似た情報(文)をあつめて段落にします。知的生産とはよくできたアウトプットをすることです。アウトプットの中核技術として作文技法が重要です。
2011年3月10日〜6月14日に国立民族学博物館でウメサオタダオ展が開催されました。ウメサオタダオ(梅棹忠夫、1920年〜2010年)は国立民族学博物館の初代館長であり、「知的巨人」あるいは「知のデパート」と称された著名な文明学者でした。

同展には、来場者が、感想などをカードにかきこむという形で展示に参加できる「はっけんカード」というコーナーがありました。

小長谷有紀編著『ウメサオタダオと出あう - 文明学者・梅棹忠夫入門 -』(小学館)は、この「はっけんカード」を紹介しながら、梅棹忠夫の足跡と業績を解説し、梅棹思想の魅力を再発見しています。



今回は、この「はっけんカード」から、のべ60件の感想をピックアップ(抜き書き)し、それらを、類比法をつかって文章化してみたいとおもいます。具体的には、似ている文(情報)をあつめて段落をつくります。

以下がピックアップした感想です。(p. )は、その感想の掲載ページをしめします。


  • 先生の「かきとめておかないと忘れてしまう」というお言葉に、「そうだそうだ!」と安心しました。(p.15)
  • 発想の原点はとりあえず書いてみるという所が僕に似ています。(p.16)
  • 京大式カードに何か書くのは何年ぶりだろう。多分30年以上あいている。(p.17)
  • 私のお気に入りは「こざね」です。ポストイットをセロテープでつなげてアイデアをかきとめ&まとめていたことと同じだ!(p.17)
  • アフリカでは調査にコクヨのフィラーノートを使われてますね。わたしも学生のときに使ってました(p.21)
  • 完成はない。好奇心を持ち続ける事。それらは散乱させず、整理する事ではじめて蓄積になる。(p.21)
  • 梅棹忠夫先生が今に生きていたら、どんな資料と文章をのこすでしょう? コンピュータもワープロもない時代に、これだけの資料を集められた方です。(p.28)
  • PC の画面の上だけでなく、そこに行って、その空気をすうのは、今でも大切なことだと思っています。先日も沖縄をフィールドワークしました。(p.28)
  • さまざまな意味での "比較文明学" という視点が面白いと思いました。(p.29)
  • 「文明の生態史観」を初めて読んだときのおどろきと感動はいまなお小生の胸に大きく残っています。(p.36)
  • やはり学生時代「知的生産の技術」を読んで病気にかかった一人です。(p.37)
  • 「知的生産の技術」大学生のときにこの本に出会って卒論も採用試験もお世話になりました。おかげさまで今の私があります。(p.39)
  • 私は二十歳の時、知的生産の技術に出会って、初めて、大学というものがおもしろくなりました。先生は日本のダ・ビンチと私は思っています。(p.40)
  • 記録すること、整理すること、そしてアウトプットすること・・・今の私に大きな影響を与えて下さっているのはまちがいありません。(p.41)
  • 90才という年齢まで情熱を失わず、常に新しい発想で仕事をされたことには敬服いたします。(p.42)
  • 学生時代は専門に関すること、雑誌、単行本などたくさんカードをつくっていましたが、今ではコピーの紙たばばかり。(p.44)
  • 「発見の手帳」を書き、授業ノートを京大型カードに書き、こざね法で文章を書いて降りました。(p.45)
  • 東日本大震災という未曾有の国難のときに、ウメサオタダオがいないことが残念でならない。(p.46)
  • 『知的生産の技術』は私の仕事のバイブルであった。(p.46)
  • ウメサオさんのフィールドワークがうらやましいです。私もいつか世界中を旅します。(p.49)
  • 見えないものをつかみたい、その気持ちわかります。(p.50)
  • インターネットのシステムがどんどん世界に浸透していく中で、クラウドサービスの Evernote など、記憶をとにかくためるという点で、この人が用いたカード法というものがまさにそれを行ったものであって、すでに数十年前からやっていたということに非常にオドロキました。(p.51)
  • 「あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく」という言葉に感銘を受けました。ここにきて、フィールドワークのおもしろさをあらためて感じることができました。(p.53)
  • 好きなことに熱中するということは将来にとって大切なことであると感じました。(p.55)
  • 文系・理系の枠を超えての活動。見ているととてもうらやましくなってきてしまった。(p.60)
  • 世界のいろんなところを探検しているのがうらやましいです。(p.62)
  • メモばかりがたまって具体的に発展しない今を打破したいと思って神戸からこさせて頂きました。(p.62)
