発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

タグ:文明

東京・池袋にある古代オリエント博物館の常設展を見ました。この博物館は発掘展示もおこなっていて、古代オリエント博物館・シリア発掘調査隊は、ユーフラテス川流域のテル・ルメイラの発掘調査をし、その結果を展示しています。
テル・ルメイラは直径100m、高さ13mほどの遺跡です。今からおよそ4000年前、人々は日干しレンガで家をつくり住みはじめました。やがて大きな集落へと発展し、集落全体を取りかこむ壁をきずいて生活するようになりました。集落内には、通路や密集した家が立ちならんでいました。ユーフラテスの河川敷と背後の広大な段丘上で麦を栽培し、羊や山羊を飼っていました。

この発掘展示は、文明が発生するときの様子を知るうえでとても参考になります。

古代オリエントでは、狩猟採集生活の段階をおわらせ、有用作物を栽培するという農業と、飼養できる動物を家畜にするという革命的な変化がおこりました。このような農耕・牧畜の発展にともない灌漑もはじまりました。また、金属などの石以外の素材が生みだされ、それらの専業職人たちも生まれました。

その後、交易による物資の流通がさかんになり、封印のための印象が登場し、会計記録をつけるための文字も誕生しました。

このような文明の諸要素が古代オリエントで紀元前3200年頃に開花しました。これを一般にはメソポタミア文明と言います。

展示によると、メソポタミアでは、前6000年以上前から農耕・牧畜がはじまり、前3200年ごろに初期王朝ができ、その後、アッカド・新シュメール → 古バビロニア → カッシート → アッシリア → 新バビロニアをへて、アケメネス朝ペルシアへという歴史が見られます。初期王朝としては、ウルクやウルなどにシュメール人の都市国家ができました。

この歴史において、初期王朝 → アッカド・新シュメール → 古バビロニア → カッシート → アッシリア → 新バビロニアの時代は都市国家の時代であり、アケメネス朝ペルシアは最初の領土国家ととらえることができます。

したがって、最初の文明は都市国家文明であり、メソポタミア文明とは、領土国家あるいは領土国家群を基盤としたその後の本格文明(前近代文明)とはことなり、いくつかの都市国家から構成された素朴な文明であったのです。このような都市国家文明をもたらしたのが農耕・牧畜だったわけです。オリエントの歴史をモデル化すると下図のようになります。

141107 メソポタミアの歴史
図 オリエントの歴史


古代オリエントの人類史的な意義は、狩猟・採集生活をおわらせ、文明を発生させることになった農耕・牧畜というあたらしい仕組みを世界で最初に開発したところにあります

古代オリエントの人々は、まず、大麦・小麦を栽培するようになりました。すり石セットが発掘されていることから、麦はすりつぶして粉にして、こねて焼いて食べていたと想像されています。他方で、山羊と羊を家畜化し、肉は食べ、乳汁からはバター・ヨーグルト・チーズをつくり、刈りとった毛は織物にしました。

ここで、彼らがはじめたのは単なる農業ではなく半農半牧であったことに注目し、パンとバターのコンビネーションができたことに気がつかなければなりません。これが、オリエントおよびその西方の人々に見られる、パンにバターをぬって食べるという基本的な食文化のはじまりです。

この古代オリエント博物館に行けばこれらの発掘品を見ることができ、農耕牧畜の開始、道具の発明、文字の発明などについて理解し、当時の人々の暮らしぶりを想像することができます。まずここに行って、それから外国に行けば、外国あるいは文明に関する理解を一段とふかめることができるとおもいます。


▼ 古代オリエント博物館が編集した書籍はつぎです。展示品について写真とともにくわしく解説しています。
古代オリエント博物館編『古代オリエントの世界』山川出版社、2009年7月25日

▼ 関連文献


▼ 関連ブログ
多種多量の情報を要約・圧縮して本質をつかむ 〜 川喜田二郎著『素朴と文明』〜
生きがいの文化がもとめられている 〜 川喜田二郎著『素朴と文明』〜 
素朴社会→都市国家→領土国家→グローバル社会 〜川喜田二郎著『可能性の探検 -地球学の構想-』〜

古代オリエント博物館で開催中の「アマゾン展 森に生きる 人々と暮らし」を見ました(会期:2014年11月24日まで)。今では貴重になった狩猟採集民の生活を垣間みることができました。

一方で、となりのスペースでは、古代オリエント博物館の常設展も見ることができました。オリエントで最初の文明(メソポタミア文明)が生まれた様子を理解することができました。


「アマゾン展」と「古代オリエント常設展」とを比較してみると、オリエントの砂漠地帯というきびしい自然環境のなかで最初の文明が生まれたのだということがよくわかりました。

つまり、アマゾンのようなゆたかな自然環境のなかで暮らしているのでしたら、狩猟採集で十分たべていけるのですが、砂漠地帯のようなきびしい自然環境のなかでは、作物を人工的にそだてる農業を開発して食料生産性を高めないと人々は生きていけなかったのです。

こうしてオリエントでは、農業生産性を高める努力をし、効率的・機能的に人々が暮らしていけるようにするために都市を発達させました。これが文明のはじまりです。

文明が発生する背景にはきびしい自然環境があり、そこには生きるための大きな切実性があったといえるでしょう。

今回たまたま、アマゾンの自然社会と、オリエントの文明のはじまりを比較しながら同時に見ることができたので認識がとてもふかまりました。説明はありませんでしたが、古代オリエント博物館はこのようなことを意識して今回の展覧会を企画したのかもしれません。比較するということは理解をすすめるためのひとつの重要な方法といえるでしょう。

▼ 参考文献
古代オリエント博物館編『古代オリエントの世界』山川出版社、2009年7月25日

▼ 関連文献

川喜田二郎著『野性の復興』は川喜田二郎最後の著書であり、川喜田問題解決学の総集編です。

目次はつぎのとおりです。

序章 漂流する現代を切り拓く
1章 「創造性の喪失」が平和の最大の敵
2章 「情報化の波」が管理社会を突き崩す
3章 問題解決のための「方法」と「技術」
4章 生命ある組織作り
5章 今こそ必要な「科学的人間学」の確立
6章 「文明間・民族間摩擦」を解決する道
7章 「晴耕雨創」というライフスタイル
8章 野性の復興


要点を引用しておきます。

解体の時代が始まっている。解体の原因は、この世界が、いのちのない諸部品の複雑な組み立てと運動から成り立っていると見る世界観にある。わたしはそれを「力学モデル」、あるいは「機械モデル」の世界観と呼んでみた。

デカルトこそが、機械モデルの世界観の元祖なのである。

個人よりも大きな単位、たとえば家族・親族集団・村落・学校・企業・国家・民族などもまた、生きていると言える。全人類、全生物界も、またそれぞれ生き物だと言える。つまり、「生命の多重構造」を認める立場がある。

ホーリスティックな自然観に共鳴する。

生き物の本性は問題解決にこそある。創造的行為とは、現実の問題解決のためにこそある。

文明五〇〇〇年(狭くは二五〇〇年)の間、秩序の原理であった権力が、今やガタガタになってきた。それに代わって、情報が秩序の原理になる徴候が、世界中至るところに兆し始めてきた。

伝統体の発生のほうが根本原理であり、動植物などの「いわゆる生き物」は、その伝統体の現れの一種と考える。

読み書きの能力を英語でリテラシーと言うように、これからの時代には、「情報リテラシー」がきわめて大切だ。加えて、データベースの運用方式を開発することである。

情報の循環こそ、いのちを健全化するカギである。

自分にとって未知なひと仕事を、自覚的に達成せよ。それには、問題解決学を身につけること、そうして自覚的に達成体験を積み重ねるのがいちばんよい。


以上をふまえ、わたしの考察を以下にくわえてみます。

1. 未知の問題を解決する - 創造的行為 -
本書でのべている創造的行為とは「問題解決」のことであり、特に、未知な問題にとりくみ、それを解決していく過程が創造的な行為であるということです。

その問題解決のためには、「情報リテラシー」と「データベース」が必要であるとのべています。「情報リテラシー」は情報処理能力、「データベース」はデータバンクといいかえてもよいです。情報処理とデータバンクは情報の二本柱です。

したがって、情報処理をくりかえし、データバンクを構築しながら未知の問題(未解決な問題)を解決していくことが創造的行為であるわけです。



2. 情報処理の主体を柔軟にとらえると階層構造がみえてくる
ここで、情報処理をおこなう主体は個人であってもよいですし、組織であっても民族であってもよいです。あるいは、人類全体を主体ととらえることも可能です。1990年代後半以後、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をおこなう存在になりました。そして、地球全体(全球)は巨大な情報処理の場(情報場)になりました(図)。


140825 人類と地球

図 人類全体を情報処理の主体とみなすこともできる
 

このように、情報処理をおこなう主体は個人に限定する必要はなく、個人にとらわれることに意味はありません。個人・集団・組織・民族・国家・人類のいずれもを主体としてとらえることが可能であり、柔軟に主体をとらることがもとめられます。このような柔軟な見方により「生命の多重構造」(階層構造)が見えてきます



3. 主体と環境と情報処理が伝統体を生みだす
そして、主体が、よくできた情報処理を累積しながら問題を解決し、創造の伝統をつくったならば、その主体とそれをとりまく環境がつくりだすひとつの場(情報場)はひとつの「伝統体」となります

個人・集団・組織・民族・国家などのいずれもが「伝統体」を形成する可能性をもっており、あるいは、人類を主体とみた地球全体(全球)がひとつの「伝統体」になってもよいのです。



4. 伝統体を階層的にとらえなおす
このようにかんがえてくると、主体と環境と情報処理から「伝統体」が生まれるということを、むしろひとつの原理とみなし、その原理が「生命の多重構造」として階層的にあらわれている(顕在化してくる)という見方ができます。

「伝統体」とは生き物のようなものであるというせまい見方ではなく、いわゆる生き物は「伝統体」のひとつのあらわれ、生物も「伝統体」の一種であるという見方です。つまり、「伝統体」は、階層的に、さまざまな姿をもってあわられるという仮説です。ここに発想の逆転があります。

