発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

タグ:仮説法

「ラベル法」あるいは「編成法」によって、何枚かのラベルあるいは表札(要約ラベル)がアウトプットされた場合、それらをさらに処理して図解にする方法があります。

ある情報群が、図解をつくることによってイメージとしてグラフィックにとらえられるようになり、アイデアや仮説が出やすくなり、情報処理を一層すすめることができます。


「図解法」の手順はつぎのとおりです。これも情報処理の過程になっています。

141008 図解法の手順

図1 図解法の手順




たとえば、つぎの7枚のラベルあるいは表札(要約ラベル)が用意された例について説明します。テーマは「時代の潮流を洞察する」です。
キャンバス 1
図2 用意されたラベルの例



アウトプットとしてはこれらを箇条書きにするだけでもよいですが、図解としてアウトプットするとさらにわかりやすくなり、アイデアが出やすくなります。図解は、発想の手段としてつかえます。

図解をつくるためのラベル(あるいは要約ラベル)の総数は7±2枚とします。7は、人間が一度に知覚できる情報の最大数といわれています(マジカルナンバー)。図解では、パッと見てわかりやすいことを最優先にしますので、ラベルの数をしぼりこみます。ラベルの数が10枚以上の場合は「編成法」をつかって枚数を減らしておきます。




1.ラベルを見る

これら(図2)のラベルすべてをしっかり見て、心(意識)のなかにインプットします。

次に、それぞれのラベルに見出しをつけていきます。見出しは、ラベルに記されたメッセージの本質を要約した言葉であり、キャッチフレーズのように人の心をとらえやすい印象的な語句がのぞましいです。新聞の見出しのつけ方が大いに参考になります。


あたらしいラベルを用意し、見出しであることがわかるように赤色で記入し、元のラベルの上にのせていきます。
キャンバス 2
図3 見出しをつけた例(1)



 
キャンバス 3
図4 見出しをつけた例(2)

 


キャンバス 4
図5 見出しをつけた例(3)

 
 

キャンバス 5
図6 見出しをつけた例(4)

 


キャンバス 6
図7 すべてのラベルに見出しをつける



このようにして、すべてのラベルに見出しをつけます。




2.空間配置する

つぎに、見出しのラベルを空間配置します。ラベルを、さまざまにうごかしながらもっともわかりやすい配置をさがします。つぎの点に留意します。

 (1)もっともすわりのよい配置
 (2)もっとも多くの関係が表示できる配置
 (3)叙述化がしやすい配置
キャンパス 7
図8 空間配置の例



一般的に人間は、左上から右下に図面を見る傾向にありますから、そのことも考慮して配置するとよいです。

叙述化をしてみた一例はつぎのとおりです。

現代は、解体の時代であり民族紛争の時代です。このようなきびしい時代にもとめられるのは情報処理能力の開発であり、また、それを踏まえた社会格差の是正、女性の社会参画です。そして、ひとりひとりが全人的な生き方を追求し、一方で人類は自然との共生を模索します。




3.図解をつくる

テーマを上部に記入します。関係がつよい見出しラベルの間に関係記号を記入します。関係記号は線あるいは矢印などが一般的です。必要に応じて背景などを記入します。

図解の一例はつぎのとおりです。

キャンバス 8
図9 図解の例




見出しをつくった元のラベルを表示させてもよいです。

キャンバス 9

図10 図解の例(元ラベルを表示させたタイプ)







以上のように、「図解法」では図解がアウトプットされます。

たとえば、報告書などを書くときには本文とともに図解ものせるとわかりやすくなることがあります。プレゼンテーション(口頭発表)をするときには、パワーポイントやキーノートなどで図解のみをしめし、図解をさしながら口頭で(言語で)説明をするようにします。

あらたにおもいついたアイデアや仮説は図解上にメモしておきます。



▼ 参考文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)中央公論社、1967年6月26日


1.地勢タイプと行政タイプ

『LOVE地球儀』は、地球儀について知り、また、地球儀を購入する際のカタログとして参考になります。

地球儀には大きくわけて地勢タイプ行政タイプの2種類があります。

地勢タイプの地球儀は、山脈や海底の高低差をふくめ地形をわかりやすく表示しています。平野や森林地帯は緑系、高地や山脈などは茶系、海は青系などと、色のちがいや濃度によって地勢をあらわしているのが特徴です。

一方の行政タイプの地球儀は、各国を色分けし、国の位置や国境、国の大きさをわかりやすく表示した地球儀です。

地勢タイプの地球儀は、天体(惑星)として地球をとらえた理科系的な地球儀ですが、もう一つの行政タイプの地球儀は、人間の活動の場として地球をとらえた文科系的な見方の地球儀です。このように地球儀は「理科系地球儀」と「文科系地球儀」に二大別されます。

 ・地勢タイプの地球儀:理科系
 ・行政タイプの地球儀:文科系



2.理科系と文科系を統合する

わたしはもともと地球科学を専攻したので地勢タイプの地球儀(理科系地球儀)はすでにもっていますが、海外で環境問題にとりくむようになり、行政タイプの地球儀(文科系地球儀)も必要になってきました。

そこで、行政タイプの地球儀も買おうとおもって東京・銀座の伊東屋(K.ITOYA)に地球儀を見に行きました。6階に地球儀の専門フロアーがあり、たくさんの地球儀が展示・販売されていました。また、ウェブサイトでもいろいろさがしてみました。

たとえば、渡辺教具製作所の地球儀「ジェミニ」は、行政タイプの地球儀をベースにしていますが、人工衛星データに基づいた山岳の凹凸や海底の深浅、おもな海流なども表示され、行政と地勢の両方の情報がひとつの球体にもりこんであります。


また、リプルーグル・グローブス・ジャパンの地球儀「リビングストン型」は、ライトを点灯していない時は、森林・草原・砂漠・ツンドラなどの10種類の気候風土にそった地勢タイプの地球儀ですが、 ライトを点灯すると陸地が国別に色分けされた行政タイプの地球儀に変化するおもしろい地球儀です。


1台の地球儀に2種類のタイプの地球を統合しようとする努力が読みとれます。地球儀の世界でも理科系と文科系とを統合しようとこころみた人たちがいました。



3.情報場として地球をとらえなおす

このように、地球には、理科系と文科系という2つの側面があり、両者を統合することは人類の課題になっています。

今日、地球上にインターネットがはりめぐらされ、 地球の情報化がいちじるしくすすみ、 クラウドの運動もとらえられるようになってきました。つまり、地球全体が情報処理の場、情報場になりました。

141003 人間と地球
図 地球は、人間が主体になった情報処理の場である


地球を情報場としてとらえることにより、理科系と文科系の2つの側面をより高次元で統合することが可能であるとかんがえられます。情報処理の場として地球をとらえる、さらに、情報処理の場の中で地球をとらえなおすことがこれからは重要です。

このような仮説をたてるならば、今後は、地勢と行政のうえにクラウドの運動も表示できるような「総合地球儀」の開発がもとめられます(注)



4.地球儀を発想の出発点としてつかう

このように、地球儀を見て、地球儀を発想の出発点(起点)としてつかうことによりおもしろい仮説がでてきます。地球儀は、発想のための道具として役立ちます。

なお、発想のための地球儀としては、南北方向にも東西方向にも自由に回転できる全方向回転式の地球儀がおすすめです。地軸が固定されている常識的な地球儀(北半球がつねに上に位置する地球儀)では視点が固定されてしまいます。

