生態学にもとづいて、文明の生態史観を提示し、旧世界の生態史モデルを提案しました。類比法をつかって数々の並行現象を発見しました。生態系から文明系への移行が現在おこっています。
梅棹忠夫著作集第5巻『比較文明学研究』(中央公論新社)には、「文明の生態史観」「比較文明論の展開」「文明学の課題と展望」がおさめられています。






西洋・中洋・東洋

比較文明学研究は、パキスタン〜インド旅行の回想からはじまります。


カルカッタまでくると、かわってくる。ここではじめて、大量のモンゴロイドがあらわれてくるのである。中国人やビルマ人であろう。わたしはべつに人種主義者ではないけれど、カルカッタまでかえってくると、やはり、自分とおなじ種族のすむ世界がちかづいたというよろこびを感じ、あらためてインド以西にすむ人たちが、いかに自分らとちがうかを確認する。


ユーラシア大陸を西から東へと旅をつづけてくると、東洋は、カルカッタ(コルカタ)からはじまるという印象をうけます。旅行者にとっては、カルカッタから東側が東洋であって、インドは東洋とはおもえません。インドは、東よりも西との交渉の歴史をもつ世界であり、中国を中心に発展してきた東洋諸国とは文化的伝統を本質的に異にする国です。

インドが東洋ではないとすればいったいそこは何か。東洋でもなく西洋でもありません。「中洋」です。日本人は、東洋・西洋というように、東西の比較だけで世界をわりきってしまう傾向がありますが、ユーラシア大陸の中央に広大にひろがる中洋を勘定にいれなければ世界は理解できません。

西洋・中洋・東洋。西洋の西ヨーロッパと中洋のインドと東洋の日本とを比較してみるとインドはひどくちがってみえます。

インドの歴史は、外部からの力で主としてうごかされてきました。外からの侵略と破壊を何度もこうむりました。それに対して西ヨーロッパと日本は、外からの侵略ではなく、主として内部の力によって変革してきました。インドは植民地になりましたが、西ヨーロッパと日本は植民地をつくった方です。また西ヨーロッパと日本は封建制を経験してきましたが、インドにはそれがありませんでした。西ヨーロッパと日本はいちはやく近代化をすすめましたが、中洋諸国は、近代化に際してのりこえなければならない障害を膨大にせおっています。

このように、西ヨーロッパとインドと日本とを比較すると、西ヨーロッパと日本には類似すること非常におおいですが、インドはまったくことなります。西ヨーロッパの歴史と日本の歴史は対比させてかんがえをすすめることができますが、インドの歴史はそうはいきません。

日本におけるさまざまな社会事象が、ほかのアジア諸国よりも西ヨーロッパにむしろ似ていることに気がつくことがとても重要です。

 



文明の生態史観 - 第一地域と第二地域 -

そこで旧世界(ユーラシア〜北アフリカ)を、西ヨーロッパ・日本と、それ以外の地域との2つの地域にバッサリわけてしまいましょう。

  • 第一地域:西ヨーロッパと日本
  • 第二地域:それ以外の地域

第一地域と第二地域とでは社会の構造がもともとかなりちがいます。第一地域のおおきな特徴は封建体制の歴史をもっていたことであり、また現代の生活様式が高度の近代文明であることです。それに対して第二地域は封建制ではなくて、主として専制君主制か植民地体制であった歴史をもち、現代においては近代化がおくれています。第一地域と第二地域の区分が、革命以前に封建制をもっていたかどうかということは注目に値します。

したがって第一地域の国々は、近代文明の建設時代だけでなく、封建制の時代から、しらずしらずのうちに並行進化をとげていたとかんがえられます。


進化ということばは、いかにも血統的・系譜的である。それはわたしの本意ではない。わたしの意図するところは、共同体の生活様式の変化である。それなら、生態学でいうところの遷移(サクセッション)である。進化とはたとえだが、サクセッションはたとえではない。サクセッション理論が、動物・植物の自然共同体の歴史を、ある程度法則的につかむことに成功したように、人間共同体の歴史もまた、サクセッション理論をモデルにとることによって、ある程度は法則的につかめるようにならないだろうか。


