作をしています。

見たり聞いたり体験したことを文章にして記録し、一行サマリーをつくることは、情報処理の観点からいうとアウトプットをするということです。1回のアウトプットにより1個のファイルはつくられ、アウトプットをくりかえせば、ファイルは蓄積されていきます。

そして、多数のファイルを操作してあたらしい組みあわせやグループを編成してあらたな体系をつくっていくことになります。

このファイル操作のためには、今では、コンピューターがつかえます。コンピューターをつかえば、カット&ペーストで入れかえ、組みあわせが自由にできます。

あるいは、ワープロのアウトライン機能をつかって、見だしと本文を表示させたり、本文をたたんで見出しだけを表示させたりして、組みかえやグループ編成をすることができます。

あるいは、Keynote をつかえば、ディスプレイ上でカードを操作するようにならべかえができます。

あるいは、ファイルの見だしを付箋(ポストイット)に書きだして、机のうえにひろげて組みかえやグループ編成をおこなってもよいです。