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会場入口
(交差法で立体視ができます)
日本列島各地から出土した人骨の比較研究がすすんでいます。西日本を中心に、在来の縄文系の人々と渡来系弥生人との混血がすすみました。一方、弥生時代になっても縄文人の遺伝子が東北地方ではうけつがれていました。
企画展「砂丘に眠る弥生人 - 山口県土井ヶ浜遺跡の半世紀 -」が国立科学博物館で開催されています(注1)。

近年、弥生時代の人類学的研究が急速にすすんでいます。今回の展示は、弥生時代の人骨研究の契機となった山口県の土井ヶ浜遺跡を紹介し、その後の弥生人研究の進展を最新の分析結果をまじえて解説するという企画です。

ステレオ写真はいずれも交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



1.日本人の起源論争と弥生時代人骨

1884(明治17)年、東京都文京区向ヶ丘弥生町で土器が発見されました。この土器は、縄文土器とはあきらかにことなるため「弥生式土器」と命名されました。のちに、この種の土器がつかわれた時代が、石器時代(縄文時代)と古墳時代(鉄器時代)とのあいだに位置することがわかり、「弥生時代」として認識されるようになりました。弥生時代は、石器と金属器がともに使用されていた時代であるととらえることができます。
 

石器時代→石器と金属器の時代→鉄器時代
縄文時代→弥生時代→古墳時代


縄文時代につづく弥生時代は、朝鮮半島から、稲作農業や金属器(鉄器・青銅器)などがつたわり、大きな歴史的転換を日本にもたらしました。

西日本では、小地域ごとの政治的なまとまりが形成され、そのなかの有力集団は、朝鮮や中国と交渉するようになりました。貧富の差もしだいに生じてきました。

展示室の第1コーナーでは、弥生時代の人骨をみるまえに、縄文時代の人骨と古墳時代の人骨を比較します。 


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縄文時代人(若海貝塚、茨城県)



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古墳時代人(東京都赤羽台6号)





 2.土井ヶ浜遺跡の発見

1953年、九州大学医学部教授の金関丈夫らが、本州西端の響灘に面する山口県土井ヶ浜遺跡の発掘調査を開始しました。今日までに、約300体の弥生時代の人骨が出土しています。


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土井ヶ浜遺跡で最初に出土した女性人骨 




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側切歯抜歯(土井ヶ浜遺跡1003号人骨)

特定の歯のない人骨が数多く出土します。これは、加齢によりぬけたのではなく、健康な歯を意図的にぬく「抜歯風習」があったからだとかんがえられています。このような奇妙な風習をもつ人々がどこからやってきたのか、興味がつきません。



3.弥生人の誕生と広がり

弥生時代にいきていた人々の人骨(形質)を比較します。


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渡来系弥生人(土井ヶ浜遺跡)



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西北九州弥生人(大友遺跡、佐賀県)



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南九州弥生人(広田遺跡、鹿児島県)



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復顔図の比較
左:渡来系弥生人(弥生時代に渡来した人)
中央:西北九州弥生人(弥生時代に西北九州でくらしていた人)
右:南九州弥生人(弥生時代に南九州でくらしていた人)


土井ヶ浜遺跡から出土した人骨(渡来系弥生人)の形は縄文人とはことなることがわかりました。縄文人とくらべて顔がながく、平坦な顔つきをしていました。平均身長は2〜3センチたかいこともわかりました。

復顔図では、南九州弥生人の顔が縄文人の顔に似ています。また西北九州弥生人の顔は、渡来系弥生人と南九州弥生人の中間的な顔であることもわかります。




4.弥生時代人骨の受傷痕 

縄文時代の遺跡とはちがい、弥生時代の遺跡からは、「受傷痕」(するどい武器で傷づけられた痕跡)をもつ人骨が数多く発見されています。


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傷のある頭蓋(青谷上寺地遺跡、鳥取県)


人骨にみられる受傷痕のおおくは致命傷であり、ひとつの遺跡から大量の受傷人骨が発見されたこともあります。

中国の歴史書である『後漢書』東夷伝には、桓帝・霊帝の時代(紀元146〜189年、弥生時代後期)に「倭国が乱れてクニ同士が争った(倭国大乱) 」という記述があります。弥生時代の社会は殺人と戦争をともなう社会でした。




5.弥生人をめぐる最新研究

近年の DNA 分析技術の発展はめざましく、弥生時代人骨の DNA 分析もすすんでいます。DNA は、遺伝情報をつたえる物質であり、その分析により、集団の系統や個体間の血縁についてしることができます。とくに、2010年頃から実用化された「次世代シークエンサ」という装置は、それまで不可能とされてきた古代人の核ゲノム情報の分析を可能にし、おおきな成果をうみだしています。

