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寅さん記念館
(交差法で立体視ができます)
映画『男はつらいよ』でつかわれたセットが永久保存されています。原風景と寅さんがかさなります。共鳴がおこります。
ステレオ写真はいずれも交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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映画『男はつらいよ』(渥美清主演、山田洋次原作・脚本・監督、注1)は、1969年8月27日に第1作が公開され、28年間にわたって、のべ49作品(特別編をふくむ)が製作されるという、国民的な人気映画シリーズになりました。

寅さん記念館(注2)には、寅さんがフーテンになったいきさつを紹介するコーナーもありました。


「寅さん」が育ったのは、戦後から昭和30年代にかけての、暮らしは苦しかったけど、夢と希望だけは沢山日本人が抱いていた時代です。

そんな時代に、柴又の町で「寅次郎少年」が不良少年として育ち、そして遂には親の期待を裏切ってフーテン暮らしになってしまったいきさつを、「倍賞千恵子さん」の語りと立体的な紙芝居でお目にかけます。(山田洋次)


寅さんがいきた時代の日本は、経済はつねに右肩あがりで、くるしくとも、きちんとまじめにはたらけば誰もがむくわれる時代でした。希望がありました。ゆたかになるために、親の期待にこたえるために、誰もが頑張りました。

ところが寅さんは、そのような一般的な日本人とはことなるフーテンになりました。当時の日本人とは対極的な存在でした。寅さんは、誰からも管理されることなく、のびのびと自由にいきていました。

常識的な人々は、「こんな生き方あるかよ、ふざけている」とおもって、寅さんをみくだしました。日本人の当時の成功モデルでは寅さんを理解することはできませんでした。

しかしそうはおもってはみたものの、どこかで、「寅さんがうらやましい、自分もときはなたれてみたい」という気持ちがわきあがってくることがあります。『男はつらいよ』をみながら、本当の幸福とは何なのか、とおもいをめぐらせ、いっときの「夢」をみていました。

実際には、心の深層では、おおくの人々が寅さんに共鳴していたのではないでしょうか。そうだからこそ、『男はつらいよ』は空前の大ヒットになったのではないでしょうか。寅さんは、いわば「真逆のヒーロー」だったのだとおもえます。

寅さん記念館には、寅さんがたどった鉄道の旅を追体験できるコーナーもあります。『男はつらいよ』でえがきつづけられた日本の原風景と、寅さんが愛した鈍行列車ののんびりした旅がたのしめる内容です。いまではもうみられなくなった駅舎など、とてもなつかしいです。

高度経済成長の時代は、同時に、管理社会化の時代でもありました。万人が管理されるようになり、おおくの人々が組織の “部品” になりました。けっきょく、管理社会化がいきつくところは機械化社会であり自動化社会です。そこには心がありません。

『男はつらいよ』をみなおしてみると、日本の原風景と寅さんとがかさなります。日本人がわすれたもの、うしなったものが映画のなかに記録されています。



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▼ 注1
『男はつらいよ』(松竹映画)


▼ 注2
寅さん記念館




▼ 関連 YouTube:寅さん記念館&男はつらいよ(歌詞つき)