「・・・は」は題目を提示します。「は」と「が」のつかいわけが達意の文章をかくために必要です。
川本茂雄著『ことばとこころ』(岩波新書)がわかりやすい日本語をかくために参考になります。言語学者・三上章が提唱した日本文法(日本語法)(注1)を検証してみました。



目 次
 I
文脈と理解
日本語の明晰性
言語体系と言語行為
言語学と記号論

 II
言語と精神
「が」と「は」の対比

 III
変形文法と意味
言語理論と言語論
ヤーコブソンの詩学に寄せて
喩と像


「ぼくはウナギだ」は、料理屋か食堂で連れだった客の対話の一断片としてみれば、意味がただちに明らかになる。 — 「君はなににする?」「ぼくはウナギだ」という具合にである。


文は、周囲の状況(言語外的脈絡)と文脈(言語的脈絡)のもとでのべられるのですから、「ぼくはウナギだ」といえば、「ぼくの食べ物(注文の品)はウナギだ」という意味が誰にでも容易にわかります。

しかし「ぼくはウナギだ」という文だけをとりあげて、「ぼく=ウナギ」の等式がなりたたないことを指摘し、奇妙キテレツ、日本語は非論理的ないしは没論理的な言語だと誤解した人々がかつてはいました。


「お帰りなさい、お母様。」
「ただいま。留守のあいだに何か?」
「遠藤さんがいらっしゃったわ。」
「おや、そう。遠藤さんは、お元気でしたか。」
「ええ、とても。」
「あら、この鉢植えは?」
「ああ、それは、遠藤さんが持って来てくださったの。」

ここに想像した会話の断片では、「が」のところに「は」を、「は」のところに「が」を置きかえると、ひどく不自然になる。


「遠藤さんいらっしゃったわ。」の「が」を「は」にかえると、遠藤さんがくることをあらかじめしっていたかのような、あるいは遠藤さん以外の人はこなかったというような意味合いになってしまいます。また「遠藤さん、お元気でしたか。」の「は」を「が」にかえるとまったく会話がなりたちません。この「遠藤さんは・・・」は、遠藤さんについては、という心持ちで話題(題目)をお母様が提示しているとみることができます。「ああ、それは、遠藤さん持って来てくださったの。」の「が」も「は」にかえると会話がなりたちません。遠藤さんは鉢植えをもってきて、ほかの人はほかの何かをもってきたのか?

このように、「が」と「は」をつかいわけることは、メッセージを相手にただしくつたえ、自然な会話(やりとり)をするために必要なことです。日本語能力がたかい人は「が」と「は」をみごとにつかいわけます。


太郎が花子に本を貸した。
太郎が花子に本を貸した。
太郎が花子に本を貸した。


これらの文において、発音に際してどこをつよめるかによってメッセージがちがってきます。下線の部分をつよくよんでみてください。相手に何をつたえたいのか? 会話では普通におこなわれていることです。

つぎと比較するとよくわかります。


太郎花子に本を貸した。
花子に太郎が本を貸した。
太郎が花子に貸した。


係助詞「は」がついた名詞句が文の中心をはずれ、話題としてとりだされていることに注目してください。相手に何をつたえたいのか? 題目をとりだして提示します。つよく発音するのと同様な効果があります。


「誰かお父さんの辞書を持っていって使ったかな?」
「ぼくが・・・。」


これは、「ぼくがお父さんの辞書を持っていって使った」の省略であって、文脈から、「ぼくが」で十分な答えになっています。

しかし「ぼくが」を「ぼくは」とすると、状況はまったくちがってきます。「ぼくは・・・」とすると、自分について何かをいおうとして、そこでいいよどんでいる形になります。たとえば「ぼくは・・・、だまって辞書を・・・、古本屋に売ってしまった」とか、「ぼくは使ってません」とか。

このように、係助詞「は」をつかうことによって話題(題目)を提示することができます。


係助詞「は」を添えることは、それらの名詞句を話題化する、題目化する、主題化することが本質である。(中略)話題・題目・主題というからには、それらについて何ごとかが述べられるのは当然である。この部分をかりに「述説」と称することにしよう。すると、係助詞の「は」の介入によって、日本語の文の構造は、題目と述説とに二分される。


「題目+述説」が日本語の文の基本構造です。「主語+述語」ではないことに注意してください。


「何が起こったか」という質問では、何かがおこったことはすでにわかっているのであって、その答は「火事が起こったんだ」、略して「火事だ」のようになる。


たとえば何人かの負傷者が病院にはこばれてきて「何がおこったんだ?」と質問する場合は、事故や災害など、何かがおこったことはすでにわかっている(話題は提示されている)のですから、「何が」を「何は」として題目にすることはできません。「何」や「誰」のような疑問代名詞は、それらのあとには「が」がきて「は」はきません。






「ぼくはウナギだ」いう文では、「ぼく」についていえばという心持ちで「ぼく」を題目として提示して「ぼくは・・・」という文になっています。

あるいは日本料理店に1人ではいって、「何になさいますか?」と店員にきかれた場合は、「ウナギだ」だけでも答えになります。「ぼく」についてのべていることはあきらかなので、「ぼくは・・・」と題目を提示する必要はありません。題目が省略できます。

