発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

カテゴリ: 問題解決

千葉市、幕張メッセ・国際展示場で開催されている「宇宙博2014」を見ました(会期:2014年9月23日まで)。宇宙開発の技術博覧会であり、人類の宇宙開発の歴史を模型(一部実物)を通して知ることができした。

会場は、「人類の冒険」「NASA」「JAXA・日本の宇宙開発」「火星探査」「未来の宇宙開発」などのエリアにわかれ、約9千平方メートルの広大なフロアに約500点が展示されていて迫力がありました。

140909 宇宙博2014
会場マップ&音声ガイドリスト


人類の宇宙開発の歴史の概要はつぎのとおりです。

 1957年 世界初の人工衛星・スプートニク1号うちあげ(旧ソ連)
 1959年 ルナ2号、初の月面到達(旧ソ連)
 1961年 ガガーリンがボストーク1号で大気圏外へ(旧ソ連)
 1969年 アポロ11号が月面着陸。アームストロング船長が初の月面第一歩(米国)
 1976年 火星探査機バイキングが火星到着(1975年うちあげ、米国)
 1977年 探査機ボイジャー1号、2号うちあげ(米国)
 1981年 スペースシャトル・コロンビア初うちあげ(米国)
 1998年 国際宇宙ステーション建設開始(2011年完成)
 2005年 はやぶさがイトカワ到着(2003年うちあげ、2010年帰還、日本)
 2012年 火星探査機キュリオシティが火星到着(2011年うちあげ、米国)
 2012年 ボイジャー1号が太陽系を脱出(米国)


IMG_1347アポロ月着陸船
アポロ月着陸船


IMG_1343アポロ月面車
アポロ月面車


IMG_1354司令船
アポロ司令船と帰還時につかったパラシュート


IMG_1351月から見た地球
月から見た地球(地球も天体の一つにすぎない)


IMG_1361火星
火星探査機キュリオシティ


IMG_1366
未来の宇宙船ドリームチェイサー


■ 月面への第一歩
宇宙開発のなかで最大の偉業は1969年7月20日人類の月到達です。月着陸船は、重量を軽くし、安全性を高めるために何度も改良されました。最初の課題は、コックピットの窓と座席の重量でした。最終的には宇宙飛行士は立ったまま飛行し、小さな三角形の窓で視界を確保することにしました。また、月着陸船をささえる脚の数にも変更がかさねられました。3本がもっとも軽い形状ですが、1本が破損すると安定性がうしなわれ、5本だと安定しますが重量が大きくなります。結局、4本で決着しました。


■ 歴史的転換をもたらす
人類による宇宙開発の歴史は人類が宇宙へと活動領域をひろげていく過程であり、人類が活動空間を大きくひろげて宇宙へ進出したことは、人類の歴史的な転換となりました

一方で人類は、地球も、宇宙のなかの天体のひとつにすぎないことを認識し、地球は小さな存在になりました。地球が小さくなることによってグローバル化(全球化)がもたらされました。宇宙開発の歴史は、グローバル化の歴史でもあったのです

会場には、月から見た地球の写真も展示されていました。この情景に、人類の歴史的な転換が圧縮されています。人類は、月に到着したことによりひとつの「分水嶺」をこえたのです


■ イメージ体験をする
宇宙にでて、みずからの空間を一気にひろげて、一瞬にして全体を見てしまい、対象を小さくしてしまう。技術革新は人の世界観も転換していきます。宇宙博を利用すればこのようなイメージ体験をすることができます。これは、山を一歩一歩のぼっていくような、情報をひとつひとつつみあげて認識していく作業とは根本的にことなる体験です。

なお、スペースショップに行くと公式ガイドブック(2200円)を売っています。はじめに、スペースショップに行って、公式ガイドブックの見本を見て概要をつかんでから各展示を見た方が効率よく理解がすすむとおもいます。



▼ 参考書
立花隆著『宇宙からの帰還』中公文庫、1985年7月1日

『世界の旅行記101』は、古今東西の代表的な旅行記101を9章にわけて概説しています。人類がどのように地球を旅行し探検し、地球を認識してきたかをたどることができます。

古今東西、旅行記はとてもたくさんあるので、まず本書を見て、興味を感じる本があったら原書にあたるという方法をとるとよいとおもいます。

以下の旅行記の概要が掲載されています。

I ギリシア・ローマ旅行記
 1 歴史
 2 アナバシス
 3 ガリア戦記
 4 エリュトゥラー海周航記
 5 ギリシア案内記

II 東洋旅行記
 6 インドの不思議
 7 旅路での出来事に関する情報の覚書
 8 モンゴル旅行記
 9 東方見聞録
 10 イブン・バットゥータ旅行記
 11 コンスタンチノープル征服記
 12 東方案内記
 13 東洋遍歴記
 14 朝鮮幽因記
 15 熱河日記
 16 中国訪問使節日記
 17 朝鮮・琉球航海記
 18 ペルシャ放浪記
 19 紫禁城の黄昏

III 大航海時代
 20 ギネ―発見征服誌
 21 航海日誌
 22 ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海記
 23 新世界
 24 最初の世界一周航海記
 25 ペルーおよびクスコ地方征服に関する真実の報告
 26 パナマ地峡遠征記
 27 新大陸自然文化史

IV 宗教と旅
 28 仏国記(法顕伝)
 29 大唐西域記
 30 南海寄帰内法伝
 31 入唐求法巡礼日記
 32 行歴抄
 33 日本巡察記
 34 天正遣欧使節記
 35 日本史
 36 東方伝道史

V 探検の時代
 37 世界周航記
 38 太平洋探検
 39 世界周航記
 40 ビーグル号航海記
 41 暗黒大陸
 42 ユア号航海記
 43 世界最悪の旅
 44 西太平洋の遠洋航海者
 45 中央アジア踏査記
 46 さまよえる湖
 47 コン・ティキ号探検記
 48 悲しき熱帯

VI 紀行文学
 49 旅日記
 50 モーツァルトの手紙
 51 フランス紀行
 52 イタリア紀行
 53 ある旅行者の手記
 54 ライン河
 55 赤毛布外遊記
 56 オランダ・ベルギー絵画紀行
 57 アンコール詣で
 58 サハリン島
 59 ジャック・ロンドン放浪記
 60 デルスー・ウザーラ
 61 私のアメリカ発見
 62 アフリカの緑の丘
 63 ソヴィエト旅行記

VII 外国人と日本人
 64 海東諸国記
 65 セーリス日本航海記
 66 海游録
 67 江戸参府旅行日記
 68 江戸参府随行記
 69 ベニョフスキー航海記
 70 江戸参府紀行
 71 ペルリ提督日本遠征記
 72 江戸と北京
 73 日本奥地紀行
 74 日本旅行日記

VIII 日本人の旅行記 - 江戸時代まで
 75 伊勢物語
 76 土佐日記
 77 十六夜日記
 78 韃靼漂流記
 79 東海道名所記
 80 おくのほそ道
 81 東遊雑記
 82 江戸旅日記
 83 北槎聞略
 84 東西遊記
 85 江漢西遊日記
 86 東韃地方紀行
 87 管江真澄遊覧記
 88 秋山紀行
 89 島根のすさみ
 90 蕃談
 91 西游草

IX 日本の旅行記2 - 近代以降
 92 特命全権大使・米欧回覧実記
 93 南嶋探検
 94 赤松則良半生談
 95 チベット旅行記
 96 あめりか物語
 97 満韓ところどころ
 98 三千里
 99 日本アルプス
 100 支那游記
 101 海南小記


人類の旅行史・探検史の全体像を知るうえで貴重な一冊です。特に、その地域に最初の一歩をしるし、あたらしい世界を記述した旅行記はパイオニアワークとして大きな価値があります。

人類は、既知の領域から未知の領域へと旅をする存在であるととらえることもできます。人類は旅行や探検をし、またそれを記述することでみずからの空間をひろげてきました。このような、空間をひろげる歴史を知ることはとても大事なことです


文献:樺山紘一編『世界の旅行記101』新書館、1999年10月5日
世界の旅行記101 (ハンドブック・シリーズ)

川喜田二郎著『野性の復興』は川喜田二郎最後の著書であり、川喜田問題解決学の総集編です。

目次はつぎのとおりです。

序章 漂流する現代を切り拓く
1章 「創造性の喪失」が平和の最大の敵
2章 「情報化の波」が管理社会を突き崩す
3章 問題解決のための「方法」と「技術」
4章 生命ある組織作り
5章 今こそ必要な「科学的人間学」の確立
6章 「文明間・民族間摩擦」を解決する道
7章 「晴耕雨創」というライフスタイル
8章 野性の復興


