それぞれの仏像に意味があります。空間配置によって役割分担がきまります。要素が統合され、階層構造化されてシステムができます。
特別展「国宝 東寺 - 空海と仏像曼荼羅 -」が東京国立博物館で開催されています(注1)。東寺・講堂の立体曼荼羅から史上最大規模の15体が結集しました。

『空海 - 真言密教の扉を開いた傑僧 -』(別冊太陽)は多数の写真をつかって空海と曼荼羅についてわかりやすく解説しています。




東寺の立体曼荼羅の全体見取図(平面図)は図1のとおりです。


190401 立体曼荼羅の基本構造

図1 立体曼荼羅の全体見取図(平面図)


図1の如来・菩薩・明王のところには五体の仏像がそれぞれ配置されます。如来は「五智如来」、菩薩は「五菩薩」、明王は「五大明王」によって構成されます。以下の図2a,b,c,d は細部図です。



五智如来

190401 五智如来

図2a 五智如来の空間配置


 
五智如来は、『金剛頂経』に説く金剛界五仏をいう。大日如来のそなえる五つの智を五つの如来にあてはめたものである。五つの智とは「法界体性智」(ほっかいたいしょうち)、「大円鏡智」(だいえんきょうち)、「平等性智」(びょうどうしょうち)、「妙観察智」(みょうかんさっち)、「成所作智」(じょうしょさち)のことである。


如来とは、「真理より来た者」「真実に赴いた者」「真理に到達した者」などの意味をもち、東寺の立体曼荼羅ではつぎの「五智如来」が安置されています。

  • 大日如来(中尊):法界体性智
  • 阿閦如来(東方):大円鏡智
  • 宝生如来(南方):平等性智
  • 阿弥陀如来(西方):妙観察智
  • 不空成就如来(北方):成所作智

大日如来(中尊)は、真理を象徴する存在を王者の姿をかりてあらわした如来であり、法界体性智をつかさどり、最高の智をあらわします。

阿閦如来(東方)は、大円鏡智の徳をつかさどり、おおきなまるい鏡にすべてがうつるように、清浄な智をあらわします。

宝生如来(南方)は、平等性智をつかさどり、あらゆる存在の平等をさとる智をあらわします。

阿弥陀如来(西方)は、妙観察智の徳をつかさどり、存在の相をただしくとらえ、仏教の実践をささえる智をあらわします。

不空成就如来(北方)は、成所作智の徳をつかさどり、なすべきことを成就させる智をあらわします。





五菩薩

190401 五菩薩

図2b 五菩薩の空間配置


講堂の五菩薩像は空海創案の独自のグループで、金剛波羅蜜菩薩を中心に金剛薩埵菩薩 (東方)、金剛宝菩薩(南方)、金剛法菩薩(西方)、金剛業菩薩(北方)の四尊を配したものである。

  • 金剛波羅蜜菩薩(中尊)
  • 金剛薩埵菩薩(東方)
  • 金剛宝菩薩(南方)
  • 金剛法菩薩(西方)
  • 金剛業菩薩(北方) 

菩薩は、菩提薩埵(ぼだいさった)の略であり、悟りをひらいて釈迦となる前の姿が基本です。

本来は、悟りをひらく以前の釈迦、その前生をいいましたが、密教では、慈悲の心で人々をすくおうとする者で、如来となることが約束されている者をさします。

金剛波羅蜜菩薩(中尊)は、大日如来は供養する菩薩です。

金剛薩埵菩薩(東方)は、大日如来と菩提心との接点にある菩薩であり、密教の根本意を人々につたえる重要な仲介者です。

金剛宝菩薩(南方)は、宝生如来(南方)と人々の菩提心との接点に位置する菩薩です。

金剛法菩薩(西方)は、阿弥陀如来(西方)と人々の菩提心との接点に位置する菩薩であり、迷いの世界から目覚めようとする人々をみちびきます。

金剛業菩薩(北方)は、不空成就如来(北方)と人々の菩提心との接点に位置する菩薩であり、迷いや魔障をのぞき悟りをひらきます。





五大明王

190401 明王

図2c 五大明王の空間配置


明王とは、一切の人びとを教化して救済せよ、という如来の命令(教令)を受けて、明(みょう、真言陀羅尼)を奉じ、異形の姿で人びとを威嚇し、魔障を調伏する。力づくで仏の教えへと導くことを使命とし、密教において成立し発展したほとけである。


明王の形相は、怒りに髪を逆立て、口をひらき、舌あるいは牙をむきだしにして、相手をにらみつける忿怒の表情です。さまざまな武器を手にとり、多面・多目・多臂・多足であらわされることがおおいです。(注2)

