情報産業についてのべながら情報の本質について解説しています。

目次はつぎのとおりです。

情報の創造と編集
日本展示学会と展示学の発展
展示学ことはじめ
展示学の課題と方法
第二回映像展示ショーケースへのメッセージ
情報産業社会におけるデザイナー
情報産業とファッション
情報産業社会における芸能
唯物論政府
ミナト神戸の運命 -都市と情報-
情報と消防
情報社会への対処
情報論語録
情報産業論講義


要点を書きだしてみます。

原情報を取捨選択し、加工し、配列するすべての作業を一括して、広義の「編集」とよぶことができるだろう。

情報産業社会ということは、人間の精神活動がひじょうにさかんな社会であるということです。

現場のなかから問題をひろいあげて、それの解決方針を組みたててゆく。本にかかれた情報を操作するだけが学問ではありません。わたしなどは、そういうフィールド・ワークがほんとうの学問だというようにかんがえています。

川喜田二郎さんの「発想法」というようなものがでてきているわけです。これは既成の学問とはだいぶちがいます。まさに問題解決学である。問題を解決するというのは、どういうぐあいにやればよいかということを、論理的に、しかもたいへん実際的に組みたててゆく。

工業の時代は、物質とエネルギーの精算に価値の基準がおかれていたのですが、それにつづく情報産業の時代にあっっては、情報が価値の基準となるというかんがえかたであります。物質よりも知恵がとうとばれ、その意味では精神の産業化の時代ということもできるでしょう。

知識というのは、情報が蓄積され貯蔵されている状態だといってもよいでしょう。

創造というのは、ばらばらの要素をひとつにまとめることだという点で一貫しているわけです。

人間の内部で情報がいかに処理されてゆくか、あるいは処理されてゆかないか。たとえば情報の激突によって自律神経系がどういうふうに変化をおこすか、あるいは情報の意識下への埋蔵による忘却、そういう人間内部における情報のダイナミックス、こらはまったく未開拓の分野です。

情報はなんの労働もしなくて、パッとおもいついたことでもよいわけです。労働概念から解放されることが、じつは必要なのです。

あるのはポテンシャリティーの問題だとおもう。行動というより、状態に意味があるのです。われわれは情報ポテンシャルというかたちで、いま膨大な蓄積をもっている。これはシンボルではありません。

情報の世界には、ものの世界とはちがう法則が支配しているはずなんです。

人間は、情報によって地球上を完全につくりかえたんですね。地球というものが、まったくべつの意味のものになってきた。

情報を記号体系ととらえるのではせますぎるとおもうのです。



1.工業の時代から情報産業の時代へ
わたしたちの社会は、工業の時代から情報産業の時代へと大きく転換しました。価値の基準も物から情報へと変わりました。いつまでも、物質とエネルギーにとらわれているのはよくありません。

情報産業社会になって、物は、情報を代表したり伝達するための手段としての役割が大きくなりました。情報は、言葉などの記号をつかって表現したり伝達したりすると一般的にかんがえられていますが、物をつかって表現したりメッセージを伝達したりしてもよいのです。たとえば、物の形や色から連想や類推をみちびきだすといったやり方はいたるところでおこなわれています。

物も情報化する。これも、情報産業の時代への転換をあらわしています。



2.情報の本質はポテンシャルである
梅棹忠夫さんは、情報について非常に重要なことをのべています。それはシンボルとポテンシャルについてです。

シンボルとは記号のことであり、その代表は言葉です。梅棹さんは、「情報とはポテンシャルの問題であり、記号体系としてとらえるのではせますぎる」とのべています。

つまり、情報の本質はポテンシャルであり、ポテンシャルが存在することをしめすためにシンボル(記号や言葉)をつかうということです(図)。

140806 シンボルとポテンシャル

図 情報の本質はポテンシャルであり、それをあらわすのがシンボルである。


シンボルは、情報ポテンシャルのラベル(標識)あるいはインデックスの役割をはたします。シンボルは、情報のラベルあるいはインデックスにすぎず、情報の本体ではないことに注目する必要があります。 わたしたちの目にはシンボルしか見えず、ポテンシャルは見えないのでわかりにくいかもしれませんが、上図をよく理解する必要があります。

シンボルは、情報処理や情報伝達の手段(道具)としては必要ですが、実際には、ポテンシャルがほとんどすべてをうごかしているのです。

また、梅棹さんは、「情報は、コミュニケーションよりも系全体のポテンシャルの方が重要である」とものべています。これも卓見だとおもいます。情報の伝達・流通・コミュニケーションばかりに意識がむいている人が多いとおもいますが、それよりもポテンシャルの方が重要だというわけです。



3.記憶量を増やし、アウトプットを蓄積する
それでは、ポテンシャルを高めるにはどうすればよいのでしょうか。

そのためには、記憶量を増やすせばよいということになります。興味のある課題についてたくさん情報をあつめて、それらを徹底的に記憶し、記憶量を増やすのです。

注意点は、情報の質ではなく量であるということです。ポテンシャルを高めるためには情報の量をもとめます。質は二の次です。

そして、自分がアウトプットした情報が自動的に蓄積されていく仕組みを用意しておきます。それには、ツイッターやフェイスブック、ブログなどを利用します。ここでも、まず、質ではなく量です。ツイッターやフェイスブック、ブログに、とにかくたくさん書きだす、撮影した写真をたくさんアップするなど、徹底的に量をもとめます。質の高さにこだわっていると先にすすめません。こうして、情報が蓄積されていくとポテンシャルが高まります。


情報を記憶し、情報を蓄積する。量を増やす。 するとポテンシャルが高まり、おのずと次の展開も生まれてくるでしょう

それにしても、1980年代、日本人が工業化の成功をよろこびあっていたときに、梅棹さんはすでに、このようなことに気がついていたというのはさすがとしか言いようがありません。



▼ 文献
梅棹忠夫著『情報論ノート -編集・展示・デザイン-』中央公論社、1989年3月
情報論ノート―編集・展示・デザイン… (中公叢書)

▼ 関連書
梅棹忠夫著『情報と文明』(梅棹忠夫著作集 第14巻))中央公論社、1991年8月