要点を引用しておきます。

解体の時代が始まっている。解体の原因は、この世界が、いのちのない諸部品の複雑な組み立てと運動から成り立っていると見る世界観にある。わたしはそれを「力学モデル」、あるいは「機械モデル」の世界観と呼んでみた。

デカルトこそが、機械モデルの世界観の元祖なのである。

個人よりも大きな単位、たとえば家族・親族集団・村落・学校・企業・国家・民族などもまた、生きていると言える。全人類、全生物界も、またそれぞれ生き物だと言える。つまり、「生命の多重構造」を認める立場がある。

ホーリスティックな自然観に共鳴する。

生き物の本性は問題解決にこそある。創造的行為とは、現実の問題解決のためにこそある。

文明五〇〇〇年(狭くは二五〇〇年)の間、秩序の原理であった権力が、今やガタガタになってきた。それに代わって、情報が秩序の原理になる徴候が、世界中至るところに兆し始めてきた。

伝統体の発生のほうが根本原理であり、動植物などの「いわゆる生き物」は、その伝統体の現れの一種と考える。

読み書きの能力を英語でリテラシーと言うように、これからの時代には、「情報リテラシー」がきわめて大切だ。加えて、データベースの運用方式を開発することである。

情報の循環こそ、いのちを健全化するカギである。

自分にとって未知なひと仕事を、自覚的に達成せよ。それには、問題解決学を身につけること、そうして自覚的に達成体験を積み重ねるのがいちばんよい。


以上をふまえ、わたしの考察を以下にくわえてみます。

1. 未知の問題を解決する - 創造的行為 -
本書でのべている創造的行為とは「問題解決」のことであり、特に、未知な問題にとりくみ、それを解決していく過程が創造的な行為であるということです。

その問題解決のためには、「情報リテラシー」と「データベース」が必要であるとのべています。「情報リテラシー」は情報処理能力、「データベース」はデータバンクといいかえてもよいです。情報処理とデータバンクは情報の二本柱です。

したがって、情報処理をくりかえし、データバンクを構築しながら未知の問題(未解決な問題)を解決していくことが創造的行為であるわけです。



2. 情報処理の主体を柔軟にとらえると階層構造がみえてくる
ここで、情報処理をおこなう主体は個人であってもよいですし、組織であっても民族であってもよいです。あるいは、人類全体を主体ととらえることも可能です。1990年代後半以後、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をおこなう存在になりました。そして、地球全体(全球)は巨大な情報処理の場(情報場)になりました(図)。


140825 人類と地球

図 人類全体を情報処理の主体とみなすこともできる
 

このように、情報処理をおこなう主体は個人に限定する必要はなく、個人にとらわれることに意味はありません。個人・集団・組織・民族・国家・人類のいずれもを主体としてとらえることが可能であり、柔軟に主体をとらることがもとめられます。このような柔軟な見方により「生命の多重構造」(階層構造)が見えてきます



3. 主体と環境と情報処理が伝統体を生みだす
そして、主体が、よくできた情報処理を累積しながら問題を解決し、創造の伝統をつくったならば、その主体とそれをとりまく環境がつくりだすひとつの場(情報場)はひとつの「伝統体」となります

個人・集団・組織・民族・国家などのいずれもが「伝統体」を形成する可能性をもっており、あるいは、人類を主体とみた地球全体(全球)がひとつの「伝統体」になってもよいのです。



4. 伝統体を階層的にとらえなおす
このようにかんがえてくると、主体と環境と情報処理から「伝統体」が生まれるということを、むしろひとつの原理とみなし、その原理が「生命の多重構造」として階層的にあらわれている(顕在化してくる)という見方ができます。

「伝統体」とは生き物のようなものであるというせまい見方ではなく、いわゆる生き物は「伝統体」のひとつのあらわれ、生物も「伝統体」の一種であるという見方です。つまり、「伝統体」は、階層的に、さまざまな姿をもってあわられるという仮説です。ここに発想の逆転があります。

川喜田が最後に提唱したこの「伝統体の仮説」はとても難解であり、理解されない場合が多いですが、上記の文脈がいくらかでも理解のたすけになれば幸いです。

キーワードを再度かきだすとつぎのようになります。

創造、問題解決、情報処理、データバンク、主体、環境、情報場、階層構造、伝統体



5. 速度と量によりポテンシャルを高める
上記のなかで、情報処理とデータバンクを実践するための注意点はつぎのとおりです。

情報処理は、質の高さよりも処理速度を優先します。すなわち、できるだけ高速で処理することが大切です。質の高さは二の次です。

また、データバンクは、質の高さよりも量を優先します。すなわち、大量に情報を集積します。質の高さは二の次です。

情報の本質は、まず、速度と量であり、これらにより情報場のポテンシャルを高めることができます。このことに注目するとすぐに先にすすむことができます


▼ 文献
川喜田二郎著『野性の復興 デカルト的合理主義から全人的創造へ』祥伝社、1995年10月10日


川喜田二郎著『創造と伝統』は、文明学的な観点から、創造性開発の必要性とその方法について論じています。



I 創造性のサイエンス
 はじめに
 一、創造的行為の本質
 二、創造的行為の内面世界
 三、創造的行為の全体像
 四、「伝統体」と創造愛

II 文明の鏡を省みる
 一、悲しき文明五〇〇〇年
 二、コミュニティから階級社会へ
 三、日本社会の長所と短所

III 西欧近代型文明の行き詰まり
 一、デカルト病と、その錯覚
 二、物質文明迷妄への溺れ

IV KJ法とその使命
 一、KJ法を含む野外科学
 二、取材と選択のノウハウ
 三、KJ法と人間革命

V 創造的参画社会へ
 一、民族問題と良縁・逆縁
 二、情報化と民主化の問題
 三、参画的民主主義へ
 四、参画的民主主義の文化

結び 没我の文明を目指せ


本書の第I章では「創造的行為とは何か」についてのべています。第Ⅱ章と第Ⅲ章では「文明の問題点」を指摘しています。第Ⅳ章では「問題解決の具体的方法」を解説しています。第Ⅴ章と結びでは「あたらしい社会と文明の創造」についてのべています。


■ 創造的行為とは何か
「創造とは問題解決なり」であり、「創造とは問題解決の能力である」ということである。

創造は必ずどこかで保守に循環するもので、保守に循環しなければ創造とは言えない

「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤 → 本然(ほんねん)」が創造における問題解決の実際の過程である。これは、「初めに我ありき」のデカルトの考えとはまったく異なっている。

創造的行為の達成によって、創造が行われた場への愛と連帯との循環である「創造愛」がうまれてくる。これが累積していくと、そこに「伝統体」が生じる。「伝統体」とは、創造の伝統をもった組織のことである。


■ 文明の問題点
文化は、「素朴文化 → 亜文明あるいは重層文化 → 文明」という三段階をへて文明に発展した。

文明化により、権力による支配、階級社会、人間不信、心の空虚、個人主義、大宗教などが生まれた。

デカルトの考えを根拠とする、西欧型物質文明あるいは機械文明は行き詰まってきた。


■ 問題解決の具体的方法
現代文明の問題点を改善するための具体的方法としてKJ法を考え出した。

KJ法は、現場の情報をボトムアップする手段である。

現場での取材とその記録が重要である。


■ あたらしい社会と文明の創造
今、世界中で秩序の原理が大きく転換しようとしている。秩序の原理が権力による画一化と管理によって働いてきたのであるが、今や情報により多様性の調和という方向に変わってきた。

多様性の調和という秩序を生み出すことは、総合という能力と結びついて初めて考えられる。

人間らしい創造的行為を積みあげていくことで「伝統体」を創成することになる。

創造的行為は、個人、集団、組織、そして民族、国家、それぞれの段階での、環境をふくむ「場」への没入、つまり「没我」によってなされるのである。

「没我の文明」として、既成の文明に対置し、本物の民主主義を創り出すことを日本から始めようではないか。




1. 情報処理の場のモデル

ポイントは、情報処理の概念を上記の理論にくわえ、情報処理を中核にしてイメージをえがいてみるところにあります。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)をくわえることにより、情報処理をおこなう主体、その主体をとりまく環境、主体と環境の全体からなる場を統合して、つぎのイメージえがくことができます(図1)。そして、情報処理の具体的な技法のひとつとしてKJ法をとらえなおせばよいのです。

140822 場と主体
図1 主体と環境が情報処理の場をつくる


図1のモデルにおいて、主体は、個人であっても組織であっても民族であってもよいです。人類全体を主体とみることもできます。環境は、主体をとりまく周囲の領域です。場は、主体と環境の全体であり、それは生活空間であっても、地域であっても、国であってもかまいません。地球全体(全球)を、情報処理のひとつの場としてとらえることも可能です。