サクセッションとは要するに、主体と環境の相互作用の結果がつりつもって、まえの生活様式ではおさまりきれなくなって、つぎの生活様式にうつるという現象です。旧世界における第一地域と第二地域は、それぞれが、ことなる特有のサクセッションの型をもつとかんがえられます。

このような歴史の見方つまり史観は、「生態学的史観」あるいはみじかく「生態史観」とよぶことができます。

この生態史観によって、西ヨーロッパの歴史と日本の歴史の並行現象も理解することができます。

以前は、人間の歴史を一本道とかんがえ、どの国もが、おなじところへいずれはゆきつくとし、現状のちがいは、そこへゆきつくまでの発展段階のちがいをみているにすぎない、具体的には、ヨーロッパ文明を頂点とする文明の直線的な発展段階を想定して、世界の国々をその線上にならべるということがおこなわれていました。

しかし生態学的な見方をとれば歴史の道はいくつもあるのであり、たとえば第一地域と第二地域とで、べつべつの歴史をそれぞれもったところでまったく不思議ではありません。

 



旧世界の生態史モデル

このような生態史観にもとづいて、旧世界(ユーラシア〜北アフリカ)の構造をみなおした場合、東北から西南に、ななめに大陸を横断する巨大な乾燥地帯に注目することが大事です。これが第二地域の中軸部になっています。

古代文明はだいたい、この乾燥地帯のまっただなかか、あるいはその縁辺にそうサバンナを本拠として成立しました。そして乾燥地帯からは、はげしい破壊力をもった集団があらわれました。第二地域の歴史はだいたいにおいて、破壊と征服の歴史であり、王朝は、暴力を有効に排除しえたときだけにさかえることができました。

それに対して第一地域はめぐまれた地域でした。中緯度温帯、適度の雨量、たかい土地の生産力をもち、第二地域からの攻撃と破壊もまぬかれた「温室」でした。めぐまれた環境のなかで教育も普及しました。第一地域は、サクセッションが順序よく進行した地域であり、オートジェニック(自成的)なサクセッションを経験したところです。したがって西ヨーロッパと日本には類似点がおおく、たくさんの並行現象がそこにはみられます。

一方、第二地域には、4つの大共同体(あるいは世界あるいは文明圏)がみとめられます。中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラーム世界です。

  • (Ⅰ)中国世界
  • (Ⅱ)インド世界
  • (Ⅲ)ロシア世界
  • (Ⅳ)地中海・イスラーム世界

いずれも、巨大帝国とその周辺をとりまく衛星国という構造をもっていた地域であり、現在では帝国はつぶれましたが、共同体としての一体性はまだのこっており、今後の動向が注目されます。

このような旧世界をモデル化(図式化)すると、旧世界全体は横長の長円であらわせ、左右の端にちかいところで垂直線をひくと、その外側が第一地域で、その内側が第二地域ということになります。


旧世界を横長の長円形であらわすというのは、ひとつのモデルである。じっさいには、半島があったり内海があったり、ずいぶんデコボコだ。そういうものをいっさい捨象して、ひとつの理想的な世界をかんがえているのである。


これはいわば、理想大陸における文明の分布図です。ローカルな影響を消去して基本的な現象だけをとりだした、理想化された一種の図式であり、それは幾何学的な表現になります。人間の歴史は実際には複雑なものですが、このような単純なモデルであらわすと本質がとらえやすすくなります。

 



宗教の並行現象


サールナートの現状は、今日のインドにおける仏教の運命を象徴しているかのようである。そこには、古代の栄光をしめす遺跡は存在するけれど、現代の活動をしめすものは、あまりにも貧弱である。存在するのは、日本の壁画であり、中国の寺であり、ビルマの僧である。仏教をうんだインドにあって、しかもその一大聖地にあって、存在するもののおおくが外国のものである、というのは、どういうことであるか。インド仏教は、どこへいったのであろうか。


