「私、生まれも育ちも葛飾柴又です、帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」

京成電鉄金町線・柴又駅の改札口をでると寅さんの銅像がむかえてくれる。寅さんは、ちょうどいま柴又を旅立つところだ。柴又をなつかしんでか、あるいは おいかけてきた妹さくらの声がきこえたのか、参道の方をふりかえっている。

寅さんにわかれをつげ、駅前から参道に入る。参道をすすんでいく。おもったよりもせまくてこぢんまりしている。まるで映画のセットのようだ。だんご屋がある。高木屋老舗、映画のなかのだんご屋とらや(のちにくるまや)のモデルになった店である。大勢の観光客が草だんごを買っている。

さらにすすんでいくと、うなぎ屋や土産物屋などのいろいろな店が立ちならんでいる。参道は雑然としていて決して洗練されておらず、庶民くささがのこっている。ここは庶民のふるさとだ。

さらにあるいていくと正面に豪壮な門が見えてくる。帝釈天の山門、二天門だ。「柴又帝釈天」と彫った大きな石碑が立っている。この寺の正式な名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)、日蓮宗の名刹である。寛永6年(1629)、日忠上人の草創とつたえられ、本尊は、日蓮上人自刻の帝釈天の板仏だという。

二天門をくぐると左手に大鐘楼が見える。源公がうつ鐘はいつもここから聞こえてくる。正面には帝釈堂が、右手には本堂がかまえている。たくさんの子供たちがあそんでいる。御前様が今にもあらわれそうな とてもなつかしい空間だ。ここはもう寅さんの世界そのものである。左手には「瑞龍の松」が横たわり見事な枝をひろげている。日蓮宗の僧・日栄がこの松の根元に霊泉がわく様子を見て、ここに庵をむすんだという。さらにその左には御神水がこんこんとわきでている。寅さんはこの御神水の産湯につかった。

帝釈堂の裏にまわると彫刻ギャラリーがある。法華経の物語を視覚的に再現している。回廊式のギャラリーを一周していくと、けやき材に奥深く刻み込まれた彫刻が見事な三次元空間をつくりだしている。まるで木に命がやどったかのように躍動感にみちあふれている。大正11(1922)年に名匠・加藤寅之助が一枚目を創作、すべて完成したのは昭和9(1934)年だったという。

帝釈堂の裏手には大庭園(遂渓園、すいけいえん)がひろがる。しずかな回廊式庭園である。庭園をのぞむ大客殿には、直径約30センチメートルで日本最大級という南天の木をつかった床柱がある。

柴又界隈でくりひろげられた『男はつらいよ』の数々の名場面をおもいだしながら、帝釈天をあとにし、寅さん記念館へむかう。帝釈天の裏手から江戸川の方へすすんでいくと、土手のわきの小山の地下に寅さん記念館がある。

入口を入ると とらや(のちのくるまや)がまっている。ここでは、とらやそのものの中に入ることができる。とらやに入ると草だんごを食べる客席があり、その奥には茶の間と土間があり、土間の右手には寅さんがいつも二階にのぼっていく階段がある。

寅さんはいつもこの店にかえってくる。ひさしぶりにかえってくると、何だか中に入りにくいが、今度こそは、とおもって足を踏みいれる。しかしやっぱりけんかをしてしまう。とらやの客席にすわってそんな光景をおもいだしながら、しばらく夢の中をただよっていく。寅さんの世界を外から見ているのではない。寅さんの世界の中に入りこんでしまう。映画の世界は空想の世界である。しかしその空想の世界に実際に入りこんだ現実がここにはある。これは空想なのか現実なのか。なんとも不思議な体験だ。

寅さんの世界は、『男はつらいよ』をくりかえし見ることによって私たちの心の中につくりだされてきたものである。それは、ながい年月をかけて私たちの心の中にイメージとして記憶されたもので、架空であり空想である。

わたしたちは通常は、どこかの物理的な空間をおとずれ、そこに入りこむことによって、様々なイメージや出来事を心の中に入力し記憶し、心の奥にそれを蓄積していく。つまり物理的空間が先にあって、それから心の中にその世界が形成される。

しかし今日はちがう。寅さんの世界は心の中にすでにできていた。そのすでに存在した心の中の世界に、物理的に入りこんだといった感じである。今回は、心が先にあり、実際の空間はあとになった。常識とは逆の体験をしたことになる。心の中に入りこむといった体験である。このようなことによって寅さんに関する理解が格段にすすんだ。これは、何とも不思議なフィールドワークである。

寅さん記念館をでて、江戸川の土手にのぼってみる。この川のほとりでも数々の出会いと別れがあった。とおくに「矢切の渡し」が見える。すこし肌寒くなってきた。そろそろ日が暮れようとしている。



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