日本列島を真上にしたり真下にしたりでき、視点を自由に変えられる地球儀であれば、固定観念にとらわれずにさまざまな観点から地球をとらえなおすことができます。



▼ 文献
『LOVE 地球儀』スタジオ タック クリエイティブ、2012年1月30日
【バーゲンブック】 LOVE地球儀。


▼ 関連ブログ
パソコンの時代がおわり、クラウドの時代になる 〜小池良次著『クラウドの未来』〜
一度にたくさんインプットした方が理解がすすむ


▼ 注
日本科学未来館のジオコスモス(Geo-Cosmos)がこのような取り組みをおこなっており注目されます。意識(心)のなかに立体をインプットし、内面世界に立体空間を確立することが大切です。

140804b

図 仮説発想の野外科学と仮説検証の実験科学


川喜田二郎著『発想法』の第I章では「野外科学 -現場の科学-」についてのべています。

この野外科学とは、地理学・地質学・生態学・人類学などの野外(フィールド)を調査・研究する科学にとどまらず、仮説を発想する科学として方法論的に位置づけられています。仮説を発想することは発想法の本質です。

野外科学によりいったん仮説が発想されると、今度は、実験科学の過程によって仮説の検証をしていきます

つまり、野外科学は仮説を発想するまでの過程、実験科学はそのごの仮説を検証する過程であり、両者がセットになってバランスのよい総合的なとりくみになります(図)。

何かをしようとするとき、意識するしないかかわらず、既存の仮説を採用したり、固定観念にとらわれてしまっていることがよくあります。これは実験科学だけをやっているということになります。これですと、やっぱりそうだったかと確認はできても、あらたな発見が生まれにくいです。

そこで、野外科学の精神にしたがって仮説をみずから立ててみることをおすすめします。そのためにはつぎのようにします。

 1.課題を明確にする
 2.情報収集をし、似ている情報をあつめて整理する
 3.「・・・ではないだろうか」とかんがえる


仮説を生みだす野外科学は実験科学や行動の母体にもなります。 

自分がたてた仮説がただしいかどうかはあとで検証すればよいのです。仮説をたてると推論ができたり想像もふくらみます。仮説を検証する方法は、それぞれの専門分野でよく発達している場合が多いので、それを積極的につかってもよいです。


▼ 文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)1967年6月26日

フィールドワークのデータにもとづいて「騎馬民族倭人連合南方渡来説」を発想し、ヒマラヤ・チベットと日本とのつながりについて論じた本です。

目次はつぎのとおりです。

1 珍しい自然現象
2 生物の垂直・水平分布とその人間環境化
3 諸生業パターンが累積・融合した地域
4 ネパール盆地の都市国家
5 相似る自然・文化地理区の特性をいかした相互協力
6 文化の垂直分布とその原因
7 ヒマラヤ・チベットの人間関係諸相
8 素朴な民族の生態
9 チベット文明の生態系
10 文明の境界地域の持つ特異性と活動性
11 ネパールの宗教文化はユーラシアに広くつながる
12 ヒマラヤ・チベットと日本をつなぐ文化史
13 アムールランド文化の日本への影響
14 生命力の思想 - 霊の力を畏れる山地民 -
15 ヒマラヤが近代化に積極的・科学的に対応する道


方法論の観点からみて重要だとおもわれることをピックアップしてみます。

フィールドで得た材料から大いにイマジネーションを働かし、さまざまな仮説を導き出すことを重要視した方がよい。

人間が土地とつきあって生まれてきたものが文化なのである。

人間は在る物を見るのはたやすいが、そこに何が欠けているかを見ることはむずかしい。この欠けている物に気づくということが必要なのである。

物事の欠点ばかり見ずに長所も見ろ。

自然現象について考える際には、普段の状態だけで万事を類推するのでなく、カタストロフィーともいうべき異常事態を考慮した説をもう少し重要視してもよい。

森林一つでも、文化の背景でいかに捉え方が違うか。

これからの科学には、近視眼でメカニズムだけを解明するのでなく、複合的諸要因のかもしだす、息の長い判断をも行う道が、痛切に求められていくだろう。


著者は、「騎馬民族倭人連合南方渡来説」をとなえ、チベット・ヒマラヤと日本は意外にもつながっているとのべています。

「騎馬民族倭人連合南方渡来説」とは、西暦紀元前後、ユーラシア大陸北方に出現・膨張した騎馬民族が南下してチベットへ、さらにベンガル湾まで達し、その後、倭人と連合して東南アジアから海岸線を北上、日本まで到達したという説です。こうして、チベット・ヒマラヤは日本とつながっていて、文化的にも共通点・類似点が多いという仮説です。

本書には、ヒマラヤ・チベット・日本についてかなり専門的なことが書かれており、ヒマラヤやチベットの研究者以外にはわかりにくいとおもいますが、フィールドワークによってえられる現場のデータにもとづいて、自由奔放に仮説をたてることのおもしろさをおしてくれています


▼ 文献
川喜田二郎著『ヒマラヤ・チベット・日本』白水社、1988年12月

140721 課題と仮説
図 課題をめぐる情報収集から、仮説の検証へ

高度情報化時代になり、膨大な情報のなかから必要な情報をどのように収集すればよいか、その方法が重要になってきました。

情報の収集にあたっては2つのことなる場面があり、これらを明確に区別してとりくむことが大切です。ポイントは課題と仮説にあります

まず、自分がとりくみたい課題を明確にします。そして、知りたいこと、興味があることなど、課題をめぐり360度の視角から幅広く情報をあつめます。時間のゆるすかぎりたくさんあつめるようにします。

この情報収集の作業をつづけていると、あるとき、「・・・ではないだろうか」「・・・かもしれない」と何かをおもいつく瞬間があります。これが仮説の発想です

仮説をおもいついたら、仮説から何が想像できるか、自由に想像してみます

そして今度は、その想像した結果が事実かどうか確認をするのです。確認できれば仮説の確からしさは高まります。確認できずまちがっていれば仮説をたてなおします

このように、課題をめぐる情報収集は360度の視角から幅広く情報をあつめるのがよく、それに対して仮説の検証では、仮説から想像されることに目標をしぼって情報をねらいうちするようにします。 課題をめぐる情報収集では課題から周辺へひろがって「円的」に情報をあつめるのに対し、仮説にもとづくねらいうちの調査は「線的」な作業になります(図)。

課題をめぐる情報収集から、仮説の検証へという2つのことなる場面を意識的に区別して情報をとりあつかうのが効果的です。これは、推理小説のなかでもちいられている方法とおなじです。


単純明快な世界モデルをつかって、ユーラシア大陸の文明について解説しています。

目次はつぎのとおりです。

東と西のあいだ
東の文化・西の文化
文明の生態史観
真文明世界地図 - 比較文明論へのさぐり
生態史観からみた日本
東南アジアの旅から - 文明の生態史観・つづき
アラブ民族の命運
東南アジアのインド
「中洋」の国ぐに
タイからネパールまで - 学問・芸術・宗教
比較宗教論への方法論的おぼえがき

「東南アジアの旅から - 文明の生態史観・つづき」のなかに掲載されている模式図Aとその解説を引用しておきます。

140718a


全旧世界を、横長の長円であらわし、左右の端にちかいところで垂直線をひくと、その外側が第一地域で、その内側が第二地域である。

第一地域の日本と西ヨーロッパは、はるか東西にはなれているにもかかわらず、その両者のたどった歴史の型は、ひじょうによくにている。両者の歴史のなかには、たくさんの平行現象をみとめることができる。

