発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

カテゴリ: 問題解決

1911年12月14日、人類は、はじめて南極点に到達しました。到達したのは、ノルエーの探検家ロアール=アムンセンひきいるアムンセン隊でした。

午後三時。「とまれ!」という声が三台のソリの御者たちからほとんど同時にあがった。ソリにつけている距離計が、いっせいにゴールインの数値を示したのだ。非天測推定の極点、つまり南緯90度。

ひと息ついた五人は、われにかえると一つにかたまり、力いっぱい握手をかわして成功を祝った。アムンセンという強力な指導者のもとに、いまこそ人類史に輝く一項が、五人のたぐいない団結と勇気によって達成されたのである。五人は感動のあまり言葉も少なく、ただその力をこめた握手に、たがいの気持ちを伝えあうのだった。

しかし、この時点で、南極点をめざして、あとからすすんでくるもうひとつの隊、英国ロバート=F=スコット大佐ひきいるスコット隊がありました。

近づくにつれ、しかし、それは自然のものではなくて人工物だということがはっきりしてきた。たしかに最近極点を訪れた人間がいたのである。(中略)もう疑う余地はない。ノルエー隊に先を越されたのだ。

もう道を探す必要もなかった。皮肉なことにアムンセン隊の足跡がはっきりとついていて、立派な道案内をしてくれるのだから。

希望の土地が一転して絶望の土地になったのである。

スコット隊は、アムンセン隊におくれること34日、1912年1月17日に南極点に到達しました。

こうして、前人未踏の南極点をめざす「地上最大のレース」は、アムンセン隊の勝利、スコット隊の敗北という結果におわりました。


本多勝一著『アムンセンとスコット』は、この「地上最大のレース」について、「勝った側」と「敗れた側」を同時進行的に叙述した実話です。

本書を読んでいると、アムンセンは幸運であり、スコットは不運であったというような簡単なことではなく、アムンセンは成功するべくして成功し、スコットは敗れるべくして敗れたという必然性を読みとることができます。

たとえば、アムンセンは、わかいときから、自分の強烈な意志で、極地探検家へと驀進したのに対し、スコットは、英国海軍の軍人であり、王立地理学協会の会長マーカム卿にみこまれて「任命」されて隊長になったのでした。

こうしたことが、極点への情熱と心がまえや、隊の運営方法の差としてはっきりあらわれてしまいました。主体性は、人間行為にとって本源的に重要であることをあらわしています。

南極点をめざすというおなじ行動をしながらも、両者には大きな相違があり、わたしたちが彼らからまなぶべき点はたくさんあるとおもいます。


人類で最初に南極点に到達したアムンセン隊の偉業は、人類史上の記録的意味、歴史的意味をもっています。これは、単なる冒険とはあきらかにちがいます。

これは、地球上の空白領域をうめていく行為であったのあり、パイオニアワークでした。地平線のむこう、フロンティアをもとめる行動です。人類は、本源的には、既知の領域から未知の領域に旅をする存在であるとかんがえられます。このことが、現在でも世界の人々が、オリジナリティー(独創性)を必要とする姿勢となってあらわれているのでしょう。

したがって、もし、そこに誰かが足を踏みいれたならば、その瞬間に、そこはもはや空白領域ではなくなってしまい、そこにはもう、フロンティアは存在しなくなるのです。

ここに、アムンセンとスコットが熾烈な競走をした理由、なぜ「最初」に南極点に到達しなければならなかったのか、2番目ではだめだったのかという理由があるのだとおもいます。 

* 

スコット隊は、帰路、全滅してしまいました。彼らの失意も、人類史上にのこる大きなものであったことでしょう。スコット隊はたしかに敗れました。しかし、アムンセンもスコットも、ともにパイオニアワークをめざしたのであり、パイオニアワークは、たとえ敗れても、堂々としたやり方だとおもいます。


▼ 関連記事
現場でノートに記録をとる - 南極探検隊員のノートが100年ぶりに発見される - 

『梅棹忠夫 語る』の第三章「メモ/スケッチと写真を使い分ける」では、つぎのようにかたっています。

フィールド・ワークの補助手段としては、写真よりも絵のほうがずっといい。その場でシューッと線をひいて、欄外にメモが書きこめるから 。

説明するのに図示というのは非常に大事なこと。絵で描いてわかるように示す。 

絵(スケッチ)の意義についてのべています。絵やスケッチは、イメージと言葉をむすびつけた記録法です。言葉で書いているよりも、スケッチの方がはやいことはしばしばあります。

スケッチは、現在では、紙のノートをつかわなくても、iPhone や iPad でできます。いいタッチペン(スタイラスペン)も発売されています。

「最速メモ」(App Store/無料)のような、スケッチができるアプリが何種類もあります。iPad でしたら、“Paper by Fifty Three” というアプリをおすすめします。とても便利で、わたしはいつもつかっています。基本機能だけでしたら無料です。App Store からダウンロードできます。

Paper by Fifty Three >>

つぎに、写真のとり方についてのべています。

写真の秘訣は一歩踏み込め、だ

急ぐときと、おおまかな全体的印象をつかむのは、写真がええ。それに対して細部の構造を見るのはスケッチやないとあかん。

写真とスケッチとをつかいわけることをおしえています。現代でしたら、スマートフォンあるいはタブレットをもちあるいていれば、写真にもスケッチにも自在に対応でき、記録がファイルとして保存され、すぐにつかえる状態になります。便利な時代になりました。