このように、「ウナギだ」も「ぼくはウナギだ」もどちらもただしい日本語です。

ところが「ぼくはウナギだ」ときいて(あるいはよんで)、「ぼく=ウナギ」だなんて日本語の文法はいいかげんだと誤解した人がいました。その人は、「I am a student」(わたしは学生です)から「わたし=学生」とかんがえ、そこから、「ぼく=ウナギ」と類推して見当ちがいをしたのでした。しかし英語と日本語では文法がことなるため、英文法は日本語にはあてはまりません。



別の例もみておきましょう。太郎さんがカレー屋に1人ではいって、メニューをみたら、ポークカレー・チキンカレー・ビーフカレー・シーフードカレーの4種がありました。

店員「何になさいます?」
太郎「チキン」

太郎さんは、「チキン」といえば用がたります。

しかし太郎さん・花子さん・一郎さん・春子さんの4人でカレー屋にいった場合は、たとえばつぎのようになります。

店員「何になさいます?」
太郎「ぼくはチキン」
花子「わたしはビーフ」
一郎「おれはポーク」
春子「わたしはシーフード」

「ぼくはチキン」と太郎さんがいったのは、「ぼく」についていえばという心持ちで「ぼく」を題目として提示したからです。「わたしはビーフ」と花子さんがいったのは、「わたし」についていえばという心持ちで「わたし」を題目として提示したからです。一郎さんも春子さんも同様に、「おれは・・・」「わたしは・・・」とのべました。

「ぼくはチキン」とのべた場合、「ぼくは」は題目をしめすのであり、「ぼく=チキン」ということでは決してなく、「ぼくは」はいわゆる主語ではありません。日本文の基本構造は「題目+述説」と理解すべきであり、英文法の「主語+述語」は日本語にはあてはまりません。

また「ぼくはチキン」において題目として「ぼくは」とのべるからには、ほかの人については、ほかの種類を選択するかもしれない、あるいは選択するという意味合いがそこにふくまれます。ぼくについていえばと題目を提示すると対照のニュアンスが生じます。カレー屋に1人ではいったときは対照の必要はありませんが、複数人ではいった場合はほかの人との対照がおのずと発生し、したがって「ぼくは」「わたしは」・・・というながれになります。

英語が得意で日本語もある程度できる外国人が日本人と一緒にカレー屋にいったときに上記の発言をきいて、「日本語は、まったく文法になっていない。だけど日本人同士ではコミュニケーションができている。日本人はあいまで柔軟な民族だ」とのべましたが、それはあきらかな誤解です。日本文法を理解できていない人や固定観念を身につけている人によくあるあやまちです。



つぎの例もみておきましょう。

夏子さんが1人でカレー屋にいきました。

店員「何になさいます?」
夏子「ビーフにします」

「ビーフにします」とのべるだけで用がたります(題目は省略できます)。

しかしカレー屋に5人でいったときには夏子さんはつぎのようにこたえました。

夏子「わたしはビーフにします」

「わたしはビーフにします」という文において、ほかの人は何を注文するかわかりませんが、わたしについていえばという心持ちで夏子さんは「わたし」を題目として提示しました。しかし「わたしはビーフにします」ときいて違和感をおぼえ、「わたしはビーフをたべます」あるいは「わたしはビーフを注文します」の方がただしい文だとおもう人がいますがそれも誤解です。英文法を日本語にあてはめるとそのようになりますが、「わたしはビーフにします」でただしい日本語です。「わたし」が題目になっていること、またわかりきっているときには題目が省略できることに注意してください。



つぎの例もみてください。

「わたしがトンカツがすきである」ことを相手につたえるとき、2人だけで会話をしているときには、

トンカツがすきだ。

だけで用がたります。「わたし」についてのべていることがあきらかなときには題目は省略できます。

そうでない場合は、「わたし」についていえばという心持ちでで題目を提示するとつぎのようになります。

わたしはトンカツがすきだ。

この文をみて、主語が2つあって非論理的だと誤解した人がいましたがそうではなく、日本語には題目があるのであって、主語はありません。

「トンカツ」についていえばという心持ちでで題目を提示するとつぎのようになります。

トンカツはわたしがすきだ。

以下の文も同様に理解できます。係助詞「は」をつかって題目を提示し、係助詞「は」と格助詞「が」をつかいわけます。

わたしはあなたがすきです。
わたしは絵がへただ。
バトミントンは秋子さんがうまい。
北海道は夏がいい。 
彼は庭がほしい。 



世界中のあらゆる言語それぞれに文法があり、文法のない言語は存在しません。いいかえると、単語と文法がわかればどんな言語でも解読できます。したがってそれぞれの言語の単語と文法を理解することが必要なのであり、特定の言語の文法をほかの言語にあてはめないようにします。


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▼ 参考文献
川本茂雄著『ことばとこころ』(岩波文庫)岩波書店、1976年