旧世界の生態学的構造をみると、たいへんいちじるしいことは、大陸をななめによこぎって、東北から西南にはしる大乾燥地帯の存在である。

第二地域のなかには、四つの大共同体  — あるいは世界、あるいは文明圏といってもよい — にわかれる。すなわち、(I)中国世界、(II)インド世界、(III)ロシア世界、(IV)地中海・イスラーム世界である。いずれも、巨大帝国とその周辺をとりまく衛星国という構造をもっている。

こんな簡単な図で世界の歴史がわかるのかとおもう人がいるかもしれませんが、これがわかるのです。著者が、ユーラシア大陸を模式図(モデル)としてあらわしてくれたために直観的に理解できるのであり、心のなかの言語領域ではなく視覚領域でとらえることができるわけです。理解の仕組みについて注意する必要があります。このようなモデル(模式図)をおもいつけるのはさすがとしか言いようがありません。

そこで、この世界モデルをまずは記憶して、もっとくわしく知りたい部分があれば、地理書や歴史書にあたればよいのです。モデルはつかうものですこうすれば、大量の情報を目の前にしても臆することなく、情報のジャングルでまようこともありません。
 

■ 仮説の発想と検証
本書で著者は、各論文の前にくわしい解説を付しているので、研究・思考の過程が時系列でとらえられます。

1955年、パキスタンおよびインドを旅行し、比較文明論への目をひらかれました。

1年後(1956年)に「文明の生態史観」を書きました(仮説を発想しました)。

1957年11月〜翌年4月、東南アジアを旅行し、「文明の生態史観」における東南アジアの位置づけをしました。

1961年すえ、東南アジアからインド亜大陸を旅行し、さらにデータをあつめました。

日本に帰国しているときは、研究会で検討したり、資料・文献にあたりました。

以上によると、著者は、1956年に仮説を発想したことになります。

調査(情報収集)には、仮説発想のための調査と、仮説検証のための調査の二種類があります。

仮説発想のためには、課題を明確にし、固定観念にとらわれずに、幅広く情報をあつめます。一方、仮説検証のためには、推論をし、目標を明確にして、仮説を補強するデータをあつめます。仮説を補強するデータがあつまれば仮説の確からしさは高まり、仮説を否定するデータがあつまった場合は仮説を立てなおします。両者で、調査の姿勢は大きくことなり、両者の方法をつかいわけることがポイントです。膨大な情報を相手にするときの方法として参考になります。

ところで、著者の生態学を基礎とした生態史的研究方法は、川喜田二郎がもちいた方法とおなじです。梅棹忠夫と川喜田二郎はともに自然学者・今西錦司の弟子であり、二人とも、京都大学の今西研究グループのメンバーでしたのでそうなったのでしょう。


文献:梅棹忠夫著『文明の生態史観』(中公文庫)中央公論社、1974年9月10日

『素朴と文明』第三部では、現代は漂流していることを指摘し、文明の問題点をあきらかにしたうえで、その解決の鍵は「創造」と「参画」にあることをのべています。

第三部の目次はつぎのとおりです。

第三部 地図と針路
 1 文明の岐路
 2 カギは創造性と参画にある

第三部の要点を書きだしてみます。

現代は漂流しているのである。その現代が荒海を航海するには、まずもって地図を試作しなければならない。

文明はもともと素朴から生まれてきたものだ。それなのに、その文明は素朴を食い殺しつつあり、それによって文明自体が亡ぶ。そういう危惧が多分にあるということである。

私の意味する生態史的パターンでは、高度に洗練された精神文化や社会制度までそれに含めているのである。例えばアジアの前近代的文明においても、これらの文明を文明たらしめている中核には、ぶ厚い伝統をなして流れている「生きる姿勢」の伝統がある。これはまた「創造の姿勢」につながっているのだ。それは、特に高等宗教に象徴化されて現れてくる。

解決の鍵は「創造」にあると思う。

第一段階 渾沌。
第二段階 主客の分離と矛盾葛藤。
第三段階 本然(ほんねん)。
これはひとつの問題解決のプロセスなのであるが、それはまた私が強調してきた創造のプロセスでもある。

今日の最大の災厄は、自然と人間の間に断層が深まり、同時に伝統と近代化の間に断層の深まりつつあることなのである。これを乗りこえ、調和の道へと逆転させるしか活路はない。そうしてその鍵は「創造性」を踏まえた「参画」に存すると確信する。


以上を踏まえ、以下に、わたしの考察をくわえたいとおもいます。

1.生態系とは〔人間-文化-環境〕系のことである
著者は、文化の発展段階をとらえるために生態史的アプローチを採用しています。生態史の基盤となるのは生態系であり、それは、主体である人間と、人間をとりまく自然環境とからなっているシステムのことです(図1)。

140713 人間-文化-自然環境系

図1 人間-自然環境系


このシステムにおいて、人間と自然環境とは、やりとりをしながら相互に影響しあい、両者の相互作用のなかから文化(生活様式)を生みだします。この文化には、人間と自然環境とを媒介する役割が基本的にあり、文化は、自然環境と人間の境界領域に発達し、その結果、人間-文化-自然環境系が生まれます(図2)。

140713b 人間-文化-自然環境系

図2 人間-文化-自然環境系




2.文化には構造がある
この 人間-文化-自然環境系における文化をこまかくみていくと、文化には、技術的側面、産業的側面、制度的側面、精神的側面が存在し、これらが文化の構造をつくりあげます(図3)。

140713 文化の構造
図3 文化の構造


図3において、技術的な文化は自然環境に直接し、精神的な文化は人間に直接しています。自然環境にちかいほどハードな文化であり、人間にちかいほどソフトな文化ともいえます。

文化のそれぞれの側面が発達するにつれて、たとえばつぎのような専門家が生まれてきます。

 技術的側面:技術者など
 産業的側面:経営者など
 制度的側面:政治家など
 精神的側面:宗教者など



3.現代の文化は、グローバル社会をめざして発展している
著者が発想した「文化発展の三段階二コース」説とはつぎのとおりでした。

〔素朴文化〕→〔亜文明あるいは重層文化〕→〔前近代的文明→近代化〕


この説において、「亜文明」とはいいかえれば都市国家の時代のことであり、「前近代的文明」とは領土国家の時代のことです。したがってつぎのように整理することもできます。

〔素朴社会〕→〔都市国家の時代〕→〔領土国家の時代〕


そして、現在進行している「近代化」とはいいかえればグローバル化のことであり、領土国家の時代からグローバル社会の時代へと移行しつつある過程のことです。

〔素朴社会〕→〔都市国家〕→〔領土国家〕→〔グローバル社会〕


つまり現代は、領土国家の時代からグローバル社会の時代へ移行する過渡期にあたっているわけです。

なお、都市国家の時代から領土国家の時代へ移行したことにより都市が消滅したわけではなく、領土国家は都市を内包しています。それと同様に、グローバル社会に移行しても領土国家が消滅するということではなく、グローバル社会は領土国家を内包します。ただし国境は、今よりもはるかに弱い存在になります。

以上を総合すると、次の世界史モデルをイメージすることができます。

140716c 世界史モデル
図4 世界史モデル



4.文化は、ハードからソフトへむかって変革する
上記の発展段階(文化史)において、前の段階から次の段階へ移行するとき、大局的にみると、まず「技術革命」がおこり、つづいて産業の変革、そして社会制度の変革、精神文化の変革へとすすみます。つまり文化は、ハードからソフトへむかって順次変革していきます(図3)