『梅棹忠夫 語る』は、梅棹忠夫さんの最後の語りが収録されている貴重な本です。

第一章「君、それ自分で確かめたか?」では、自分でみたもの以外は信用できないことが語られています。

自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える、これが大事や。

また、梅棹さんの評価を不動のものにした「文明の生態史観」について、つぎのようにのべています。

それはいまでもはっきり覚えている。一九五五年のカラコラム・ヒンズークシ。アフガニスタンで発想した。

このように、梅棹さんは、自分の足で現地をあるいて、そして発想しています。実際に出あるくということは重要なことです。

旅やフィールドワークを、どのように発想にむすびつければよいか、梅棹さんからまなぶことはたくさんあるとおもいます。


▼ 文献
語り手 梅棹忠夫、聞き手 小山修三『梅棹忠夫 語る』(日経プレミアシリーズ)日本経済新聞出版社、2010年9月15日
梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)

本書は、海外ひとり旅のためのマニュアルです。旅の準備、LCCの使い方、出入国のながれ、両替、食事、トラブル対処法、宿、その他の最新情報が掲載されていて、とても役にたちます。これを読めばすぐに旅にでることができます。

旅にでたら、たくさん写真をとり、できるだけ記録をとるとよいことは言うまでもありません。写真や記録をとれば、旅の感動を蓄積することができます。感動とは、記録をとらないと、すぐにうすれて消えさってしまうものです。

的確な記録をとっておけば、後日、それをおもいだして、感動をもう一度よびおこすことができます。これは、いわば、感動の再利用であり、感動を、意識的積極的に再現して活用しようという方法です。

毎日の生活が単調だとすれば、なおさら、おりにふれて感動をよびおこします。感動のある生活の方がたのしいものです。

さらに、いくつかの旅行をまとめて想起し、まとめて追体験すると、感動の共鳴効果が生まれます。

こうして、旅を追体験し、いくつもの旅の結合により感動を増幅し、そして、感動をリサイクルしていきます。

本書は、最近話題の LCC について解説した入門書です。かつてはとても高価だった飛行機の旅が、LCC の登場で身近な存在となり、誰でも手軽にたのしめるようになりました。空の旅はいまやカジュアルなものとなりました。

本書によって、日系 LCC、LCC の利用の仕方、日本の空の旅、お得な情報など、LCC について手っとりばやく知ることができます。

空の旅がおもしろいことのひとつは、上空から、地上をながめられることにあるでしょう。つまり、地上にいるとわからない、地域の大局が一気につかめるのです。

また、旅行は、その最中もたのしいですが、かえってきてからそれをふりかえることにもおもしろさがあります。旅行からかえってきて、あとからその旅行を見なおし、とらえなおしてみると、全体像や印象がよくわかります。つまり旅の大局がつかめます。

対象のなかにいるときよりも、そこからはなれて、とおくから見た方が大局はよく見えるものです。

この原理は、複雑な物事の大局をとらえたり、圧縮するときにつかうことができます。いろいろな出来事がかさなったり、むずかしいことがおこったときには、そのときはとりあえずやりすごし、しばらくたってから見なおし、とらえなおしてみると、全体像がわかり、意外に簡単に活路が見つかったりします。

このように、空の旅は、わたしたちに、大局をつかむというあらたな視点をあたえてくれます。 

最近は、スマートフォンに搭載されたカメラの性能が非常に高くなり、誰でも手軽に、きれいな写真がとれるようになりました。わたしは、iPhone 6 Plus に機種変更したところ、手ぶれ補正機能があり、接写もでき、くらいところでもよくうつるので満足しています。

毎日のように写真を撮影していると膨大な枚数の写真がたまってきますが、iPhoto などの写真アプリをつかっていれば、簡単に整理ができるので問題はありません。

そして、たとえば iPhoto でしたら、テーマ別に「アルバム」や「ブック」(フォトブック)や「スライドショー」をつくることができます。テーマを決め、関連する写真をピックアップして、アルバムなどをつくることはとてもたのしいことです。

あるいは、旅行にいって撮影した写真のなかから、特に印象にのこった写真をピックアップしてフォトブックをつくれば一生のおもい出になります。

このような作業をするときには、写真は、体験の「アイコン」であると意識するとよいです。

1枚の写真をピックアップして見なおすときに、その写真の外側(周囲)がどのようであったかをおもいだすようにします。写真を中心にした、もっと大きな空間的ひろがりを想起するのです。

また、写真を撮影した瞬間の前後はどうであったのか、自分自身をおもいだします。つまり、その瞬間だけではなく、前後の時間的ひろがりも想起するようにします。

こうして、見たことだけでなく、聞こえたこと、感じたこと、かんがえたことなどもふくめて、その写真を撮影したときの自分自身の体験のひとまとまりをよくおもいだします。

この作業は、写真をアイコンにして、みずからの体験のひとまとまりを「ファイル」にすることです。

ファイルとは情報(データ)のひとまとまりのことであり、それは、アイコンなどの見だし・標識(ラベル)からなる上部構造と、情報の本体の下部構造とからなります。

141203 アイコン&体験

図 写真をアイコンにして、体験のひとまとまりをファイルにする。


このような「体験ファイル」を意識しながら、アルバムやフォトブックやスライドショーなどに写真を整理していけば、比較的短時間で、これまでの自分の体験を整理することができます。

こうした体験の整理は、言語をつかっておこなうこともできますが、言語をつかっているとかなりの時間がかかってしまいますので、まずは、写真をつかっておこなうのがよいでしょう。

「体験ファイル」を整理し集積していると、いままでボヤッとひろがっていた、つかみどころがない体験に締まりが生じてきて、いくつもの小さな体験のかたまりがあつまって、より大きな体験がなりなっているのだということを実感できるようにもなります。

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上の絵は、近くで見ると風景ですが、遠くから見ると人物の頭部に見える だまし絵です。Bunkamura ザ・ミュージアムで開催された企画展「だまし絵 II」の図録から引用しました。作者は不詳、17世紀初頭頃の作品です(注)。