弥生時代の九州には、この時代に大陸からわたってきた「渡来系弥生人」、在来の集団とかんがえられる「西北九州弥生人」、独特の形質をもつ「南九州弥生人」がいたとかんがえらます。これらのうち、渡来系弥生人と西北九州弥生人の核ゲノムを分析し、東アジアの民族集団と比較しました。


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展示されていた図


上図をみると、「縄文人」(縄文時代の日本列島人)は、北京中国人、南中国漢民族、ベトナム・キン族、中国少数民族・ダイ族など、大陸の人々とはまったくちがう系統の人々、ことなる民族であったことがわかります。

「渡来系弥生人」は、縄文人や北京中国人などとはことなる系統にあり、韓国人にちかいです。

そして「西北九州弥生人」は、縄文人と渡来系弥生人の中間に位置することから、縄文人と渡来系弥生人との混血がすすんでいたことが示唆されます。弥生時代の、すくなくとも九州では、在来の集団(縄文系の人々)と大陸から渡来した人々との混血がすすんだのでしょう。

一方、「東北弥生人」(弥生時代に東北地方にすんでいた人)は縄文人の系統に属し、弥生時代になっても東北地方では混血がすすまず、縄文人の系統の人々のおおくがそのまま生きていたとかんがえられます。たしかに東北地方にいくと、西日本の人々とはちがう顔つきの人がおおいようにおもいます。


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アバクチ洞窟(岩手県)出土弥生人

たとえばアバクチ洞窟出土弥生人は弥生時代に東北でいきていた人の人骨であり、DNA 分析の結果、典型的な縄文時代人の遺伝子をもっていたことがわかりました。つまり混血はすすんでいません。



 
以上のことから弥生時代になってから日本列島では、縄文人と弥生人の混血が西日本を中心にしてすすみましたが、東北〜北海道では混血がうすかったり、混血をまぬがれた人々がいたりしたのではないだろうかという仮説がたてられます(注2)。

したがって東北地方の人々やアイヌの人々は、縄文時代の文化をより色濃くひきついでいるのではないかともかんがえられます。

展示会場では、半世紀前に開催された「弥生人」展についても紹介されています。今から48年前の1970年、弥生人展が、東京・名古屋・大阪・広島・福岡の百貨店を会場として開催され、たとえば東京では、わずか17日間に約11万人が来場するという盛況ぶりでした。

当時の新聞記事や資料と今回の企画展示をみくらべてみると隔世の感があります。当時は、発掘された遺跡も試料もすくなく、DNA 分析技術もありませんでした。「弥生人」が何者であったのかよくわかりませんでした。

しかしその後、遺跡の発掘、試料の収集、試料の計測、試料の分析のどれもが進歩しました。発掘現場の詳細な調査により当時の環境もわかってきました。人骨などの試料の観察・計測により比較研究もすすみました。 そして決定的に重要なのが DNA 分析技術の発達です。

このような科学的研究によって、「弥生人」は、朝鮮半島からの渡来人であったことが明確になりました。

そうだとすれば、倭国(あるいは大和王権)が、百済と同盟関係にあったことや、百済や高麗(高句麗)が滅亡したときに多数の難民をうけいれて、近江(現滋賀県)や高麗郡(現埼玉県)などにすまわせたこともうなずけます。

昨年9月には高麗神社を天皇が参拝して話題になりました。不思議なことでは決してありません。
 


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▼ 注1
企画展「砂丘に眠る弥生人 - 山口県土井ヶ浜遺跡の半世紀 -」
会場:国立科学博物館(日本館1階 企画展示室)
会期:2018年12月11日~2019年3月24日
※ 一部をのぞき写真撮影が許可されています。

▼ 注2
弥生時代になってから、日本列島にやってきた渡来人と先住民族の縄文人とが混血していったことはあきらかですが、どの程度 混血したのか、一部が混血しただけだったのか、大規模な混血がおこったのか、あらたな疑問が生じます。

上記の DNA 分析の結果をあらわした図には現日本人の分析結果もしめされていて参考になります。分析結果によると現日本人は、縄文人よりも韓国人にちかいことがわかります。すなわち混血は大規模ではなかったことが示唆されます。このことから、弥生時代(場合によっては弥生時代〜古墳時代)を通して次から次へと日本列島に断続的に渡来人がやってきて日本の人口がどんどんふえていった、そのために、混血はすすんだけれども、その量はおおきくはなかったとかんがえられます。現段階での分析結果からは、日本人のおおくは、縄文人の系統よりも韓国人にちかいということになります。

▼ 参考文献
企画展「砂丘に眠る弥生人 - 山口県土井ヶ浜遺跡の半世紀 -」(小冊子)国立科学博物館、2018年

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