江戸時代の城郭がのこります。歴史都市です。〈城下町-耕作地帯-自然環境〉の大規模構造がわかります。
NHK の人気番組「ブラタモリ」、弘前編は、「サムライが作った弘前の宝とは!?」というお題でブラブラします。

弘前城址(弘前公園)にやってきました。




「櫓ですね」(タモリ)

実は、これは櫓ではなく天守です。反対側にまわると印象が一変します。三層の天守の正面は石落しや破風をそなえ、津軽十万石の風格をただよわせます。こちらが正面です。

江戸時代あるいはそれ以前に建設され、いまでも存在する「現存天守」は全国に12しかなく、弘前城の天守は、数すくない現存天守のひとつ、松本城より北では唯一です。

「裏側は、経費節約ですか?」(タモリ)

東北の諸般は慢性的に財政難でした。正面は、しっかりつくれても、裏側まではお金がまわらなかった可能性があります。あるいは津軽人の『えふりこぎ』= いいカッコしいの気質があらわれたのかもしれません。

弘前城は現在、石垣の修理工事がおこなわれています。そのため天守は、本来の場所から移動しています。修理する石垣は、高さ約10m、幅約110mで、石の数は3000個もあります。ちいさな石でも2t以上あります。ソリのようなものに石をのせて綱でひっぱる体験イベントをやっています。

弘前城をあとにし、南西に1km ほどはなれた場所にむかいます。風格のあるおおきな寺が目にはいります。長勝寺、弘前藩主の津軽家の菩提寺です。戦国期の享禄元年(1528)年の創建で、三門と本堂のほか、庫裏や御影堂などが国の重要文化財に指定されています。




長勝寺からスッと東に並木道がのびます。500mにわたってつづく杉並木はまさに壮観です。通りにはいくつもの寺がならび、その数は33、しかもそのすべてが禅宗の曹洞宗の寺です。林のようにお寺がたっている街ということで「禅林街」とよばれます。

しばらくあるくと枡形があります。枡形とは、敵の侵入をふせぐために直角に道をまげた場所のことです。弘前藩は、領内の寺を1ヵ所にあつめ、ここを、弘前城の出城にしました。

つづいてやってきたのは弘前城の東にひろがる城下町です。百石町。江戸時代には、百石の扶持、つまり給料をもらう武士(中間管理職)がすんでいました。このあたりには江戸時代の町名がそのままのこっています。弘前には、五十石町、代官町、鍛冶町、紺屋町、御徒町、親方町、馬喰町、鷹匠町、白銀町、在府町、駒越町など、江戸時代の町名がいまでものこっています。その数40以上。




今度は、長勝寺の南にひろがるリンゴ畑へ。弘前のリンゴ出荷量は、市町村別で全国第1位です。1年間に約6億個ものリンゴを収穫します。

「幹が太いわりには、木が低いな」(タモリ)

リンゴのまんなかの幹をきってあります。「芯止め」といわれます。枝が横にのびるため、リンゴの収穫が楽です。根が活性化され、木の寿命がのびる効果も期待できます。

明治維新とともにサムライは職をうしない、リンゴの栽培にのりだした人たちがいました。リンゴ栽培を弘前一円にひろめたのはサムライでした。

弘前城(弘前公園)にもどります。あるいていくとおおきな門がみえてきます。東内門です。




そばには、樹齢135年以上、もっとも日本でふるいソメイヨシノがはえています。春にはいまも、たくさんの花をさかせます。ソメイヨシノの平均寿命はおよそ60年ですから、その倍以上の長寿をほこります。

弘前城の桜は、リンゴ栽培とおなじ芯止めがほどこされ、手入れを毎年しているのでどの桜も長生きです。樹齢100年をこえる桜が約400本もあります。ソメイヨシノ・シダレザクラ・ヤエザクラなど、約2600本の桜があり、桜のトンネルや日本一ふといソメイヨシノもあります。250万人もの観光客が桜の季節にはおとずれる国内有数の桜の名所です。

弘前城の桜の植樹にもサムライたちがふかくかかわっていました。明治維新、武士の時代がおわり、あれはてていく城の姿に心をいためた元藩士たちは、私財をはたいて1000本もの桜をうえたのでした。






わたしはかつて、弘前にすんでいたことがあり、伝統をまもる ふるめかしい街だと感じていました。

弘前城址は、全国的にみてもとてもめずらしく、江戸時代の城郭の全形がのこるたいへん貴重な史跡です。天守、櫓、門、内濠、外濠・・・。地形をたくみにつかった平山城の姿をみることができます。

社寺、武家住宅、商家、農家などのふるい建築物も比較的よくのこっており、国の重要文化財の指定をうけた建造物の数は22件(44棟3基)におよびます。禅林街の南東には「新寺町」があり、ここも江戸時代からつづく寺院街で、浄土真宗や日蓮宗など、さまざまな宗派の寺が23もたちならんでいます。

弘前公園や街中をあるいてみれば、そこは文化財建築物の宝庫であり、近世以降の多種多様な建築の優品をみることができます。

それにとどまらず、城下町を中心にして、耕作地帯が周囲にひろがり、さらにその外側に自然環境がひろがるという地域の大規模構造もみられ、このような構造は江戸時代のそれをひきついでいるとかんがえられ、地域のしくみを探究するために重要です。


200819 弘前
〈城下町-耕作地帯-自然環境〉の
大規模構造がみえる
(出典:グーグルアース) 


全国各地で、濠がうめられて道路になったり、街並みや農地がこわされて新興住宅地になったりした城下町がおおいなかで、弘前は、第二次世界大戦のときに空襲をうけることもなく、戦後の乱開発もほとんどおこなわれなかったので、いまでは、往時の面影をのこす貴重な地域になっています。

城めぐりファンは絶対にここははずせません。



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▼ 参考文献
NHK「ブラタモリ」制作班監修『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』KADOKAWA、2018年
2020-08-18 10.39.55


▼ 参考サイト
弘前公園
弘前市立博物館