川喜田が最後に提唱したこの「伝統体の仮説」はとても難解であり、理解されない場合が多いですが、上記の文脈がいくらかでも理解のたすけになれば幸いです。

キーワードを再度かきだすとつぎのようになります。

創造、問題解決、情報処理、データバンク、主体、環境、情報場、階層構造、伝統体



5. 速度と量によりポテンシャルを高める
上記のなかで、情報処理とデータバンクを実践するための注意点はつぎのとおりです。

情報処理は、質の高さよりも処理速度を優先します。すなわち、できるだけ高速で処理することが大切です。質の高さは二の次です。

また、データバンクは、質の高さよりも量を優先します。すなわち、大量に情報を集積します。質の高さは二の次です。

情報の本質は、まず、速度と量であり、これらにより情報場のポテンシャルを高めることができます。このことに注目するとすぐに先にすすむことができます


▼ 文献
川喜田二郎著『野性の復興 デカルト的合理主義から全人的創造へ』祥伝社、1995年10月10日


川喜田二郎著『創造と伝統』は、文明学的な観点から、創造性開発の必要性とその方法について論じています。



I 創造性のサイエンス
 はじめに
 一、創造的行為の本質
 二、創造的行為の内面世界
 三、創造的行為の全体像
 四、「伝統体」と創造愛

II 文明の鏡を省みる
 一、悲しき文明五〇〇〇年
 二、コミュニティから階級社会へ
 三、日本社会の長所と短所

III 西欧近代型文明の行き詰まり
 一、デカルト病と、その錯覚
 二、物質文明迷妄への溺れ

IV KJ法とその使命
 一、KJ法を含む野外科学
 二、取材と選択のノウハウ
 三、KJ法と人間革命

V 創造的参画社会へ
 一、民族問題と良縁・逆縁
 二、情報化と民主化の問題
 三、参画的民主主義へ
 四、参画的民主主義の文化

結び 没我の文明を目指せ


本書の第I章では「創造的行為とは何か」についてのべています。第Ⅱ章と第Ⅲ章では「文明の問題点」を指摘しています。第Ⅳ章では「問題解決の具体的方法」を解説しています。第Ⅴ章と結びでは「あたらしい社会と文明の創造」についてのべています。


■ 創造的行為とは何か
「創造とは問題解決なり」であり、「創造とは問題解決の能力である」ということである。

創造は必ずどこかで保守に循環するもので、保守に循環しなければ創造とは言えない

「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤 → 本然(ほんねん)」が創造における問題解決の実際の過程である。これは、「初めに我ありき」のデカルトの考えとはまったく異なっている。

創造的行為の達成によって、創造が行われた場への愛と連帯との循環である「創造愛」がうまれてくる。これが累積していくと、そこに「伝統体」が生じる。「伝統体」とは、創造の伝統をもった組織のことである。


■ 文明の問題点
文化は、「素朴文化 → 亜文明あるいは重層文化 → 文明」という三段階をへて文明に発展した。

文明化により、権力による支配、階級社会、人間不信、心の空虚、個人主義、大宗教などが生まれた。

デカルトの考えを根拠とする、西欧型物質文明あるいは機械文明は行き詰まってきた。


■ 問題解決の具体的方法
現代文明の問題点を改善するための具体的方法としてKJ法を考え出した。

KJ法は、現場の情報をボトムアップする手段である。

現場での取材とその記録が重要である。


■ あたらしい社会と文明の創造
今、世界中で秩序の原理が大きく転換しようとしている。秩序の原理が権力による画一化と管理によって働いてきたのであるが、今や情報により多様性の調和という方向に変わってきた。

多様性の調和という秩序を生み出すことは、総合という能力と結びついて初めて考えられる。

人間らしい創造的行為を積みあげていくことで「伝統体」を創成することになる。

創造的行為は、個人、集団、組織、そして民族、国家、それぞれの段階での、環境をふくむ「場」への没入、つまり「没我」によってなされるのである。

「没我の文明」として、既成の文明に対置し、本物の民主主義を創り出すことを日本から始めようではないか。




1. 情報処理の場のモデル

ポイントは、情報処理の概念を上記の理論にくわえ、情報処理を中核にしてイメージをえがいてみるところにあります。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)をくわえることにより、情報処理をおこなう主体、その主体をとりまく環境、主体と環境の全体からなる場を統合して、つぎのイメージえがくことができます(図1)。そして、情報処理の具体的な技法のひとつとしてKJ法をとらえなおせばよいのです。

140822 場と主体
図1 主体と環境が情報処理の場をつくる


図1のモデルにおいて、主体は、個人であっても組織であっても民族であってもよいです。人類全体を主体とみることもできます。環境は、主体をとりまく周囲の領域です。場は、主体と環境の全体であり、それは生活空間であっても、地域であっても、国であってもかまいません。地球全体(全球)を、情報処理のひとつの場としてとらえることも可能です。

図1のモデルでは、主体は、環境から情報をとりいれ(インプットし)、情報を処理し(プロセシング)、その結果を環境(主体の外部)へ放出(アウトプット)します。

このような、主体と環境とからなる場には、情報処理をとおして、情報の流れがたえず生じ、情報の循環がおこります。



2. 問題解決(創造的行為)により場が変容する

創造とは問題解決の行為のことであり、問題解決は情報処理の累積によって可能になります。よくできた情報処理を累積すると、情報の流れはよくなり、情報の循環がおこり、問題が解決されます。これは、ひと仕事をやってのけることでもあります。

そして、図1のモデル(仮説)を採用するならば、この過程において、主体だけが一方的に変容することはありえず、主体がかわるときには環境も変わります。つまり、情報処理の累積によって主体と環境はともに変容するのであり、場の全体が成長します。



3. 没我

情報処理は、現場のデータ(事実)を処理することが基本であり、事実をとらえることはとても重要なことです。間接情報ばかりをあつかっていたり、固定観念や先入観にとらわれていたりしてはいけません。

このときに、おのれを空しくする、没我の姿勢がもとめられます。場に没入してこそよくできた情報処理はすすみます。
 


4. 伝統体が創造される

こうして、情報処理の累積により、主体と環境とからなるひとつの場が成長していくと、そこには創造の伝統が生じます。伝統を、創造の姿勢としてとらえなおすことが大切です。そして、その場は「伝統体」になっていきます。それは創造的な伝統をもつ場ということです。

「伝統体」は個人でも組織でも民族であってもかまいません。あるいは地球全体(全球)が「伝統体」であってもよいのです。



5. 渾沌から伝統体までの三段階

すべてのはじまりは渾沌です(図2A)。 これは、すべてが渾然と一体になった未分化な状態のことです。次に、主体と環境の分化がおこります(図2B)。そして、図1に見られたように情報処理が生じ、 情報の流れ・循環がおこります。情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの「伝統体」になります(図2C)。
 


140822 創造の三段階

図2 渾沌から、主体と環境の分化をへて、伝統体の形成へ
A:創造のはじまりは渾沌である。
B:主体と環境の分化がおこる。情報処理が生じ、情報の流れ・循環がおこる。
C:情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの伝統体になる。


A→B→Cは、「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤の克服 → 本然(ほんねん)」という創造の過程でもあります。客体とは環境といいかえてもよいです。

これは、デカルト流の、自我を出発点として我を拡大するやり方とはまったくちがう過程です。我を拡大するやり方では環境との矛盾葛藤が大きくなり、最後には崩壊してしまいます。



6. 情報処理能力の開発が第一級の課題である

『創造と伝統』は大著であり、川喜田二郎の理論はとても難解ですが、図1と図2のモデルをつかって全体像をイメージすることにより、創造、問題解決、デカルトとのちがい、物質・機械文明の問題点、伝統体などを総合的に理解することができます。

今日、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をする存在になりました。そして、地球はひとつの巨大な情報場になりました。

上記の図1のモデルでいえば、地球全体(全球)がひとつの巨大な場です。その場のなかで、人類は主体となって情報処理をおこなっているのです。

そして、図2のモデルを採用するならば、こらからの人類には、よくできた情報処理を累積して、諸問題を解決し、創造の伝統を生みだすことがもとめられます。

したがって、わたしたちが情報処理能力を開発することはすべての基本であり、第一級の課題であるということができます。



▼ 文献
川喜田二郎著『創造と伝統』祥伝社、1993年10月
創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る

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東京富士美術館で開催中の「発明王 エジソン展」を見ました。エジソンの発明品の中で白熱電球と蓄音機と映写機にスポットをあて、バンダイ・エジソンコレクションから厳選した約100年前の発明品約100点を都内初公開したものです(会期:2014年8月31日まで)。


トーマス=アルバ=エジソン(1847~1931)は、三大発明と言われる、蓄音機(1877)、白熱電球(1879)、キネトスコープ(映写機・1891)を発明しました。生涯になしとげた発明は通信・音・光・映像・エネルギー・家電製品と広範にわたり、取得した特許はあわせて1093件、まさに「発明王」とよぶにふさわしい実績をのこしました。


■ 白熱電球がライフスタイルを変えた
展示の中で特に印象にのこったのは白熱電球です。エジソンは1879年、木綿フィラメントを使用した白熱電球を発明しました。10月21日には40時間の点灯に成功し、この日はのちに「明かりの日」になりました。その他、電灯の配電盤・計量器などの多くの関連品も発明しました。

電球の発明により、人々は、日没後も活動をつづけることが可能になり、ライフスタイル(生活様式)の大きな変化がおこりました。技術革命がライフスタイルを変えていく代表例です

技術革命は、その後、産業を革新し、社会制度の変革をもたらし、さらに人々の価値観の転換もひきおこしました。


■ 好奇心がつよかった
エジソンは、小さいときから好奇心が人一倍つよかったそうです。そのために、小学校では落ちこぼれのレッテルをはられ、3ヵ月で退校、以後は、母・ナンシーとともに百科事典を教科書にしながらまなび、柔軟で創造性にあふれた発想の仕方を身につけました。

発想の前提には感性があり、感性をみがき感動を継続していくことが情熱がそだてられ、数々の発明を生み出すことが可能になりました。

感性 → 感動・情熱 → 発明
(インプット)→(プロセシング)→(アウトプット)