  • 考えないと生きているイミが何もない。ここに来て「考える」=「生きる」がつながった。(p.69)
  • 一部の研究者だけではなく、みんなが協働して知的生産をする、という梅棹先生の提示された目標に向かって、わたしも努力していきたいと思います。(p.70)
  • 学問研究にも経営感覚が不可欠、とのことである。(p.73)
  • "発見は、突然に出現する" にも共感。(p.73)
  • コンニャクが情報こうかんのようなものなら、コンニャクに情報を記憶させてそれを相手に食べてもらう。食べたらその情報がわかる。そういうコンニャクがあったらいいな!(p.78)
  • 「考え」はその時々まとめて、後で思いついたことはそれだけでまとめておく方が、後で振り返ったときにその時々の自分と向き会える。(p.82)
  • "情報というのはコンニャクのようなもので、情報活動というのは、コンニャクをたべる行為に似ています。" これに納得できるような気がしました。(p.85)
  • ネットで調べた情報ではなく体験で得た情報というのがすごいと思った。(p.93)
  • 自分が夢中になれる事にまっすぐに生きてこられた、そこに感動しました。(p.93)
  • 「山」と「探検」によって独自の方法論を編み上げて行った過程がよくわかる展示で、とても興味深かったです。(p.94)
  • 「何でも記録して残しておく」というのは、ブログやツイッターによって、今でこそ実現・活用可能な方法なのかもしれません。(p.95)
  • 歴史は誰かがつくるのではなく、自分たちがつくる。この言葉を胸に、何事も主体者意識を持っていきていきたい。(p.108)
  • 他人の受け売りばかりではなく、アンテナを常に立てて独自の視点で私なりの研究ができればと思いました。(p.111)
  • 「知的探求」という言葉から受けた印象は「楽しい遊び」と同じもの。だって全体の記録からいっぱいの「楽しかったよ!」を感じたから。(p.113)
  • "はっけん" という視点と、何の役に立つかそもそもそういう次元じゃないということ、なっとくしました。情報にうもれて、"はっけん" はかなりおろそかになっていると思います。(p.115)
  • "明日の自分は他人と思え" 昨日・今日・明日をつなげて自分のフィールドワークを続けてゆきたいと思えました。(p.116)
  • 情報を処理する方法は時代と共に進化するが、情報を処理する哲学は時代を越えて変わらない。(p.118)
  • 1つの発想/発見がつながり、かさなり、大きな意味を持つまとまりに育つ。そのダイナミクスに感じ入りました。(p.118)
  • 膨大で精密な調査ノートやスケッチと、カードを用いた整理法が大変興味深かった。(p.123)
  • 本で読むのと、実物を見るのとでは迫力がまるでちがった。体験の力はおもしろい。(p.128)
  • 実世界の「表面」ではなく「すべて」を見抜く「眼力」を持てるように精進せねばと思いました。(p.130)
  • すばらしいスケッチの数々を拝見すると、先生は本当はヴィジュアルな人ではなかったかと思える。(p.130)
  • カードシステムを実行していたが・・・その根底に「絵」(スケッチ、写真)があることに今日初めて気づいた!(p.136)
  • フィールドノートもカードもスケッチも「やろう!」と思って始めて見たものの・・・うまくいかずにいつの間にか白紙続きになってしまいました。(p.143)
  • 自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の頭で考える。それが既存の価値観や仕組みから自由になれる鍵。自分の内と外に蓄積した情報を自由な発想で練り上げていく快感。(p.144)
  • 目が見えなくなったときも、見えないからフィールドに出ても無駄と感じるのではなく、見えなくても、フィールドに出て感じられることがあると発見し、積極的に活動されていた姿は見ならうべきだと思いました。(p.145)
  • 鳥のなき声をオンプにするなんてすごいですね。絵も見ました。うまかったですね〜。(p.156)
  • 二十一世紀の人類の生きかたに思いをはせる。(p.158)
  • 山と探検の(コーナーで)、山あるきはフィールド・ワークの原点ということは、山あるきが大すきなんだなあと思った。(p.160)
  • 思った事や、考えた事をカードにするのは、いい方法だと思いました。(p.161)
  • 世界のいろいろな所に行っては日記を書きたくさんの発見をしてすごいと思いました。(p.170)
  • 情報活動をコンニャクを食べることに例えたことがすごいと思います。栄養にはならないけれど満腹感がえられるということは情報でも同じだということがよく分かりました。(p.171)
  • ローマ字を使うという発想はよいが、つづりが少し違った。(p.171)





