本書第二部では、第一部で発想された仮説「 文化発展の三段階二コース」説を日本史のデータをつかって検証しています。

第二部の目次はつぎのとおりです。

第二部 日本誕生 - 生態史的考察 -
 序 総合的デッサンの試み
 1 北方からの道
 2 水界民のなぞ
 3 農業への道と日本
 4 倭人の日本渡来
 5 渡来倭人の東進北進
 6 騎馬民族倭人連合南方渡来説
 7 日本到来後の古墳人
 8 中国文明とは何か
 9 朝鮮半島の古代文化地図
 10 白村江の意味するもの
 11 日本の知識人は島国的
 12 水軍と騎馬軍との結合で中世へ
 13 重層文化の日本
 14 半熟に終わった日本文明

要点を書きだすとつぎのようになります。

旧石器時代の後期から少なくとも縄文前期ぐらいにかけては、圧倒的に北の文化が南下する流れが優勢だったのである。

一気に素朴から文明へと飛躍したのではなかった。その中間段階へと、白村江の敗戦を境に踏み切ったのである。その中間段階を、私は「重層文化」の段階と呼んだ。それは具体的には次のような平明な事柄である。すなわち、素朴な土着文化的伝統と、お隣の外来の中国文明との、折衷から融合へという道を選んだわけである。

日本の文化の発展段階は、聖徳太子から大化の改新を経て天武天皇に至るあたりを境にして、素朴文化の段階から重層文化の段階に移ったのである。

地縁=血縁的な素朴な日本の伝統社会のゆき方がある。他方では律令制と官僚群による中国から導入された法治主義がある。この両方のゆき方の並立からしだいにその融合に進んだとき、ここに封建制が出現したのである。

戦国期以来ようやく前近代的文明への文化変化を推し進めたきた。


「文化発展の三段階二コース」説によれば、日本は、次の発展段階をたどったことになります。

〔素朴文化〕→〔重層文化〕→〔前近代的文明 → 近代化〕

本書第二部では、日本史のデータをつかってこれを検証しています。具体的にはつぎのようになります。

 素朴文化:旧石器時代から白村江の敗戦のころまで
 重層文化:白村江の敗戦のころから戦国期まで
 前近代的文明:戦国期から江戸時代末期まで
 近代化:江戸時代末期から

上記のひとつの段階から次の段階へ移行するときには、「技術革命」がまずおこり、つづいて産業、そして社会の変革にいたり、最後には、人々の世界観・価値観が変容し、あらたな精神文化が確立するとしています。つまり、ハードからソフトへと変革が順次進行します。

ある仮説にもとづいてさまざまなデータを検証し、その結果をアウトプットするということは、その課題に関する多種多量な情報を体系化することでもあります。著者は、本書第二部で、「文化発展」という仮説から日本の歴史を再体系化しました。検証と体系化の実例として参考になります。


文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日