図1のモデルでは、主体は、環境から情報をとりいれ(インプットし)、情報を処理し(プロセシング)、その結果を環境(主体の外部)へ放出(アウトプット)します。

このような、主体と環境とからなる場には、情報処理をとおして、情報の流れがたえず生じ、情報の循環がおこります。



2. 問題解決(創造的行為)により場が変容する

創造とは問題解決の行為のことであり、問題解決は情報処理の累積によって可能になります。よくできた情報処理を累積すると、情報の流れはよくなり、情報の循環がおこり、問題が解決されます。これは、ひと仕事をやってのけることでもあります。

そして、図1のモデル(仮説)を採用するならば、この過程において、主体だけが一方的に変容することはありえず、主体がかわるときには環境も変わります。つまり、情報処理の累積によって主体と環境はともに変容するのであり、場の全体が成長します。



3. 没我

情報処理は、現場のデータ(事実)を処理することが基本であり、事実をとらえることはとても重要なことです。間接情報ばかりをあつかっていたり、固定観念や先入観にとらわれていたりしてはいけません。

このときに、おのれを空しくする、没我の姿勢がもとめられます。場に没入してこそよくできた情報処理はすすみます。
 


4. 伝統体が創造される

こうして、情報処理の累積により、主体と環境とからなるひとつの場が成長していくと、そこには創造の伝統が生じます。伝統を、創造の姿勢としてとらえなおすことが大切です。そして、その場は「伝統体」になっていきます。それは創造的な伝統をもつ場ということです。

「伝統体」は個人でも組織でも民族であってもかまいません。あるいは地球全体(全球)が「伝統体」であってもよいのです。



5. 渾沌から伝統体までの三段階

すべてのはじまりは渾沌です(図2A)。 これは、すべてが渾然と一体になった未分化な状態のことです。次に、主体と環境の分化がおこります(図2B)。そして、図1に見られたように情報処理が生じ、 情報の流れ・循環がおこります。情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの「伝統体」になります(図2C)。
 


140822 創造の三段階

図2 渾沌から、主体と環境の分化をへて、伝統体の形成へ
A:創造のはじまりは渾沌である。
B:主体と環境の分化がおこる。情報処理が生じ、情報の流れ・循環がおこる。
C:情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの伝統体になる。


A→B→Cは、「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤の克服 → 本然(ほんねん)」という創造の過程でもあります。客体とは環境といいかえてもよいです。

これは、デカルト流の、自我を出発点として我を拡大するやり方とはまったくちがう過程です。我を拡大するやり方では環境との矛盾葛藤が大きくなり、最後には崩壊してしまいます。



6. 情報処理能力の開発が第一級の課題である

『創造と伝統』は大著であり、川喜田二郎の理論はとても難解ですが、図1と図2のモデルをつかって全体像をイメージすることにより、創造、問題解決、デカルトとのちがい、物質・機械文明の問題点、伝統体などを総合的に理解することができます。

今日、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をする存在になりました。そして、地球はひとつの巨大な情報場になりました。

上記の図1のモデルでいえば、地球全体(全球)がひとつの巨大な場です。その場のなかで、人類は主体となって情報処理をおこなっているのです。

そして、図2のモデルを採用するならば、こらからの人類には、よくできた情報処理を累積して、諸問題を解決し、創造の伝統を生みだすことがもとめられます。

したがって、わたしたちが情報処理能力を開発することはすべての基本であり、第一級の課題であるということができます。



▼ 文献
川喜田二郎著『創造と伝統』祥伝社、1993年10月
創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る

▼ 関連記事


IMG_0238

東京富士美術館で開催中の「発明王 エジソン展」を見ました。エジソンの発明品の中で白熱電球と蓄音機と映写機にスポットをあて、バンダイ・エジソンコレクションから厳選した約100年前の発明品約100点を都内初公開したものです(会期:2014年8月31日まで)。


トーマス=アルバ=エジソン(1847~1931)は、三大発明と言われる、蓄音機(1877)、白熱電球(1879)、キネトスコープ(映写機・1891)を発明しました。生涯になしとげた発明は通信・音・光・映像・エネルギー・家電製品と広範にわたり、取得した特許はあわせて1093件、まさに「発明王」とよぶにふさわしい実績をのこしました。


■ 白熱電球がライフスタイルを変えた
展示の中で特に印象にのこったのは白熱電球です。エジソンは1879年、木綿フィラメントを使用した白熱電球を発明しました。10月21日には40時間の点灯に成功し、この日はのちに「明かりの日」になりました。その他、電灯の配電盤・計量器などの多くの関連品も発明しました。

電球の発明により、人々は、日没後も活動をつづけることが可能になり、ライフスタイル(生活様式)の大きな変化がおこりました。技術革命がライフスタイルを変えていく代表例です

技術革命は、その後、産業を革新し、社会制度の変革をもたらし、さらに人々の価値観の転換もひきおこしました。


■ 好奇心がつよかった
エジソンは、小さいときから好奇心が人一倍つよかったそうです。そのために、小学校では落ちこぼれのレッテルをはられ、3ヵ月で退校、以後は、母・ナンシーとともに百科事典を教科書にしながらまなび、柔軟で創造性にあふれた発想の仕方を身につけました。

発想の前提には感性があり、感性をみがき感動を継続していくことが情熱がそだてられ、数々の発明を生み出すことが可能になりました。

感性 → 感動・情熱 → 発明
(インプット)→(プロセシング)→(アウトプット)

また、専門分野に拘束されることがなかったことも発明のためには必要なことでした。自由は何物にもかえがたいということです。

「引き寄せの法則」とそのつかい方についてとてもわかりやすくコンパクトに解説している入門書です。

目次はつぎのとおりです。

1章 「引き寄せの法則」とは何か?
2章 あなたを作り上げているもの
3章 あなたは何者?
4章 感情が鍵となる
5章 自分が望むことに焦点を当てる
6章 豊かさに見合った波動を生み出す
7章 目的と情熱に満たされた人生
8章 夢を明らかにする
9章 引き寄せの法則を生かす
10章 肯定的暗示
11章 ビジュアリゼーション(観相)
12章 態度を変えれば人生が変わる
13章 祈りと瞑想
14章 行動
15章 信じる


要点を引用しておきます。

外の世界で起こる出来事を変えたければ、まず心の持ち方を変えなければならない。

あなたは自分が焦点を当てるものを何でも自分の人生に引き寄せる。あなたがエネルギーを注いだり、注意を向けたりするものは何でも、あなたのところに戻ってくるのだ。

引き寄せの法則は、「自身と似たものを引き寄せる(類は友を呼ぶ)」という原理を通して働く。

この法則がどのように働くかを理解することが、成功するための基本的な鍵となる。

あなたがどんなエネルギーを生み出そうが、ただそれに反応し、同じ性質のものをあなたにもたらすのだ。

自分の思考や感情をコントロールすることによって、意識的に自分の未来の創造に参加できる。

プラス思考は肯定的なエネルギー波動を送り出し、人生により多くの肯定的体験を引き寄せる。

逆に、嫌な出来事や不快な気持ちにさせる人に心を奪われれば、同じように嫌な出来事や不快な人間があなたの人生に招き寄せられるのだ。 

顕在意識はわたしたちの心のほんの一部を占めているにすぎない。

あなたの潜在意識は顕在意識よりはるかに広大である。あなたが意識的に選ぶ限界以外、潜在意識はいかなる限界も知らない。あなたの自己イメージや習慣は潜在意識の中に居座っている。

潜在意識はきわめて強力であり、わたしたちを行きたいところにすみやかに連れていってくれる力をもっている。驚くべきスピードとパワーを備えた潜在意識をうまく活用できるようになれば、引き寄せの法則を通して望みのものを引き寄せ、人生の目標に一段と近づくことが可能になるだろう。

あなたが出す波動の状況によって、望みのものを引き寄せられるかどうかが決まるので、感情をできるだけ肯定的に保つことが肝心である。そのためには、喜び、愛、幸福感、ウキウキした気分、満足感、安堵感、自身、感謝、リラクセーション、平安といった感情を味わえる機会をたくさん作らなければならない。

否定的な人間を裁こうとしてはならない。衝突を避け、自分の態度を肯定的に保ち、衝突したときには、感情的に巻き込まれないようにする。

自分が人生に引き寄せたいものに、もっぱら焦点を当てるようにするのだ。

あなたが好きなことは、情熱を傾けられることをやっていれば、宇宙は自動的に引き寄せの法則を通してそれに応え、あなたをあらゆる方法で支えてくれる。

目標を具体的にはっきりさせる。


以上にもとづいて、ビジョン・ブック、肯定的な暗示、ビジュアリゼーション、感謝の日記、瞑想、祈りなどについて、例題を参考にして具体的実践的にとりくんでみるのがよいでしょう。

この本の特徴はわかりやすいことにあります。内容が高度でも複雑な場合は混乱をひきおこしてしまいますが、本書は単純明快です。本書を活用すれば心のなかを整理することができます。