たとえば、都市国家の時代から領土国家の時代に移行したときは、鉄器革命という技術革命からはじまり、産業の変革、社会制度の変革へとすすみ、最終的に、精神文化の変革により いわゆる高等宗教が出現・発達しました。

この「ハードからソフトへ文化は変革する」という仮説を採用した場合、グローバル社会へとむかう現代の変革(グローバル化)の道筋はどのように類推できるでしょうか。

それはまず工業化が先行しました。その後、いま現在は情報化がすすんでいて、情報技術がいちじるしく発達、つまり情報技術革命が伸展しています。それにともなって産業の変革・再編がおこっています。しかし、法整備などの社会制度の変革はそれにまだおいついておらず、これから急速に整備されていくものとかんがえられます。

そして、変革の最後にはあらたな精神文化の構築がおこると予想されます。グローバル社会の精神文化は、領土国家の時代の いわゆる高等宗教の応用で対応できるといったものではなく、人類がはじめて経験するグローバル文明に適応する、あたらしい精神文化がもとめられてくるでしょう



5.生きがいをもとめて - 創造と参画 -
あたらしい精神文化の構築において「創造」と「参画」が鍵になると著者はのべています。

グローバル化の重要な柱が高度情報化であることを踏まえると、創造とは、すぐれた情報処理ができるようになることであり、よくできたアウトプットがだせるようになることです。そのためには、人間は情報処理をする存在であるととらえなおし、人間そのものの情報処理能力を開発することがもとめられます。

また、参画とは社会に参画することであり、社会の役にたつこと、社会のニーズにこたえる存在になることです。具体的には、お金をもらうことを目的としないボランティア活動などがこれにあたります。

情報処理能力の開発とボランティア活動は、近年急速に人々のあいだにひろまりつつある現象です。

したがって、第一に、みずからの情報処理能力を高め、第二に、自分の得意分野で社会の役にたつことが重要であり、これらによって、生きがいも得られるということになります。そこには、解き放たれた ありのままの自分になりたいという願望がふくまれています。

このように、来たるグローバル社会では、精神文化としては生きがいがもとめられるようになり、「生きがいの文化」ともいえる文化が成立してくるでしょうこれは価値観の転換を意味します

領土国家の時代は、領土あるいは領域の拡大を目的にしていたので、そこでは、戦いに勝つ、勝つことを目的にする、生き残りをかけるといったことを基軸にした「戦いの文化」がありました。たとえば、国境紛争、経済戦争、受験戦争、自分との戦い、コンクールで勝つ、戦略が重要だ、成功体験・・・

しかし、来たるグローバル社会の文化は、領土国家の時代のそれとはちがい、原理が根本的にことなります。

情報処理能力を高めるためには、まず、自分の本当にすきな分野、心底興味のある分野の学習からはじめることが重要です。すると、すきな分野はおのずと得意分野になります。そして、その得意分野で社会の役にたつ、ニーズにこたえることをかんがえていくのがよいでしょう。


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日

本書第二部では、第一部で発想された仮説「 文化発展の三段階二コース」説を日本史のデータをつかって検証しています。

第二部の目次はつぎのとおりです。

第二部 日本誕生 - 生態史的考察 -
 序 総合的デッサンの試み
 1 北方からの道
 2 水界民のなぞ
 3 農業への道と日本
 4 倭人の日本渡来
 5 渡来倭人の東進北進
 6 騎馬民族倭人連合南方渡来説
 7 日本到来後の古墳人
 8 中国文明とは何か
 9 朝鮮半島の古代文化地図
 10 白村江の意味するもの
 11 日本の知識人は島国的
 12 水軍と騎馬軍との結合で中世へ
 13 重層文化の日本
 14 半熟に終わった日本文明

要点を書きだすとつぎのようになります。

旧石器時代の後期から少なくとも縄文前期ぐらいにかけては、圧倒的に北の文化が南下する流れが優勢だったのである。

一気に素朴から文明へと飛躍したのではなかった。その中間段階へと、白村江の敗戦を境に踏み切ったのである。その中間段階を、私は「重層文化」の段階と呼んだ。それは具体的には次のような平明な事柄である。すなわち、素朴な土着文化的伝統と、お隣の外来の中国文明との、折衷から融合へという道を選んだわけである。

日本の文化の発展段階は、聖徳太子から大化の改新を経て天武天皇に至るあたりを境にして、素朴文化の段階から重層文化の段階に移ったのである。

地縁=血縁的な素朴な日本の伝統社会のゆき方がある。他方では律令制と官僚群による中国から導入された法治主義がある。この両方のゆき方の並立からしだいにその融合に進んだとき、ここに封建制が出現したのである。

戦国期以来ようやく前近代的文明への文化変化を推し進めたきた。


「文化発展の三段階二コース」説によれば、日本は、次の発展段階をたどったことになります。

〔素朴文化〕→〔重層文化〕→〔前近代的文明 → 近代化〕

本書第二部では、日本史のデータをつかってこれを検証しています。具体的にはつぎのようになります。

 素朴文化:旧石器時代から白村江の敗戦のころまで
 重層文化:白村江の敗戦のころから戦国期まで
 前近代的文明:戦国期から江戸時代末期まで
 近代化:江戸時代末期から

上記のひとつの段階から次の段階へ移行するときには、「技術革命」がまずおこり、つづいて産業、そして社会の変革にいたり、最後には、人々の世界観・価値観が変容し、あらたな精神文化が確立するとしています。つまり、ハードからソフトへと変革が順次進行します。

ある仮説にもとづいてさまざまなデータを検証し、その結果をアウトプットするということは、その課題に関する多種多量な情報を体系化することでもあります。著者は、本書第二部で、「文化発展」という仮説から日本の歴史を再体系化しました。検証と体系化の実例として参考になります


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日

人類の文明史の本質を総合的にとらえることをおしえてくれる好著です。

本書前半の目次はつぎのとおりです。

問題の始まり
 1 文明をとらえる地図が必要だ
 2 仮説の発想も学問のうちなのだ

第一部 素朴と文明 - 文化発展の三段階二コース説 -
 1 重病にかかった現代の科学観
 2 文化には発展段階がある
 3 文化発展の三段階二コース説
 4 生態史的アプローチ
 5 文明も流転する大地の子供である
 6 パイオニア・フリンジ
 7 チベット文明への歩み
 8 大型組織化に伴う集団の変質
 9 管理社会化と人間疎外
 10 なぜ三段階二コースか
 11 文明の挑戦と素朴の応戦
 12 亜文明から文明へのドラマ
 13 重層文化から文明へのドラマ

本書前半の要点はつぎのとおりです。

世界像→世界観→価値観という一連の深い結びつきを指摘せざるを得ない。

仮説の発想も、仮説の証明と同じ重みで扱うべきである。仮説の発想も学問のうちなのだ。

「文化」とはほとんど人類の「生活様式」と同義語に近いのである。

分析的・定量的・法則追求的というアプローチも、科学的ということの一面ではある。しかし、総合的・定性的・個性把握的というアプローチも、もうひとつの、れっきとした科学的アプローチなのだ。そうして、この両アプローチを総合ないし併用する中にこそ、本当の「科学的」という道があるのである。

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図 文化発展の3段階2コース説

現存するアジアの前近代的文明のパターンには、中国文明・ヒンズー文明・イスラム文明・チベット文明、この四つしかない。ヨーロッパを含めても、西欧文明・南欧文明・東欧文明(ギリシア正教文明)が加わるだけであり、この三つは一括してヨーロッパ文明もしくはキリスト教文明として扱う立場も成立するかもしれない。