以上の感想について、それぞれの意味やメッセージをしっかりくみとり、似ている文(情報)をあつめてグループをつくります。


  • 「山」と「探検」によって独自の方法論を編み上げて行った過程がよくわかる展示で、とても興味深かったです。(p.94)
  • 山と探検の(コーナーで)、山あるきはフィールド・ワークの原点ということは、山あるきが大すきなんだなあと思った。(p.160)
  • 本で読むのと、実物を見るのとでは迫力がまるでちがった。体験の力はおもしろい。(p.128)

  • 世界のいろんなところを探検しているのがうらやましいです。(p.62)
  • 見えないものをつかみたい、その気持ちわかります。(p.50)
  • "発見は、突然に出現する" にも共感。(p.73)

  • ネットで調べた情報ではなく体験で得た情報というのがすごいと思った。(p.93)
  • PC の画面の上だけでなく、そこに行って、その空気をすうのは、今でも大切なことだと思っています。先日も沖縄をフィールドワークしました。(p.28)
  • 「あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく」という言葉に感銘を受けました。ここにきて、フィールドワークのおもしろさをあらためて感じることができました。(p.53)
  • ウメサオさんのフィールドワークがうらやましいです。私もいつか世界中を旅します。(p.49)

  • 先生の「かきとめておかないと忘れてしまう」というお言葉に、「そうだそうだ!」と安心しました。(p.15)
  • 膨大で精密な調査ノートやスケッチと、カードを用いた整理法が大変興味深かった。(p.123)
  • 世界のいろいろな所に行っては日記を書きたくさんの発見をしてすごいと思いました。(p.170)
  • 思った事や、考えた事をカードにするのは、いい方法だと思いました。(p.161)
  • アフリカでは調査にコクヨのフィラーノートを使われてますね。わたしも学生のときに使ってました(p.21)
  • 鳥のなき声をオンプにするなんてすごいですね。絵も見ました。うまかったですね〜。(p.156)

  • すばらしいスケッチの数々を拝見すると、先生は本当はヴィジュアルな人ではなかったかと思える。(p.130)
  • カードシステムを実行していたが・・・その根底に「絵」(スケッチ、写真)があることに今日初めて気づいた!(p.136)

  • 発想の原点はとりあえず書いてみるという所が僕に似ています。(p.16)
  • 完成はない。好奇心を持ち続ける事。それらは散乱させず、整理する事ではじめて蓄積になる。(p.21)
  • 「考え」はその時々まとめて、後で思いついたことはそれだけでまとめておく方が、後で振り返ったときにその時々の自分と向き会える。(p.82)
  • "明日の自分は他人と思え" 昨日・今日・明日をつなげて自分のフィールドワークを続けてゆきたいと思えました。(p.116)

  • 「発見の手帳」を書き、授業ノートを京大型カードに書き、こざね法で文章を書いて降りました。(p.45)
  • 私のお気に入りは「こざね」です。ポストイットをセロテープでつなげてアイデアをかきとめ&まとめていたことと同じだ!(p.17)

  • やはり学生時代「知的生産の技術」を読んで病気にかかった一人です。(p.37)
  • 私は二十歳の時、知的生産の技術に出会って、初めて、大学というものがおもしろくなりました。先生は日本のダ・ビンチと私は思っています。(p.40)
  • 「知的生産の技術」大学生のときにこの本に出会って卒論も採用試験もお世話になりました。おかげさまで今の私があります。(p.39)
  • 『知的生産の技術』は私の仕事のバイブルであった。(p.46)
  • 記録すること、整理すること、そしてアウトプットすること・・・今の私に大きな影響を与えて下さっているのはまちがいありません。(p.41)

