発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

カテゴリ: 情報処理全般

人間は、基本的に情報処理をする存在です。つまり、環境から情報を取り入れ、情報を処理し、その結果を環境にアウトプットしています。

よくできた情報処理ができると、人間と環境との適切な相互作用をうみだすことができます。すると人間と環境とは調和し、人は環境に適応できるようになります。人間は、環境から一方的に影響をうけるのではなく、環境をうまく利用するという観点も重要です。

このようにかんがえると、環境は、単なる生活の枠組みということでなく、ひろい意味で人間の延長であり、大きな意味での自分の部分にもなってきます。

日産では、「会議の議事録はつくらず、模造紙数枚と大量の付箋紙を用意、参加者は付箋紙に自由に意見を書き込み模造紙にペタペタはり、最後に、模造紙全体をデジカメで撮影して関係者に配信、それが議事録の代わりになる」(注)そうです。

日産の会議の特徴を要約すると以下のようになります。

・議事録はつくらない。

・意志決定者は会議には出席しない。

・その日のうちに結論をだす。

・会議の構成メンバーは、部門を越えたメンバーとする。

・「課題定義書」を会議前に配布する。

・「課題定義書」に結論をだすことで得られる「効果金額」を明記する。

これは、KJ法創始者の川喜田二郎が創案した会議法と本質的には似ているやり方です。意見や情報を迅速にあつめるためにも、このような参加型会議やチームワーク方式は有効です。「KJ法グループ作業」とよばれる方法は時間がかかると誤解されてあまりおこなわれていないようですが、このようなやり方は、大局的にみれば時間を効率的につかうことになることに気がつくべきでしょう。

注:「なぜ日産は会議の議事録をつくらないのか」プレジデント、2012.7.29(YAHOO! JAPAN ニュース 11:04 配信)

千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』(日本経済新聞社、1988年6月)を読みました。

川喜田半泥子は、KJ法創始者の川喜田二郎の父であり、本書は、川喜田半泥子の本格的な伝記です。半泥子は、銀行家にして鬼才の陶芸家、複線的な人生を生涯つらぬき通しました。


半泥子は、自然の素材に対して忠実であることを美の特徴であるとした。半泥子の茶碗には自然の姿がある。半泥子は、ほとんど茶碗に絵付けをしない。茶碗そのものに自然をうつした。わざとらしい人工の跡を見せない。これは、荘子の「無為自然」の思想に通じる。無為自然とは、人為をすてて自然のままに生きることである。文明人は、本来渾然として一体をなしている自然を、認識のために分解してしまうが、自然のまま無差別の世界に生きることにこそ本来の道がある。

半泥子の子、川喜田二郎はKJ法を創始しました。その実践の究極は「本然」に到達することです。本然とは、もともとそうであること、自然のままであることです。わたしたちはいずれ、もともとの姿、本然にたちかえることになります。KJ法でとく「データをして語らしめる」とはそのための筋道であり、こうして、渾沌それ自体をして語らしめることができるのです。

データをして語らしめるKJ法の本質は、自然の素材をして語らしめる半泥子の方法に通じています。川喜田二郎は、著者・千早耿一郎に、「しらずしらず父親の影響を受けたかもしれませんね」とかたったそうです。


▼ 参考文献
千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』日本経済新聞社、1988年 
おれはろくろのまわるまま―評伝・川喜田半泥子


第201回SRS特別講習会「深層法(多重深層意識開拓法)」に参加しました。印象にのこったことは次の点です。

人生のほとんどすべては深層意識が決めています。深層意識とは探究するものではなくて、つくりあげていくものです。

東洋は目(視覚・図形)の世界を重視し、東洋人は「目の人」であるのに対し、西洋は耳(音・言語)の世界を重視、西洋人は「音の人」です。目は直観に通じ、耳は論理に通じます。東洋では、風水とか陰陽五行などを通して潜在意識の存在はすでに知られていましたが、西洋では潜在意識を、フロイトと彼の弟子のユングらがはじめて世に知らしめました。

