東京・池袋にある古代オリエント博物館の常設展を見ました。この博物館は発掘展示もおこなっていて、古代オリエント博物館・シリア発掘調査隊は、ユーフラテス川流域のテル・ルメイラの発掘調査をし、その結果を展示しています。
テル・ルメイラは直径100m、高さ13mほどの遺跡です。今からおよそ4000年前、人々は日干しレンガで家をつくり住みはじめました。やがて大きな集落へと発展し、集落全体を取りかこむ壁をきずいて生活するようになりました。集落内には、通路や密集した家が立ちならんでいました。ユーフラテスの河川敷と背後の広大な段丘上で麦を栽培し、羊や山羊を飼っていました。

この発掘展示は、文明が発生するときの様子を知るうえでとても参考になります。

古代オリエントでは、狩猟採集生活の段階をおわらせ、有用作物を栽培するという農業と、飼養できる動物を家畜にするという革命的な変化がおこりました。このような農耕・牧畜の発展にともない灌漑もはじまりました。また、金属などの石以外の素材が生みだされ、それらの専業職人たちも生まれました。

その後、交易による物資の流通がさかんになり、封印のための印象が登場し、会計記録をつけるための文字も誕生しました。

このような文明の諸要素が古代オリエントで紀元前3200年頃に開花しました。これを一般にはメソポタミア文明と言います。

展示によると、メソポタミアでは、前6000年以上前から農耕・牧畜がはじまり、前3200年ごろに初期王朝ができ、その後、アッカド・新シュメール → 古バビロニア → カッシート → アッシリア → 新バビロニアをへて、アケメネス朝ペルシアへという歴史が見られます。初期王朝としては、ウルクやウルなどにシュメール人の都市国家ができました。

この歴史において、初期王朝 → アッカド・新シュメール → 古バビロニア → カッシート → アッシリア → 新バビロニアの時代は都市国家の時代であり、アケメネス朝ペルシアは最初の領土国家ととらえることができます。

したがって、最初の文明は都市国家文明であり、メソポタミア文明とは、領土国家あるいは領土国家群を基盤としたその後の本格文明(前近代文明)とはことなり、いくつかの都市国家から構成された素朴な文明であったのです。このような都市国家文明をもたらしたのが農耕・牧畜だったわけです。オリエントの歴史をモデル化すると下図のようになります。

141107 メソポタミアの歴史
図 オリエントの歴史


古代オリエントの人類史的な意義は、狩猟・採集生活をおわらせ、文明を発生させることになった農耕・牧畜というあたらしい仕組みを世界で最初に開発したところにあります

古代オリエントの人々は、まず、大麦・小麦を栽培するようになりました。すり石セットが発掘されていることから、麦はすりつぶして粉にして、こねて焼いて食べていたと想像されています。他方で、山羊と羊を家畜化し、肉は食べ、乳汁からはバター・ヨーグルト・チーズをつくり、刈りとった毛は織物にしました。

ここで、彼らがはじめたのは単なる農業ではなく半農半牧であったことに注目し、パンとバターのコンビネーションができたことに気がつかなければなりません。これが、オリエントおよびその西方の人々に見られる、パンにバターをぬって食べるという基本的な食文化のはじまりです。

この古代オリエント博物館に行けばこれらの発掘品を見ることができ、農耕牧畜の開始、道具の発明、文字の発明などについて理解し、当時の人々の暮らしぶりを想像することができます。まずここに行って、それから外国に行けば、外国あるいは文明に関する理解を一段とふかめることができるとおもいます。


▼ 古代オリエント博物館が編集した書籍はつぎです。展示品について写真とともにくわしく解説しています。
古代オリエント博物館編『古代オリエントの世界』山川出版社、2009年7月25日

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