人間社会とその文化とを、さらにその環境をまで含めた、「生態系」として捉えることを重視したい。

創造というダイナミックな営為と相俟って、はじめてひとつの生態史的パターンは誕生してゆくのである。

素朴文化もしくは中間段階の文化から文明へと推移するには、〔技術革命→産業革命→社会革命→人間革命〕という大まかな変革を順次累積的に経験したということになる。


著者がいう「生態史的アプローチ」とは、そこでくらす人々と、彼らをとりまく自然環境とが相互にやりとりをしながら発展し歴史をつくってきた様子を解明する手法のことです。これは、環境決定論ではありません。

ややむずかしいですが、このアプローチはフィールドワークの方法としてとても重要です。

そこでくらす人々を主体、とりまく自然環境を単に環境とよぶことにすると、この方法は、主体と環境がつくる〔主体-環境系〕の発展・成長のダイナミズムをとらえる方法であるといえます。

また、著者がいう「亜文明」の段階とは、わかりやすくいえば都市国家の時代のことであり、「前近代的文明」とは領土国家の時代のことです。

素朴文化 → 都市国家の時代 → 領土国家の時代 → 近代化

ととらえるとわかりやすいです。

このように、文明あるいは人類の歴史のようなきわめて複雑な事象は、仮説をたて、それを図にあらわすことによって視覚的に理解することができます。このような模式図はモデルといってもよいです。これは、情報の要約・圧縮によってその本質をつかむという方法です


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日

 

本書で著者は、「法隆寺は、聖徳太子一族の鎮魂寺である」という仮説をたてました。

▼参考ブログ
そして、いったん仮説がたてられると、今度はつぎの過程によって、あらたな事実を予見(想像)することが可能になります。

前提 → 仮説 → 事実予見

ここで前提は、「日本の神まつりにおいて勝者は敗者を鎮魂する」ということです。この前提から、「法隆寺は鎮魂寺」であるという仮説がひきだされると、今度は、それに基づいてあらたな事実を予見し想像できることになります。

そして、予見・想像の結果がただしいかどうかを実際に現場に行ってたしかめます。たしかめられ、予見や想像が観察事実と一致すれば、仮説はさらにつよめられるわけです。

たとえば、著者の梅原さんは、 昭和46年、 聖徳太子の霊を祀る祭である聖霊会(しょうりょうえ)千三百五十年忌に実際に出席し、仮説を支持する数々の事実を観察しました。御輿が復活した怨霊のひそむ柩(ひつぎ)であるとか、怨霊の狂乱の舞であるとか。

こうして仮説は、 〔前提→仮説→事実確認〕の過程によってさらにつよめられ、仮説にもとづく情報の体系化ができました。この〔前提→仮説→事実〕の過程は演繹法ともよばれます。

演繹法:前提 → 仮説 → 事実

『隠された十字架』では、第二部「解決への手がかり」において、当時の仏教政策、仏教情勢の全体を論じ、四大寺の設置とともにその移転をめぐる政治的意味、また、その宗教政策は神道政策ともふかく関連をもっていたことを解説しています。

この第二部は、上記でいう「前提」に位置づけられます。著者の梅原さんは、「前提」についてもかなりくわしくおさえています。

この第二部の「前提」、そして「鎮魂寺」仮説をへて、『隠された十字架』第三部「真実の開示」が執筆されています。第三部において、多種多量の事実が明示・確認され、仮説はさらにつよめられ、『隠された十字架』が体系化されたわけです。したがって本書の構成では、第二部 → 第三部に〔前提 → 仮説 → 事実〕の過程を見てとることができます

以上のように、この方法では、ある前提(背景)のもとで、現場の事実の想像と確認ができるということになり、前提(背景)と現場の事実は、場と要素の関係になっていて、全体的な場のなかに個々の要素が位置づけられるのであり、その位置づけを決める役割をはたすのが仮説です。仮説があることにより、場の中で要素は適切に位置づけられ、全体が体系化でき、『隠された十字架』が完成したといえるでしょう

言いかえると、仮説がないと、データの羅列、あるいは、せいぜいデータの分類でおわってしまうということです。

本書にかぎらず、前提と仮説と事実をこのように整理してみると体系化の中身がよく見えてきます。

本書で著者は、「法隆寺は、聖徳太子一族の鎮魂寺である」という仮説を発表し、それを支持する数々の観察事実(データ)をしめしています。

ここでは、仮説がどのようにしてひらめいたのか見ていきたいとおもいます。本書は、仮説に気がつく方法(仮説法)のモデルとして非常に参考になる有用な著作です


1.あらたな事実を発見する
あらたな事実を発見するところからはじまりました。

1970年の4月のある日であった。私は何げなく天平19年(747)に書かれた法隆寺の『資財帳』を読んでいた。

そこで私は巨勢徳太(こせのとこた)が孝徳天皇に頼んで、法隆寺へ食封(へひと)三百戸を給わっているのを見た。巨勢徳太というのは、かつて法隆寺をとりかこみ、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)はじめ、聖徳太子一族二十五人を虐殺した当の本人ではないか。


2.日本の神まつりは敗者の鎮魂である - 前提 -
著者は、日本の神まつりについておもいだしました。

日本において、多くの勝者は自らの手で葬った死者を、同じ手でうやうやしく神とまつり、その葬られた前代の支配者の鎮魂こそ、次の時代の支配者の大きな政治的、宗教的課題である。

私はここに日本の神まつりのもっとも根本的な意味があると思っていた。


3.あらたな仮説をたてる
そして、仮説がひらめきました。

もしも法隆寺に太子一族の虐殺者達によって食封が与えられているとすれば、法隆寺もまた後世の怨霊神社や、天満宮と同じように、太子一族の虐殺者達によって建てられた鎮魂の寺ではないか。


以上の思考過程をまとめると、第1に、『資財帳』を見てあたらしい事実を発見し、第2に、日本の神まつり(敗者の鎮魂)の前提を想起し、そして第3に、法隆寺も鎮魂寺であるという仮説がひらめいたということになります。つまり次の通りです。

事実 →  前提 → 仮説


これは、何らかの事実を発見したら、前提にてらしあわせることにより、仮説がひらめく、ということをしめしています。言いかえると前提となる知識がしっかりしていないと適切な仮説がたてられないということです。

情報処理の観点から見ると、観察により事実を心のなかにインプットし前提となる知識(記憶)を想起し(プロセシング)仮説をアウトプットしたということになります。

この、〔事実→前提→仮説〕という推理法(仮説法)は一般的にも成立し、たとえば、自然環境について考察する場合は自然法則が前提になり、したがって、自然環境の保全などにとりくむ人は、自然法則全般について常日頃からよく勉強しておかなければならないということになります。

また、〔事実→前提→仮説〕という推理法では、 おなじ事実を見ても、前提がことなれば、でてくる仮説はことなってくることもしめしています

たとえば、問題解決論や人生論などを展開する場合は、世界観や死生観といったことがが前提になってくるでしょう。

その世界観や死生観は民族や宗教によってことなることがしばしばあります。したがって、おなじ出来事を目撃しても、かんがえることは民族によってことなってくるということはよくあり、わたしは海外でこのような事例を数多く体験してきました。