インドでは現在、仏教のしめる位置はあまりにもちいさいです。

サールナートは、ヒンドゥー教の聖地ベナーレス(ヴァーラーナシー)の郊外にあります。ベナーレスはヒンドゥー教の7つの聖地のひとつであり、仏教は、ヒンドゥー教にのみこまれてしまいました。インドでは、12世紀に仏教は滅亡し、ヒンドゥー教によって仏教の聖地は占領されたのでした。

インドにはもともとはバラモン教が普及していました。そこに仏教が誕生してひろまりました。しかしその後、ヒンドゥー教が台頭し仏教におきかわりました。

これと似たような現象は、イェルサレムあるいはオリエントでもみることができます。イェルサレムはもともとはユダヤ教の聖地でした。その後、キリスト教の聖地になりましたが、7世紀の前半に、イスラーム教徒によって占領されました。

ベナーレスとイェルサレム、インドとオリエント。このふたつの聖地の歴史をくらべてみるとふしぎな運命の類似がみとめられます。ひとつの土地の歴史においてはいくつかの宗教が交代し、ひとつの宗教の歴史においてはいくつかの土地への移動がみられます。

インドにおける宗教の三段階は、それぞれ、オリエントにおける宗教の三段階に対応します。これを「段階対応の仮説」といいます。

  • インド  :バラモン教→仏教→ヒンドゥー教
  • オリエント:ユダヤ教→キリスト教→イスラーム教

この仮説によれば、第二段階の仏教とキリスト教は対応関係にあります。仏教とキリスト教はもちろんことなる宗教ですがつぎのような類似点もあります。その発生の地からはどちらもきえさりましたが、ほかの土地におおいに伝播しました。伝播の方向は、旧世界にかぎっていえば、旧世界の端にむかう方向であり、仏教は、東端の日本に、キリスト教は西端の西ヨーロッパにゆきつきました。伝播の途中においてどちらも、さまざまなに変容し、あるいはいくつかに分裂しました。

仏教とキリスト教には、歴史的・地理的にはおおくの並行現象がみとめられます。ふたつの宗教の出発点としては北インドとオリエントが対応し、終着点としては、日本と西ヨーロッパが対応します。

伝播の過程をみると、キリスト教は発生後まもなくローマ帝国にはいっていきます。しかし最初は衝突し、300年ぐらいおしあいがつづいたのち、ようやくうけいれられました。仏教は、1世紀初頭に漢帝国につたわりましたが容易にはひろまらず、仏教がさかえはじめるのは4世紀になってからでした。このように、西方のローマ帝国と東方の漢帝国を対応させながら歴史をよむと理解がふかまります。ローマ帝国と漢帝国のあいだにも類似な並行現象がほかにもいくつもみとめられます。

あるいは西ヨーロッパでは宗教改革によりプロテスタントがうまれました。これは日本では、浄土真宗の誕生に対応させることができます。宗教改革者たちは、民衆のわかることばで宗教をとき、あらたな歴史をひらいていきました。

 



生態系から文明系へ


農業生産は、ふかく気候的条件に依存し、その影響をうける。したがって、農業段階までの人類の文明は、地球上の植生、ひいては気候の分布に関係をもたざるをえないのである。


文明の生態史観でしめされた地球上の諸文明はいくつかの地域に分割されており、その区分は、かなりの程度に地球上の気候型に対応します。これは、ここでとりあつかっている文明は、基本的に第一次生産すなわち牧畜をふくめての農業生産に基礎をおくものだからです。

現在までのところ人類の文明は、全体としては農業段階から なおぬけきっておらず、文明の生態史観のモデルが崩壊するところまではきていません。しかし将来、農業以外の鉱工業が文明の中心的な役割をはたすようになると、文明を支配する法則は当然にかわってきます。

生物社会においては、その主体=環境系の変革は気候(環境)の改変までにはおよばず、一定の気候のもとで安定します。人間の社会も、農業生産の初期段階までは安定的でしたが、人工による環境の改変がいちじるしくすすむとともに、あらたにつくりだした人工的環境は人間それ自体の変革をうながし、そこの人間は、みずからをとりまく環境をさらに変革していきます。こうして文明も変革していくわけです。