また、専門分野に拘束されることがなかったことも発明のためには必要なことでした。自由は何物にもかえがたいということです。

川喜田二郎著『日本文化探検』は、日本文化を中核にして民族と世界について考察し、人々の創造性を開発することの必要性について論じています。

目次はつぎのとおりです。

北地の日本人
南海の日本人
生活様式の改造
山と谷の生態学
神仏混淆
「コドモ」と「オトナ」
パーティー学の提唱 - 探検隊の教訓から -
カンのよい国民
カーストの起原 - 清潔感をめぐる日本文化の座標 -
労働と人間形成
慣習の国
民族解散
文化の生態学 - ひとつの進化論の試み -
日本文化論 - 丸山真男氏の所論にふれて -
世界のなかの日本
民族文化と世界文化


今回は、方法論の観点から重要な最終章「民族文化と世界文化」についてとりあげてみたいとおもいます。要点を引用してみます。

「地球が小さくなり、狭くなり、一つになりつつある」というとき、それは世界的な一個の文化が形づくられつつあることを意味する。これを「世界文化」と呼んでおこう。

現代が有史以来はじめて世界文化の形成を許しはじめたことを、深く信ずる。けれども、そのゆえをもって、地方的特殊的な文化は否定されていくものだろうか。後者を以下「民族文化」と呼んでおこう。

世界文化と民族文化とは、互いに他を強めあい、自らを成り立たせていかねばならないものである。

民族文化の多様な個性のうえに、じつは世界文化の健やかな創造も強化されるというものである。

今までの民族文化は三つの部分に分かれる。
第一は、機能を失い、あるいは有害ですらあるために「消滅する部分」。
第二は、すくなくとも有害でなく、あるいはその民族に関するかぎり有益であるため「残存する部分」。
第三は、世界文化へと「上昇発展する部分」である。
日本民族について例をあげれば、徳川封建時代の士農工商の階級制は消滅した部分。
日本人の米食習慣とか家族形態とかは、変容しながらではあるが残存した部分。
華道とか柔道とかは上昇する部分である。

創造性、それは低開発諸国民にとっても援助する側にとっても、離陸(発展)のための手段であるのみならず、また福祉目標のなかにも入るべきものであろう。

低開発の新興独立諸国は、多くの留学生を欧米や日本に送っている。これら留学生諸君の勉学態度には、勉学するとはすなわち進んだものを受容し習得することであるとする「受けいれ姿勢」が多く、「創りだす姿勢」が欠けている。あたかもそれに応ずるかのように、母国で始まった近代的学校教育でも、日本の比ですらないほどに棒暗記主義のような受けいれ姿勢のやり方ばかりがはびこるのである。

自国の文化に対しては、これを「過去」を見る眼でしか捉えていない。そしていたずらにその過去なる伝統に執着するか、あるいはまた過去の否定にのみ進歩があると見ている。すでにつくられてきた伝統のなかに、いかに未来を創るさいに活用できる社会制度や精神や風習があるかを読みとろうとしない。

民族文化の重要性とは、単に地方的環境に適した特殊性の「残存」という点だけにあるのではないということ。これに加えるに、「上昇」を通じて世界文化の創造に対して、豊かな泉のひとつを加えるということ。


今日、グローバル化が進行し、人類は「世界文化」を構築しはじめたということは誰もがみとめることでしょう。

しかし、その「世界文化」がひろがる一方で、民族紛争が世界各地で多発してしまっているというのが現在の状況です。ニュースを見ていると悲惨な衝突があとをたちません。

「世界文化」と「民族文化」の矛盾を解消し、両者を両立させることはできるのでしょうか。

川喜田は、創造によってのみそれが可能だとのべています。

そのためには、まず、先進国の人々は、先進的な近代技術・近代文明を、開発途上国の人々に一方的におしつけるのはやめて、そこでくらす人びとの文化の独自性を尊重し、民族文化の多様性をみとめなければなりません

その一方で、その地域でくらす人びとは、自分たちの独自の伝統文化をまもるだけではなく、今日の時代の潮流に呼応して、あたらしい民族文化あるいは地域文化を積極的につくっていく、創造していく姿勢をもたなければなりません文化は、伝統に根差しつつも創造していくものととらえなおすのです。


川喜田は、民族文化を色こくのこす開発途上国における問題点の一例として、近代的学校教育についてとりあげ、そこでは、棒暗記の「受けいれ姿勢」の勉強ばかりになってしまっていることを指摘しています。

創造というと抽象的でわかりにくいかもしれませんが、その基礎は、人間がおこなう情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)にほかならず、創造するとは、よくできたアウトプットをしていくことです。

つまり、棒暗記の「受けいれ姿勢」とは、インプットばかりをやっていて、プロセシングとアウトプットがないということです。

わたしも開発途上国で長年仕事をしてきて、近年ふえてきた近代的な学校において、生徒・学生たちが棒暗記(情報のインプット)ばかりして点数をかせぐことに集中していることはよく知っています。しかしこれは、日本でも似たようなことがいえます。

そこで、情報処理の仕組みをよく教育し、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕のすべてにわたるバランスのよい訓練をすることが必要です。そもそも、情報処理はインプットだけではおわらず、アウトプットまでやって完結するのですから。


「世界文化」と「民族文化」の問題と、情報処理とが何の関係があるのだろうかとおもう人がいるかもしれませんが、民族文化あるいは地域文化の創造をとおして世界文化にも貢献するという文脈において、情報処理能力の開発がどうじても必要だということになるのです。

「世界文化」と「民族文化」は簡単には解決できない人類にとっての歴史的問題です。このような歴史的観点からも情報処理をとらえなおすことには大きな意味があり、情報処理能力の開発が人類の第一級の課題になっていることを読みとることはとても重要なことです。


▼ 文献
川喜田二郎著『日本文化探検』講談社、1973年3月15日


東京・上野の東京国立博物館で開催されている特別展「台北 國立故宮博物院 -神品至宝-」を先日みました。台北 國立故宮博物院が収蔵するひときわすぐれた中国の文化財から、特に代表的な作品を厳選し、中国文化の特質や素晴らしさを紹介するという企画です(会期:2014年9月15日まで)。

▼ 東京国立博物館・特別展『 台北 國立故宮博物院 - 神品至宝 -」
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647



1.展示物を、部屋のなかの要素としてとらえる
平成館2階・第1会場の入口にいくと展示作品リストをもらえます。そこに、会場図(フロアーマップ)がでているので、これを見ながら見学します。


140715 台北 國立故宮博物院 展

図 展示作品リストの会場図(フロアーマップ)


会場はつぎの10のセクション(部屋)から構成されています。各部屋の空間的な位置(場所)を確認しながら展示物を見ることが大事です。展示物を空間の中の要素としてとらえます。

第1室 中国皇帝コレクションの淵源 ― 礼のはじまり
第2室 徽宗コレクション ― 東洋のルネサンス
第3室 北宋士大夫の書 ― 形を超えた魅力
第4室 南宋宮廷文化のかがやき ― 永遠の古典
第5室 元代文人の書画 ― 理想の文人
第6室 中国工芸の精華 ― 天と人との競合
第7室 帝王と祭祀 ― 古代の玉器と青銅器
第8室 清朝皇帝の素顔 ― 知られざる日常
第9室 乾隆帝コレクション ― 中国伝統文化の再編
第10室 清朝宮廷工房の名品 ― 多文化の交流

これらは、およそ中国の歴史順に配列されています。



2.中国の歴史をとらえなおす
2-1.新石器時代から都市国家の時代をへて帝国の時代へ
ここで、中国の歴史を、宇都木章監修『すぐわかる中国の歴史』によって整理しておきます。この本は、東京国立博物館のミュージアムショップで見つけました。図表が多くてとてもわかりやすいです。

紀元前10000〜前2000年頃 新石器時代
前2000年頃〜前1023年頃 青銅器時代〜殷王朝
紀元前1023年頃〜前770年 西周王朝
紀元前770年〜前221年 春秋・戦国時代
紀元前221年〜前206年 秦王朝
紀元前202年〜紀元後8年 前漢王朝
紀元後8年〜220年 新と後漢王朝
184年〜280年 魏晋南北朝1
265年〜589年 魏晋南北朝2
604年〜618年 隋王朝
618年〜690年 唐王朝1
690年〜907年 唐王朝2
907年〜1126年 五代十国・宋王朝1
916年〜1227年 宋王朝2
1115年〜1279年 宋王朝3
1206年〜1260年 モンゴル帝国
1260年〜1368年 元王朝
1368年〜1424年 明王朝1
1424年〜1644年 明王朝2
1616年〜1662年 清王朝1
1661年〜1820年 清王朝2
1820年〜1850年 アヘン戦争
1885年〜1895年 日清戦争
1901年〜1911年 清朝末年
1911年〜1916年 辛亥革命
1935年〜1938年 日中戦争
1939年〜1945年 第二次世界大戦
1945年〜1949年 新中国の成立


上記を、わかりやすく簡単に整理するとつぎのようになります。

I.紀元前10000〜前2000年頃まで:新石器時代(素朴社会の時代)

II.紀元前2000年頃〜前221年:都市国家の時代
 (青銅器時代、殷、西周、春秋・戦国時代)

III.前221年〜1911年:帝国(領土国家)の時代
 (秦、漢、魏、晋、隋、唐、五代、宋、元、明、清)

IV.1911年以後:近代化にむけた混乱と近代化



2-2.各部屋の時代を確認する
つぎに、展示会場の各部屋の時代を確認してみます。おもに、つぎのような時代の位置づけになっています。

第1室 西周、戦国、元〜明、宋
第2室 宋
第3室 宋
第4室 唐、五代、宋
第5室 元
第6室 明
第7室 新石器、殷、西周、春秋、戦国、漢、唐
第8室 明、清
第9室 清
第10室 清


新石器時代の宝物は第7室にあります。都市国家の時代の宝物は、第1室と第7室にあります。 第1室と第7室はいくつもの時代にまたがっているので注意しなければなりません。 帝国(領土国家)の時代の宝物については、各部屋ごとに時代を確認しながら見学するとよいでしょう。