以上のように、仮説をめぐっては、事実のみならず、前提も重要であり、これらのそれぞれをしっかりおさえておくことがとても重要です。

「法隆寺は、聖徳太子一族を虐殺した者達によって建てられた鎮魂のための寺である」という仮説を提唱した本です。

「法隆寺・鎮魂寺」説。このおどろくべき仮説がどのような過程で形成されたのか以下に見ていきたいとおもいます。


本書の目次は次の通りです。

第一部 謎の提起

第二部 解決への手掛かり
 第一章 なぜ法隆寺は再建されたか
 第二章 だけが法隆寺を建てたか
 第三章 法隆寺再建の政治的背景

第三部 真実の開示
 第一章 第一の答(『日本書紀』『族日本紀』について)
 第二章 第二の答(『法隆寺資財調』について)
 第三章 法隆寺の再建年代
 第四章 第三の答(中門について)
 第五章 第四の答(金堂について)
 第六章 第五の答(五重塔について)
 第七章 第六の答(夢殿について)
 第八章 第七の答(聖霊会について)


1.法隆寺に関する「謎」
まず著者は、法隆寺に関する「謎」を以下のように整理・提起しています。

一 『日本書紀』に関する疑問
法隆寺建造に関して『日本書紀』に一言も書かれていない。なぜか。

二 『法隆寺資財帳』に関する疑問
『資財帳』とは、寺院が政府に差出した財産目録である。これに、法隆寺焼失の記事も再建の記事もない。なぜか。

三 中門の謎
法隆寺の中門の真中に柱があるのは全くおかしい。

四 金堂の謎
中門を入った右側に金堂がある。なぜ金堂に三体もの如来がいるのであろうか。『日本書紀』にいうように法隆寺は全焼し、現在の法隆寺が再建であるとすれば、いったいこの仏像は、どこにあったのだろうか。中にある仏像は古いはずなのに、壁画が新しいのはどういうわけであろう。

五 五重塔の謎
塔の北隅の舎利、舎利のない舎利器、柱の間にくいこんだ石、それはいったい何を意味するのか。外側にある四個の塑像と内側にあったという地獄の像は、いったい何を意味するのか。『資財帳』には、塔の高さを十六丈と報告しているが、実は十六丈はないのである。ミステリーである。

六 夢殿の謎
夢殿を中心の建物とする寺院、それを法隆寺では東院と名付けている。西院に加えてもう一つ大きな伽藍をなぜ必要とするのか。なぜ夢殿は八角堂なのか。なぜ、救世観音は、厳重に秘仏にされねばならなかったのであろうか。厳重に閉じられた厨子、何十にも巻かれた木綿、寺院崩壊の恐怖を与える伝説、それは執拗なる隠蔽への意志を示す。

七 祭り(聖霊会)の謎
聖霊会(しょうりょうえ)というのは聖徳太子の霊をなぐさめる祭りである。大聖霊会では、太子七歳像と舎利が、それぞれ東院夢殿の北側にある絵殿と舎利殿からとり出され、それが西院の講堂の前に運び出されて、そこで祭りがおこなわれる。法隆寺は、舎利を太子と関係させて、一緒に供養しなければならない理由があるのであろうか。太子はなぜ舎利とそんなに深い関係をもっているのであろう。

これらの「謎の提起」は、法隆寺に関するこれまでの多数の観察事実にもとづいて疑問点や問題点を整理し、調査・研究の課題を明確にしたものです。つまり、課題設定をしたわけです


2.『資財帳』を読む -あらたな事実を発見する-
著者はつぎのようにのべています。

1970年の4月のある日であった。私は何げなく天平19年(747)に書かれた法隆寺の『資財帳』を読んでいた。

そこで私は巨勢徳太(こせのとこた)が孝徳天皇に頼んで、法隆寺へ食封(へひと)三百戸を給わっているのを見た。巨勢徳太というのは、かつて法隆寺をとりかこみ、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)はじめ、聖徳太子一族二十五人を虐殺した当の本人ではないか。

その男が、どうして法隆寺に食封を寄付する必要があるのか。

こうして、あらたな事実を発見しました。


3.あたらしい仮説に気がつく
そして、つぎの仮説に気がつきました。

法隆寺は、太子一族の虐殺者たちによって立てられた鎮魂の寺ではないか。

私はその仮説に到達したときの魂の興奮を忘れることが出来ない。法隆寺が聖徳太子一族の鎮魂のための寺であるとしたら。この仮説をとるとき、今まで長い間謎とされてきた、私にとっても長い間謎であった法隆寺の秘密が一気にとける思いであった。


4.仮説を検証する
その後、あたらしい仮説を検証する作業に入りました。

私がその仮説に到達した日から、私は改めて法隆寺にかんする多くの文献をよみあさり、何度か現場へ行って、自分の眼でそれをたしかめたのである。不思議なことは、ちょうど、磁石に金属が向こうからひっついてくるように、法隆寺にかんする多くの事実が向こうから私の仮説のまわりにひっついてきたのである。法隆寺に関するすべての謎が、私の仮説によって、一つ一つ明瞭に説明されてくるのであった。

仮説検証の結果は、第三部「真実の開示」にくわしく記述されています。


■ 問題解決の過程
以上の過程をまとめると次のようになります。

1. 課題設定 → 2. 情報収集 → 3. 仮説形成 → 4. 仮説検証

これは、問題を解決するときの基本的な過程です。


■ 課題設定が重要である
本書は、問題解決のためには、課題設定がいかに重要かをおしえてくれています。最初が肝心です。課題設定をしっかりしないで成果をいそぐと失敗します。

課題設定は、これまでの経験・体験にもとづいて主題(テーマ)を決め、疑問・問題・調査項目を書きだし、問題意識をとぎすますステップです。ここでは、事実に根差した思考をし、体験をともなった情報をとりあつかい処理します。
  • 主題を決める
  • 疑問・問題を書きだす
  • 調査項目を書きだす

この作業は簡単なように見えますが、問題解決をすすめるうえでもっとも重要な最初のステップであり、課題設定をしっかりしておかないと、情報のジャングルでまようことになります。

課題設定のためには、まずは、自分が心底すきな分野、本当に興味のある分野の勉強からはじめるのがよいです。ほかの人にいわれたことや必要にせまられたとことからではなくて。


■ もっとも多くの事実を説明する仮説
また、仮説について著者は次のようにのべています。

真理とは何であるかを、一言説明しておく必要があろう。

それはもっとも簡単で、もっとも明晰な前提でもって、もっとも多くの事実を説明する仮説と考えて差支えないであろう。

ここで注意することは、著者の梅原さんは、まず、事実(データ)をおさえて、そして仮説をたてたのであり、最初に仮説があって、その既存仮説にデータをあわせたり、仮説にあうデータだけをさがしたのではない点です。

ひらめきや発想が生まれてくる一例がここに見られます。
 

文献:梅原猛著『隠された十字架 -法隆寺論-』新潮文庫、1981年4月26日


日本仏教の基礎をきずいた平安仏教の両雄、最澄と空海について、両者を比較しながら論じています。

著者は、最澄は円的人間、空海は楕円的人間という人間モデルを提出しています

要点をピックアップします。

善行の積み重ねによる成仏を説く最澄、自然神との一体の即身成仏を説く空海。二人の教えは現代人の心の危機を救う。

彼らは、山が好きです。奈良時代の仏教は都会仏教ですが、平安時代から山岳仏教といって山を根拠地とする仏教に代わります。

円的人間と楕円的人間という新しい人間類型論を提出したいと思う。

円的人間とは、その人生に一つの中心をなす原則があり、その原則に従ってその人間の行為が一元的に説明できる人間である。最澄という人間はまさに円的人間の代表で、彼の行為はすべては彼の中心原理、つまり純粋な求道心ですっきり説明ができる。

