夢をみて、アイデアをえます。常識から開放されます。登場人物はみずからの分身です。
黒澤明監督『夢』は、1990年に公開された日米合作映画であり、「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話(オムニバス)からなります。いずれも、黒澤明自身がみた夢を元にしています。

黒澤明著『夢』(岩波書店、単行本)はその絵画とシナリオを収録したものであり、雄渾なタッチでえがかれた絵画と詩情あふれるシナリオをとおして、黒澤明の境地をとらえなおすことができます。




私は、夢と云うものは、人間が目覚めているときに
心の底に、かくしていた切実な願望が
眠っている時に自由になってあふれ出し、
頭の中に一つの出来事として描き出したものだと思います。
夢の中の出来事が現実にはあり得ない奇怪な現象を見せているのに、
それが実に生々とした実感を持ち、
現実の体験の様に思われるのは
夢と云うものが純粋で切実な人間の願望の結晶だからだと思います。
そして、人間の頭脳がその夢を形づくる時に
天才的な表現力駆使していると云う驚くべき事実も、
また、夢と云うものが人間の純粋切実な願望の
ギリギリの表現だからだと考える他はありません。
人間は、夢を見ている時、天才なのです。
天才の様に大胆で勇敢なのです。
私の書いた、この八つの夢のビジョンを映画化する時、
一番大切なのはその事です。
この脚本を映画化するためには、
夢を見ている時の様に、大胆不敵な表現が不可欠です。



こんな夢を見た

「アルルのはね橋」(ゴッホ)をみています。その画のなかへはいりこみます。はね橋をわたってゴッホのあとをおいます。

ゴッホはいいます。
「何故、描かないんだね、この風景は僕には驚くべきものに見えるがね」
「自然が美しい時、僕は自分を意識しなくなる。すると、自然は夢の様になって僕のところへやって来る」
「僕は、自然を食べて待っている。すると絵は出来上がって現れて来る。しかし、それを摑まえておくのがむずかしい」

自然は、心のなかで消化されます。それが、心の表層にあがってきたとき、うまくつかまえられるかどうか。そのためには? ゴッホはこたえます。
「働く! しゃにむに働く、機関車の様に働く!」
驀進する機関車のように。ピストンと車輪が連動するように。しゃにむに はたらきます。すると心がはたらきます。対象は、心のなかに生じます。環境が、心のなかに自覚されます。

富士山が噴火しました。

しかしもっと大変なことがおこりました。原子力発電所の爆発です。富士の背後の空間の爆発は、ますますすさまじい様相を呈し、不気味に富士も赤くなります。群衆から、悲鳴と恐怖のさけびがわきあがります。

断崖につづくうねうねとした丘を色々の色をした霧のようなものがしずかにただよってきます。人間は、放射能は目にみえないから危険だといって、放射性物質の着色技術を開発しました。阿呆です。赤い霧は、ますます濃くなってわたしたちをつつみます。上衣をふりまわして絶望的な抵抗をつづけます。

近頃の人間は、自分たちも自然の一部だということをわすれています。自然あっての人間なのに、その自然を乱暴にいじくりまわし、もっといいものが俺たちにはつくれるとおもっています。とくに学者は、自然のふかい心がさっぱりわからない者がおおくてこまります。人間を不幸せにするようなものを一生懸命発明して得意になっています。また大多数の人間は、その馬鹿な発明を奇跡のようにありがたがり、そのまえにぬかずきます。自然がうしなわれ、自分たちもほろんでいくことに気がつきません。よごされた空気や水は、人間の心までよごしてしまいます。






夢をみて、アイデアをえたり、創作したり、問題を解決したりしたという人の話は昔からすくなくありません。知的情報処理のために睡眠と夢が重要です。

夢は、心のなかでおこる現象ですから、夢のなかのできごとは自分自身の反映です。したがって黒澤明の夢のなかの「ゴッホ」も黒澤明の反映であり、黒澤明の分身だといってもよいでしょう。夢のなかの登場人物は「もうひとりの自分」です。

夢のなかでは、さまざまな情報が常識をこえて統合され、ありえないストーリーがつくりだされます。ストーリーには情報を統合する力があります。このようなストーリーは、心の奥で何がおきているのかをしる手がかりであり、そこには、潜在意識からのメッセージがこめられています。

本書の発行日は1990年4月26日です。そして2011年3月11日、黒澤の夢は現実のものとなりました。黒沢の夢は「予測夢」でした。夢は、「ありえないストーリー」ではかならずしもありません。

「上衣をふりまわして」も放射能ははらえません。しかしそのことにいまだに気がつかない日本。原発廃止を決断できない日本。わたしたちは、潜在意識からひびく黒澤明のメッセージをうけとめなければなりません。自然がうしなわれ、自分たちもほろんでいく過程にあることに気がつかなければなりません。


▼ 参考文献(書籍)
栗田昌裕著『夢見の技術で頭がよくなる』(カッパ・ブックス)光文社、2001年


▼ DVD