3.会場図と宝物を情報のインデックスにする
各宝物(展示物)に、中国の歴史と文化の情報をむすびつけて記憶するとよいです
 
宝物の数々は、インパクトがつよくて印象的なものが多く、パッと見ただけでも記憶にのこりやすいので、このつよい印象と体験をうまくつかっていくのです。特に、立体的な宝物はその効果が大きいです。印象的な宝物は記憶の目印として活用することができ、記憶情報あるいは体験記憶のインデックス・イメージとすることができます

そして、宝物をイメージとしておもいだせば、時代などの情報もおもいだせるという想起のしくみをつくるようにします

このために、会場図(フロアーマップ)と作品リストは必要なので保存しておきます。会場図は、各部屋の空間とそのなかの要素(宝物)をイメージするために有用です。

また、代表的な宝物のイメージはウェブサイトにもでているのでこれも利用します。保存しておくとよいです。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647#top

もっとふかく学習したい人は図録を買ってかえってくれば、さらに記憶を深化させることができます。

このような記憶法をつかえば、2〜3時間で効率的に中国史の概要がたのしく理解・記憶できます。そして、この日の体験は一生わすれることができない思い出となります。記憶や学習では、おぼえようおぼえようとウンウンうなっていてもおぼえられません。体験的、印象的に実践した方が手っとりばやくおもしろいですし、それ以上に、自分の心の内面世界をひろげることができ、あらたな発想も生まれやすくなります。


▼ 参考文献
宇都木章監修・小田切英執筆『すぐわかる中国の歴史』(改訂版)東京美術、2012年1月31日
東京国立博物館のミュージアムショップでみつけました。図表が多く、素人にもわかりやすく記述してあります。

大ヒット上映中の『GODZILLA ゴジラ』を見ました。

▼ 映画『GODZILLA ゴジラ』公式サイト

1954年にゴジラが日本で誕生して今年で60年、日本が世界にほこる"キング・オブ・モンスター"「ゴジラ」が、ハリウッドの超一流スタッフ・キャストによって現代によみがえります。ギャレス=エドワーズ監督は、オリジナルへの敬意をはらい、文明批判や自然への畏敬の念という原点のテーマを最新技術で再構築したそうです(注)。


物語は、富士山のそばにある原子力発電所の大事故からはじまります。

東日本大震災、福島第一原発事故を連想させるシーンがつづきます。「3.11」をへて、わたしも「ゴジラ」を見る目ががらりと変わりました。

人類は、自然を支配しコントロールできると誤解して、自然からエネルギーをとりだそうとしますが、失敗、大災害がふりかかりまます。自然をコントロールできると錯覚した人類の傲慢さに警鐘がならされます。


しかし、それ以上に本作で印象的なのは、人類が、まったく無力な存在としてえがかれていることです。

芹沢博士(渡辺謙)の弱々しさ、存在感のなさ、
「なんだこの学者、いったい何をやっているんだ」
と最初のうちは感じましたが、そういうことだったのです。

人類は、怪獣と、怪獣同士の戦いを見あげておびえていただけではないですか。何の問題解決もできず、まったく無力な存在でした。



注(文献): Pen (ペン) 2014年 7/15号「ゴジラ、完全復活!」
誕生秘話から全28シリーズ、最新作を紹介・解説、ゴジラの歴史について簡潔にまとめられています。

▼ 『ゴジラ』第1作もあわせて見ると理解がすすみます

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東京都美術館


東京都美術館で開催されている「古代エジプト展」を先日みました。

ニューヨークのメトロポリタン美術館がほこるエジプト・コレクションをまとまった形で紹介する展覧会で、「女王と女神」をテーマに厳選された約200点の至宝が日本初公開されていました(会期:2014年9月23日まで)。

▼ 東京都美術館「メトロポリタン美術館 古代エジプト展 女王と女神」

見どころはつぎのとおりでした。

1 ファラオになった女王 ハトシェプスト
2 古代の女神たちが一堂に
3 王家の女性たちが愛用したアクセサリーやメイク道具


わたしは、音声ガイドとそのリストをつかって見学し、空間記憶法を実践しました。

音声ガイド

音声ガイドリスト



記憶法の手順はつぎのとおりです。

 1.美術館の各階の構造(フロアーマップ)を確認する
 2.各展示物が展示されている場所をおぼえる
 3.音声ガイドリストをみて、各展示物をおもいだす



1.美術館の各階の構造(フロアーマップ)を確認する
まず、美術館の建物の空間的な構造を確認し、おぼえることからはじめます。

今回は、上野公園内にある東京都美術館・企画棟(地下1階・地上1階・2階)が会場でした。これが今回の記憶情報の入れ物(記憶の倉庫)になります。

会場入り口で音声ガイドにもうしこみ、音声ガイドリストをもらいましたが、今回もらった音声ガイドリストにはフロアーマップがついていませんでした。

美術館のなかをしばらくあるいていると、自分がどこにいるのか、建物のなかのどの位置なのか、北はどっちの方向なのかなどがわからなくなることがあります。場所がわからないと空間記憶はできません。そこで役立つのがフロアーマップです。

東京都美術館のウェブサイトを見たところ、「ジュニアガイド」のサイトにフロアーマップがでていました。

20140625_egypt_juniorguide

ジュニアガイド (中央部にフロアーマップがのっている)


これにより、自分があるいたルートを空間的に確認しおぼえることができました。

今後、「古代エジプト展」を見学する方は、事前に、フロアーマップを印刷してもっていった方がよいです。



2.各展示物が展示されている場所をおぼえる
音声ガイドをつかいながら、各展示物を見ていきます。このとき、各フロアーのどこに、どの位置にその展示物があるのか、場所をしっかり確認しおぼえます。

各フロアーの特定の場所に展示物とその情報をむすびつけて記憶するのがポイントです。



3.音声ガイドリストをみて、各展示物をおもいだす
ひととおり見おわったら休憩所にいって、音声ガイドリストを見なおし、1番から順番に、いま見てきた展示物を、それがおいてあった場所とともに順序よくイメージとしておもいだします。どこまで正確にイメージできるでしょうか。

よくイメージできないところは、再度、その場所にいって展示物を見なおします。

展覧会の会場(改札)から一度でてしまうと、再入場できない場合がありますので、地下1階の改札の手前で右にまわり、最初の展示のところにいくようにします。




以上の方法を整理するとつぎのようになります。

1.ファイリングシステム
フロアーマップを利用して美術館の各階の構造を確認しおぼえることは、多数の展示物とその情報を各場所に結合して記憶するための基礎になります。

美術館の建物は、展示物とともにそれらを解説する情報の入れ物(倉庫)ですから、美術館の建物がつくりだす空間は、情報のファイリングシステムのようにして利用できるのです建物は、情報をファイルする大きなファイリングシステムであり、展示物とその情報がそのなかにファイルされているとイメージするのです

美術館や博物館は、重要情報とそれらをたくわえる場所がすでに用意されているので、記憶法の実践のためにとてもむいています。

2.順番
情報を記憶し想起するためには順序があった方がやりやすいです。そのためは、各展示物と情報に順番があたえれれていなければなりません。

順番は、音声ガイドリストに1番から20番まで番号がふられていますので、それをそのまま利用すればよいです

3.想起
情報は、心のなかにただインプットすればよいというのではなく、想起してアウトプットにつなげていかなければなりません。

そこで想起訓練が必要です。ここでのポイントはイメージ想起です。まず、展示物をイメージとして想起して、そのイメージから言語的な詳細情報もひきだすように訓練をします

想起の手段として、音声ガイドリストの作品名がインデックスとして利用できます。これは、インターネットでいうと、キーワードによる検索に相当します




■ 空間と順序を確立して見通しをよくする
このようにして、心のなかに空間と順序を確立できれば見通しがよくなって想起がたのしく簡単にできるようになります。そして、このような体験記憶は心を活性化するために役立ちます。

上記の手順により、記憶がすすむだけでなく、古代エジプトの異空間を比較的短時間で手軽に自分の内面世界にとりこむことができます。

今回の古代エジプトの世界は、われわれ日本人から見るとかなりの異空間であり、普段とはまったくちがう非日常体験をすることができました。このような異空間の体験情報は潜在意識にインパクトをあたえることにもなり、心の活性化に役立つでしょう。




▼ 参考文献

フィールドワークのデータにもとづいて「騎馬民族倭人連合南方渡来説」を発想し、ヒマラヤ・チベットと日本とのつながりについて論じた本です。

目次はつぎのとおりです。

1 珍しい自然現象
2 生物の垂直・水平分布とその人間環境化
3 諸生業パターンが累積・融合した地域
4 ネパール盆地の都市国家
5 相似る自然・文化地理区の特性をいかした相互協力
6 文化の垂直分布とその原因
7 ヒマラヤ・チベットの人間関係諸相
8 素朴な民族の生態
9 チベット文明の生態系
10 文明の境界地域の持つ特異性と活動性
11 ネパールの宗教文化はユーラシアに広くつながる
12 ヒマラヤ・チベットと日本をつなぐ文化史
13 アムールランド文化の日本への影響
14 生命力の思想 - 霊の力を畏れる山地民 -
15 ヒマラヤが近代化に積極的・科学的に対応する道


方法論の観点からみて重要だとおもわれることをピックアップしてみます。

フィールドで得た材料から大いにイマジネーションを働かし、さまざまな仮説を導き出すことを重要視した方がよい。

人間が土地とつきあって生まれてきたものが文化なのである。

人間は在る物を見るのはたやすいが、そこに何が欠けているかを見ることはむずかしい。この欠けている物に気づくということが必要なのである。

物事の欠点ばかり見ずに長所も見ろ。

自然現象について考える際には、普段の状態だけで万事を類推するのでなく、カタストロフィーともいうべき異常事態を考慮した説をもう少し重要視してもよい。

森林一つでも、文化の背景でいかに捉え方が違うか。

これからの科学には、近視眼でメカニズムだけを解明するのでなく、複合的諸要因のかもしだす、息の長い判断をも行う道が、痛切に求められていくだろう。


著者は、「騎馬民族倭人連合南方渡来説」をとなえ、チベット・ヒマラヤと日本は意外にもつながっているとのべています。

「騎馬民族倭人連合南方渡来説」とは、西暦紀元前後、ユーラシア大陸北方に出現・膨張した騎馬民族が南下してチベットへ、さらにベンガル湾まで達し、その後、倭人と連合して東南アジアから海岸線を北上、日本まで到達したという説です。こうして、チベット・ヒマラヤは日本とつながっていて、文化的にも共通点・類似点が多いという仮説です。