感覚でとらえている環境は、実は、自分の外にではなく中(心の中)にあります。根っこにある潜在意識はすべてつながっています。環境を見れは潜在意識の状態がわかります。

「ビジョンをもって、そのときに、今やるべきことをひたすらおこなう」ことの重要性をまなびました。ビジョンをもつということがポイントです。こうして直観力をきたえます。直観にしたがうと表面意識と深層意識の連動共鳴がおこるということです。また、周囲の人々とのコミュニケーションは「たとえる」ことにより可能になります。何かをはなすとき「たとえば・・・」とつづけるのがよいです。
 
地上(表面)にまっすぐそだつと、 地下( 深層)に貫徹する力が生じ、たくましく成長できるのだとおもいます。その反対に地上でまがっていると、地下もまがってしまいます。バランスがとれ調和した心の状態が大切なのでしょう。

事務所での事務的な仕事は「雑用」などといわれ苦痛に感じる人がいるらしいですが、事務仕事も情報処理あるいはその訓練の場としてとらえると有意義なことになります。つまり、一見複雑にみえる雑多な作業を、「インプット→プロセシング→アウトプット」という情報処理の3場面にそって整理して実施するとよいです。

私は、あるNGO/NPOの事務スタッフに次のように指導しました。インプットは投入といいかえることもでき、たとえばプロジェクトのための資金調達がそれにあたります。資金調達により予算(お金)が入ってきます。そのほかにメールなども入ってきます。また様々な情報収集はいうまでもなくインプットです。次に、プロセシングとして重要な業務は経理(会計処理)です。そのほか企画立案などもあります。アウトプットとは外にむかって情報を発信することであり、広報活動やイベントの実施などがそれにあたります。また成果をだすことはすべてアウトプットです。アウトプットの本質は社会に役立つ社会的価値のあることを実施することです。

そして、よくできたアウトプットができれば、それはおのずとあらたなインプットにつながってきます。

ロンダ=バーンたちは「引き寄せ」の法則についてのべています(注)が、その説明の仕方は段階を踏まえてのそれとなっています。つまり、本の最初からの大部分は、周波数や波動といった現象をもちだして古典物理的な解説をしています。しかし、256ページの「宇宙のひとつの意識」からはそのようなことからは はなれ、意識の作用と場についてのべています。古典物理的な前者の解説は初心者むけの基本的な解説、意識に関する後者の解説は上級者むけの本質的な解説になっています。

上級者むけには「宇宙のひとつの意識」が解説されています。すべての可能性とポテンシャルは同時に存在するのであり、実際にはそれは、波がつたわってくるというような古典物理的な現象ではありません。

そもそもは意識(心)があるだけであり、時間も空間も見かけの現象にすぎません。見えること、聞こえること、感じることはすべて意識でとらえたこと、見かけの現象、色(しき)にすぎません。本当は意識があるだけです。個人も、人生も、ヒマラヤも、地球も、すべてが意識の中にあるのです。

一方で、意識の中のできごとであるからこそ、みずからの意識により人生をえがき創造し、世界をえがき創造することができるのです。

注:ロンダ=バーン著『ザ・シークレット』角川書店、2007.10.29。
ザ・シークレット

「宇宙のひとつの意識」(ロンダ=バーン)にあるように、ひとつの意識のひろがりのなかで私たちは生きています。その意識のなかで、自分自身がおもっていることを、実は見ているのです。

「宇宙のひとつの意識」とはその人の意識そのもの、心そのもであり、そこに「引き寄せ」の法則がはたらく場があります。

結局は、ひとつの意識があるだけなのですから、意識のバランスをとり、意識の平和をめざすことが重要です。世界の平和とは心の平和であると気がついたとき、とても気が楽になります。