ところが、空海という人間はそう簡単には説明できない。どうも中心点が二つあるのではないかと思われる。一つは彼の世俗的意志である。彼は非常に豊かな才能をもっている。空海の人格のもう一つの中心は、孤独を愛し、隠遁を欲する意志である。世俗的成功を収めた空海とはまったくちがった空海がここにいる。

つまり空海は、二つの中心点をもつ楕円的人格をもった宗教家だった。この相矛盾する二つの焦点が互いに対立し、互いに引き合いながら、そこに円的人間では考えられないような巨大な行為の軌跡を生む。そういう楕円的人格をもった人間によってはじめて巨大な事業が可能ではないか。あるときには、現世的意志が勝ち、あるときには遁世的意志が勝ち、人格は大きく揺れながらそこにバランスを保つ。


上記をモデルにあらわすと以下のようになります。 

140525 最澄のモデル
 図1 最澄のモデル
 

 140525 空海のモデル
図2 空海のモデル


モデルとは、ものごとの本質のみをあらわす図像であり模式図です

モデルには、多種多様な情報を統合し、さらに、あらたな情報をひきよせる力があります。また、何か行動をおこすときには、よくできたモデルをとりだし、それをモデルにして行動するとうまくいきます

情報処理能力のたかい人は、単純明快なよくできたモデルを心のなかにもっているものです。

著者の梅原猛さんご自身も、日本国政府をうごかして国際日本文化研究センターという国立の組織を創設したとき、「楕円的人間」である空海をモデルにして行動したのだろうということが本書をよんで十分に想像できました。

情報を言語だけでとらえるのではなく、多種多様な情報を単純明快なモデルに統合してとらえることは重要なことです。

常日頃から、よくできたモデルをさがす努力をし、また、多種多様な情報に接したとき、みずからモデルをえがいてみる練習をするとよいでしょう。


文献:梅原猛著『最澄と空海 -日本人の心のふるさと-』(小学館文庫)小学館、2005年6月1日 


人気ミステリードラマ『刑事コロンボ』は、ミステリー史上にのこる不朽の傑作です。アメリカでは1962年から、日本では1972年から放映されました。
 
わたしは、この『刑事コロンボ』を長年研究しており、下記のウェブサイトを運営しています。

このサイトでは、「キーイメージ」「犯行の動機」「コロンボはいつどこでピンときたか」「犯行を裏付ける事実」「コロンボはいかにして決着をつけたか」の観点から、旧シリーズ全45作について解説をしています。
 
刑事コロンボはいつもすぐれた推理をしており、コロンボからは、特に、仮説形成の方法をまなぶことができます。情報処理や問題解決をすすめるうえで、仮説形成あるいは仮説をたてることは非常に重要なことです。

興味のある方は是非ご覧ください。
▼ 推理と対決 -『刑事コロンボ』研究 -
tanokura.net/columbo 






▼ NHK/BSプレミアムでも放送しています(毎週土曜日)
nhk.or.jp/columbo
 

文化発展に関する仮説を提唱している本です。川喜田二郎がしてきた仕事を時系列でたどりながら、仮説を形成していく過程をよみとることができます。

KJ法にとりくんだことがことがある方で、川喜田の半生の概要をてっとりばやく知りたい方にもおすすめできる本です。

川喜田は、パターンとして生きざまとして確立した文明としてつぎの7つの文明をあげています。
中国文明、ヒンドゥー文明、チベット文明、イスラーム文明、ビザンチン文明、ラテン文明、西欧文明があります。これら7つの文明は気候帯とほぼ一致します。また、独自の大宗教(高等宗教)と結びついているのが特色です。

こうして、まず、環境と人間と文明に関して大観し、地球の大局をつかんでいます。

これを踏まえて、つぎに、フィールドワークとアクションリサーチに入ります。具体的な地域としては、日本の東北地方(北上山地)とヒマラヤ山村を選択しています。ここで、KJ法をつかって情報収集とそのまとめをおこない、地域性について理解していきます。

そして最後に、文明と地域の両者を踏まえて、「文化発展の3段階2コース説」という仮説を提唱しています。これは、文化は、素朴から文明へと発展するものであり、「素朴→亜文明→文明」と「素朴→重層文化→文明」という2コースがあるとする説です。

詳細につきましては本書をご覧いただきたいとおもいますが、ここでは、仮説形成には3つのステップがあることを協調しておきたいとおもいます。

(1)グローバルにとらえる
(2)地域を研究する
(3)仮説を立てる

(1)では、地球を大観し大局をつかみます。これが、仮説形成のための前提になります。

(2)では、具体的な地域を個別に調査・研究し、データをあつめ、現場の事実をおさえます。

(3)前提と事実を踏まえ、仮説を発想します。

このように、前提→事実→仮説という3つのステップを踏んで仮説は形成されます。

ひとつのおなじ前提に立っていても事実がちがえば仮説もことなります。また、事実がおなじでも前提がことなれば仮説もことなってきます。たとえは、おなじ事実を目の前にしても、世界観(前提)がことなるために、仮説もことなるというのはよくあることです。

他人の仮説をみるときも、自分が仮説をたてるときも、前提と事実をしっかりおさえなければなりません。


文献:川喜田二郎著『環境と人間と文明と』古今書院、1999年6月3日
 
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仮説を形成することは発想法のなかでもとくに本質的な行為です。

哲学者の梅原猛さんは、縄文人がつくった土偶について大胆な仮説をうちだしています(注)。仮説をいかに形成するかという点で参考になります。


縄文時代の土偶は縄文文化のかがやかしき遺物ですが、それが何を意味するのかは謎でした。梅原さんは、まず、すべての土偶に共通する事実を枚挙し、つぎのようにまとめました。


1「土偶は女性である」
2「土偶は子供を孕んだ像である」
3「土偶は腹に線がある」
4「土偶には埋葬されたものがある」
5「土偶はこわされている」


そして、これらにもとづいて次のような考察をしました。


1と2から、土偶は、子供の出産にかかわっているものであると考えられる。

3から、 妊娠した女性が死んだとき、腹を切って胎児をとりだしたのではないだろうか。

4から、死者の再生をねがって埋葬したのではないだろうか。

5から、あの世はこの世とあべこべの世界であるという思想にもとづいて、この世でこわれたものはあの世では完全になるのであるから、こわれた土偶はあの世へおくりとどけるものとしてつくられたのではないだろうか。 土偶は死者を表現した像であり、死者の再生の願いをあらわしていると考えられる。土偶の閉じた目は再生の原理を語っている。


以上から、「妊娠した女性が死んだとき、腹を切って胎児をとりだし、その女性を胎児とともに土偶をつけて葬ったのではないか」となり、そして最後に、土偶は、「子をはらんだまま死んだ妊婦と腹の子をあわれんでの、また、再生をねがっての宗教的儀式でつかわれた」という仮説を形成しました。

このように、土偶の謎をときあかすためには、すべての土偶に共通する事実を枚挙し、それらの事実すべてを合理的に説明しうる仮説をかんがえればよいわけです。

梅原さんは、仮説形成の仕事をつねにしています。仮説形成の観点から梅原さんの著作に注目していきます。


▼ 注
梅原猛監修『縄文の神秘』(人間の美術1)学習研究社、1989年11月3日(初出)
梅原猛著『縄文の神秘』(学研M文庫)学研パブリッシング、2013年7月9日
 