近くで見るということは、対象を大きくとらえて細かく見るということであり、一方、遠くで見るということは、対象を小さくして大局を見るということです。つぎの対応関係に注意しなければなりません。

近くで見る:対象を大きくする
遠くで見る:対象を小さくする

自分が移動しなかった場合でも、対象を拡大したり縮小したりすると、自分が近づいたり遠ざかったりしたのとおなじ効果があります。

この絵はだまし絵であり、そのようにえがいているのでわかりやすいですが、現実の世界にいても、遠近によって見え方はかなりちがってくることに気がつくことはよくあります。

このようなだまし絵をたのしんでいると、かたよった見方をしていると、錯覚がおこるということがよくわかってきます。だまし絵の作者は、そのようなメッセージをユーモアをまじえてつたえようとしているのではないでしょうか。

対象を見るときには、遠くからも見て、近くからも見て、遠近のひろがりのなかで本当の姿をとらえるようにしなければなりません。


▼ 注(文献)
『だまし絵 II 進化するだまし絵』(図録)中日新聞社発行、2014年
 Bunkamura オンライン市場

▼ 関連サイト
視覚効果と先入観とがくみあわさって錯覚が生まれる - 特別企画「だまし絵 II」- 

 

ミステリーテレビドラマ『刑事コロンボ』の全69エピソードを解析した、『刑事コロンボ』解説書です。

『刑事コロンボ』のおもしろさは、単なるミステリーでおわらせずに、人間ドラマにもなっているところにあります。

コロンボは、犯人との対決を通して、 犯人が、犯行におよばざるをえなかった心境を理解し、事件のみならず、それをとりまく全体状況を洞察します。

一見むずかしそうに見えるエピソードも、本書を参考にしてあらためて見なおせば、理解がとてもふかまるとおもいます。 

東京郊外にある御岳山の登山地図です。御岳山およびその周辺にもおもしろい登山ルートがあります。わたしは、御岳山から奥多摩駅あるいは五日市駅まであるいたことがあります。ケーブルカーが山腹まではしっていますから、初心者でも十分たのしめます。

山をあるくときには、地図をみながら、自分のいる空間をイメージするとよいです。特に、垂直方向(高さ)の感覚をつかむようにします。

あるきながら三次元空間をイメージし、また、帰宅後にもイメージします。そのときに、このシンプルな地図を手がかりにすることができます。必要最小限の情報だけがでていて、よけいな情報がでていないので、イメージトレーニングのために有用です。

スマートフォンにこの地図をダウンロードしてから、出かけるとよいでしょう。 

なお、楽天 Kobo の場合は、パソコンでも見ることができます。
楽天 Kobo >>

Amazon Kindle の日本のアカウントの場合は、まだ、パソコンには対応していないようです。

梅棹忠夫著『知的生産の技術』から、知的生産の技術は、基本的にはつぎの3段階からなることがわかりました。

 1.「京大型カード」に記入する
 2.「こざね法」でまとめる
 3.文章を書く

これらを、現代の情報処理の観点からとらえなおすとつぎのようになります。

 1.ファイルをつくる
 2.ファイルを連携・結合する
 3.文章化

ファイルとは情報(データ)のひとまとまりのことです。

道具については、紙のカードやタイプライターは現代ではつかわず、スマートフォンとパソコン、付箋(ポストイット)をつかいます。


この3段階をくわしくみていくとつぎのようになります。

1.ファイルをつくる
これは、パソコンでファイルをつくることです。

ファイルにはかならずファイル名(見だし)をつけます。また、「京大型カード」の原則にしたがって、1ファイル1項目の原則をまもります。ブログを利用する場合は、1記事1項目の原則をまもります。

パソコンが便利なのは、テキストだけでなく、画像・音声・その他の資料も、型式にとらわれずにファイルにすることができることです。

パソコンやブログをつかっていれば、ファイルは時系列で集積されていき、個人文書館がおのずと形成されます。


2.ファイルを連携・結合する
課題を決め、関係のありそうなファイルをピックアップして、フォルダーにまとめます。エイリアスやショートカットを利用してもよいです。

フォルダーには適切な名称(見だし)をつけます。

フォルダーのなかに、さらにフォルダーをつくって階層構造にしてもよいです。一般的には階層構造になります。これが現代のファイリング・システムです。

このような階層構造をつくるときに、元のファイルのファイル名あるいはキーワードを、付箋(ポストイット)に書きだして「こざね法」をやってみるとよいです。

あるいはもっと簡略には、デスクトップで、フォルダーをつくり、アイコンをうごかしながら階層構造をつくってもよいです。

既存の順序にはとらわれずに、さまざまにファイルをならべかえ、あたらしいファイルのグループを編成します。

なお、あらたにつくったフォルダーは、より高次元の情報(データ)のひとまとまりととらえることもできます。つまり、フォルダーはより高次元の「ファイル」なのです。フォルダーをつかって整理するということは、元のファイルを、より高次元のファイルのもとで``統合している作業にあたります。


3.文章化
一般的には、第2段階までおこなえばよいという面もありますが、できれば文章化に積極的にとりくんだ方がよいでしょう。

ファイルによってあらたにつくった構造にもとづいて、文章化をすすめます。今度は、前からうしろへとテキストをつらねていきます。

元のファイルの情報(データ)を文章のなかにおりこんで書いていきます。元のファイルは、パソコン上でしたらアイコンをダブルクリックすればでてきますし、ブログでしたら検索機能をつかえばよびだせます。


■ ファイルは成長する
第1段階は、最初の小さなファイルとそれらの集積でした。

第2段階は、階層構造をつくる段階でした。ここで、フォルダーは、より高次元の「ファイル」ととらえることができます。フォルダーはやや大きな(中規模な)ファイル(中規模な情報のひとまとまり)とみなすことができます。ファイルのなかに小さなファイルがあるといった、入れ子構造をイメージできます。