ロンダ=バーン著『ザ・シークレット』の256ページには「宇宙のひとつの意識」についてのべられています。

ここでいう意識とはいいかえれば心の作用のことであり、宇宙も意識(心)でとらえられたもので、意識の場の中にあるのであって、意識がすべてをつくりだしているのだということを理解することができます。意識のなかにすべてがあり、意識がすべてをつくりだしている。したがって、宇宙は観測されてはじめて存在するということにもうなずけます。この意識とは、可能性をすでにもっており(可能性が潜在しており)、それが、顕在化し実現するのを待っています。

このようにかんがえてくると、世界(宇宙)の平和ということも、実は、心の平和のことであり、その可能性はすでに存在し、それが顕在化するのを待っているので、私たちは心の平和をもとめて生きていけばよいということになります。

ロンダ=バーン著『ザ・シークレット』(注)を読んでいると、世界の平和とは、実は心の平和のことであるということがわかります。

また、同著のなかの「宇宙のひとつの意識」をくりかえし読んでいると、意識はふかまり大きな発展がもたらされます。

結局、意識のなかにすべてがあり、意識があるだけなのですから、見かけの現象や幻にはとらわれず、意識を自覚しコントロールし発展させることにより平和な人生をあゆんでいくことができます。


注:ロンダ=バーン著『ザ・シークレット』角川書店、2007.10.29。 

METライブビューイングで、グノー作曲《ファウスト》 (新演出オペラ)をみました。

指揮:ヤニック=ネゼ=セガン
演出:デス=マッカナフ
出演:ヨナス=カウフマン(ファウスト)、マリーナ=ポプラフスカヤ(マルグリット)、ルネ=パーペ(メフィストフェレス)
MET上演日:2011年12月10日
上映時間:3時間53分(休憩2回/新宿ピカデリー)

オペラの原作はドイツの文豪ゲーテ、一生を高邁な学問に捧げた老哲学者(ファウスト)が、悪魔(メフィストフェレス)の助けをかりて青春を取り戻し、人生遍歴に出るという話です。

今回の新演出では、主人公ファウストは物理学者、幕開けは原爆投下後の世界と設定されています。ナガサキをおとずれたある物理学者が、人類を不幸へとみちびく物理学と決別したという実話にヒントを得たといいます。

物理学者ファウストと、悪魔メフィストフェレスの二人はほとんど同じ服装をしています。青年になったファウストは白のスーツ姿で胸に白いバラの花、一方のメフィストフェレスも白いスーツに赤いバラをかざっているというように。これは、悪魔メフィストフェレスは、物理学者ファウストの内面の化身であることをあらわしているのだといいます。つまり、悪魔は、実は、ファウスト自身の心の中にいるのです。外にいるのではなくて。

これは、人間の真理をついた演出です。悪魔は自分の心の中にいる。すべては自分の心の中のできごとである。すべては自分の心の中からひきおこされる。原爆もこのようにして生じてきたのです。

MET:The Metropolitan Opera

111225 Himalaya

多くの人々にとって、地球は大きくてつかみどころがないように見えます。そこでたとえば、世界最高峰エベレストをもつヒマラヤを中心にして地球をとらえなおしてみましょう。ここは、北極・南極につぐ地球第三の極ともよばれます。

ヒマラヤのふもとにはインドやチベットが、そしてユーラシア大陸がひろがり、そして地球があります。その背後には宇宙がひろがっています。Google Earth をつかえばこのようなバーチャルツアーが手軽にできます。ヒマラヤを、地球のシンボルあるいは「塔」のようにとらえてみてください。

地球を全体的にまずながめたら、つぎには何かを中心にして、そこをポイントにしてもういちど全体を見直すと今まで以上に全体がよく見えてくるものです。ピントがあうといった感じもしてきます。

第197回SRS特別講習会「手動法(手動心身改善制御法)」に参加しました。手は、心身(人間)と人生とをつなぐ接点です。その可能性を最大限に活用し、手を能力開発の基地(砦)にします。右手は人生のモデル、左手は心のモデルです。