  • フィールドノートもカードもスケッチも「やろう!」と思って始めて見たものの・・・うまくいかずにいつの間にか白紙続きになってしまいました。(p.143)
  • 学生時代は専門に関すること、雑誌、単行本などたくさんカードをつくっていましたが、今ではコピーの紙たばばかり。(p.44)
  • 京大式カードに何か書くのは何年ぶりだろう。多分30年以上あいている。(p.17)
  • メモばかりがたまって具体的に発展しない今を打破したいと思って神戸からこさせて頂きました。(p.62)

  • 「何でも記録して残しておく」というのは、ブログやツイッターによって、今でこそ実現・活用可能な方法なのかもしれません。(p.95)
  • 情報を処理する方法は時代と共に進化するが、情報を処理する哲学は時代を越えて変わらない。(p.118)

  • 梅棹忠夫先生が今に生きていたら、どんな資料と文章をのこすでしょう? コンピュータもワープロもない時代に、これだけの資料を集められた方です。(p.28)
  • インターネットのシステムがどんどん世界に浸透していく中で、クラウドサービスの Evernote など、記憶をとにかくためるという点で、この人が用いたカード法というものがまさにそれを行ったものであって、すでに数十年前からやっていたということに非常にオドロキました。(p.51)

  • 1つの発想/発見がつながり、かさなり、大きな意味を持つまとまりに育つ。そのダイナミクスに感じ入りました。(p.118)
  • 実世界の「表面」ではなく「すべて」を見抜く「眼力」を持てるように精進せねばと思いました。(p.130)
  • "はっけん" という視点と、何の役に立つかそもそもそういう次元じゃないということ、なっとくしました。情報にうもれて、"はっけん" はかなりおろそかになっていると思います。(p.115)

  • 自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の頭で考える。それが既存の価値観や仕組みから自由になれる鍵。自分の内と外に蓄積した情報を自由な発想で練り上げていく快感。(p.144)
  • 考えないと生きているイミが何もない。ここに来て「考える」=「生きる」がつながった。
  • 他人の受け売りばかりではなく、アンテナを常に立てて独自の視点で私なりの研究ができればと思いました。(p.111)

  • "情報というのはコンニャクのようなもので、情報活動というのは、コンニャクをたべる行為に似ています。" これに納得できるような気がしました。(p.85)
  • 情報活動をコンニャクを食べることに例えたことがすごいと思います。栄養にはならないけれど満腹感がえられるということは情報でも同じだということがよく分かりました。(p.171)
  • コンニャクが情報こうかんのようなものなら、コンニャクに情報を記憶させてそれを相手に食べてもらう。食べたらその情報がわかる。そういうコンニャクがあったらいいな!(p.78)

  • 「知的探求」という言葉から受けた印象は「楽しい遊び」と同じもの。だって全体の記録からいっぱいの「楽しかったよ!」を感じたから。(p.113)
  • 自分が夢中になれる事にまっすぐに生きてこられた、そこに感動しました。(p.93)
  • 好きなことに熱中するということは将来にとって大切なことであると感じました。(p.55)
  • 目が見えなくなったときも、見えないからフィールドに出ても無駄と感じるのではなく、見えなくても、フィールドに出て感じられることがあると発見し、積極的に活動されていた姿は見ならうべきだと思いました。(p.145)
  • 90才という年齢まで情熱を失わず、常に新しい発想で仕事をされたことには敬服いたします。(p.42)

  • 一部の研究者だけではなく、みんなが協働して知的生産をする、という梅棹先生の提示された目標に向かって、わたしも努力していきたいと思います。(p.70)
  • 文系・理系の枠を超えての活動。見ているととてもうらやましくなってきてしまった。(p.60)
  • 学問研究にも経営感覚が不可欠、とのことである。(p.73)