まずは、自分のビジョンを、単純明快な図式(イメージ)にしてみるのがよいでしょう。


▼ 文献
ジャック・キャンフィールド&D・D・ワトキンス著『ジャック・キャンフィールドの「引き寄せの法則」を生かす鍵』PHP研究所、2008年4月7日
Original Title: Jack Canfield’s Key to Living the Law of Attraction
ジャック・キャンフィールドの「引き寄せの法則」を生かす鍵


▼ 関連ブログ
想起訓練からビジョン形成へ 〜DVD『ザ・シークレット』〜
イメージによい感情をこめる 〜ロンダ=バーン著『ザ・パワー』〜
エピソードから問題解決のヒントをつかむ 〜『こころのチキンスープ』〜

DVD『赤ちゃんの不思議』では、赤ちゃんの誕生から、最初の一歩をふみだすまでの成長過程を科学的に解明し紹介しています。

チャプターリストはつぎのとおりです。

1.イントロダクション
2.人生初めての呼吸
3.誕生当初の危機
4.将来備わる本能
5.ニューロンの発達
6.学習で得られる能力
7.驚くべき脳の柔軟性
8.失われる能力
9.顔と表情の識別
10. 最初の一歩への準備
11. 言語の獲得
12. クレジット


要点はつぎのとおりです。

新生児の脳は、環境に適応することによりつくりあげられる驚異の学習装置です。

鍵をにぎるのは神経細胞ニューロンです。各ニューロンはシナプスとよばれる接合部で電気的に情報を伝達します。生後1年で脳の大きさは2倍以上に生長します。脳の成長はニューロンの活発な結合によるものです。

体をうごかすごとに、ある結合はつよめられ、そのほかは退化していくのです。

未成熟な状態こそ、周囲の世界から学習する能力を人間にもたらしているのです。

人間の場合、一定の本能はそなわっているものの、行動の大半は学習によって身につけます。

周囲の環境が脳の配線を決定するのです。

新生児の脳には並はずれた柔軟性があり、周囲の環境に適応すべくみずから神経を配線しなおす能力をもちます。 

さまざまな能力を獲得する発達過程で、赤ちゃんがうしなってしまう特性もあるのです。 

母国語に接する機会が増えるにつれ、赤ちゃんの脳はその言語に適応し、ほかの言語を聞きわける感性は消えていくのです。

重要なのは、赤ちゃんがことなる環境に適応していくことです。


■ 獲得する能力と退化させる能力がある
注目点は、赤ちゃんには、獲得する能力がある一方で、退化させる能力もあるということです。

これは環境に適応するためです。環境とは、赤ちゃんをとりまく周囲の状況すべてのことです。赤ちゃんは、生まれた家庭や地域あるいは国などに適応するように成長していくのです。

赤ちゃんは大きくなるにつれて、環境に適応するために必要な能力は身につけ、適応に必要ない、あるいは適応のために有害な能力は退化させます。つまり、赤ちゃんの成長とは適応することであり、もって生まれた潜在能力のすべてを開発するということではないのです。いいかえれば能力開発よりも適応の方が優先されているということです。

これは、適応こそが、生きていくための本質的な営みになっていることをしめしています。生きることの基本は、環境に適応することであり、そのことが赤ちゃんの成長から読みとれるのです。


■ 赤ちゃんと環境はひとつのシステムになっている
赤ちゃんと環境はひとつのシステム(系)をつくっていて、そのなかで赤ちゃんは情報処理をおこないながら成長します(図)。赤ちゃんが、刺激をうけたり見たり聞いたり体験したりするのは情報のインプットです。 情報を処理し脳が成長するのはプロセシングです。泣いたり笑ったりうごいたり、成長して言葉をしゃべるのはアウトプットです。


140812 赤ちゃん-環境系

図 赤ちゃんと環境は一体になって情報処理をおこなっている


環境とのやりとりにあわせて、開発する能力と退化させる能力が選択されま
す。情報処理は適応のために環境ににあわせて発展します。

つまり、成長とか能力とかは、赤ちゃんだけで決まることではなく、環境と一体になって決まります。おなじ赤ちゃんであっても環境がことなれば能力はちがってくるわけです。

このように、赤ちゃんだけをとりだして成長とか能力とかを論じることはできず、成長や能力は、〔赤ちゃん-環境〕系の全体の働きとしてとらえた方がよいのです。赤ちゃんと環境と情報処理をセットにして体系的に理解することが重要です。


DVD:『赤ちゃんの不思議』日経ナショナルジオグラフィック社、2009年

川喜田二郎著『日本文化探検』は、日本文化を中核にして民族と世界について考察し、人々の創造性を開発することの必要性について論じています。

目次はつぎのとおりです。

北地の日本人
南海の日本人
生活様式の改造
山と谷の生態学
神仏混淆
「コドモ」と「オトナ」
パーティー学の提唱 - 探検隊の教訓から -
カンのよい国民
カーストの起原 - 清潔感をめぐる日本文化の座標 -
労働と人間形成
慣習の国
民族解散
文化の生態学 - ひとつの進化論の試み -
日本文化論 - 丸山真男氏の所論にふれて -
世界のなかの日本
民族文化と世界文化


今回は、方法論の観点から重要な最終章「民族文化と世界文化」についてとりあげてみたいとおもいます。要点を引用してみます。

「地球が小さくなり、狭くなり、一つになりつつある」というとき、それは世界的な一個の文化が形づくられつつあることを意味する。これを「世界文化」と呼んでおこう。

現代が有史以来はじめて世界文化の形成を許しはじめたことを、深く信ずる。けれども、そのゆえをもって、地方的特殊的な文化は否定されていくものだろうか。後者を以下「民族文化」と呼んでおこう。

世界文化と民族文化とは、互いに他を強めあい、自らを成り立たせていかねばならないものである。

民族文化の多様な個性のうえに、じつは世界文化の健やかな創造も強化されるというものである。

今までの民族文化は三つの部分に分かれる。
第一は、機能を失い、あるいは有害ですらあるために「消滅する部分」。
第二は、すくなくとも有害でなく、あるいはその民族に関するかぎり有益であるため「残存する部分」。
第三は、世界文化へと「上昇発展する部分」である。
日本民族について例をあげれば、徳川封建時代の士農工商の階級制は消滅した部分。
日本人の米食習慣とか家族形態とかは、変容しながらではあるが残存した部分。
華道とか柔道とかは上昇する部分である。

創造性、それは低開発諸国民にとっても援助する側にとっても、離陸(発展)のための手段であるのみならず、また福祉目標のなかにも入るべきものであろう。

低開発の新興独立諸国は、多くの留学生を欧米や日本に送っている。これら留学生諸君の勉学態度には、勉学するとはすなわち進んだものを受容し習得することであるとする「受けいれ姿勢」が多く、「創りだす姿勢」が欠けている。あたかもそれに応ずるかのように、母国で始まった近代的学校教育でも、日本の比ですらないほどに棒暗記主義のような受けいれ姿勢のやり方ばかりがはびこるのである。

自国の文化に対しては、これを「過去」を見る眼でしか捉えていない。そしていたずらにその過去なる伝統に執着するか、あるいはまた過去の否定にのみ進歩があると見ている。すでにつくられてきた伝統のなかに、いかに未来を創るさいに活用できる社会制度や精神や風習があるかを読みとろうとしない。

民族文化の重要性とは、単に地方的環境に適した特殊性の「残存」という点だけにあるのではないということ。これに加えるに、「上昇」を通じて世界文化の創造に対して、豊かな泉のひとつを加えるということ。


今日、グローバル化が進行し、人類は「世界文化」を構築しはじめたということは誰もがみとめることでしょう。

しかし、その「世界文化」がひろがる一方で、民族紛争が世界各地で多発してしまっているというのが現在の状況です。ニュースを見ていると悲惨な衝突があとをたちません。

「世界文化」と「民族文化」の矛盾を解消し、両者を両立させることはできるのでしょうか。

川喜田は、創造によってのみそれが可能だとのべています。

そのためには、まず、先進国の人々は、先進的な近代技術・近代文明を、開発途上国の人々に一方的におしつけるのはやめて、そこでくらす人びとの文化の独自性を尊重し、民族文化の多様性をみとめなければなりません

その一方で、その地域でくらす人びとは、自分たちの独自の伝統文化をまもるだけではなく、今日の時代の潮流に呼応して、あたらしい民族文化あるいは地域文化を積極的につくっていく、創造していく姿勢をもたなければなりません文化は、伝統に根差しつつも創造していくものととらえなおすのです。


川喜田は、民族文化を色こくのこす開発途上国における問題点の一例として、近代的学校教育についてとりあげ、そこでは、棒暗記の「受けいれ姿勢」の勉強ばかりになってしまっていることを指摘しています。