第3段階は、文章を書く段階であり、ワープロをつかって書けば、結果的に、1つのあたらしいファイルができあがります。これも、文章としての情報のひとまとまりにはちがいないので、やはりファイルでです。第1段階、第2段階からみると、もっと大きなファイルです。第1段階の元のファイルは、第2段階の構造にしたがって、第3段階で1本の大きなファイルに統合されたわけです。

ファイルは、それが情報のひとまとまりになっているかぎり、小さくてもファイルであり、中規模でもファイルであり、大きくてもファイルでです。

つまり、情報のひとまとまりとは、どのようにでも柔軟に設定できるのです。電子書籍1冊も1つのファイルです。柔軟にかんがえることが大切です。

このような観点にたつと、ファイルでいう情報のひとまとまりとは、ひとつのメッセージのかたまりととらえた方がよいかもしれません。すなわち、1ファイル、1メッセージとするわけです。たとえば第3段階の文章化では、主題あるいは結論を1点にしぼりこめばファイルになるということです。

こうして、段階がすすむにつれて、ファイルは大きくなり成長していきます。結局、3段階の本質は、ファイルが成長していく過程でした。自分のファイル(メッセージ)を成長させるという精神でとりくむことが大事でしょう。


なお、旅行やフィールドワークに行って、現場で簡単なメモをとる、あるいは iPhone のボイスメモに簡単に記録をするとします。実はこれも、小さいですがファイルです。やはりファイルができます。最初の豆ファイルです。これは、いわば第0段階のファイルといってもよいでしょう。


▼ 参考文献
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)岩波書店、1969年7月21日  

梅棹忠夫著『知的生産の技術』の「おわりに」で、梅棹さんはつぎのようにのべています。

このシステムは、ただし、まったくの未完成のシステムである。社会的・文化的条件は、これからまだ、めまぐるしくかわるだろう。それに応じて、知的生産技術のシステムも、おおきくかわるにちがいない。ただ、その場合にも、ここに提示したようなかんがえかたと方法なら、じゅうぶん適応が可能だとおもうが、どうだろうか。

本書のかんがえ方と方法で適応が可能だとおもいます。

人類は、1990年代に情報化を本格化させました。情報革命は今後ともすすみ、情報産業社会はおおきく発展するでしょう。

しかし、本書を通してあきらかにされた「知的生産」のかんがえ方については今後とも変わらず、この原理は普遍的なものとして時代を超越していくとかんがえられます。たしかに、つかう道具はあたらしいものに変わりますが、ここにしめされた原理をつかっていれば、あたらしい時代にも適応ができるとおもいます。

本書が発行された1960年代といえば、まだ、工業化のまっただなかにあり、情報産業社会の到来、高度情報化についてはほとんどの人は意識していなかったとおもいます。しかし梅棹さんは、知的生産の研究開発を通して、その原理に気がつきました。今日からみれば、情報化のパイオニアであったとかんがえられます。


梅棹さんは、本書において、みずからの研究開発の過程を、その第一歩からくわしく書いて、そのなかで知的生産の原理についてかたっています。意識して筋道を書いて、技術の発展史とともにその原理をかたっているのです。本書が47年間も読みつがれ、ロングセラーになっている理由がここにあるのだとおもいます。

これがもし、研究開発の結果や最新の成果だけを書いたとすると、それは、2〜3年たつとふるくなって役にたたなくなってしまいます。

梅棹さんの書き方は、文章の書き方のひとつのモデルとしてつかえます。つまり、研究開発の過程も書いてよいのです。むしろ、そのようなみずからの実体験を具体的にしめして、自分があるいてきたその道のりを通して、原理や本質をかたった方が、メッセージはつたわりやすいのだとかんがえられます。

データと原理を教科書的にのべるのではなく、物語としてかたります。すると、それからどうなったのか、誰もが知りたくなります。その先の進歩については、今日のわたしたちが知っているとおりです。そして、物語は、さらに未来にむかってつづいていきます。

このような意味で、『知的生産の技術』は、情報化の最初の一歩の物語でもあったのです。情報産業社会は今後とも大きく発展するでしょうが、本書は、知的生産あるいは情報処理に関する古典として、後世まで読みつがれていくことでしょう。


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「知的生産の技術」も情報処理になっている
体験情報の処理をすすめよう 〜梅棹忠夫著『情報の文明学』〜
イメージ能力と言語能力とを統合して情報を処理する 〜 梅棹忠夫著『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた』〜
旅行とともに知的生産の技術を実践する - 梅棹忠夫著『知の技術』-




北海道で、恐竜の全身骨格の発掘がおこなわれているそうです(「恐竜大発掘 出るか !? 日本初の完全骨格」NHKサイエンスZERO、2013.11.23)。

北海道で日本の恐竜研究の歴史を塗り替える大発掘が行われている。見つかった化石は植物を食べることに究極に進化した「ハドロサウルス科」。発見された状況からは、日本で初めてのほぼ完全な全身骨格の可能性が高いのだ。

北海道大学総合博物館准教授の小林快次さんによると、きっかけは、博物館で保管されていた部分化石だったそうです。

最初に発見されて、博物館で7年間も、恐竜とわからずに保管されていたんです。いままで恐竜じゃないなとおもっていたものが恐竜だったりすることもありますので、最初の1個って一番大変なんです。1個みつかると2番目、3番目とつづきますので。

この話で注目すべき点は、博物館に標本が保管されていたことです。

標本を永久保存することは博物館の重要な仕事のひとつです。標本は、すぐには役にたたなくても、いつかは役にたちます。標本を保管する博物館の役割について再認識しました。長期的な研究、あるいは研究を次世代につなぐために博物館は有用です。