  • 東日本大震災という未曾有の国難のときに、ウメサオタダオがいないことが残念でならない。(p.46)
  • 「文明の生態史観」を初めて読んだときのおどろきと感動はいまなお小生の胸に大きく残っています。(p.36)
  • さまざまな意味での "比較文明学" という視点が面白いと思いました。(p.29)
  • ローマ字を使うという発想はよいが、つづりが少し違った。(p.171)
  • 歴史は誰かがつくるのではなく、自分たちがつくる。この言葉を胸に、何事も主体者意識を持っていきていきたい。(p.108)
  • 二十一世紀の人類の生きかたに思いをはせる。(p.158)





以上のグループ編成にもとづいて文章化をすすめると以下のようになります。1つのグループが1つの段落になります。


ウメサオタダオ展は、梅棹忠夫さんが、「山」と「探検」から独自の方法論をあみあげていった過程がよくわかる構成になっていてとても興味ぶかかったです。彼は山がすきだったのであり、山あるきがフィールドワークの原点でした。会場では、梅棹さんが開発した道具や実際の記録などを実物をみて体験することができ、彼の本をよんでいたときとはまるでちがう迫力を感じることができました。

「みえないものをつかみたい」。そういう気持ちをもって世界各地を探検していると、発見が突然 出現します。

今日では、インターネットから膨大な情報が入手できますが、そのような間接的な情報よりも探検や体験でえられた なまの情報のほうがすごいとおもいます。現場にいって、その「空気をすう」ことはとても大事です。先日も沖縄をフィールドワークしてきました。フィールドワークのおもしろさは、「あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく」というところにあります。梅棹さんにならってこれからも世界を旅したいとおもいます。

そしてフィールドワークをしたら、発見したこと、おもったことなどをかならず記録します。かきとめておかないとわすれてしまいます。展示会場では、膨大な調査ノートやスケッチ、カードをもちいた整理法などが紹介されていました。世界各地をあるきながら毎日かかさず記録をとり、たくさんの発見がありました。とくにカードをつかうのはよい方法です。あるいはアフリカの調査ではコクヨのフィラーノートをつかいました。鳥の鳴き声は音符で記録しました。また言葉では表現しきれないものはスケッチをしました。絵も上手でした。

すばらしいスケッチの数々をみていると、梅棹さんはヴィジュアルな人ではなかったかとおもえてきます。カードシステムの根底には「絵」(イメージ)があります。

とりあえずかいてみるというところに発想の原点があるのでしょう。好奇心をもちつづけ、情報を整理して、散乱させずに蓄積していくことが重要です。完成はありません。その時々にかんがをまとめておけば、あとでふりかえったときにその時の自分とむきあえることにもなります。過去の自分、未来の自分は他人とおもったほうがよいです。昨日、今日、明日と、フィールドワークをつづけたいとおもいます。

そしてフィールドワークの記録がある程度たまったら、今度は文章をかきます。「発見の手帳」、「京大型カード」のつぎには「こざね法」が役立ちます。今日では、紙きれのかわりにポストイットがつかええるので、ポストイットにアイデアなどを記入し、それらをつなげていけば「かきとめ&まとめ」がすぐにできます。

このような技術を紹介したのが『知的生産の技術』でした。おおきな影響をこの本からうけて知的生産の「病気」にかかった人もおおかったようです。大学がおもしろくなったり、卒論や就職試験で役立ったり、仕事のバイブルになったりしました。記録すること、整理すること、アウトプットすること・・・。この技術のお陰でたくさんの人々が成長しました。

しかしそうはいっても、継続がむずかしい側面があったのも事実です。フィールドノートやカードや紙きれなどをつかいこなし、またそれらを保管して利用する(検索する)ことには物理的に困難な面がありました。作業や保管のためのスペースも必要でした。フィールドノートもカードもスケッチも、「やろう!」とおもってはじめてはみたものの、うまくいかずに白紙つづきになってしまったり、専門に関することや雑誌・単行本などからカードをたくさんつくってみましたが紙束ばかりになってしまったり。京大型カードに記入したのは多分30年ぶりだという人もいました。記録ばかりがたまって具体的に発展しない状況をなんとか打破したい。

