「法隆寺は、聖徳太子一族を虐殺した者達によって建てられた鎮魂のための寺である」という仮説を提唱した本です。

「法隆寺・鎮魂寺」説。このおどろくべき仮説がどのような過程で形成されたのか以下に見ていきたいとおもいます。

本書の目次は次の通りです。

第一部 謎の提起

第二部 解決への手掛かり
 第一章 なぜ法隆寺は再建されたか
 第二章 だけが法隆寺を建てたか
 第三章 法隆寺再建の政治的背景

第三部 真実の開示
 第一章 第一の答(『日本書紀』『続日本紀』について)
 第二章 第二の答(『法隆寺資財調』について)
 第三章 法隆寺の再建年代
 第四章 第三の答(中門について)
 第五章 第四の答(金堂について)
 第六章 第五の答(五重塔について)
 第七章 第六の答(夢殿について)
 第八章 第七の答(聖霊会について)


1.法隆寺に関する「謎」まず著者は、法隆寺に関する「謎」を以下のように整理・提起しています。


一 『日本書紀』に関する疑問
法隆寺建造に関して『日本書紀』に一言も書かれていない。なぜか。

二 『法隆寺資財帳』に関する疑問
『資財帳』とは、寺院が政府に差出した財産目録である。これに、法隆寺焼失の記事も再建の記事もない。なぜか。

三 中門の謎
法隆寺の中門の真中に柱があるのは全くおかしい。

四 金堂の謎
中門を入った右側に金堂がある。なぜ金堂に三体もの如来がいるのであろうか。『日本書紀』にいうように法隆寺は全焼し、現在の法隆寺が再建であるとすれば、いったいこの仏像は、どこにあったのだろうか。中にある仏像は古いはずなのに、壁画が新しいのはどういうわけであろう。

五 五重塔の謎
塔の北隅の舎利、舎利のない舎利器、柱の間にくいこんだ石、それはいったい何を意味するのか。外側にある四個の塑像と内側にあったという地獄の像は、いったい何を意味するのか。『資財帳』には、塔の高さを十六丈と報告しているが、実は十六丈はないのである。ミステリーである。

六 夢殿の謎
夢殿を中心の建物とする寺院、それを法隆寺では東院と名付けている。西院に加えてもう一つ大きな伽藍をなぜ必要とするのか。なぜ夢殿は八角堂なのか。なぜ、救世観音は、厳重に秘仏にされねばならなかったのであろうか。厳重に閉じられた厨子、何十にも巻かれた木綿、寺院崩壊の恐怖を与える伝説、それは執拗なる隠蔽への意志を示す。

七 祭り(聖霊会)の謎
聖霊会(しょうりょうえ)というのは聖徳太子の霊をなぐさめる祭りである。大聖霊会では、太子七歳像と舎利が、それぞれ東院夢殿の北側にある絵殿と舎利殿からとり出され、それが西院の講堂の前に運び出されて、そこで祭りがおこなわれる。法隆寺は、舎利を太子と関係させて、一緒に供養しなければならない理由があるのであろうか。太子はなぜ舎利とそんなに深い関係をもっているのであろう。


これらの「謎の提起」は、法隆寺に関するこれまでの多数の観察事実にもとづいて疑問点や問題点を整理し、調査・研究の課題を明確にしたものです。つまり、課題設定をしたわけです

2.『資財帳』を読む -あらたな事実を発見する-
著者はつぎのようにのべています。

1970年の4月のある日であった。私は何げなく天平19年(747)に書かれた法隆寺の『資財帳』を読んでいた。

そこで私は巨勢徳太(こせのとこた)が孝徳天皇に頼んで、法隆寺へ食封(へひと)三百戸を給わっているのを見た。巨勢徳太というのは、かつて法隆寺をとりかこみ、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)はじめ、聖徳太子一族二十五人を虐殺した当の本人ではないか。

その男が、どうして法隆寺に食封を寄付する必要があるのか。


こうして、あらたな事実を発見しました。

3.あたらしい仮説に気がつく
そして、つぎの仮説に気がつきました。

法隆寺は、太子一族の虐殺者たちによって立てられた鎮魂の寺ではないか。

私はその仮説に到達したときの魂の興奮を忘れることが出来ない。法隆寺が聖徳太子一族の鎮魂のための寺であるとしたら。この仮説をとるとき、今まで長い間謎とされてきた、私にとっても長い間謎であった法隆寺の秘密が一気にとける思いであった。


4.仮説を検証する
その後、あたらしい仮説を検証する作業に入りました。

私がその仮説に到達した日から、私は改めて法隆寺にかんする多くの文献をよみあさり、何度か現場へ行って、自分の眼でそれをたしかめたのである。不思議なことは、ちょうど、磁石に金属が向こうからひっついてくるように、法隆寺にかんする多くの事実が向こうから私の仮説のまわりにひっついてきたのである。法隆寺に関するすべての謎が、私の仮説によって、一つ一つ明瞭に説明されてくるのであった。


仮説検証の結果は、第三部「真実の開示」にくわしく記述されています。

■ 問題解決の過程
以上の過程をまとめると次のようになります。
1. 課題設定 → 2. 情報収集 → 3. 仮説形成 → 4. 仮説検証


これは、問題を解決するときの基本的な過程です。

■ 課題設定が重要である
本書は、問題解決のためには、課題設定がいかに重要かをおしえてくれています。最初が肝心です。課題設定をしっかりしないで成果をいそぐと失敗します。

課題設定は、これまでの経験・体験にもとづいて主題(テーマ)を決め、疑問・問題・調査項目を書きだし、問題意識をとぎすますステップです。ここでは、事実に根差した思考をし、体験をともなった情報をとりあつかい処理します。
  • 主題を決める
  • 疑問・問題を書きだす
  • 調査項目を書きだす


この作業は簡単なように見えますが、問題解決をすすめるうえでもっとも重要な最初のステップであり、課題設定をしっかりしておかないと、情報のジャングルでまようことになります。

課題設定のためには、まずは、自分が心底すきな分野、本当に興味のある分野の勉強からはじめるのがよいです。ほかの人にいわれたことや必要にせまられたとことからではなくて。

■ もっとも多くの事実を説明する仮説
また、仮説について著者は次のようにのべています。

真理とは何であるかを、一言説明しておく必要があろう。

それはもっとも簡単で、もっとも明晰な前提でもって、もっとも多くの事実を説明する仮説と考えて差支えないであろう。


ここで注意することは、著者の梅原さんは、まず、事実(データ)をおさえて、そして仮説をたてたのであり、最初に仮説があって、その既存仮説にデータをあわせたり、仮説にあうデータだけをさがしたのではない点です。

ひらめきや発想が生まれてくる一例がここに見られます。
 

文献:梅原猛著『隠された十字架 -法隆寺論-』新潮文庫、1981年4月26日