このように、標本を集積している博物館には潜在能力がねむっています。標本や資料を集積すればするほどポテンシャルは高まります。ポテンシャルとは量で決まるものであって、すぐに役にたつかどうかとか、質が高いかどうかといったことは二の次です。たとえば、ダムのポテンシャルはダム湖の水量で決まるのであって、水質で決まるのではありません。博物館の第一の役割はポテンシャルを高めることであると言ってもよいでしょう。

もうひとつの注目点は、標本や資料の鑑定ができる眼力をもった人材が必要だということです。これは養成するしかないでしょう。

そして、博物館と研究者がそろったときに成果があがります。ポテンシャルと人材の両者が必要です。

* 

これらのことを、個人の能力開発や問題解決にあてはめてかんがえるならば、第一に、テーマを決めたら、情報(正確にはファイル)をひたすら集積していくことが重要であり、これはポテンシャルを高めることにあたります。

このときは、1つ1つのファイルの質の高さよりも、量が優先されます。すぐに成果をあげようとするのではなく、とにかく、ファイルをたくさんつくり蓄積していくことです。ブログやフェイスブックなどをつかうと効率的です。同時に、テーマに関する記憶情報も強化するとよいでしょう。

第二に、対象を見る目、観察力、眼力を日頃からやしなうことがもとめられます。それぞれの専門分野で訓練方法や固有技術があるでしょうから、テーマを決めて専門的にとりくむのがよいでしょう。

このように、ポテンシャルを高め、眼力をきたえることは大事なことです。


▼ 関連記事
情報の本質はポテンシャルである 〜梅棹忠夫著『情報論ノート』〜 

梅棹忠夫著『知的生産の技術』の第8章では「手紙」、第9章では「日記と記録」についてのべています。

手紙かきも知的生産の一種であるといえば、やや拡張解釈にすぎるであろうか。しかし、すくなくともそれが、知的生産のための重要な補助手段であることはまちがいない。文通によるさまざまな情報の交換が、わたしたちの知的活動をおおきくささえていることは、うたがいをいれないからである。

梅棹さんが、情報の観点から手紙をとらえていたことに注目しなければなりません。

現代では、電子メールがあり、また、ツイッターやフェイスブックなどが開発されたために、「情報の交換」は簡単に誰でもできるようになりました。また、それが知的活動をささえていることはいうまでもないでしょう。

『知的生産の技術』が出版されたのは1967年、その後の情報技術の進歩は本当にいちじるしいものでした。本書でとりあげられたタイプライター、コピー、住所録、模範例文集などの課題は、技術革新によってすべて解決されました。

しかし、逆に情報量が多くなりすぎて、処理がおいつかずにこまる場合がでてきました。今後は、人がおこなう情報処理能力の開発が必要でしょう。


つぎに日記について説明しています。

日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがよい。

日記というものは、自分自身にとって、重要な史料なのである。あとからよみかえしてみて、感傷にふけるだけではなく、あのときはどうであったかと、事実をたしかめるためにみる、という効能がたいへんおおきいのである。(略)日記は、自分自身のための業務報告なのである。

日記というのは、経験の記録が、日づけ順に記載されているというだけのことである。

世の中には、メモ魔と称されるひとがいる。ポケットに手帳をもっていて、それに、なんでもかでも、かきつけてしまうのである。

わたしも、メモ魔ではないけれど、ものごとをその場で記録することが、あまり苦にならないようになっている。

そして、梅棹さんは、京大型カードに日記や記録を書きはじめます。そしてカードが蓄積されていけば、それは「個人文書館」になるといいます。

わたしがいっているのは、知的生産にたずさわろうとするものは、わかいうちから、自家用文書館の建設を心がけるべきである、ということなのである。

現代では、この目的のためにブログやツイッター・フェイスブックなどがつかえます。これらは、文章だけでなく写真や動画もアップできます。リンクもはれます。これらに、記録を日々つけていけば、自動的に「個人文書館」は構築され、検索もできるようになります。したがって、紙のカードはいらなくなりました。

* 
 
このように、かつての道具はもはやふるくなりましたが、「情報交換」「日記」「記録」「個人文書館」に関する梅棹さんのかんがえ方と「技術」(やり方)は今でも生きているとおもいます。これらの技術(やり方)を現代の道具をつかって実践すればよいのです。

このような意味で、梅棹さんは時代を先取りしていて、時代が、ようやく梅棹さんにおいついたと見るべきでしょう。

『知的生産の技術』を読んでいると、当時存在した道具をつかって「知的生産」を実践しようと苦労し工夫してきた道のりがよくわかります。梅棹さんは意識して過程を書いていますこのような「知的生産の技術」の発展の歴史を知ることは、今後の情報化の発展を予想するための参考になるとおもいます

水にまつわる世界遺産を紹介した写真集です。瀑布・海洋・湖沼・大河そして水をいかした文化遺産など、きらめく水辺のうつくしい景色・絶景をたのしむことができます。見ているだけでさわやかな気分になれます。

水がつくりだす流れや波や音にはゆらぎがあります。ゆらぎには、わたしたちをリラックスさせる効果があります。きまりきったものばかり見ているとわたしたちはくつろぐことはできません。


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グレートバリアリーフ(オーストラリア)



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カゼルタの18世紀の王宮と公園(イタリア)


写真とともに地図もでていますので、写真を見ながら同時に場所も確認するとよいでしょう。

かつておとずれた場所があれば、写真を見ながらそのときの自分をおもいだすようにします。記憶を想起するというよりも、そのときの自分がどうすごしたのか、自分自身をイメージしてみるのです。あわせて、どのような感動をしたか、どのようなことをおもいついたかなどをおもいおこします。つまり体験を想起するのです。