本書には、ヒマラヤ・チベット・日本についてかなり専門的なことが書かれており、ヒマラヤやチベットの研究者以外にはわかりにくいとおもいますが、フィールドワークによってえられる現場のデータにもとづいて、自由奔放に仮説をたてることのおもしろさをおしてくれています


▼ 文献
川喜田二郎著『ヒマラヤ・チベット・日本』白水社、1988年12月

140723 現代の過渡期モデル

現代は、領土国家の時代(帝国の時代)がおわりつつあり、グローバル社会の時代へと移行しつつある過渡期にあたっています。この過渡期がいわゆる「近代化」であるという見方もできます。

この過渡期は、まず工業化(工業のステージ)が先行し、それに情報化(情報産業のステージ)がつづいています。1990年代に、工業化から情報化への主要な大転換がおこり、現在は、情報技術革新が急激にすすみ、世界中で情報化が進行しているといった状況です。

このようにみると、わたしたちが現在おかれている歴史的な位置は、〔領土国家の時代から、グローバル社会の時代へ〕と〔工業化から、情報化へ〕という二重の大転換期のなかに位置するとかんがえることができ、上図のような歴史モデルをイメージすることができます。

過去の歴史的な大転換期、たとえば、〔都市国家の時代→領土国家の時代〕の状況はどのようであったかと見なおしてみるとと、それはだいたい戦国時代でした。転換期・過渡期は不安定な混乱期です

この過去の歴史的転換期から今日を類推するならば、すんなりと簡単につぎの時代に移行できるとはとてもかんがえられません。

今回の転換期(近代化)ではどうかと見てみると、人類は、世界大戦をすでに2回おこないました。戦争の規模が大きくなってきています。また近年は、世界各地で民族紛争が多発しています。最近のニュースをみていると、あらたな対立がつぎつぎに生まれているようです。今回の転換期においてもしばらくは混乱がつづくものと予想されます。情報化は問題を解決できるでしょうか。

情報化の社会にあって情報処理にとりくむとき、このような歴史的な位置づけも重要な意味をもってきます

まず必要なことは、一人一人が情報処理能力を身につけることでしょう。そして、その能力を高める訓練をしていくことが大切でしょう


文明史の観点から情報産業についてのべた先見の書です。

目次はつぎのとおりです。

放送人の誕生と生長
情報産業論
精神産業時代への予察
情報産業論への補論
四半世紀のながれのなかで

情報産業論再論
人類の文明史的展望にたって
感覚情報の開発
『朝日放送』は死んだ
実践的情報産業論
情報経済学のすすめ

情報の文明学
情報の考現学


要点を書きだしてみます。

人類の産業史は、いわば有機体としての人間の諸機能の段階的拡充の歴史であり、生命の自己実現の過程であるということがわかる。

第一の段階にあっては、人間はたべることに追われる。産業としていえば、主として農業による食料生産の時代である。第二期は、主として工業による物質およびエネルギー生産の時代である。第三期の特徴は、脳および神経系を中心とする外胚葉性諸器官の機能の産業化が起動にのる時代である。

五感の産業化
人間の感覚にうったえかける情報を、感覚情報と名づけるならば、それを産業化したものは、感覚情報産業とよぶことができるであろう。

総合的な感覚情報のことを体験情報とよんでみてはどうであろうか。人間は体験情報をもとめている。

人びとは疑似体験をこえて、なまの体験をのぞんでいるのである。

「情報」が相対的にたかい価値をもって、「物質」や「エネルギー」の価値がひくくなる社会へしだいに移行しつつあるのが現代であり、そのむかいつつある状態が情報社会だというわけなのです。

「情報産業論」のまえに「文明の生態史観」というのをかきまして、世界の諸文明の空間論、その地理的展望をこころみました。それに対して、この「情報産業論」は人類文明の歴史的展望といったかたちでかんがえてみたわけです。このふたつは横軸と縦軸で、両方かさねるととわたしの文明論の骨格ができる仕くみになっているのです。

地球上のすべての地域は情報場となった。

情報の時代には、情報の批評家ないしは解説者が不可欠である。情報氾濫の時代になればなるほど、情報の情報が要求されるのである。

流体のうごきを流体力学がとらえるように、情報のうごきをとらえる情報力学をかんがえることができるかもしれない。

文明とは、人間と人間をとりまく装置群とでつくる、ひとつの系である。システムである。装置群とは、具体的な器物や構築物のほかに、諸制度あるいは組織をもふくめることができるであろう。

文明系における装置群の発展と蓄積によって、人間はついに、この一連の過程における最後の段階に達しようとしているのである。

あたらしい時代において、情報は人間の装置、制度、組織に、いっそう根本的な変革をもたらすであろう。人間はそのときにこそ、根本的な価値の大転換を経験することになるであろう。


■ 未来を予想する方法は類推である
本書のなかの「情報産業論」を 梅棹忠夫がはじめて発表したのは1963年、今から51年も前のことです。1960年代に日本人が工業化をよろこびあっていたときに、情報産業の時代が到来することをすでに予言していたわけであり、みごとな未来予知でした。今日において、梅棹が発想した仮説は実証されました。

梅棹は、「農業の時代→工業の時代→情報産業の時代」という文明の発展をわたしたちの身体をモデルにして類推しました。これは、植物→動物→人類という進化論からも類推できるのではないかともおもわれます。

本書は、未来をどのように予想したらよいか、その基本的な方法は類推であることをおしえてくれています。未来予想のサンプルとしてとても有用な本です


■ 文明系の発展における最後の段階
梅棹は、文明の発展の観点から情報産業を歴史的にとらえています。わたしたちが立っている時代の歴史的な位置づけを知ることはとても意味のあることです。

情報化の背景には、グローバル化という巨大な潮流の出現があります。今日のわたしたちは、この潮流の変化、大転換期のまっただなかにいるのです

梅棹は、「文明系の発展における最後の段階」に入ったとのべています。わたしたちは、「グローバル文明」というまったくあたらしい文明の構築をはじめました。これが人類最後の文明になるのでしょうか。わたしたちは人類進化の最終段階に入ったのでしょうか。


■ 心の充実がもとめられる
今日、物質の時代から精神(あるいは心)の時代へと転換しました。これからは心の働きが重視される心の時代です。

その意味で、「モノづくりニッポン」にいつまでもとらわれているとかならず行きづまります。モノは情報をはこんだり、メッセージをつたえるための手段になり、情報やメッセージの方が重要になりました。発想の転換が必要です。

工業の時代と情報産業の時代とでは価値の決め方がことなります。これからは、心の充実や生きがいがもとめられます。そのためには、個人としても組織としても、情報処理能力を高めることがもっとも重要な課題である時代に入ったことはあきらかです


■「体験情報」の処理をすすめよう
情報処理は、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕という三場面からなります。

たとえば、わたしたちは、テレビを見たり、本を読んだり、話を聞いたり、食事をしたりすることにより、視角、聴覚、味覚など個別の感覚体験によってえられる感覚情報を処理しながら生きています。個別の感覚情報を処理するのは情報処理の第一歩です

それに対して、体験を通して、あらゆる感覚をつかってえられる総合的な情報を「体験情報」と梅棹はよんでいます

たとえば、観光旅行に出かけていって、行動を通して五感を総動員して総合的にえられる情報は「体験情報」です。ここでえられる情報は、テレビを見たり、本を読んだりすることよりも高度な情報群となります。情報処理ではこの「体験情報」がとても重要です

観光旅行などで「体験情報」をえること(取得すること)は情報処理でいうインプットの場面です。この段階では、観光旅行に行ってたのしかったということでよいでしょう。

しかし、旅行をつみかさえているとそれだけではあきたらなくなります。そこで、体験情報を心のなかで整理したり編集したりします。これは、体験情報を心のなかにしっかりファイルし、情報を処理する場面です。情報処理の第2場面、プロセシングです

そしてその結果を、フェイスブックやツイッターやブログなどにアップロードしますこれは第3場面のアウトプットです

このように、初歩的な個別の感覚情報の処理になれてきたら、さらに一歩すすんで総合的な「体験情報」の処理にトライするのがよいです。そのためには行動することです出かけることです。「体験情報」の処理は心の充実のためのキーポイントになるでしょう。



▼ 文献
梅棹忠夫著『情報の文明学』(中公文庫)中央公論新社、1999年4月
情報の文明学 (中公文庫)


▼ 関連書
梅棹忠夫著『情報と文明』(梅棹忠夫著作集 第14巻)中央公論社、1991年8月20日
梅棹忠夫著作集 (第14巻)

梅棹忠夫著『文明の生態史観』(中公文庫)
文明の生態史観 (中公文庫)


▼ 参考ブログ
世界モデルを見て文明の全体像をつかむ 〜 梅棹忠夫著『文明の生態史観』〜


ソニーという日本の世界企業から、グーグルというアメリカの世界企業へ転職しためずらしい人物の体験談です。2つのことなる大企業の対比をとおして、時代の大きな転換を読みとることができます。

目次はつぎのとおりです。

第一章 さらばソニー
第二章 グーグルに出会う
第三章 ソニーからキャリアを始めた理由
第四章 アメリカ留学
第五章 VAIO創業
第六章 コクーンとスゴ録のチャレンジ
第七章 ウォークマンがiPodに負けた日
第八章 グーグルの何が凄いのか
第九章 クラウド時代のワークスタイル
第十章 グーグルでの日々
第十一章 グローバル時代のビジネスマインドと日本の役割