そもそも地球上に生物が発生してから何十億年ものあいだ、生物をつらぬいてはたらきつづけてきた現象は「主体=環境系」(生物=環境系)というシステムの自己運動であり、このようなシステムのことを生態系といいます。人間は、この生態系のなかから生物の一要素として出現し、やはり主体=環境系(人間=環境系あるいは人間=自然系ともいえます)としての生態系のなかの存在でした。このような見方から生態史観がうまれました。

ところが人間は、巨大な脳をもち、さまざまな精神活動をおこない、近代化をついにはじめました。その産物として、大量の装置・制度群をうみだすようになり、今では、それらのなかで生活する人々がとてもふえました。人間の環境は元来は自然環境でしたが、自然にかわって、人間がつくりだした装置・制度が人間をとりまくようになりました。現在の人間は生態系から独立して、人工的環境のなかでくらすようになりつつあります。

こうして今日、人間=自然系というシステムから、「人間 = 装置・制度系」への移行ということが全世界的に進行中です。この「人間 = 装置・制度系」は生態系にかわるものとして「文明系」とよぶことができます。

生態系から文明系へ。これが今すすんでいる歴史であり、これをすすめているのが近代文明あるいは現代文明です。これは、人間の歴史のみならず、地球の生命史において、かつてないおおきな転換といえるでしょう。






「比較文明学研究」は「中洋」の「発見」からはじまりました。中洋が、西ヨーロッパや日本といかに異なるか、比較するとわかります。逆に、西ヨーロッパと日本がいかに似ていることか。西ヨーロッパと日本だけをみていたときにはわからなかったことが、中洋の視点をいれると急にみえてきます。

このような相似と相異の観点から、旧世界を、第一地域と第二地域に区分することができます。第一地域と第二地域の相異はあきらですが、それぞれの地域の内部では、国はちがっても相似がみとめられます。相似と相異に着目して地域を区分したところがとても重要です。

第一地域は、西ヨーロッパと日本によって構成されます。そして第二地域は、中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラーム世界という4つの世界によって構成されます。こうして旧世界の「生態史モデル」ができあがりました。このモデルこそ、「比較文明学研究」の中核となるものです。

この生態史モデルによれば、西ヨーロッパの近代化と日本の近代化は並行現象としてとらえなおすことができます。日本は、西ヨーロッパから科学技術を一方的にただ輸入したのではなく、西ヨーロッパと日本は共鳴しながら近代化がすすんだとかんがえたほうがよいでしょう。日本は、近代化の最初期こそ、ヨーロッパから技術導入をおこいましたが、すぐに自力で「運転」ができるようになり、日本人が最初に発明した技術も多々うまれるようにりました。先進・後進といった単純な思考では理解できません。

「日本は、急速に近代化した」とよくいわれ、日本は、中洋諸国や発展途上国にとっての近代化の手本とされることがおおいですが、実際には、地理的・歴史的にみて、アジア諸国と日本はべつものであり、アジア諸国の手本には日本はなりません。そもそも日本は、数百年もまえから、ほかのアジア諸国とはちがう歴史・運命をたどっていたのですからまねができるようなものではありません。

これから近代化をすすめる国々は、西ヨーロッパと日本がこれまでにたどってきた近代化とおなじ歴史をたどる必要はなく、それぞれの地域においてそれぞれに独自の方法で歴史をつくっていけばよいのです。

さて、生態史モデルができあがると、こんどは、このモデルにもとづいてあらたにデータ(情報)をあつめていくことになります。あらたなデータによって仮説を検証するといってもよいでしょう。こうして比較文明学の中身がゆたかになっていきます。

するとどうでしょう。第一地域の内部ではもちろんのこと、第二地域の内部でも類似な並行現象がたくさんみとめられるではないですか。その顕著な例が宗教の並行現象です。世界の大宗教を「段階対応の仮説」によってあらためてとらえなおすことができます。