また、写真を見て気にいった風景があれば、是非、そこをおとずれて実際に体験をふかめたいものです。海外旅行では、広範囲をひろくあさく移動するよりも、ある地域をきめて、最低でもそこに3〜4日滞在して、その地域の体験をふかめた方がよいです。 

その地域になれるまでに通常3〜4日はかかるものです。なれてくると急に風景の見え方がかわってきて味わいがふかまります。 ひろくあさい行動をするよりも、異空間でのみずからの体験をふかめる努力をした方がよいとおもいます。



▼ 文献
『名景 世界遺産 水辺編』パイ インターナショナル、2014年7月8日
 名景 世界遺産 水辺編


▼ 関連ブログ
水の造形美から音を「想像」する - 山種美術館「水の音 - 広重から千住博まで -」展 -
 

『知的生産の技術』の第2章「ノートからカードへ」で梅棹忠夫さんはカードの原理についてのべていて、この原理は今日でもとても役にたちます。カードは「知的生産の技術」の中核的な原理といえるでしょう。

まず、梅棹さんはノートの話からはじめています。 

追加さしこみ自由自在の、いわゆるルース・リーフ式のノートほうが(大学ノートよりも)便利だ、ということになる。かいた内容を分類・整理するためにも、ページの追加や順序の変更ができたらよいのに、とおもうことがしばしばある。
ルース・リーフ式のよい点だけをいかしたのが、ちかごろ売りだされているラセンとじのフィラー・ノート式のものであろう。きりとり線と、つづりこみ用の穴とがついている。一冊のノートになんでもかきこみ、あとできりとり線からきりとって、分類してルース・リーフ式にとじる。片面だけを利用し、内容ごとに — 学生なら学科ごとに — ページをあらためることにしておけば、追加、組みかえ、自由自在である。

わたしも、中学生のころは大学ノートをつかっていましたが、高校生になってからはルース・リーフ式のノートに切りかえ、大学生のときにもそれをつかいつづけました。

そのご大学院生のころよりフィラー・ノートをつかいはじめ、「知的生産の技術」にしたがって片面(表面)だけに記入し裏面は空白にしておき、ノートが一冊おわるごとにページを切りとり、二穴ファイルにファイルするといことをくりかえしていました。このフィラー・ファイルは蓄積されて、そのトータルの厚さは約2メートルぐらいにまでなりました。

結局、今世紀に入って iPhone をつかいはじめるまでは、フィラー・ノートはいつでもどこへでも持ちあるいて つかっていました。今でも、ヒマラヤのフィールドワークに行くときには予備ノートとしてフィラー・ノートを持っていきます。


つぎに、梅棹さんはカードについてかたります。

ノートのことを、くどくどしくのべたのは、じつはカードのことをいいたいからであった。

見方をかえれば、ルース・リーフ式やフィラー・ノート式ののーとは、じつは一種のカードなのである。すでにのべたように、それは、ページのとりはずし、追加、組みかえが自由になっている。そして、そのつかいかたにおいても、項目ごとにページをあらためる、あるいは片面だけを使用する、ということになると、それは要するに、みんなカードの特徴にほかならないではないか。
 
ノートの欠点は、ページが固定されていて、かいた内容の順序が変更できない、ということである。ページを組みかえて、おなじ種類の記事をひとところにあつめることができないのだ。

「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわして、あらたな組みあわせを発見するところにあるといえるでしょう。固定した観念にとらわれずに発想せよということだとおもいます。 

そして、有名になったあの「京大型カード」ができあがったときの様子がのべられていす。

自分で設計したものを、図書館用品の専門店に注文してつくらせた。それが、いまつかっているわたしのカードの原型である。

このカードは、たいへん評判がよくて、希望者がたくさんあったので、まとめて大量につくって、あちこちに分譲した。

ついにわたしは、文房具店の店先で、わたしのカードが製品として売られているのを発見した。その商品には、「京大型カード」という名がつけてあった。わたしは、いさぎよくパテントを京大にゆずることに決心した。

わたしも、『知的生産の技術』を読んで「京大型カード」を買った一人です。東京・日本橋の丸善まで買いにいきました。こうして、フィラー・ノートをカード式につかう方法とカードそのものをつかう方法を併用する期間がながくつづきました。


一方で、カードの苦労についてものべています。

いずれにせよ、野帳からカードに資料をうつしかえるという操作をふくんでいた。口でいえばかんたんだが、じっさいにはこれは、容易ならない作業である。野帳の分量がおおいと、野外調査からかえってからカードができるまでに数ヶ月を要したりした。


この問題は、わたしの場合は iPhone と Mac をつかうことにより解消されました。

iPhone で記録したデータは iCloue により Mac に同期されます。現場のデータはそのまま Mac で処理することができるので、転記の手間はかかりません。

カードという形にこだわるのであれば iPhone と Mac に付属しているアプリ Keynote をつかえばよいです。1枚1枚のスライドはカードとしてつかえます。これにはボイスメモ(ボイスレコーダ)機能もついていますし、写真などをペーストすることもできます。Keynote に現場でデータをどんどん記録していけよいです。あとで、カード(スライド)を入れかえたり、あたらしいカード(スライド)を挿入したりできます。

Mac 上で情報を処理するときには、Keynote の「表示」から「ライトテーブル」を選択すれば、画面上にカードを縦横にならべて、入れかえ・組みかえ・追加・挿入・削除などを自由にたのしむことができます。プレゼンテーション用のスライドや資料もできてしまいます。

しかし、形にこだわらないのであればワープロソフト(Pages など)をつかえばよです。コンピューターが発明されて、データ(ファイル)の入れかえ、挿入、組みかえなどは、カット&ペーストで自在にできるようになりました。どのようなアウトプットの形式を選択するかによってアプリをつかいわければよいでしょう。

