地球温暖化により氷河が縮小し水不足になります。土木事業と国際紛争が問題を複雑にします。水利体系のみなおしが必要です。
今月の『ナショナルジオグラフィック』は「世界の屋根 ヒマラヤ」を総力特集しています。その第2部は「水の危機」です。




インダス川上流域では、もはや氷河の前進も後退も見られない。ここにあったホーパル氷河とバルプ氷河は著しく後退が進み、住民たちは苦心して整備した用水路網を放棄して、集落を離れなければならなかった。


カンリンポチェ山(カイラス山)から西へとながれるインダス川は、ヒマラヤ山脈・カラコルム山脈・ヒンドゥークシ山脈の雪と氷河を水源とします。氷河は、水をたくわえ供給するという「給水塔」の役目をはたし、これによって川の水量が安定し、インダス川下流のパキスタンや北インドの平野では世界最大規模の灌漑農業がおこなわれ、流域にくらす2億7000万人の命をつないできました。




しかし近年の地球温暖化により、その氷河のほとんどが縮小しつつあります。予測どおりに気温が上昇し、氷河の融解がすすめば、インダス川の水量は2050年を堺に減少に転じます。


2018年、グルキン氷河の近くにあるシシュパル氷河もすべり始め、1日37メートルも前進して、その先のハサナバードという町に迫った。「まるで列車のようでした」と話すのは、地元の地質学者ディーダル・カリムだ。氷河は農業用水を覆い隠し、橋を破壊した。


パキスタン北部の人々は、氷河が前進するのは氷の塊がおおきくなったからだといっていましたが、英ロンドン大学の氷河地質学者ベサン=デイビスによると、氷河は、融解してゆるんだ場合でも、子供がのるそりのようにすべりはじめるといいます。

さらに氷河の融解は、「氷河湖決壊洪水(GLOF)」もひきおこします。氷河がとけてながれでた水は堆積した土砂や氷にせきとめられて池や湖を形成することがあり、その水位があがり、限界をこえると洪水がおこります。

2018年には、イシュクマン渓谷でもそうした洪水が発生し、バド・スワト村とビランズ村が水びたしになりました。洪水は12日間つづき、ながれてきた大量の岩は、イミット川をせきとめて水深6メートルのあたらしい湖をつくり、42戸が底にしずみました。

パキスタン北部では、こうした洪水で700万人の生活が危険にさらされています。

他方で、インドとパキスタンの対立がインダス川をめぐる問題を複雑にしています。

インダス川の上流域、かつてのジャンムー・カシミール藩王国の領内の帰属ははげしい論争の的にいまでもなっています。

さらに下流のパンジャブにひろがる肥沃な平野では、かつて英国が、インダス川とその支流にいくつもダムを建設し、こまかくはりめぐらせた灌漑用運河に川の水をおくりこみました。あらたにさだめられた国境線は5本の支流を寸断し、運河周辺の農村のほとんどはパキスタンに帰属する一方で、サトレジ川ぞいにあるフィロズプルに設置された取水のための頭首工はインド領内にのこりました。

現在、国境付近での紛争と水不足により住民は危機的な状況にあります。インドのパンジャブ州では、農家の人々が、毎年1000人も借金苦で自殺しています。






インドにつたわる最古のサンスクリットの聖典「リグ・ベーダ」には、インダス川は、神と女神、父母として信仰される川とかかれ、この流域で、ヒンドゥー教が形成されたとかんがえられます。

インダス川は、カンリンポチェ山の北側で、4本の腕をもつ女神の吐息のようにささやかにわきだし、そこから西にむかってながれ、インド最高峰をふくむ山々をとおり、係争中の国境地帯をこえてパキスタンにはいります。ヒマラヤ山脈が、カラコルム山脈・ヒンドゥークシ山脈とであったところで南に進路をかえ、パンジャブとシンドの平野をながれ、1600キロ先のアラビア海にそそぎます。

この流域でもともとは、川の水量や降雨の変化によりそう集水農業がおこなわれていましたが、英国の植民地になってからは伝統がこわされ、かわりに、ダムや運河といった大規模な土木事業に転換しました。

今日、インダス川の水量は激減し、地球温暖化による海水面上昇で下流域では塩水化がすすみ、インダス川は、海にちかづくにつれて川としての存在がほとんどきえてしまいます。

このように、インダス川流域は、地球温暖化の影響にくわえ、土木事業と国際紛争によって危機的状況になっています。水利体系のみなおしが必要です。



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▼ 参考文献
『ナショナル ジオグラフィック日本版』(2020年7月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2020年
2020-07-18 20.22.51