要点を書きだしてみます。

一九九五年、社長が大賀さんから井出伸之さんに代わった。

社長も、前年、二〇〇〇年六月に出井さんから安藤さんに代わっていた。新設されたカンパニーのプレジデントには何人かの若手が抜擢されたが、私もその中の一人だった。

ソニーは、トリニトロンというソニーの歴史を作り上げて来た優れたCRT技術で圧倒的に強いテレビ事業を継続して来た。CRT時代の終焉は、まさに死活問題であった。

ビジネスの常、世の常であるが、あまりにも強いポジションを確保し過ぎると、逆にそれが大きな足枷になって次の勝負で大敗を喫する事例は枚挙にいとまがない。

本質的に私が問題だと感じたのは、結局テレビグループでは、テレビの定義があくまでも「受像機」ということであり、それ以上の発想がないように思えたことだ。

「ソニーショック」二〇〇三年四月の決算発表で、ソニーの想定外の業績悪化が明らかになった。

二〇〇五年六月、出井さんや安藤さんなど、当時の執行部が一斉に退陣した。

ソニーを変える、という自分の強い思いを実らせることは、残念ながら遂に出来なかった。

二〇〇六年三月三一日に、私は、二二年間勤めたソニーを辞めた。

二〇〇七年四月一六日、グーグルに入社した。

グーグルはすべてが新鮮であった。ソニー時代にさんざん苦労したネットの中に新しい収益源を見つけ出す、というテーマは、グーグルにあってはごくごく日常の話でもあり、ソニー時代にあんなに苦労したことがまったく嘘のようだった。

二〇%ルールというものがある。これは、持ち時間の二〇%は本業以外のテーマに使うことを奨励するものである。

グーグルの全容を表現しようとすれば、「クラウド・コンピューティングの世界を構築する会社」と定義するのが最もふさわしいと思う。

ウェブの世界では、まずやってみることが大事。それでユーザーが支持してくれればそれでよく、ダメならばすぐに撤退すればいい。大事なのはスピードである。そのためには、カジュアルさが不可欠なのだ。

インターネットの世界では、スピードが最も重要で、やるリスクよりやらないリスクのほうが高い。

楽しみながら仕事をする術を知っている人が強い。


■ 工業化から情報化へ転換した
本書でのべられている、ソニーからグーグルへという流れは、著者の転身であると同時に、製造業(工業)から情報産業への時代の転換もあらわしています。ソニーは製造業の企業ですが、グーグルは情報産業の企業です。本書のなかにでてくるアップルも情報産業の企業です。
 
この意味では、商品競争とか勝負とかいうまえに、ソニーとグーグルとでは、そもそものっている「土俵」がちがったのです。時代は、高度情報化へとすでに大きく転換しました。

この高度情報化という大転換の背景にはグローバル化という世界の潮流があります

グローバル化は、まず、工業のステージ(工業化)が先行し、 それに、情報産業のステージ(情報化)がつづきました。1990年代に、情報化への主要な大転換がおこったとかんがえてよいでしょう。したがって、ソニーとグーグルはそれぞれことなる2つのステージの見本とみなせます。

140725 工業化情報化

ちかごろ、近年のソニーの経営陣らのことをわるくいう評論家がいますが、時代の潮流の大きな転換があった以上、誰がやってもむずかしかったのではないでしょうか。ふるい骨格がのこったまま改革するのは困難でしょう。

本書は、観念的・抽象的にではなく、ご自身の具体的な実体験をとおして時代の大転換についておしえてくれます。実際の仕事をしていない評論家の単なる論評とはちがいます。


■ 情報はまずスピードである
グーグルに転職して著者は重大な発見をしました。「大事なのはスピードである」とのべています。

情報化時代における仕事(情報処理)は、まず第一にスピード、すなわちできるだけ速くやることが重要です。質の高さを求めるのは二の次です。完璧を期して着実にゆっくりやるのではなく、7〜8割のできでも速くやった方がよいのです。そのためには常にカジュアルでなければなりません。
 
本書のなかで著者ものべているように、このような面で、日本人の完璧主義は大きな欠点となっています。たとえば、ハイビジョンとかハイファイの開発といった質の高さを追求する仕事はあとまわしにすべきなのです。発想の転換が必要です。 

情報化社会における仕事(情報処理)は速くやる(速くアウトプットする)ことを最優先にしなければなりません。非常な重大な指摘を著者はしています。


▼ 文献
辻野晃一郎著『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』新潮社、2011年5月27日




▼ 関連記事
ビジョンをえがき、全体をデザインし、自分らしいライフスタイルを生みだす - 映画『スティーブ・ジョブズ』-



本書は、「地球時代」の歴史的な意味とそのなかにおける日本の位置づけについておしえてくれます。

目次はつぎのとおりです。

経済開発と人類学
日本万国博覧会の意義
海外旅行入門
日本の近代と文明史曲線
学術の国際交流について
人の心と物の世界
日本経済の文化的背景
国際交流と日本文明

印象にのこったところを引用しておきます。

地球全体が、ひとつのあたらしい秩序にむかって、再編成されようとしている。

文化がちがうということは、価値体系がちがうということなのです。

世界の諸民族や諸文化についての、情報センターをつくらなければいけない。そこに、さまざまな情報をあつめ、蓄積するのです。

時代はすでに、工業の時代から情報産業の時代へと、着実に変化しつつあるといえるのです。

海外旅行をするときの秘訣ですけどね、ぐるぐると十何ヵ国まわりましょうというふうにまずかんがえないで、「ねらいうち」でやられたほうがいい。そういう旅行のほうが、実のある旅行ができる。ひとつひとつそうして往復運動をしたほうがいい。

近代日本は化政期にはじまって、いままでにほぼ150年たった。今日のいわゆる「経済大国」の状況も、突然に、外国の影響でこうなったというのではなくて、なるべくしてなったのだ、ということであります。

140721 文明史曲線


日本の近代化は、明治の革命よりずっとまえから進行していた。

西ヨーロッパ諸国には、歴史的にみて、社会的条件が日本に似ているとかんがえられる国がいくつもあります。パラレルな現象をいくつも指摘できるでしょう。


本書は、「地球時代」について最初に論じた先見の書です。「地球時代」とは、領土国家の時代のつぎにくる時代のことです

現代は、領土国家の時代から、「地球時代」(グローバル社会の時代)へとうつりかわりつつある過渡期です。まだ、本格的なグローバル社会には到達していません。この過渡期の現象がいわゆる「近代化」であり、本書の梅棹説ではそれは江戸時代の化政期にはじまったということになります

この「近代化」は、こまかくみると「工業の時代」(工業化)が先行し、「情報産業の時代」(情報化)がそのあとにつづくという2つのステージがあります。このように、わたしたちの文明は、大局的にみると、ハードからソフトへむかって発展していて、最終的には、価値観の大転換がおこると予想されます。

本書のなかでのべられた、世界の諸民族や諸文化についての情報センターは、国立民族学博物館としてそのご実現しました。ここは、世界の諸民族や諸文化に関する膨大な情報を蓄積し、それらが利用できるようになっています。 

この国立民族学博物館がおこなっているように、情報は、第一に蓄積が必要です。これは、言いかえると情報とは第一に量であるということです。質ではなくて。量があってこそ情報のポテンシャル(潜在能力)は大きくなり、情報処理もすすみやすくなります

たとえば、ダム湖の水位が高くなって水圧が高まりエネルギーが大きくなるように、情報の蓄積量が大きくなればなるほどポテンシャルは大きくなり、情報処理もすすみやすくなります。ポテンシャルが低い状態ではものごとはうまくいきません。このような意味では、いわゆる記憶も第一に量が必要であり、ある課題に関する情報をたくさん記憶した方が心のポテンシャルが大きくなり、情報処理がすすみやすくなります。情報の質は第二とかんがえた方がよいでしょう。

こうして、「地球時代」をとらえるために本書を参考にし、世界の情勢を認識するために国立民族学博物館のポテンシャルを大いに利用していくのがよいでしょう


文献:
梅棹忠夫著『地球時代の日本人』(中公文庫)1980年6月10日、中央公論社
梅棹忠夫著『地球時代に生きる』(『梅棹忠夫著作集』第13巻)1991年10月20日、中央公論社


世界モデルを見て文明の全体像をつかむ 〜 梅棹忠夫著『文明の生態史観』〜


単純明快な世界モデルをつかって、ユーラシア大陸の文明について解説しています。

目次はつぎのとおりです。

東と西のあいだ
東の文化・西の文化
文明の生態史観
真文明世界地図 - 比較文明論へのさぐり
生態史観からみた日本
東南アジアの旅から - 文明の生態史観・つづき
アラブ民族の命運
東南アジアのインド
「中洋」の国ぐに
タイからネパールまで - 学問・芸術・宗教
比較宗教論への方法論的おぼえがき

「東南アジアの旅から - 文明の生態史観・つづき」のなかに掲載されている模式図Aとその解説を引用しておきます。

140718a


全旧世界を、横長の長円であらわし、左右の端にちかいところで垂直線をひくと、その外側が第一地域で、その内側が第二地域である。

第一地域の日本と西ヨーロッパは、はるか東西にはなれているにもかかわらず、その両者のたどった歴史の型は、ひじょうによくにている。両者の歴史のなかには、たくさんの平行現象をみとめることができる。

旧世界の生態学的構造をみると、たいへんいちじるしいことは、大陸をななめによこぎって、東北から西南にはしる大乾燥地帯の存在である。

第二地域のなかには、四つの大共同体  — あるいは世界、あるいは文明圏といってもよい — にわかれる。すなわち、(I)中国世界、(II)インド世界、(III)ロシア世界、(IV)地中海・イスラーム世界である。いずれも、巨大帝国とその周辺をとりまく衛星国という構造をもっている。

こんな簡単な図で世界の歴史がわかるのかとおもう人がいるかもしれませんが、これがわかるのです。著者が、ユーラシア大陸を模式図(モデル)としてあらわしてくれたために直観的に理解できるのであり、心のなかの言語領域ではなく視覚領域でとらえることができるわけです。理解の仕組みについて注意する必要があります。このようなモデル(模式図)をおもいつけるのはさすがとしか言いようがありません。

そこで、この世界モデルをまずは記憶して、もっとくわしく知りたい部分があれば、地理書や歴史書にあたればよいのです。モデルはつかうものですこうすれば、大量の情報を目の前にしても臆することなく、情報のジャングルでまようこともありません。
 