先にもふれましたが、「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわしてしまって、あらたな組みあわせを発見するところにあり、固定観念にはとらわれずに発想することであると言ってよいでしょう。形にとらわれるよりもその原理・本質に気がつき、それを利用することの方が重要だとおもいます


iPhone と Mac を iCloud で同期させるときの現時点での注意点は、OS のバーションです。

iPhone の iOS を最新の iOS 8 にアップグレードした場合は、Mac OS も最新の Yosemite にアップグレードしないと、最新の iCloud Drive がつかえず、Keynote と Pages の同期はできません(注)。これは重大な問題です。

つまり、iCloude を使う場合はつぎの組みあわせでつかわなければなりません。

 iOS 7:Mavericks
 iOS 8:Yosemite

Mac OS X を Yosemite に当面アップグレードする予定のない人は、iOS を iOS 7 のままにしておいた方がよいです。

新 iPhone の場合など、iOS 8 になっている場合、iOS 8 にした場合は、Mac OS X を Yosemite にアップグレードせざるを得ません。Mac OS X のアップグレードにあたっては、アプリの対応のおくれなどの不備もありえますので慎重さが必要です。


▼ 文献
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)岩波書店、1969年7月21日 
知的生産の技術 (岩波新書)

▼ 注:iCloud Drive をつかうときの現時点での注意点
iCloud Drive を利用するためには、サービスのアップグレードが必要です。

その場合、Mac では、OS を最新の Yosemite にアップグレードしないとつかえません。アプリの対応の問題がありますので、 Yosemite へのアップグレードには慎重さが必要です。

Mac の OS が10.9 Mavericks 以前の場合、Yosemite、iCloud Drive にアップグレードしてしまうと、それまでの Documents in the Cloud が利用できなくなってしまうので注意が必要です。

Mavericks あるいはその他の OS の場合でも、HTML5 が使えるブラウザで、iCloud.com にアクセスすれば、iCloud Drive のなかを確認できます。Yosemite にアップグレードしていない Mac や、iCloud コントロールパネルをインストールしていない Windows の場合です。

Mac OS X 10.9.5 Mavericks がシャットダウンあるいは再起動しなくなりました。歯車がグルグルまわっています。

そこで、電源ボタンをおしつづけて「強制終了」、再度、電源ボタンをおして「起動」し、すぐに「option」をおします。

右側の「復旧ディスク」を選択すると、「復旧ディスク」で起動し、「OS X ユーティリティ」が表示されます。

「OS X ユーティリティ」の「ディスクユーティリティ」をクリック、「ディスクを検証」を実行し、ディスクに問題がないことを確認しました。(もし問題がある場合は「ディスクを修復」をクリックします。)

「OS X ユーティリティ」にもどり、「Time Machine からバックアップから復元」を選択、指示にしたがって復元をすすめます。

インストール先は初期化されたのち、バックアップされ、もとどおりに復元されました。問題なくシャットダウンできるようになりました。

かかった時間は、容量約500G、Thunderbolt 接続で、約2時間でした。


「復旧ディスク」で起動後、OS が入っているディスクを初期化し、OS X を再インストール(クリアインストール)し、その後、OS 以外のデータを「Time Machine からバックアップ」する方法もあります。システム正常化のためにはこちらの方が確実です。

この場合は、Wi-Fi 接続パスワードと Apple ID パスワードを聞いてきますので、あらかじめそれらを用意しておく必要があります。注意してください。


今回は利用しませんでしたが、「インターネット復元」というのもあります。

起動可能なインストーラをあらかじめ作成しておく方法もあります。


いずれにしても、常に、バックアップ・ストレージを用意し、「システム環境設定」→「Time Machine 」を 常に「入」にしておく必要があります。

それにしても、システム復元が本当に短時間で簡単にできるようになりました。ADSL ではなく光回線をつかえばもっと短時間でできます。10年以上前は、システム復元のために1日かかったり、アップルストアへもっていったりして本当に大変でした。

『増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』はミステリー・テレビ映画『刑事コロンボ』の解説書です。全69エピソードを徹底解析しており『刑事コロンボ』鑑賞ガイドとしておすすめします。

コロンボが、どのようにして犯人を特定し事件を解決していくか、特に、仮説を形成していくやり方が情報処理と問題解決の方法を理解するうえで参考になります。仮説を立てることは、情報処理と問題解決をすすめるなかでのキーポイントになります

わたしがおすすめする傑作は旧シリーズではつぎのとおりです。
 01『殺人処方箋』
 19『別れのワイン』
 25『権力の墓穴』
 34『仮面の男』
 36『魔術師の幻想』
 45『策謀の結末』

新シリーズではつぎのとおりです。
 51『だまされたコロンボ』
 55『マリブビーチ殺人事件』
 67『復讐を抱いて眠れ』

『刑事コロンボ』はくりかえして見る価値のあるするれた作品です。

わたしは『刑事コロンボ』を長年研究していて下記サイトも運営しています。ただいま増補改訂作業をすすめているところです。興味のある方はご覧ください。
推理と対決 -『刑事コロンボ』研究 - >
 

▼ 文献
町田暁雄&えのころ工房著『増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』(宝島社文庫)2014年3月6日 
増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録 (宝島社文庫)

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国立科学博物館 


東京・上野、国立科学博物館で開催中の企画展「ヨシモトコレクションの世界」を先日みました(会期:2015年 1月18日まで)。多数の剥製標本を通して生物の多様性を実感することができました。


国立科学博物館ヨシモトコレクションとは、日系二世の実業家ヨシモトさんが、1957年から1995年にかけて世界中から狩猟によって得た標本群のことです。1997年から1998年にかけて、ハワイ・オアフ島のW.T.ヨシモト財団より国立科学博物館へ寄贈されました。