  • 不動明王(中尊)
  • 降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
  • 軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
  • 大威徳明王(だいいとくみょうおう)
  • 金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)

不動明王(中尊)は、「動かない守護者」もしくは「動かないものの守護者」を意味し、大日如来の使者としての性格があたえられ、明王のなかで最高位に位置づけられています。

降三世明王は、「三つの世界」すなわち過去・現在・未来の三世にわたる仏敵を降伏(こうぶく)するものを意味し、大自在天(ヒンドゥー教のシバ神)とその妻・烏摩妃(うまひ、パールヴァティー)をふみつけています。

軍荼利明王は、あらゆる障碍(しょうげ)をとりのぞく明王であり、装身具に蛇をもちいるのがひとつの特徴です。

大威徳明王は、「死の神ヤマを倒すもの」の意味であり、魔を退治し、大威力をもつ明王です。

金剛夜叉明王は、金剛杵(こんごうしょ)の威力をもつ夜叉の意から「金剛薬叉」(こんごうやくしゃ)ともよばれ、悪をのぞき息災をいのる本尊です。







190402 天
図2d 天の空間配置


天部の諸尊には大きくわけて二つの性格がある。一つは仏敵から守る「護法神」としての性格である。その姿は甲冑姿で武器を手にし、形相は忿怒で、足元には邪鬼を踏まえている。もう一つは現世利益的な「福徳神」の性格である。菩薩を思わせる柔和な相をしており、着衣も条帛(じょうはく)・裾・腰布・天衣などを身にまとう場合が多い。


天とは、十界・六道の一つで、天上界を意味するとともに、そこにすむ神々のことも総称します。その起源のほとんどはバラモン教やヒンドゥー教の神々にあり、仏教は、信仰がひろまるなかでこれらの神々をとりこみ、天上界にすまわせるとともに、天の名称を一括してあたえました。

視覚的にもいかにもインド的なこれらの姿をみれば、インドから日本にいたる広大な空間と東洋の悠久の歴史におもいをはせることができます。



四天王

四天王は、仏教にとりいれられてからは、須弥山(しゅみせん)の頂上にすむ帝釈天につかえ、山下の四方四州をまもる護法神として位置づけられました。その後、須弥山の縮図である須弥壇上において、中央に安置された仏・菩薩の守護を意味するようになりました。

講堂の四天王像は、須弥壇の四隅に、「持国天」(東方)、「増長天」(南方)、「広目天」(西方)、「多聞天」(北方)を配しており、甲冑を着用して武器をもって仏敵をを退散させる威嚇の姿につくられています。

  • 持国天(東方)
  • 増長天(南方)
  • 広目天(西方)
  • 多聞天(北方)

持国天(東方)は、両目をみひらき、口をあけて刀と戟(げき)をもち、にらみつけられたらたまったものではありません。二匹の邪鬼をふみつけており、邪鬼も、「まいったまいった、ゆるしてくれ」とさけんでいるようです。

増長天(南方)も、刀と戟を手にもち、二匹の邪鬼のうえにたっています。持国天の「動」に対して、こちらは「静」の姿で、堂々とした貫禄で悪をしりぞけます。

広目天(西方)は、戟とともに羂索(けんさく、現在は欠失)をもち、二匹の邪鬼をふみしめ、こらしめています。

多聞天(北方)は、戟と舎利塔をもち、台座は、地天女が大地から上半身をだして両手でささげ、その両脇に、毘藍婆(びらんば)・尼藍婆(にらんば)の二邪鬼をしたがえる兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の形式をもちます。多聞天は、毘沙門天ともよばれ、四天王のなかで最強の神とされ、戦勝神・財富神として独立した信仰もあつめています。



梵天と帝釈天

梵天の姿は、インドで仏教に取り込まれた初期の頃から、帝釈天と一対であらわされることが多い。


梵天は、古代インドのバラモン教において、万物の根源であるブラフマンを神格化したものであり、宇宙万物一切の創造神とみなされ、バラモン教においては最高神でした。仏教にとりいれられてからは釈迦の帰依者となり、天部諸尊のなかで最高位をしめます。密教化された梵天は、鵞鳥の背に趺坐することが規定されています。

帝釈天は、バラモン教の聖典ヴェーダの神話によると、天界の最強神としてヴァジュラ(金剛杵(こんごうしょ))をとって毒龍とたたかい、雲間にとざされた雨水を下界にそそいで、大地にうるおいをもたらし、作物に豊穣をあたえる神とされます。仏教にとりいれられてからは仏法の守護神となりました。