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東京国立博物館特別展「出雲 -聖地の至宝-」(古事記1300年 出雲大社大遷宮)を見ました。

『古事記』のなかの重要な事件の一つとして「オオクニヌシの国譲り」があります。哲学者の梅原猛さんは、「大量の青銅器が地中に埋められていたのは、『国譲り』の代償に巨大な神殿を得てそこに祀られることになったオオクニヌシの魂を鎮めるためのもの」(注)という仮説をのべています。出雲の地をたずねてみて、神話がまさに事実であったことをまざまざと実感したそうです。

この鎮魂説により古代史がよく見えてきます。多様なデータに基づいて仮説を立てることが重要です。

注:『出雲 古事記のふるさとを旅する』(太陽の地図帖)平凡社、2012年1月22日発行。
参考文献:『特別展「出雲 -整地の至宝-」』(図録)東京国立博物館/島根県立古代出雲歴史博物館編集、2012年。

森アーツセンターギャラリー(東京、六本木ヒルズ森タワー52階)で、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が開催されている(注)。

本展は、一年に一度一カ国にだけ展示される、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の直筆ノート「レスター手稿」を日本初公開し、万能の天才がえがいた自然観・宇宙観を読みときながら、レオナルドののこした科学と芸術の足跡を最新のデジタルメディアを駆使した展示空間で再現するという企画である。

第一展示室に入ると、レオナルドの研究成果の概要が紹介されている。レオナルド・ダ・ヴィンチというと、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」といった絵画が有名なため、偉大な芸術家といったイメージがつよいが、レオナルドは芸術だけでなく、天文学・地球物理学・水力学・建築土木など科学技術者としても大きな業績をのこしている。

奥の部屋には、直筆ノート「レスター手稿」の概要が紹介されている。レオナルドは、自身の研究の記録を「手稿」とよばれる手帳やノートにのこしており、その数は3800枚、8000ページ以上にものぼる。ここに展示されている「レスター手稿」とは、そういった中の一部であり、長い間、英国の貴族レスター卿が所蔵していたためにこのようによばれる。現在は、アメリカ・マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長夫妻が所有する。

「レスター手稿」は、レオナルドの晩年、1505年、1507~1508年に書かれ、その後も加筆がおこなわれており、彼の研究の集大成として位置づけられている。また、そのすべてが「鏡面文字」で書かれており、鏡にうつすことでただしい文字として読めるようになっている。

第二展示室に入ると、「レスター手稿」全18枚、72ページの実物がすべて展示されている。保存状態を維持するために、室内は暗くされ、手稿をてらす照明も一定時間ごとに光量がおちるようになっている。1枚1枚バラバラに展示されているため、全ページを見ることができる。その紙葉は、1ページが縦29.5、横21.8センチメートル(ほぼA4版)であり、多くに、チューリップの花その他を型どった透かし模様がみとめられる。

手稿内で言及されている実験件数は905件、挿図は383図におよぶ。その内容は、天文、地球の内部構造、河川・湖水・海洋の水に関する観察の三分野からなっている。

天文では、太陽・地球・月の間の主として光に関する相互関係、すなわち、太陽光線による地球・月の間と光と影の問題などをとりあつかっている。第1紙葉表には、「地球から太陽までの距離を最初に証明し・・・地球の大きさを見つけたのは、私である事を記録する」という加筆がある。

地球の内部構造では、山頂からながれる水脈、また、丘陵から発掘される貝殻の問題などをあつかい、貝殻の化石は、旧約聖書の「ノアの洪水」によるものではなく、海底の隆起による現象として説明している。

河川・湖水・海洋の水に関しては、ながれる水とそこにおかれた障害物とがえがく渦巻きに注目し、障害物の大きさと形態による変化する水がえがく波紋などについてとりあつかい、堤防の構築、護岸工事の問題にまで言及している。

第三展示室では、レオナルドの工学的業績、年表、その他の手稿のファクシミリ版が展示されている。最後には、レオナルドが自然探求の成果をいかに絵画の中にとりいれたかについて映像で解説している。レオナルドは、自然の理を知らずに自然をえがくことはできないとし、「芸術は科学である」ととなえ、研究成果のすべてを芸術にいかした。たとえば、自然の観察は「モナ・リザ」の背景に、水の波紋の観察は「最後の晩餐」に。「最後の晩餐」では、イエス・キリストの声が、使徒たちとの晩餐の空間に同心円状に “波紋” をひろげていく(伝播していく)様子をえがいているという。

展示室を出るとミュージアム・ショップになっており、「レスター手稿」のすべてについて解説された図録、レオナルドの生誕地や「レスター手稿」・絵画などを収録したDVD、『ダ・ヴィンチ・コード』など、すでに出版されているレオナルドに関する著作などが販売されている。

このように今回の特別展では、「レスター手稿」の展示を中核にして、レオナルドの業績の概要が短時間でつかめるように工夫されている。

近代科学の祖は一般にガリレオ=ガリレイ(1564~1642)とされるが、レオナルドは、実験によって命題の真偽を実証し、現象を定量的にとらえようとした点においてガリレオの先駆けであり、近代科学の開拓者であったといえる。重要なことは、レオナルドが、自然現象を観察しながら自然の本質をとらえようとしたところにある。つまり、自然のうわべの現象だけを見るのではなく、その奥にかくされた原理や法則を解明しようとした。これは、自然や標本を記載し分類していただけの従来の博物学とはあきらかにことなるアプローチであり、ここに、博物学をのりこえ、近代科学へむかって第一歩をふみだしたレオナルドの足跡を見ることができる。そのような意味ではレオナルドは博物学者ではなく科学者だったのある。

また、レオナルドは地球を一つの天体とかんがえていた。レオナルドは、さまざまな分野に関する科学的研究を一本にまとめ、個々の分野が有機的なつながりをもった一つの世界像をえがきだそうとした。そして「芸術は科学である」とし、科学的研究の成果のすべてを芸術にいかした。つまり、レオナルドの分析的な科学研究は、人間と自然についてのグローバルな世界観の構築をめざしたものであったのである。そもそも、レオナルドが生きたルネサンス時代は、自然界すなわちこの世界に存在するありとあらゆる物について、人間が自分の目で観察し、自分の頭でかんがえることをはじめた時代であった。

こうして見てくると、レオナルドは、博物学をのりこえた近代科学の開拓者であると同時に、近代科学の先にあるグローバルな世界観を展望していたということがよくわかってくる。さらに、レオナルドの生涯を通して、博物学から近代科学をへて一つの世界観を構築するという、三段階の探求の方法や歴史が存在することを知ることもできる。

今日、レオナルドが晩年に「レスター手稿」を書いてから500年が経過した。この500年間の近代科学の進歩はいちじるしいものであった。そして人類は今、近代科学の成果をふまえてグローバルな世界観を構築しようとしている。私たちはまさに、「三段階」の過程をふみしめて進歩してきているのであり、ここに、現代において、レオナルドの業績を再認識する大きな価値をみとめることができる。


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問答形式で議論を展開する - レオナルド・ダ・ヴィンチ展 -
三次元を表現する -「レオナルド x ミケランジェロ」展(三菱一号館美術館)-
環境や背景・時代・場所をとらえる -「天才 その条件を探る」(ナショナル ジオグラフィック 2017.5号)-

▼ 注
レオナルド・ダ・ヴィンチ展:2005年11月13日まで、森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)

▼ 参考文献
裾分一弘・片桐頼継・A.ヴェッツォージ監修『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』(図録)、TBSビジョン・毎日新聞社発行、2005年。


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