■ 仮説の発想と検証
本書で著者は、各論文の前にくわしい解説を付しているので、研究・思考の過程が時系列でとらえられます。

1955年、パキスタンおよびインドを旅行し、比較文明論への目をひらかれました。

1年後(1956年)に「文明の生態史観」を書きました(仮説を発想しました)。

1957年11月〜翌年4月、東南アジアを旅行し、「文明の生態史観」における東南アジアの位置づけをしました。

1961年すえ、東南アジアからインド亜大陸を旅行し、さらにデータをあつめました。

日本に帰国しているときは、研究会で検討したり、資料・文献にあたりました。

以上によると、著者は、1956年に仮説を発想したことになります。

調査(情報収集)には、仮説発想のための調査と、仮説検証のための調査の二種類があります。

仮説発想のためには、課題を明確にし、固定観念にとらわれずに、幅広く情報をあつめます。一方、仮説検証のためには、推論をし、目標を明確にして、仮説を補強するデータをあつめます。仮説を補強するデータがあつまれば仮説の確からしさは高まり、仮説を否定するデータがあつまった場合は仮説を立てなおします。両者で、調査の姿勢は大きくことなり、両者の方法をつかいわけることがポイントです。膨大な情報を相手にするときの方法として参考になります。

ところで、著者の生態学を基礎とした生態史的研究方法は、川喜田二郎がもちいた方法とおなじです。梅棹忠夫と川喜田二郎はともに自然学者・今西錦司の弟子であり、二人とも、京都大学の今西研究グループのメンバーでしたのでそうなったのでしょう。


文献:梅棹忠夫著『文明の生態史観』(中公文庫)中央公論社、1974年9月10日

『素朴と文明』第三部では、現代は漂流していることを指摘し、文明の問題点をあきらかにしたうえで、その解決の鍵は「創造」と「参画」にあることをのべています。

第三部の目次はつぎのとおりです。

第三部 地図と針路
 1 文明の岐路
 2 カギは創造性と参画にある

第三部の要点を書きだしてみます。

現代は漂流しているのである。その現代が荒海を航海するには、まずもって地図を試作しなければならない。

文明はもともと素朴から生まれてきたものだ。それなのに、その文明は素朴を食い殺しつつあり、それによって文明自体が亡ぶ。そういう危惧が多分にあるということである。

私の意味する生態史的パターンでは、高度に洗練された精神文化や社会制度までそれに含めているのである。例えばアジアの前近代的文明においても、これらの文明を文明たらしめている中核には、ぶ厚い伝統をなして流れている「生きる姿勢」の伝統がある。これはまた「創造の姿勢」につながっているのだ。それは、特に高等宗教に象徴化されて現れてくる。

解決の鍵は「創造」にあると思う。

第一段階 渾沌。
第二段階 主客の分離と矛盾葛藤。
第三段階 本然(ほんねん)。
これはひとつの問題解決のプロセスなのであるが、それはまた私が強調してきた創造のプロセスでもある。

今日の最大の災厄は、自然と人間の間に断層が深まり、同時に伝統と近代化の間に断層の深まりつつあることなのである。これを乗りこえ、調和の道へと逆転させるしか活路はない。そうしてその鍵は「創造性」を踏まえた「参画」に存すると確信する。


以上を踏まえ、以下に、わたしの考察をくわえたいとおもいます。

1.生態系とは〔人間-文化-環境〕系のことである
著者は、文化の発展段階をとらえるために生態史的アプローチを採用しています。生態史の基盤となるのは生態系であり、それは、主体である人間と、人間をとりまく自然環境とからなっているシステムのことです(図1)。

140713 人間-文化-自然環境系

図1 人間-自然環境系


このシステムにおいて、人間と自然環境とは、やりとりをしながら相互に影響しあい、両者の相互作用のなかから文化(生活様式)を生みだします。この文化には、人間と自然環境とを媒介する役割が基本的にあり、文化は、自然環境と人間の境界領域に発達し、その結果、人間-文化-自然環境系が生まれます(図2)。

140713b 人間-文化-自然環境系

図2 人間-文化-自然環境系




2.文化には構造がある
この 人間-文化-自然環境系における文化をこまかくみていくと、文化には、技術的側面、産業的側面、制度的側面、精神的側面が存在し、これらが文化の構造をつくりあげます(図3)。

140713 文化の構造
図3 文化の構造


図3において、技術的な文化は自然環境に直接し、精神的な文化は人間に直接しています。自然環境にちかいほどハードな文化であり、人間にちかいほどソフトな文化ともいえます。

文化のそれぞれの側面が発達するにつれて、たとえばつぎのような専門家が生まれてきます。

 技術的側面:技術者など
 産業的側面:経営者など
 制度的側面:政治家など
 精神的側面:宗教者など



3.現代の文化は、グローバル社会をめざして発展している
著者が発想した「文化発展の三段階二コース」説とはつぎのとおりでした。

〔素朴文化〕→〔亜文明あるいは重層文化〕→〔前近代的文明→近代化〕


この説において、「亜文明」とはいいかえれば都市国家の時代のことであり、「前近代的文明」とは領土国家の時代のことです。したがってつぎのように整理することもできます。

〔素朴社会〕→〔都市国家の時代〕→〔領土国家の時代〕


そして、現在進行している「近代化」とはいいかえればグローバル化のことであり、領土国家の時代からグローバル社会の時代へと移行しつつある過程のことです。

〔素朴社会〕→〔都市国家〕→〔領土国家〕→〔グローバル社会〕


つまり現代は、領土国家の時代からグローバル社会の時代へ移行する過渡期にあたっているわけです。

なお、都市国家の時代から領土国家の時代へ移行したことにより都市が消滅したわけではなく、領土国家は都市を内包しています。それと同様に、グローバル社会に移行しても領土国家が消滅するということではなく、グローバル社会は領土国家を内包します。ただし国境は、今よりもはるかに弱い存在になります。

以上を総合すると、次の世界史モデルをイメージすることができます。

140716c 世界史モデル
図4 世界史モデル



4.文化は、ハードからソフトへむかって変革する
上記の発展段階(文化史)において、前の段階から次の段階へ移行するとき、大局的にみると、まず「技術革命」がおこり、つづいて産業の変革、そして社会制度の変革、精神文化の変革へとすすみます。つまり文化は、ハードからソフトへむかって順次変革していきます(図3)

たとえば、都市国家の時代から領土国家の時代に移行したときは、鉄器革命という技術革命からはじまり、産業の変革、社会制度の変革へとすすみ、最終的に、精神文化の変革により いわゆる高等宗教が出現・発達しました。

この「ハードからソフトへ文化は変革する」という仮説を採用した場合、グローバル社会へとむかう現代の変革(グローバル化)の道筋はどのように類推できるでしょうか。

それはまず工業化が先行しました。その後、いま現在は情報化がすすんでいて、情報技術がいちじるしく発達、つまり情報技術革命が伸展しています。それにともなって産業の変革・再編がおこっています。しかし、法整備などの社会制度の変革はそれにまだおいついておらず、これから急速に整備されていくものとかんがえられます。

そして、変革の最後にはあらたな精神文化の構築がおこると予想されます。グローバル社会の精神文化は、領土国家の時代の いわゆる高等宗教の応用で対応できるといったものではなく、人類がはじめて経験するグローバル文明に適応する、あたらしい精神文化がもとめられてくるでしょう



5.生きがいをもとめて - 創造と参画 -
あたらしい精神文化の構築において「創造」と「参画」が鍵になると著者はのべています。

グローバル化の重要な柱が高度情報化であることを踏まえると、創造とは、すぐれた情報処理ができるようになることであり、よくできたアウトプットがだせるようになることです。そのためには、人間は情報処理をする存在であるととらえなおし、人間そのものの情報処理能力を開発することがもとめられます。

また、参画とは社会に参画することであり、社会の役にたつこと、社会のニーズにこたえる存在になることです。具体的には、お金をもらうことを目的としないボランティア活動などがこれにあたります。

情報処理能力の開発とボランティア活動は、近年急速に人々のあいだにひろまりつつある現象です。

したがって、第一に、みずからの情報処理能力を高め、第二に、自分の得意分野で社会の役にたつことが重要であり、これらによって、生きがいも得られるということになります。そこには、解き放たれた ありのままの自分になりたいという願望がふくまれています。

このように、来たるグローバル社会では、精神文化としては生きがいがもとめられるようになり、「生きがいの文化」ともいえる文化が成立してくるでしょうこれは価値観の転換を意味します

領土国家の時代は、領土あるいは領域の拡大を目的にしていたので、そこでは、戦いに勝つ、勝つことを目的にする、生き残りをかけるといったことを基軸にした「戦いの文化」がありました。たとえば、国境紛争、経済戦争、受験戦争、自分との戦い、コンクールで勝つ、戦略が重要だ、成功体験・・・

しかし、来たるグローバル社会の文化は、領土国家の時代のそれとはちがい、原理が根本的にことなります。

情報処理能力を高めるためには、まず、自分の本当にすきな分野、心底興味のある分野の学習からはじめることが重要です。すると、すきな分野はおのずと得意分野になります。そして、その得意分野で社会の役にたつ、ニーズにこたえることをかんがえていくのがよいでしょう。


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日

本書第二部では、第一部で発想された仮説「 文化発展の三段階二コース」説を日本史のデータをつかって検証しています。

第二部の目次はつぎのとおりです。

第二部 日本誕生 - 生態史的考察 -
 序 総合的デッサンの試み
 1 北方からの道
 2 水界民のなぞ
 3 農業への道と日本
 4 倭人の日本渡来
 5 渡来倭人の東進北進
 6 騎馬民族倭人連合南方渡来説
 7 日本到来後の古墳人
 8 中国文明とは何か
 9 朝鮮半島の古代文化地図
 10 白村江の意味するもの
 11 日本の知識人は島国的
 12 水軍と騎馬軍との結合で中世へ
 13 重層文化の日本
 14 半熟に終わった日本文明