創造というと抽象的でわかりにくいかもしれませんが、その基礎は、人間がおこなう情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)にほかならず、創造するとは、よくできたアウトプットをしていくことです。

つまり、棒暗記の「受けいれ姿勢」とは、インプットばかりをやっていて、プロセシングとアウトプットがないということです。

わたしも開発途上国で長年仕事をしてきて、近年ふえてきた近代的な学校において、生徒・学生たちが棒暗記(情報のインプット)ばかりして点数をかせぐことに集中していることはよく知っています。しかしこれは、日本でも似たようなことがいえます。

そこで、情報処理の仕組みをよく教育し、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕のすべてにわたるバランスのよい訓練をすることが必要です。そもそも、情報処理はインプットだけではおわらず、アウトプットまでやって完結するのですから。


「世界文化」と「民族文化」の問題と、情報処理とが何の関係があるのだろうかとおもう人がいるかもしれませんが、民族文化あるいは地域文化の創造をとおして世界文化にも貢献するという文脈において、情報処理能力の開発がどうじても必要だということになるのです。

「世界文化」と「民族文化」は簡単には解決できない人類にとっての歴史的問題です。このような歴史的観点からも情報処理をとらえなおすことには大きな意味があり、情報処理能力の開発が人類の第一級の課題になっていることを読みとることはとても重要なことです。


▼ 文献
川喜田二郎著『日本文化探検』講談社、1973年3月15日


好評上映中の映画『ビヨンド・ザ・エッジ - 歴史を変えたエベレスト初登頂 -』(エベレスト初登頂60周年記念作品)を見ました。

▼ 映画『ビヨンド・ザ・エッジ - 歴史を変えたエベレスト初登頂 -』


1953年5月29日、エドモンド=ヒラリーとテンジン=ノルゲイ(イギリス隊)が、 標高8848メートル、世界最高峰エベレストの初登頂をなしとげました。 本作は、当時の記録映像と再現ドラマによって、彼らの姿を克明におった本格的山岳ドキュメンタリードラマです。

 
エドモンド=ヒラリーらがヒマラヤに足をふみいれる前に、エベレストを征服しようと15回もの真剣な試みがすでになされていましたが、それらすべてが失敗におわり、13人がエベレストの斜面で命をおとしていました。

イギリス隊は、1921年に偵察隊をおくって以来、過去6度にわたり登頂失敗をくりかえしてきました。

1949年、ネパール側ルートが開通、列強が参入しはじめます。

1952年、スイス隊が登頂直前という記録をのこしました。

1953年、イギリス隊が挑戦。この機会をのがせば数年間はエベレストにちかづくことはできないという状況でした。

本作のメッセージにもあるように、未知の領域に人類が足をふみいれることは、人類の歴史を変えることであり、あらたな歴史をつくることです。それはパイオニアワークであり、人びとに大きな感動をもたらします。パイオニアワークだからこそ名声や評価をこえた感動があるのです。

いいかえると、2回目以降はパイオニアワークではなく、2回目以降に、おなじエベレストにのぼっても、のぼった人の自己満足はあっても、歴史は変えられず、感動ももたらしません。ここに、パイオニアワークとその理解のむずかしさがあります。


当時、人類は、地球第一の極である北極、第二の極である南極はすでに踏破し、そして地球最後の「極」(エベレスト)をめざしているという状況でした。これは、地球探検の歴史をつくりだしていく過程でした。

本作は、イギリス隊の当時の様子をかなり正確に、そして3D映像としてよみがえらせていてとても感動的です。エベレスト初登頂に興味のある方にとっては必見の映画でしょう。


▼ 関連記事
探検がフィールドワークに発展する 〜今西錦司編『大興安嶺探検』〜
未知の領域への人類の旅をたどる ~ 樺山紘一編『世界の旅行記101』~
南極点をめざした「地上最大のレース」 - 本多勝一著『アムンセンとスコット』-


▼ 参考文献
本多勝一著『日本人の冒険と「創造的な登山」』(ヤマケイ文庫)
本書を読むと、初登頂とパイオニアワークの意味について理解できます。

大ヒット上映中の『GODZILLA ゴジラ』を見ました。

▼ 映画『GODZILLA ゴジラ』公式サイト

1954年にゴジラが日本で誕生して今年で60年、日本が世界にほこる"キング・オブ・モンスター"「ゴジラ」が、ハリウッドの超一流スタッフ・キャストによって現代によみがえります。ギャレス=エドワーズ監督は、オリジナルへの敬意をはらい、文明批判や自然への畏敬の念という原点のテーマを最新技術で再構築したそうです(注)。


物語は、富士山のそばにある原子力発電所の大事故からはじまります。

東日本大震災、福島第一原発事故を連想させるシーンがつづきます。「3.11」をへて、わたしも「ゴジラ」を見る目ががらりと変わりました。

人類は、自然を支配しコントロールできると誤解して、自然からエネルギーをとりだそうとしますが、失敗、大災害がふりかかりまます。自然をコントロールできると錯覚した人類の傲慢さに警鐘がならされます。


しかし、それ以上に本作で印象的なのは、人類が、まったく無力な存在としてえがかれていることです。

芹沢博士(渡辺謙)の弱々しさ、存在感のなさ、
「なんだこの学者、いったい何をやっているんだ」
と最初のうちは感じましたが、そういうことだったのです。

人類は、怪獣と、怪獣同士の戦いを見あげておびえていただけではないですか。何の問題解決もできず、まったく無力な存在でした。



注(文献): Pen (ペン) 2014年 7/15号「ゴジラ、完全復活!」
誕生秘話から全28シリーズ、最新作を紹介・解説、ゴジラの歴史について簡潔にまとめられています。

▼ 『ゴジラ』第1作もあわせて見ると理解がすすみます

140804b

図 仮説発想の野外科学と仮説検証の実験科学


川喜田二郎著『発想法』の第I章では「野外科学 -現場の科学-」についてのべています。

この野外科学とは、地理学・地質学・生態学・人類学などの野外(フィールド)を調査・研究する科学にとどまらず、仮説を発想する科学として方法論的に位置づけられています。仮説を発想することは発想法の本質です。

野外科学によりいったん仮説が発想されると、今度は、実験科学の過程によって仮説の検証をしていきます

つまり、野外科学は仮説を発想するまでの過程、実験科学はそのごの仮説を検証する過程であり、両者がセットになってバランスのよい総合的なとりくみになります(図)。

何かをしようとするとき、意識するしないかかわらず、既存の仮説を採用したり、固定観念にとらわれてしまっていることがよくあります。これは実験科学だけをやっているということになります。これですと、やっぱりそうだったかと確認はできても、あらたな発見が生まれにくいです。

そこで、野外科学の精神にしたがって仮説をみずから立ててみることをおすすめします。そのためにはつぎのようにします。

 1.課題を明確にする
 2.情報収集をし、似ている情報をあつめて整理する
 3.「・・・ではないだろうか」とかんがえる


仮説を生みだす野外科学は実験科学や行動の母体にもなります。 

自分がたてた仮説がただしいかどうかはあとで検証すればよいのです。仮説をたてると推論ができたり想像もふくらみます。仮説を検証する方法は、それぞれの専門分野でよく発達している場合が多いので、それを積極的につかってもよいです。


▼ 文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)1967年6月26日

IMG_0199

写真 ナウマンゾウの化石

東京・上野の国立科学博物館で開催されている「太古の哺乳類」展を先日みました。日本で発掘された化石を通して、哺乳類の進化と絶滅についてまなぶことができました(会期:2014年10月5日まで)。

▼ 国立科学博物館「太古の哺乳類」展

▼ 太古の哺乳類展(特設サイト)


本展は、約1億2000万年前から1万年前までに日本に生息し、今では絶滅して見ることのできない数々の哺乳類を多角的に紹介する展覧会です。会場では、おとなとこどもの全身復元骨格3体を「家族」と見立てたナウマンゾウや、日本で発掘され世界的に有名になったパレオパラドキシアの化石標本など、貴重な標本約170点が展示されていました。これだけの規模・内容で、日本の太古の哺乳類を紹介した特別展は世界でもはじめてだそうです。

会場に行くと、フロアーマップをくれるのでそれを見ながら見学するとよいです。よりくわしくまなびたい人は音声ガイドも利用するとよいです。

展示会場は、下図のように7つのセクションにわかれています。

140717 太古の哺乳類展

図1 フロアーマップ



1.会場全体は「家」、セクションは「部屋」
展示会場全体は「家」、セクションは「部屋」であるとイメージしてあるいていきます

第1室 恐竜とともに生きた哺乳類(約1億2000万〜6600万年前)
第2室 繁栄のはじまり(約5000万〜3400万年前)
第3室 “巨大大陸”の時代(約2300万〜1700万年前)
第4室 日本海と日本列島の成立(約2500万〜1500万年前)
第5室 デスモスチルス類の世界(約2800万〜1200万年前)
第6室 ゾウの楽園(約530万〜50万年前)
第7室 ナウマンゾウの世界(約35万〜2万年前)
第8室 大型哺乳類の絶滅(約3万年〜1万年前)