哺乳類・鳥類・爬虫類の標本約400点からなり、種数は全173種(鳥類13種、爬虫類2種)をふくみます。その多くは全身が剥製としてのこされており、内訳は全身剥製267点、頭部剥製98点、半身剥製7点、なめし皮7点、頭骨1点、角8点、牙10点です。

剥製の製作を手がけたのは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市のクラインバーガー社で、その優秀な技術は、動物の細部を見事に再生しているといえます。特に頭部に浮き出した血管の様子や、肛門周辺の造形は見事で、またいくつかの標本では生きていたときの行動を再現して作製されています。すべての個体について捕獲した時期と場所が記録されており、また各ハンティングの記録は付帯資料としてキャビネットにおさめられています。

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ヨシモトコレクションは今回の企画展示のほか、国立科学博物館・地球館3階や1階に常設展示されていて見る者を圧倒しています。もしこのコレクションがなかったなら、国立科学博物館の動物展示はかなり貧弱なものになったでしょう。

このコレクションをきずいたヨシモトさんとは、日系二世の実業家としてハワイで大成功をおさめたのち、世界各地で狩猟をおこない、動物の剥製の製作をすすめました。そして晩年には自然保護を推進するようになりました。

剥製標本は立体でリアリティがあったため体験的に動物について理解をふかめることができました。動物写真を図鑑で見ているのとちがい迫力がありました。また、せまいスペースのなかで多数の標本をみることができたので、動物の多様性を短時間・高密度で実感することができました。

動物の多様性をとらえる場合、つぎのような段階を踏むとよいでしょう。

 (1)図鑑で見る
 (2)博物館で見る
 (3)動物園で見る
 (4)フィールドワークをおこなう

(1)図鑑で見れば、地球上で知られているほとんどの動物を写真や絵で体系的に見ることができます。
(2)写真や絵は平面的(2次元)ですが、展示標本は3次元であり、いろいろな角度から動物を立体的にとらえることができます。
(3)博物館の標本は死んだ動物ですが、動物園では実際に生きている動物を見ることができます。より現実にちかづきます。
(4)フィールドワークをおこなえば、野性の動物を生態系のなかに位置づけて見ることができます。しかし、フィールドワークでは動物に出会える機会は少なくなり、ガイドや専門的なやり方が必要になります。

(1)から(4)にいくにしたがって動物に出会える頻度は低くなりますが、より現実の状態を知ることができます。

このような認識の段階の全体像を踏まえて博物館の動物展示を利用すれば、動物に関する理解がすすむとともに、ヨシモトさんの功績が後世まで生かされるとおもいます。

つぎのデータベースも有用です。


▼ 関連ブログ
哺乳類の進化と絶滅をまなぶ -太古の哺乳類展- 
具体例を蓄積して理解をふかめる -ダーウィンフィンチのクチバシ- 

わたしもメンバーのひとりになっている日本ネパール協会は、今年、創立50周年をむかえました。12月6日には祝賀会を開催するそうです。50周年記念誌の制作にもとりくんでいます(注)。

50年前とくらべるとネパールも日本もすっかりかわりました。今では、ネパール人は日本にもたくさん住んでいます。

この協会は当初は、日本とネパールの唯一の交流の窓口として機能していました。日本に来るネパール人はこの協会にまず問い合わせ、ネパールに行く日本人もこの協会にまず問い合わせていました。

しかし今では、交流の第一歩はフェイスブックになりました。交流の方法も第一にネットワークを基礎にした自由なものになりました。フェイスブックでまずやりとりをして、そして行動にでます。

50年間で時代は本当に変わりました。日本ネパール協会の50年の歴史を見ているだけでも、情報化とグローバル化がいちじるしくすすんだことがよくわかります。


注:日本ネパール協会会報234号(2014年8月31日発行)
公益社団法人 日本ネパール協会

NHK歴史秘話ヒストリア(2014.10.15)で「飛鳥は石の都だった」と解説していました。

日本にもあった?謎の巨石文明 ~目覚める 飛鳥“石の女帝”~ >

清明天皇の陵墓(牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん))は八角形のピラミッドでした。80トンの巨石の内部をくりぬいて石室をつくりました。

益田岩船(ますだのいわふね)などは、失敗作あるいは未完成の石室であるという仮説がたてられました。

石の都としての飛鳥は、朝鮮半島の百済と友好関係にあったことが大きく影響しています。

わたしがここでおもいだしたことは、川喜田二郎の「騎馬民族倭人連合南方渡来説」です。

どうして、飛鳥と百済とは友好関係にあり、白村江の戦いでは連合軍をつくって共に唐と戦争をしたのでしょうか?

「騎馬民族倭人連合南方渡来説」によれば、飛鳥の人々と百済の人々は民族学的におなじ起源をもち、南方から黒潮にのって北上してきた人々であり、その一方は九州から西日本に入り飛鳥にたどりつき、他方は朝鮮半島南西部(百済)にたどりついたのです。元々はおなじ人種ですから仲がよいのはあたりまえであるというわけです。白村江の敗戦で百済が滅亡したときには百済の人々が多数 日本にのがれてきました。現在の大阪や近江に居住したようです。

今回の番組ではここまでつっこんだ説明はしていませんでしたが、石室にかかわる仮説などはとても説得力があり興味ぶかかったです。

このように、仮説をたてて歴史をとらえなおすと、今まで見えていなかったことが想像できてとてもおもしろいです。仮説は、情報を処理し考察をすすめ問題を解決するのためのポイントになります。


▼ 関連ブログ
現場のデータにもとづいて仮説をたてる 〜川喜田二郎著『ヒマラヤ・チベット・日本』〜
仮説を検証し、体系化する 〜 川喜田二郎著『素朴と文明』〜
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