要点を書きだすとつぎのようになります。

旧石器時代の後期から少なくとも縄文前期ぐらいにかけては、圧倒的に北の文化が南下する流れが優勢だったのである。

一気に素朴から文明へと飛躍したのではなかった。その中間段階へと、白村江の敗戦を境に踏み切ったのである。その中間段階を、私は「重層文化」の段階と呼んだ。それは具体的には次のような平明な事柄である。すなわち、素朴な土着文化的伝統と、お隣の外来の中国文明との、折衷から融合へという道を選んだわけである。

日本の文化の発展段階は、聖徳太子から大化の改新を経て天武天皇に至るあたりを境にして、素朴文化の段階から重層文化の段階に移ったのである。

地縁=血縁的な素朴な日本の伝統社会のゆき方がある。他方では律令制と官僚群による中国から導入された法治主義がある。この両方のゆき方の並立からしだいにその融合に進んだとき、ここに封建制が出現したのである。

戦国期以来ようやく前近代的文明への文化変化を推し進めたきた。


「文化発展の三段階二コース」説によれば、日本は、次の発展段階をたどったことになります。

〔素朴文化〕→〔重層文化〕→〔前近代的文明 → 近代化〕

本書第二部では、日本史のデータをつかってこれを検証しています。具体的にはつぎのようになります。

 素朴文化:旧石器時代から白村江の敗戦のころまで
 重層文化:白村江の敗戦のころから戦国期まで
 前近代的文明:戦国期から江戸時代末期まで
 近代化:江戸時代末期から

上記のひとつの段階から次の段階へ移行するときには、「技術革命」がまずおこり、つづいて産業、そして社会の変革にいたり、最後には、人々の世界観・価値観が変容し、あらたな精神文化が確立するとしています。つまり、ハードからソフトへと変革が順次進行します。

ある仮説にもとづいてさまざまなデータを検証し、その結果をアウトプットするということは、その課題に関する多種多量な情報を体系化することでもあります。著者は、本書第二部で、「文化発展」という仮説から日本の歴史を再体系化しました。検証と体系化の実例として参考になります


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日

人類の文明史の本質を総合的にとらえることをおしえてくれる好著です。

本書前半の目次はつぎのとおりです。

問題の始まり
 1 文明をとらえる地図が必要だ
 2 仮説の発想も学問のうちなのだ

第一部 素朴と文明 - 文化発展の三段階二コース説 -
 1 重病にかかった現代の科学観
 2 文化には発展段階がある
 3 文化発展の三段階二コース説
 4 生態史的アプローチ
 5 文明も流転する大地の子供である
 6 パイオニア・フリンジ
 7 チベット文明への歩み
 8 大型組織化に伴う集団の変質
 9 管理社会化と人間疎外
 10 なぜ三段階二コースか
 11 文明の挑戦と素朴の応戦
 12 亜文明から文明へのドラマ
 13 重層文化から文明へのドラマ

本書前半の要点はつぎのとおりです。

世界像→世界観→価値観という一連の深い結びつきを指摘せざるを得ない。

仮説の発想も、仮説の証明と同じ重みで扱うべきである。仮説の発想も学問のうちなのだ。

「文化」とはほとんど人類の「生活様式」と同義語に近いのである。

分析的・定量的・法則追求的というアプローチも、科学的ということの一面ではある。しかし、総合的・定性的・個性把握的というアプローチも、もうひとつの、れっきとした科学的アプローチなのだ。そうして、この両アプローチを総合ないし併用する中にこそ、本当の「科学的」という道があるのである。

140709

図 文化発展の3段階2コース説

現存するアジアの前近代的文明のパターンには、中国文明・ヒンズー文明・イスラム文明・チベット文明、この四つしかない。ヨーロッパを含めても、西欧文明・南欧文明・東欧文明(ギリシア正教文明)が加わるだけであり、この三つは一括してヨーロッパ文明もしくはキリスト教文明として扱う立場も成立するかもしれない。

人間社会とその文化とを、さらにその環境をまで含めた、「生態系」として捉えることを重視したい。

創造というダイナミックな営為と相俟って、はじめてひとつの生態史的パターンは誕生してゆくのである。

素朴文化もしくは中間段階の文化から文明へと推移するには、〔技術革命→産業革命→社会革命→人間革命〕という大まかな変革を順次累積的に経験したということになる。


著者がいう「生態史的アプローチ」とは、そこでくらす人々と、彼らをとりまく自然環境とが相互にやりとりをしながら発展し歴史をつくってきた様子を解明する手法のことです。これは、環境決定論ではありません。

ややむずかしいですが、このアプローチはフィールドワークの方法としてとても重要です。

そこでくらす人々を主体、とりまく自然環境を単に環境とよぶことにすると、この方法は、主体と環境がつくる〔主体-環境系〕の発展・成長のダイナミズムをとらえる方法であるといえます。

また、著者がいう「亜文明」の段階とは、わかりやすくいえば都市国家の時代のことであり、「前近代的文明」とは領土国家の時代のことです。

素朴文化 → 都市国家の時代 → 領土国家の時代 → 近代化

ととらえるとわかりやすいです。

このように、文明あるいは人類の歴史のようなきわめて複雑な事象は、仮説をたて、それを図にあらわすことによって視覚的に理解することができます。このような模式図はモデルといってもよいです。これは、情報の要約・圧縮によってその本質をつかむという方法です


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日

 

本書で著者は、文明の発展史をふまえ、「無の哲学」にもとづく「野外科学」の方法によって現代社会の問題を解決する道をしめし、危機にたつ人類の可能性について探究しています。

目次はつぎのとおりです。

第一部
1 激増期人口をどうするか
2 移民制限こそ最大の壁
3 真の文化大革命

第二部
1 宗教はどうなるか
2 技術革命と人間革命
3 組織と人間
4 いかにして人をつくるか
5 野外科学の方法
6 世界文化への道
7 おわりに - 全人類の前途はその創造性に -

著者は、人類の文明史について大局的に、素朴社会から都市国家に移行し、都市国家が崩壊して領土国家が生まれたととらえています。つまり、素朴社会の時代から都市国家の時代をへて領土国家の時代へと移行したと見ています。

素朴社会 → 都市国家 → 領土国家

このなかで、都市国家が崩壊して領土国家へ移行したときには、まず「技術革命」がおこり、つぎに「社会革命」がおこり、最後に「人間革命」がおこったとかんがえています。つまり、ハードからソフトへむかって変革がおきたと見ています。そして、ここでの「人間革命」にともなっていわゆる高等宗教が生まれてきたと指摘しています。

技術革命 → 社会革命 → 人間革命

さらに、人類の前途は、人類が創造性を発揮できるかどうかにかかっていると予想し、そのためには、「無の哲学」にもとづいた「野外科学」の方法が必要だと主張しています。「野外科学」(フィールドサイエンス/場の科学)とは、希望的観測や固定観念にとらわれずに、おのれを空しくして現場の情報を処理する科学のことです。

このように、文明の発展史のなかに位置づけて方法論を提示していのが本書の特色です。

本書を、現代の(今日の)高度情報化の観点からとらえなおして考察してみると、現代は、領土国家の時代からグローバル社会の時代への移行期であるとかんがえられます。つまり、つぎのような歴史になります。

素朴社会 → 都市国家 → 領土国家 → グローバル社会

そして、人類の大きな移行期には、「技術革命→社会革命→人間革命」(ハードからソフトへ)という順序で変革がおこるという仮説を採用すると、領土国家の時代からグローバル社会の時代への移行期である現代は、まだ、「技術革命」がおこっている段階であり、インフラ整備や情報技術開発をおこなっている段階ということになります。

したがって、社会制度の本格的な改革などの「社会革命」はこれからであり「人間革命」はさらに先になることが予想されます。上記の仮説がもしただしいとするならば、現代の移行期における「人間革命」は、既存の宗教では対応しきれないということになり、あらたな精神的バックボーンがもとめられてくるということになります。

たとえば、現代の高度情報化社会では、人を、情報処理をする存在であるととらえなおし、人生は情報の流れであるとする あたらしい考え方が出現してきています。これが「野外科学」とむすびついてきます。そして、人間の主体的な情報処理力を強化し、人類と地球の能力を開発しようする行為は上記の方向を示唆しているとおもわれます。

本書は47年も前の論考ですが、副題が「地球学の構想」となっているのは、グローバル化へむかう未来予測を反映したものであり、人類と地球の未来を予想するために、川喜田がのこしたメッセージは大いに参考になるとおもいます


川喜田二郎著『可能性の探検 -地球学の構想-』(講談社現代新書)講談社、1967年4月16日

本書のねらいは、当時(1960年代)の時代の根本問題に挑戦することにあると著者はのべています。

その根本問題とは、「人はいかにして、生きがいを感じ得るか」「人と人の心はいかにすれば通じあうか」「人の創造性はいかにすれば開発できるか」という三問であります。

これは、いいかえれば、人々は生きがいが見いだせず、人と人との心が断絶し、人間らしさがうしなわれているということであり、このような状況が、 大きな組織の成長とともにすすんだ管理社会化のもとで当時すでにあったということをしめしています。

本書は次の7つの章から構成され、上記の問いにこたえてます。

第一章 人間革命
第二章 創造愛
第三章 発想法
第四章 グループ・イメージの発想
第五章 ヴィジョンづくり
第六章 くみたて民主主義
第七章 チームワーク

これらの論考は、のちに、川喜田の「文明学」「創造論」「移動大学」「参画社会論」などに発展していきました。

そして、 自身の思想と技術を「KJ法」として体系化し、「文化成長の三段階」と「伝統体」の仮説を発表、最終的には「没我の文明」を提唱するにいたりました。

50年前の論考を今こうしてふりかえってみると、1964年の時点で、重要な仮説はすべて立てられていたことがわかります。川喜田のその後の人生は、その仮説を検証し証明する過程であったわけです。

なお、1990年代にわたしが川喜田研究所に在職していたときに川喜田から聞いた話では、上記の三問のなかでは「生きがい」がもっとも多くの人々の関心をひいたということでした。「生きがい」をいかにして見いだすかは、今日の人々にとっても大きな課題になっているのではないでしょうか。


文献:川喜田二郎著『パーティー学 -人の創造性を開発する法-』(現代教養文庫)社会思想社、1964年11月30日



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