各部屋に配置されている化石とそれに関する情報をイメージとして記憶していきます。



2.各部屋を想起する
一通り見おわったら休憩室にいって、フロアーマップを見ながら、各室に、どのような化石が展示されていたか、どのような解説がなされていたかを、第1室から順番におもいだしていきます。化石のみならず解説文(言語)もイメージとしておもいだすことがポイントです。どこまで正確に想起できるでしょうか。

音声ガイドをつかった人は、それにくわえて、音声ガイドリストにでている作品スト(1番〜17番)のそれぞれが、会場のどの部屋に展示されていたかもおもいだします。

140717 太古の哺乳類展

表 音声ガイド 作品リスト

空間的なイメージとして想起することがポイントです。



3.ゾウに注目する
本展は、とてもたくさんの化石を展示していて、また、解説が専門的でわかりにくいと感じるかもしれません。そのような場合は、ゾウに注目するとよいです。何といってもゾウは哺乳類の「王者」であり、その大きさや堂々とした様子は感動的で印象にのこりやすいです。

展示会場の全体を見おわったら、ゾウの部屋(第6室、第7室)にもう一度いってみます

特に注目すべきは、第7室のナウマンゾウ(約35万〜2万年前)です。こんなに大きなゾウが日本にもいたというのはおどろきですが、世界的にゾウが繁栄していた時代がかつてはあったようです。

ゾウ(長鼻類)はアフリカ大陸を起源とし、アフリカからユーラシア大陸に放散し、日本にもわたってきました。

しかしいまでは、アフリカと南アジア〜東南アジアにしかいなくなり、いちじるしく生息数を減らして、観光地ではたらかされているアジア象の姿などをみると、進化における繁栄と衰退の現実をまのあたりにします。

地球は、約100万年前(第四紀更新世の中頃)以降は、寒冷な氷期と、温暖な間氷期とが交互にくりかえす時代となり、氷期には海面がさがって、日本列島と大陸が陸続きになる一方、間氷期には海面があがって日本列島と大陸がきりはなされました。日本列島が大陸とつながったりきりはなされたりしたことにともなって、ことなる時代にことなる種類のゾウが日本にわたってきて、その中でもっとも繁栄したのがナウマンゾウでした。

ここでも強調しているように、生物の進化は、生物だけを見ていてわかることではなく、生物をとりまく自然環境にも同時に注目し、主体である生物と、それをとりまく環境の全体を一体のものとしてとらえることが大事です。生物と環境は一つの有機的なシステムになっているのです。

140804 生物-環境系
図2 生物(主体)と環境は一つのシステムをつくっている
 




 
このようにして、展示会場全体を見てから、あらためてゾウの部分をくわしく見なおすと、今まで以上に全体がよく見えてきます全体を見て、部分をみると、全体がよくわかるということです。全体と部分とを往復していると発想もうまれやすくなります。

140804




▼ 参考文献


般若心経についてわかりやすく解説した入門書です。

隅寺(すみでら)とは、現在の奈良海龍王寺(かいりゅうおうじ)のことであり、このお寺は、わがくに最初の本格的な写経所で、『隅寺心経』とはこの写経所で書写された「般若心経」をさします。

本書は、見開き2ページにそれぞれ一句をわりあてて、視覚的にもとてもわかりやすく解説しています。
 

IMG_1282



1.全体像をつかむ
まず、本書の全ページを一気に読んで般若心経の全体像をつかみます。

2.ページをパッとひらいて一句を味わう
そして、デスクのわきなどに本書をつねにおいておき、ちょっとした休憩時間に、仕事に一区切りがついたときに、アイデアがでなくていきづまったときなどに、どのページでもよいのでパッとページをひらいて、そこにのっている一句を今度はじっくり味わいます。 問題解決のためのヒントがえられるかもしれません。

3.全体の中の位置を確認する
その一句の意味を、左ページにのっている現代語でとらえるとともに、般若心経全体のなかのどこに位置しているか、空間的な配置を確認します。般若心経の全文は本書の最初に現代語訳とともに掲載されています。

それぞれの一句と般若心経全体、これら局所と大局の両者をとらえることが大切です。要素と構造といってもよいです。このようなことをしていると、それぞれの意味とは、空間的な構造のなかの位置(配置)のことでもあることもわかってきて、これは記憶法や心象法、心の整理にも通じます。


 



わたしは本書を、東京芸術大学美術館で開催された「法隆寺 - 祈りとかたち -」展のミュージアムショップで見つけました。本書をパッとひらいて見て、これは役だつと感じました。

何かを学習しようとするときにどのような教材をつかうか、教材えらびはとても大事です。教材は、第一に視覚的に見てわかりやすものを選択するのがよいです。


▼ 参考文献
立松和平監修『日本最古 隅寺版 紺地金泥般若心経』(小学館文庫)小学館、2002年1月1日



《プラハの春》音楽祭に、日本人指揮者・小林研一郎が大抜擢されたことで話題になった、連作交響詩《わが祖国》全曲演奏をライブ収録したDVDです。

《プラハの春》音楽祭は、チェコの作曲家・スメタナの命日である5月12日に、スメタナ作曲《わが祖国》の演奏で幕をあけます。2002年のオープニングコンサートでは、ヨーロッパ人以外でははじめて小林研一郎が指揮者として大抜擢となり、「日本人初の快挙」と報道されました。

スメタナは「チェコ国民楽派」の祖として知られ、 愛国心とチェコ民族独立の意志を音楽のなかにこめて作曲しています。

このような民族色ゆたかな個性的な音楽を、しかも《プラハの春》オープニングコンサートにおいて外国人(ほかの民族)が指揮するだけでも話題になりますが、そのような民族や人種をこえて大きな感動をあたえる演奏になっています。

すぐれた音楽には普遍性があり、民族の個性をこえて万人に理解され受けいれられることをみごとにしめしているといえるでしょう。個性と普遍性とは高い次元では決して矛盾しないことをおしえてくれます


DVD:スメタナ作曲『連作交響詩〈わが祖国〉』小林研一郎指揮&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、2002年「プラハの春」音楽祭オープニングコンサート・ライブ(2002年5月12日、プラハ、スメタナ・ホールに収録)


フィールドワークのデータにもとづいて「騎馬民族倭人連合南方渡来説」を発想し、ヒマラヤ・チベットと日本とのつながりについて論じた本です。

目次はつぎのとおりです。

1 珍しい自然現象
2 生物の垂直・水平分布とその人間環境化
3 諸生業パターンが累積・融合した地域
4 ネパール盆地の都市国家
5 相似る自然・文化地理区の特性をいかした相互協力
6 文化の垂直分布とその原因
7 ヒマラヤ・チベットの人間関係諸相
8 素朴な民族の生態
9 チベット文明の生態系
10 文明の境界地域の持つ特異性と活動性
11 ネパールの宗教文化はユーラシアに広くつながる
12 ヒマラヤ・チベットと日本をつなぐ文化史
13 アムールランド文化の日本への影響
14 生命力の思想 - 霊の力を畏れる山地民 -
15 ヒマラヤが近代化に積極的・科学的に対応する道


方法論の観点からみて重要だとおもわれることをピックアップしてみます。

フィールドで得た材料から大いにイマジネーションを働かし、さまざまな仮説を導き出すことを重要視した方がよい。

人間が土地とつきあって生まれてきたものが文化なのである。

人間は在る物を見るのはたやすいが、そこに何が欠けているかを見ることはむずかしい。この欠けている物に気づくということが必要なのである。

物事の欠点ばかり見ずに長所も見ろ。

自然現象について考える際には、普段の状態だけで万事を類推するのでなく、カタストロフィーともいうべき異常事態を考慮した説をもう少し重要視してもよい。

森林一つでも、文化の背景でいかに捉え方が違うか。

これからの科学には、近視眼でメカニズムだけを解明するのでなく、複合的諸要因のかもしだす、息の長い判断をも行う道が、痛切に求められていくだろう。


著者は、「騎馬民族倭人連合南方渡来説」をとなえ、チベット・ヒマラヤと日本は意外にもつながっているとのべています。

「騎馬民族倭人連合南方渡来説」とは、西暦紀元前後、ユーラシア大陸北方に出現・膨張した騎馬民族が南下してチベットへ、さらにベンガル湾まで達し、その後、倭人と連合して東南アジアから海岸線を北上、日本まで到達したという説です。こうして、チベット・ヒマラヤは日本とつながっていて、文化的にも共通点・類似点が多いという仮説です。

