1200万人をこすアフリカ人が奴隷としてつれてこられました。反逆の祭儀、文化的な抵抗がみられます。
『ナショナルジオグラフィック』2019年2月号では、南北米大陸でみられる「奴隷たちが生んだ反逆の祝祭」について報告しています。



黄土色と黒色で塗られた体と顔は、半分が先住民の祖先を、もう半分がアフリカ人の祖先を表現している。(フランス領グアドループ)

カーニバルの期間中にアンティグア島北西部のフォート・ジェームズでピンク色の仮面を見かけたら、ヨーロッパ人の入植者を表現した仮装かもしれない。(アンティグア・バーブーダ)

セント・クロイ島のカーニバルにしばしば登場する「ジョン・ブル」というキャラクターは、大英帝国の繁栄と貪欲さを象徴する存在で、英国が植民地として支配していたカリブ海諸国でよく知られている。(米領バージン諸島)

地域ごとに異なる悪魔が登場。牛や馬の頭骨で作ることもある仮面をかぶるこの悪魔は、西部の山あいに位置するサン・フアン・デ・ラ・マグアナの街で、悪さをする子どもたちを怖がらせて回る。(ドミニカ共和国)

イエス・キリストの体と血をたたえる聖体際に、カラフルな架空の生き物たちが登場した。衣装に付けられている鏡は、西アフリカの伝統的な文化でも見られる素材だという。(パナマ)

先住民の仮装をする黒人のトラビス・カーター。黒人奴隷の逃亡を助けた先住民をたたえるためだ。(米国ルイジアナ州)

初めてカーニバルが組織されたのは米国に占領されていた1927年。カーニバル参加者たちはハイチ社会が味わってきた苦い経験を浮かび上がらせる。(ハイチ)

イエス・キリストの誕生を知って訪ねてきた東方三博士の一人にふんした男性。(ブラジル・ピアウイ州)


16世紀から19世紀にかけて、1200万人をこすアフリカ人がヨーロッパ文明人によって奴隷とされ、大西洋をこえて南北米大陸につれてこられました。ヨーロッパ文明人がおこなった非人道的で野蛮な行為についてあらためて確認する必要があります。1550年代には、パナマで、南北米大陸で最大規模の奴隷反乱もおきました。

ヨーロッパ文明人は、アフリカや先住民の文化や習慣は悪魔のものとみなし、奴隷たちに、みずからの神を崇拝することを禁じ、キリスト教の伝統にしたがうよう強要しました。

そこで奴隷たちは、アフリカの伝統と習俗を、ヨーロッパからきた入植者たちの祭儀にとけこませて、自分たちの祝祭をつくりあげました。今日みられるさまざまな仮装のおおくはアフリカや先住民にルーツがあります。

かざりたてた仮面の下に社会的な地位をかくし、お祭りさわぎのなかで不満を爆発させ、政治や社会の変革をうったえます。これは反逆の祭儀であり、文化的な抵抗です。

この「祝祭」が、南北米大陸の苦難の歴史を象徴的にあらわし、居住地や言語のちがいをこえて奴隷の子孫たちをむすびつけます。

祝祭を、表面的にみるだけでなく、その奥底にある本質に気がつくことが大事です。


 
▼ 参考文献
『ナショナルジオグラフィック』(2019年2月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2019年