計画立案技法の一つに「パート法」とよばれる方法があります。後日あらためて詳細は紹介しますが、この方法をつかうと仕事を直列的にではなく並列的にこなせるようになります。つまり並列処理ができるようになります。これは、時系列的な一次元の仕事を二次元・三次元へと図解化・空間化することによって可能になります。

一つの作業が終わらないと次の作業にすすめないという仕事もありますが、同時並行に(並列的に)すすめられる作業もたくさんあります。 

並列処理・空間化のツールとしては、iCalなどのウェブカレンダーも有用です。たとえば月間カレンダーを、縦横に仕切られたマトリックス(行列)としてとらえなおし、仕事を空間配置します。観点を変えて、時間の流れではなく空間的にとらえなおします。見方をかえるだけでも並列処理がやりやすくなります。並列処理こそが仕事や情報処理の基本です。

日本は、いよいよ放射能被害が拡散してきて大変なことになってきました。今こそ、機械文明・物質文明から“いのち”の文明への転換が必要です。そのためには、カタストロフィーを理解できる自然観の再生と、市民ネットワークの構築が必要でしょう。

さて、『ザ・シークレット』(注)の105ページには、「大切な事は時間ではなく宇宙に同調すること」「時間が幻想にすぎない」とあり、106ページには、「全ての事象は同時に起きている」「時間など存在しないのだ」とあります。これらの帰結として、時間的な流れにとらわれるのではなく、ただちに宇宙と同調することが重要であるとなります。

つまり、過去・現在・未来という時間の流れは、現代人が見かけ上そうおもいこんだ結果でしかなく、実は、未来とはビジョンのことであり、過去とは記憶のことであり、それらはまさに現在同時に存在するのです。したがって、心の中では、ビジョンをえがき、現在を生き、よくできた記憶をつくっていけばよいということになります。

ところで、そもそも古代人には空間の認識はありましたが、時間の認識なく、人類は、文明のはじまりととともに時間の認識を持ちはじめました。先日、NHKコズミックフロント「マヤ天文学」を見たところ、マヤ天文学は、マヤ文明のはじまりとともに時間を見事にとらえるようになって大変な進歩をし、当時としては、ヨーロッパをふくめ他のあらゆる地域よりもはるかにすすんだすぐれた天文学を構築しました。マヤ天文学に、文明のはじまりとともに時間認識がすすんだ証拠をみることができます。しかし一方で、文明がすすみすぎると、宇宙と心の本来のとらえかたや直観力がおとろえ、人類は、何でも論理的・分析的にとらえるようになってしまいました。

「引き寄せ」の法則は、現代においてもういちど文明以前の初心にかえり、宇宙と心をとらえなおすことの重要性をおしえてくれています。「引き寄せ」の法則をつかうということは、心を宇宙とを同調させる(共鳴させる)ということですが、宇宙と心とは本来一体のものであるという本源的な認識が重要です。これは高度かつ深遠な研究課題ですので、今後さらにデータをあつめていきます。


注: ロンダ=バーン著『ザ・シークレット』角川書店、2007.10.29。 

発想法とはアイデアをうみだす方法のことであり、本ブログでは、旅行やフィールドワークなどでえられた情報を処理し、アイデアを発想し、問題を解決する方法をあつかいます。

情報処理とはつぎの3場面からなり、人間を、情報処理をする存在としてとらえ(人間主体の情報処理)、よくできたアウトプットをめざします。

インプット → プロセシング → アウトプット

問題解決とは、情報処理を累積しながら課題にとりくみ問題を解決していくことであり、その基本はつぎの3段階です。

1. 大局 → 2. 局所 → 3. 本質

それぞれの段階の内部で情報処理をくりかえします。問題解決のポイントは大局をみて局所をせめるところにあります。


プロフィール
T.TANOKURA
東北大学大学院理学研究科博士課程修了(地学専攻)。博士(理学)。KJ法本部・川喜田研究所、ネパール国立トリブバン大学理工学部などをへて、ネパールNGOネットワーク事務局長、ブロガー、ライター


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