本書には、ヒマラヤ・チベット・日本についてかなり専門的なことが書かれており、ヒマラヤやチベットの研究者以外にはわかりにくいとおもいますが、フィールドワークによってえられる現場のデータにもとづいて、自由奔放に仮説をたてることのおもしろさをおしてくれています


▼ 文献
川喜田二郎著『ヒマラヤ・チベット・日本』白水社、1988年12月

140723 現代の過渡期モデル

現代は、領土国家の時代(帝国の時代)がおわりつつあり、グローバル社会の時代へと移行しつつある過渡期にあたっています。この過渡期がいわゆる「近代化」であるという見方もできます。

この過渡期は、まず工業化(工業のステージ)が先行し、それに情報化(情報産業のステージ)がつづいています。1990年代に、工業化から情報化への主要な大転換がおこり、現在は、情報技術革新が急激にすすみ、世界中で情報化が進行しているといった状況です。

このようにみると、わたしたちが現在おかれている歴史的な位置は、〔領土国家の時代から、グローバル社会の時代へ〕と〔工業化から、情報化へ〕という二重の大転換期のなかに位置するとかんがえることができ、上図のような歴史モデルをイメージすることができます。

過去の歴史的な大転換期、たとえば、〔都市国家の時代→領土国家の時代〕の状況はどのようであったかと見なおしてみるとと、それはだいたい戦国時代でした。転換期・過渡期は不安定な混乱期です

この過去の歴史的転換期から今日を類推するならば、すんなりと簡単につぎの時代に移行できるとはとてもかんがえられません。

今回の転換期(近代化)ではどうかと見てみると、人類は、世界大戦をすでに2回おこないました。戦争の規模が大きくなってきています。また近年は、世界各地で民族紛争が多発しています。最近のニュースをみていると、あらたな対立がつぎつぎに生まれているようです。今回の転換期においてもしばらくは混乱がつづくものと予想されます。情報化は問題を解決できるでしょうか。

情報化の社会にあって情報処理にとりくむとき、このような歴史的な位置づけも重要な意味をもってきます

まず必要なことは、一人一人が情報処理能力を身につけることでしょう。そして、その能力を高める訓練をしていくことが大切でしょう


ソニーという日本の世界企業から、グーグルというアメリカの世界企業へ転職しためずらしい人物の体験談です。2つのことなる大企業の対比をとおして、時代の大きな転換を読みとることができます。

目次はつぎのとおりです。

第一章 さらばソニー
第二章 グーグルに出会う
第三章 ソニーからキャリアを始めた理由
第四章 アメリカ留学
第五章 VAIO創業
第六章 コクーンとスゴ録のチャレンジ
第七章 ウォークマンがiPodに負けた日
第八章 グーグルの何が凄いのか
第九章 クラウド時代のワークスタイル
第十章 グーグルでの日々
第十一章 グローバル時代のビジネスマインドと日本の役割

要点を書きだしてみます。

一九九五年、社長が大賀さんから井出伸之さんに代わった。

社長も、前年、二〇〇〇年六月に出井さんから安藤さんに代わっていた。新設されたカンパニーのプレジデントには何人かの若手が抜擢されたが、私もその中の一人だった。

ソニーは、トリニトロンというソニーの歴史を作り上げて来た優れたCRT技術で圧倒的に強いテレビ事業を継続して来た。CRT時代の終焉は、まさに死活問題であった。

ビジネスの常、世の常であるが、あまりにも強いポジションを確保し過ぎると、逆にそれが大きな足枷になって次の勝負で大敗を喫する事例は枚挙にいとまがない。

本質的に私が問題だと感じたのは、結局テレビグループでは、テレビの定義があくまでも「受像機」ということであり、それ以上の発想がないように思えたことだ。

「ソニーショック」二〇〇三年四月の決算発表で、ソニーの想定外の業績悪化が明らかになった。

二〇〇五年六月、出井さんや安藤さんなど、当時の執行部が一斉に退陣した。

ソニーを変える、という自分の強い思いを実らせることは、残念ながら遂に出来なかった。

二〇〇六年三月三一日に、私は、二二年間勤めたソニーを辞めた。

二〇〇七年四月一六日、グーグルに入社した。

グーグルはすべてが新鮮であった。ソニー時代にさんざん苦労したネットの中に新しい収益源を見つけ出す、というテーマは、グーグルにあってはごくごく日常の話でもあり、ソニー時代にあんなに苦労したことがまったく嘘のようだった。

二〇%ルールというものがある。これは、持ち時間の二〇%は本業以外のテーマに使うことを奨励するものである。

グーグルの全容を表現しようとすれば、「クラウド・コンピューティングの世界を構築する会社」と定義するのが最もふさわしいと思う。

ウェブの世界では、まずやってみることが大事。それでユーザーが支持してくれればそれでよく、ダメならばすぐに撤退すればいい。大事なのはスピードである。そのためには、カジュアルさが不可欠なのだ。

インターネットの世界では、スピードが最も重要で、やるリスクよりやらないリスクのほうが高い。

楽しみながら仕事をする術を知っている人が強い。


■ 工業化から情報化へ転換した
本書でのべられている、ソニーからグーグルへという流れは、著者の転身であると同時に、製造業(工業)から情報産業への時代の転換もあらわしています。ソニーは製造業の企業ですが、グーグルは情報産業の企業です。本書のなかにでてくるアップルも情報産業の企業です。
 
この意味では、商品競争とか勝負とかいうまえに、ソニーとグーグルとでは、そもそものっている「土俵」がちがったのです。時代は、高度情報化へとすでに大きく転換しました。

この高度情報化という大転換の背景にはグローバル化という世界の潮流があります

グローバル化は、まず、工業のステージ(工業化)が先行し、 それに、情報産業のステージ(情報化)がつづきました。1990年代に、情報化への主要な大転換がおこったとかんがえてよいでしょう。したがって、ソニーとグーグルはそれぞれことなる2つのステージの見本とみなせます。

140725 工業化情報化

ちかごろ、近年のソニーの経営陣らのことをわるくいう評論家がいますが、時代の潮流の大きな転換があった以上、誰がやってもむずかしかったのではないでしょうか。ふるい骨格がのこったまま改革するのは困難でしょう。

本書は、観念的・抽象的にではなく、ご自身の具体的な実体験をとおして時代の大転換についておしえてくれます。実際の仕事をしていない評論家の単なる論評とはちがいます。


■ 情報はまずスピードである
グーグルに転職して著者は重大な発見をしました。「大事なのはスピードである」とのべています。

情報化時代における仕事(情報処理)は、まず第一にスピード、すなわちできるだけ速くやることが重要です。質の高さを求めるのは二の次です。完璧を期して着実にゆっくりやるのではなく、7〜8割のできでも速くやった方がよいのです。そのためには常にカジュアルでなければなりません。
 
本書のなかで著者ものべているように、このような面で、日本人の完璧主義は大きな欠点となっています。たとえば、ハイビジョンとかハイファイの開発といった質の高さを追求する仕事はあとまわしにすべきなのです。発想の転換が必要です。 

情報化社会における仕事(情報処理)は速くやる(速くアウトプットする)ことを最優先にしなければなりません。非常な重大な指摘を著者はしています。


▼ 文献
辻野晃一郎著『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』新潮社、2011年5月27日




▼ 関連記事
ビジョンをえがき、全体をデザインし、自分らしいライフスタイルを生みだす - 映画『スティーブ・ジョブズ』-



140721 課題と仮説
図 課題をめぐる情報収集から、仮説の検証へ

高度情報化時代になり、膨大な情報のなかから必要な情報をどのように収集すればよいか、その方法が重要になってきました。

情報の収集にあたっては2つのことなる場面があり、これらを明確に区別してとりくむことが大切です。ポイントは課題と仮説にあります

まず、自分がとりくみたい課題を明確にします。そして、知りたいこと、興味があることなど、課題をめぐり360度の視角から幅広く情報をあつめます。時間のゆるすかぎりたくさんあつめるようにします。

この情報収集の作業をつづけていると、あるとき、「・・・ではないだろうか」「・・・かもしれない」と何かをおもいつく瞬間があります。これが仮説の発想です

仮説をおもいついたら、仮説から何が想像できるか、自由に想像してみます

そして今度は、その想像した結果が事実かどうか確認をするのです。確認できれば仮説の確からしさは高まります。確認できずまちがっていれば仮説をたてなおします

このように、課題をめぐる情報収集は360度の視角から幅広く情報をあつめるのがよく、それに対して仮説の検証では、仮説から想像されることに目標をしぼって情報をねらいうちするようにします。 課題をめぐる情報収集では課題から周辺へひろがって「円的」に情報をあつめるのに対し、仮説にもとづくねらいうちの調査は「線的」な作業になります(図)。