しかし今日では、スマホ・タブレット・パソコンとインターネットがあります。何でも記録してのこしておくということは、ブログやツイッターなどをつかうことによって、今でこそ実現可能な方法なのかもしれません。今まさに、万人が実践できる知的生産の技術の時代が到来したといってよいでしょう。情報を処理する技術は時代とともに進歩します。梅棹さんがしめした方法を現代の技術をつかっておこなえばよいのです。情報を処理する哲学は時代をこえてもかわりません。

梅棹さんは、コンピューターもワープロもない時代にこれだけの資料をあつめました。日本のダ・ビンチでした。彼がもし今に生きていたら、どんな資料と文章をのこしたでしょうか。インターネットがどんどん世界に浸透していくなかで、クラウドサービスなどをつかって記録をためたり、カード法をおこなったりすることが容易になりました。梅棹さんは、当時の道具をつかってそのようなことを数十年前からやっていたのですからおどろきを禁じえません。

そこには、発見・発想がつながり、かさなり、意味をもつまとまりにまでそだつダイナミクスがあります。世界を表面的にみるのではない、すべてをみとおして本質をみぬく「眼力」がはたらきます。そのような発見は、何の役にたつのかという低次元な話ではありません。情報にうもれることなく、眼力をもてるように精進しなければなりません。

自分の足であるき、自分の目でみて、自分の頭でかんがえる。それが、既存の価値観や常識的な仕組みから自由になれる鍵でしょう。自分の内と外に蓄積した情報を自由な発想でねりあげていくところには快感さえおぼえます。みずからかんがえることによって生きる意味がもてます。かんがえることと生きることがウメサオタダオ展にきてつながりました。他人の話を受け売りしているだけでなく、みずからアンテナをたてて独自の視点で自分なりの研究をしたいものです。

一方で、梅棹さんは、「情報というのはコンニャクのようなもので、情報活動というのは、コンニャクをたべる行為に似ています」とものべています。情報活動を、コンニャクをたべることにたとえたところがすごいです。栄養にはならないけれども「満腹感」がえられるということは情報でもおなじです。コンニャクが情報交換をするようなものなら、コンニャクに情報を記憶させて、それを相手にたべてもらったらその情報がわかるというコンニャクがあったらいいなとおもいます。実際、食べ物をとおしてつたわる情報もあるわけであり、工業製品や工業の時代とはことなる情報の原理がそこにはあることに気がつかなければなりません。

栄養になるかどうかではなくて、たべておいしい、たべることそれ自体に意義があります。目的が達成できるかどうかではなくて、知的探究それ自体に意義をみとめます。知的探究ということばからうけた印象は「たのしい遊び」でした。展示されていた記録の全体に「たのしかったよ!」という感情がにじみでています。自分が夢中になれることにまっすぐに生きてきた人に感動します。すきなことに熱中するということは将来にとってとても大切なことです。梅棹さんは、目がみえなくなったときも、みえないからフィールドにでても無駄だとおもうのではなく、みえなくても、フィールドにでて感じられることがあると気がつき、積極的に活動しました。みならうべきです。90才という年齢まで情熱をうしなわず、あたらしい発想で仕事をされたことに敬服します。

また梅棹さんの方法のもうひとつの特色として、一部の研究者だけではなく、多様な人々が協働して知的生産をすすめるということがあります。文系と理系の枠をこえての活動は独創的でした。このような仕事をすすめるためには、学問研究でたとえあっても経営感覚が必要です。わたしたちも努力していきたいものです。

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。未曾有の国難のときに梅棹さんがいないことが残念でなりません。「文明の生態史観」から「比較文明学」そして日本文明の展開という壮大なビジョンのなかで、歴史的転換の必要性を提言したにちがいありません。『文明の生態史観』をはじめてよんだときのおどろきと感動はいまも胸のなかにのこっています。日本文明論には、日本語の合理的なローマ字表記といったユニークな提案もふくまれます。歴史は誰かがつくるものではありません。自分たちがつくるものです。なんといってもそこには主体性が必要です。わたしたち人類は、二十一世紀をどのようにいきぬいていけばよいのか? 人類の未来におもいをはせるとき、梅棹文明学が役立ちます。そしてウメサオタダオ展がおわったところからあらたな歴史がはじまります。