以上のように、東寺の立体曼荼羅は、大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、金剛波羅蜜菩薩、金剛薩埵菩薩、金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、持国天、増長天、広目天、多聞天、梵天、帝釈天という21体の仏像からなり、これらは、如来・菩薩・明王・天の4つのグループに編成され、そして4つのグループが空間配置されて立体曼荼羅の全体ができています。

したがって立体曼荼羅は、(1)21体の仏像、(2)如来・菩薩・明王・天、(3)立体曼荼羅(全体)という3つの階層からなる階層構造をもちます。

  • 第1階層:21体の仏像
  • 第2階層:如来・菩薩・明王・天
  • 第3階層:立体曼荼羅(全体)

空間配置によってグループ編成がしめされ、視覚的に階層がとらえられるところがミソです。言語や概念だけで認識するのとはことなります。

このような階層構造では、21体の個々の仏像に意味があり、如来・菩薩・明王・天それぞれのグループにも意味があり、そして立体曼荼羅全体として一つの体系になっています。全体からみると、如来・菩薩・明王・天それぞれのグループに役割分担があり、それぞれのグループのなかの個々の仏像にも役割分担がみとめられます。

個々の仏像もそれぞれのグループも空間のなかで特定の位置があたえられ、場所がかさなっておらず、ポジションをもちます。それぞれの存在意義をポジションがきめています。役割分担とはそもそもそういうものです。

たとえば野球でもサッカーでもそれぞれの選手にポジションがあります。会社にも役所にも政党にもポジションがあります。あるいはだれもが社会のなかでポジションをもっています。みずからのポジション(居場所)がある人は生きていけます。自分の居場所をみつけることはとても大事なことです。

このように立体曼荼羅は、階層的な空間配置によって一つの体系をつくっているのであり、それは、単なる部分の総和というものではなく、全体が部分を吸収するというものでもなく、部分と全体がつよめあい、個即全・全即個、多即一・一即多の世界をうみだしています。これは、図像の曼荼羅でもおなじです。

チームや組織を理解するときも、社会や地域を理解するときも、生態系や地球を理解するときも、太陽系や銀河系を理解するときも、この原理(仮説)がつかえます。 そもそも宇宙は、このような階層構造によってなりたっており、しかもフラクタル(部分と全体が自己相似)になっていることを現代の科学者があきらかにしています。

またおもしろいことに階層の原理は空間的にだけでなく、時間的にも適用できます。宇宙の宇は空間、宙は時間をあらわし、宇宙は空間と時間によってなりたっており、空間だけでなく時間(時代)も階層化されています。そしてどちらかというと胎蔵界曼荼羅は空間的な見方に通じ、金剛界曼荼羅は時間的な見方に通じます。

インド・ヒマラヤ地域では、古代より、天体観測と宇宙の探究がおこなわれていたことがしられており、その成果が、空海の曼荼羅にも投影されています。東洋・数千年にわたる探究の歴史を曼荼羅から感じとることができます。

東京国立博物館の特別展あるいは東寺の講堂にいって立体曼荼羅をあるいてみれば、このようなことを言葉や理屈ではなく、体感し直観することができます。その暇がない人は、別冊太陽『空海』のすばらしい写真をみて感じとってください。

それにしても1200年のときをへてわたしたちにメッセージをおくりつづける空海にまことに感服しました。



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東寺ガイド -『東寺』(小学館101ビジュアル新書)-
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▼ 注1
特別展「国宝 東寺 - 空海と仏像曼荼羅 -」
東京国立博物館のサイト
特設サイト
会期:2019年3月26日 ~6月2日
会場:東京国立博物館・平成館
※ 帝釈天のみ写真撮影が許可されています。



▼ 注2
仏に関する基礎知識:明王(みょうおう)
明王の「明」とは、サンスクリット語のヴィッドヤー(vidya)の訳語で、「知識」・「学問」を意味します。その「知識」は聖なる音を唱えることによって会得する、という信仰から、神秘的な力を秘める言葉とされる真言や陀羅尼(だらに)そのものを「明」と呼ぶようになりました。この「明」のもつ神秘的な力を身につけている人のことを「持明者(じみょうしゃ)」と呼び、「持明者(じみょうしゃ)」の王が明王です。(出展:高野山霊宝館

▼ 参考文献
Amazon:『空海 - 真言密教の扉を開いた傑僧 -』(別冊太陽) 2011年
Rakuten:『空海 - 真言密教の扉を開いた傑僧 -』(別冊太陽) 2011年
※ うつくしい多数の写真とわかりやすい解説、空海と曼荼羅のみごとな入門書です。