歴史とは元来は、年表をつくったり物語ったり、時系列的・時間的に情報を整理していくものですが、生態史モデルをつかえば、地理的・空間的に世界をみなおして、さまざまなパターンをパラレルにとらえることができます。これによって、地域はことなっても類似する現象をたくさん発見することができます。並行現象をみつけだすことができます。

類似するということは、異なるけれども似ているということです。西ヨーロッパと日本は、異なるいえばどこまでも異なるのですが、そこにインドをいれて、西ヨーロッパと日本とインドの全体をみわたすと、西ヨーロッパと日本は、インドとくらべると似ているということがわかります。

もし、西ヨーロッパと日本だけをみていると何だかよくわかりません。
  • 西ヨーロッパ
  • 日本

しかし、西ヨーロッパと日本とインドの全体をみわたすと相似と相異がみえてくるということです。
  • 西ヨーロッパ
  • 日本
  • インド

このように相似ということは同じということではなくて、異なるけれども、ほかとくらべると似ているということであり、相対的に似ているということです。局所だけをみていてもわかりませんが、中洋もいれたり第二地域もいれたり、世界の全体をみわたすとみえてくることです。

異なるという観点でみてしまえばどこまでも異なりますが、似ているという観点にたてばたくさんの相似を発見することができます。相対的な相似によって、世界の膨大な情報を単純明快に整理することができます。ポイントは、空間をつかうところにあります。

このような方法は類比法といってもよいでしょう。類比法によってモデルをつくったり仮説をたてたりすることができます。類比法から類推へ発展させることができます(注)。

たとえばあなたが人生をふりかえるとします。一般的には年表をまずつくり、それにもとづいてこれまでのできごとを時系列で物語風に記述するという方法をつかうでしょう。しかし一方で、これまでに居住したところ、旅行したところ、その他のおとずれたところを地図上にプロットしてみて、それぞれの地域で体験したことをかきだして、それらの情報を、時間的前後関係や土地の遠近にはとらわれずに、類比法によって整理するという方法もあります。地理的にははなれていたけれども似たような体験をしたということがかならずあるはずであり、そこから意味がみいだせます。

さて、比較文明学研究は、未来予測でしめくくられます。近代化をこのまま人間がすすめていったなら、地球上から、本来の自然、野生はほとんどうしなわれます。地球の動植物は人間の管理下にすべてはいり、地球は全域的に、動物園的・植物園的になります。植林地帯を自然だとおもっている人がいますがあれは二次林(人工林)であり、なまの自然(野生)ではありません。

こうして人間は、元来の「人間 - 自然環境系」を脱却し、「人間 - 装置・制度系」へ移行します。生態系から「文明系」へ。人間は、みずからつくりだした人工的環境のなかでいきていくことになります。人工のシステム。このようなあたらしい世界をあなたはのぞみますか?
 
比較文明学研究は、インドで中洋を発見したことからはじまりました。梅棹忠夫は一流のフィールドワーカーでした。現地体験(フィールドワーク)にもとづいて考察をすすめました。フィールドサイエンスの王道をいったといってもよいでしょう。フィールドワークをふまえて類比法によってモデルをつくり(仮説をたて)、あらたな取材によってモデルを検証する、この方法は、世界史や文明学にかぎらず、あらゆる課題に応用することができます。比較文明学研究は、このような方法をわたしたちに伝授する役割もになっています。

フィールドワーク → モデル(仮説)→ 検証





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▼ 参考文献
梅棹忠夫著作集第5巻『比較文明学研究』中央公論新社、1989年10月10日

▼ 注
相似と相異、あるいは類比法・類推について最初に明確に論じたのは梅棹忠夫の師・今西錦司です。
今西錦司著『生物の世界』講談社、1972年(第1章「相似と相異」参照)

相似と相異、あるいは類比法・類推を高度に技術化したのは梅棹忠夫の親友・川喜田二郎です。それは「KJ法」としてしられています。
川喜田二郎著『発想法 - 創造性開発のために -』(改版)中公新書、2017
川喜田二郎著作集第5巻『KJ法 ―渾沌をして語らしめる』中央公論社、1996