以上のように、箇条書きにまずしてみて、それから似ている文(情報)をグループにして(段落のもとをつくり)、そして文章化をすすめるのが類比法をつかった作文技法です(注1)。

作文法には、日記や紀行や小説など、物事がおこった順に時系列でかいていく方法もあり、これは物語的な記述になり、物事の因果関係をしばしばあらわせます。

それに対して、類比法をつかった作文では、時系列にはとらわれずに情報の相似に注目して段落をつくります。この方法は、物事の論理構造をあらわすのに適しており、物事の要点や本質をしめしやすいです。

  • 物語:因果関係
  • 類比:論理構造

物語的な記述は誰もがよくおこなっていますが、類比法をつかった記述をおこなっている人はすくないです。実際には、必要に応じて両者をつかいわけたり、くみあわせたりするとよいでしょう。たとえば旅行やフィールドワークそのものの記録は物語的にかき、それをふまえた考察は類比法をつかってかくという方法があります。

なお類比法には対比もふくまれます。似ているところをみとめるからには異なるところも同時にみとめているのであり、相似があるところには相異もあります。たとえば接続詞「しかし」「が」の前後で顕著な対比がしめされます。





ウメサオタダオ展は、梅棹忠夫さんの思想と技術を再発見するよい機会でした。来場者の感想にもそのことがよくあらわれていました。

梅棹さんは、登山と探検を原点とし、そこから、発見を基軸とするフィールドワークを体系化しました。具体的には、発見の手帳・カード・フォルダー・紙きれなどの道具を駆使し、観察やききとりなどの調査、その場の記録、データの整理とまとめ・文章化の一連の技術を確立しました。「京大型カード」や「こざね法」を紹介した『知的生産の技術』(岩波新書)はロングセラーになりました。

今日では、スマホやパソコン・アプリ・インターネットをつかって「知的生産の技術」を誰もが実践できるようになりました。つかう道具はかわりましたが、しかし情報をくみかえてあらたに体系化するという知的生産の本質はいまでも何らかわりません。梅棹さんは時代を先取りしていたのであり、ようやく時代が彼においついたといってよいでしょう。

誰もが現在、スマホやパソコンをもち、手軽に情報を発信(アウトプット)しています。情報発信が容易になってくると、今度は、発信する情報の質が問題になってきます。よくできたアウトプットがしたくなります。けっきょく、知的生産とはよくできたアウトプットをすることだといってよいでしょう(図1)。そして文章化(作文)の方法はアウトプットの中核技術として重要です。

190508 知的生産
図1 知的生産のモデル


よくできたアウトプットは受け売りではなく、自分の足であるき、自分の目でみて、自分で体験したことが中心になって記述されていなければなりません。

梅棹さんは、目が不自由になってからもフィールドワークをつづけました。目がみえなくても耳や鼻・舌・皮膚などはあり、つまり聴覚や嗅覚・味覚・皮膚感覚ははたらいていたのであり、現場にいけば、内面への情報のインプットがいくらでもできました。あるいはもっと重要な直観がはたらきました。こうしてみずからの体験を発信しつづけました。わたしたちも、感覚器官をフルにつかってまた直観をはたらかせて情報処理をすすめる努力をすべきです。

これからのあたらしい時代は情報処理の時代になることはあきらかです。工業の時代はすでにおわりました。また情報処理には理系も文系もありません。ここで重要になってくるのは人間自身がおこなう情報処理、人間主体の情報処理です。みずからインプットし、みずからプロセシングをし、みずからアウトプットする、つまり主体性が必要です。

こうして人々の情報処理能力がいずれたかまってくると、情報処理それ自体に意義をみいだす人々がふえてくるでしょう。知的探究がおもしろいとおもう人々がふえてくるでしょう。

21世紀をどのようにいきぬき、未来をどうつくっていけばよいか? この課題にとりくむとき、梅棹文明学と梅棹情報学がたいへん参考になります。彼の業績と指針をとらえなおせば、あらたな文明の創造にむけてすすんでいけます。



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▼ 参考文献
小長谷有紀編著『ウメサオタダオと出あう 文明学者・梅棹忠夫入門』小学館、2011年12月17日

▼ 注1
類比法を高度に技術化したのが「KJ法」とよばれる方法です。

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