課題をめぐる情報収集から、仮説の検証へという2つのことなる場面を意識的に区別して情報をとりあつかうのが効果的です。これは、推理小説のなかでもちいられている方法とおなじです。

本書は、地球上における民族紛争や対立などの、いわゆる民族問題をとりあつかい、民族の分布をカギにして世界をとらえなおすことについてのべています。

目次はつぎのとおりです。

緒論 民族とはなにか
二一世紀の人類像
国際紛争の理解のために
あらたなるバベルの塔の時代
もう一枚の文化地図がみえる
国家と民族と言語
多民族国家の論理
新聞解読のための民族学
日本のなきどころ

要点を引用しておきます。

民族というのは、文化を共有する人間集団のことである。文化とは、その人間集団が共有するところの価値の体系である。民族が他の民族に接触するとき、その価値体系が露出する。おおくの場合、人々はその価値の体系の差に冷静に対処することができない。そして、軽蔑と不信がうかびあがる。文化とは、その意味では多民族に対する不信の体系である。

民族間の差異ににもとづく細分化と、政治的・経済的利害関係にもとづく統合とのあいだで、どのようにバランスがとられるのか、それが二一世紀初頭の人類の課題であろう。

いままでそれぞれ孤立した文化、孤立して存在した社会は、全地球社会というひとつの巨大システムのなかの部分システムとして、あらためて定義された、あるいは再編成されたということです。わたしは、これを「地球時代の到来」とよびたいのです。

地球時代というのは、けっして国際的ということではないのです。問題はすでに、国と国との関係、インターナショナルな関係で解決できなくなっている。

今日、地球上のどこかでなにかがおこれば、ただちにその影響が全世界に波及する。各地に発生したさまざまな矛盾や問題点が、局地的に解決できる余地がしだいになくなってきている。

地球の一体化という現象も、人類史上一〇〇万年の歴史のなかで、まったくはじめてあらわれてきた現象です。

今日においては、地球全体がひとつのネットワークに編成された。

第一次世界大戦後、はっきりうちだされてきた思想が民族自決ということです。

民族というのはかんたんにいうと言語集団のことです。民族と言語集団とはほとんど一致します。

二一世紀前半は、文化も民族も実質的な民族国家への分裂の時代へはいるであろう。きわめて複雑なことになってゆくでしょう。

分裂また分裂、あらたなるバベルの塔の時代がくるのだということです。

民族的エントロピーは不可逆的に増大し、無秩序性をくわえてゆくわけです。

われわれ民族学者がみますと、新聞の地図のしたに、もう一枚、べつの地図がすけてみえています。それは国境線を重視する政治的地図ではなくて、民族の分布を中心とする文化的な地図であります。政治的な地図と文化的な地図とでは、まったく様相がちがうのです。民族という概念を事件の解釈のカギとしてつかうことによって、国際的な事件の認識が、ふかく、かつ立体的になってくるのであります。


現代は、帝国の時代がおわり「地球時代」へ移行しつつある過渡期であるとかんがえることができます

帝国の時代(領土国家の時代)は、強国と強国のはなしあい、あるいは戦争という手段にうったえて決着をつけていました。

しかし、グローバル化がすすみ「地球時代」になってくると、民族集団の分離・独立という現象が表面化し、これは、領土国家の弱体化をひきおします。

現代は、グローバル化がすすめばすすむほど、一方で、地球各地の民族集団が前面にでてくるという矛盾した現象がおこっています。グローバル化がすすめばすすむほど、民族は、「オレがオレが」と自己主張するようになり、世界中で民族同士が衝突し、世界各地で民族紛争が多発します

最近、「アメリカ合衆国は『世界の警察』からおりた。オバマ大統領は弱腰外交だ」という報道がありますが、グローバル化が進行し、帝国の力がよわまって、民族集団が台頭して民族紛争が激化するという現代の潮流をみるかぎり、アメリカ合衆国の弱体化も時代の趨勢であり、誰が大統領になってもそれを止めることはできないという見方ができるわけです。

今後、人類は、民族紛争をのりこえることができるのでしょうか? 地球社会と民族主義は両立できるのでしょうか?

以上の観点から、まずは、地球社会を認識する方法として、世界の民族分布を知ることが重要なことはあきらかです。国境線に注目して国家の分布をとらえるだけではなく、民族集団の分布を地理的にとらえる必要があります。民族は現代をとらえる重要なカギです


▼文献
梅棹忠夫著『二十一世紀の人類像をさぐる -民族問題をかんがえる-』(講談社学術文庫)講談社 、1991年9月
梅棹忠夫著『地球時代に生きる』(梅棹忠夫著作集第13巻)中央公論社、1991年10月20日
amazon:地球時代に生きる (梅棹忠夫著作集)
楽天市場:【中古】 地球時代に生きる 梅棹忠夫著作集第13巻/梅棹忠夫【著】 【中古】afb


▼関連書


▼関連ブログ
「地球時代」をとらえる 〜梅棹忠夫著『地球時代の日本人』〜 

本書は、「地球時代」の歴史的な意味とそのなかにおける日本の位置づけについておしえてくれます。

目次はつぎのとおりです。

経済開発と人類学
日本万国博覧会の意義
海外旅行入門
日本の近代と文明史曲線
学術の国際交流について
人の心と物の世界
日本経済の文化的背景
国際交流と日本文明

印象にのこったところを引用しておきます。

地球全体が、ひとつのあたらしい秩序にむかって、再編成されようとしている。

文化がちがうということは、価値体系がちがうということなのです。

世界の諸民族や諸文化についての、情報センターをつくらなければいけない。そこに、さまざまな情報をあつめ、蓄積するのです。

時代はすでに、工業の時代から情報産業の時代へと、着実に変化しつつあるといえるのです。

海外旅行をするときの秘訣ですけどね、ぐるぐると十何ヵ国まわりましょうというふうにまずかんがえないで、「ねらいうち」でやられたほうがいい。そういう旅行のほうが、実のある旅行ができる。ひとつひとつそうして往復運動をしたほうがいい。

近代日本は化政期にはじまって、いままでにほぼ150年たった。今日のいわゆる「経済大国」の状況も、突然に、外国の影響でこうなったというのではなくて、なるべくしてなったのだ、ということであります。

140721 文明史曲線


日本の近代化は、明治の革命よりずっとまえから進行していた。

西ヨーロッパ諸国には、歴史的にみて、社会的条件が日本に似ているとかんがえられる国がいくつもあります。パラレルな現象をいくつも指摘できるでしょう。


本書は、「地球時代」について最初に論じた先見の書です。「地球時代」とは、領土国家の時代のつぎにくる時代のことです。

現代は、領土国家の時代から、「地球時代」(グローバル社会の時代)へとうつりかわりつつある過渡期です。まだ、本格的なグローバル社会には到達していません。この過渡期の現象がいわゆる「近代化」であり、本書の梅棹説ではそれは江戸時代の化政期にはじまったということになります。

この「近代化」は、こまかくみると「工業の時代」(工業化)が先行し、「情報産業の時代」(情報化)がそのあとにつづくという2つのステージがあります。このように、わたしたちの文明は、大局的にみると、ハードからソフトへむかって発展していて、最終的には、価値観の大転換がおこると予想されます。

本書のなかでのべられた、世界の諸民族や諸文化についての情報センターは、国立民族学博物館としてそのご実現しました。ここは、世界の諸民族や諸文化に関する膨大な情報を蓄積し、それらが利用できるようになっています。 

この国立民族学博物館がおこなっているように、情報は、第一に蓄積が必要です。これは、言いかえると情報とは第一に量であるということです。質ではなくて。量があってこそ情報のポテンシャル(潜在能力)は大きくなり、情報処理もすすみやすくなります。

たとえば、ダム湖の水位が高くなって水圧が高まりエネルギーが大きくなるように、情報の蓄積量が大きくなればなるほどポテンシャルは大きくなり、情報処理もすすみやすくなります。ポテンシャルが低い状態ではものごとはうまくいきません。このような意味では、いわゆる記憶も第一に量が必要であり、ある課題に関する情報をたくさん記憶した方が心のポテンシャルが大きくなり、情報処理がすすみやすくなります。情報の質は第二とかんがえた方がよいでしょう。

こうして、「地球時代」をとらえるために本書を参考にし、世界の情勢を認識するために国立民族学博物館のポテンシャルを大いに利用していくのがよいでしょう。


文献:
梅棹忠夫著『地球時代の日本人』(中公文庫)1980年6月10日、中央公論社
梅棹忠夫著『地球時代に生きる』(『梅棹忠夫著作集』第13巻)1991年10月20日、中央公論社


世界モデルを見て文明の全体像をつかむ 〜 梅棹忠夫著『文明の生態史観』〜
スポンサーリンク

↑このページのトップヘ