認知革命により歴史がはじまりました。農業革命により生活がかわりました。科学革命により世界が機械化されました。
ハラリ著『サピエンス全史 -文明の構造と人類の幸福-』(河出書房新社)は、約7万年前に歴史を始動させた「認知革命」、約1万2000年前に歴史のながれを加速させた「農業革命」、わずか500年前にはじまった「科学革命」の3つの「革命」が、人類をはじめ、地球上の生きとし生けるものにあたえた影響について物語っています。



第1部 認知革命
第2部 農業革命
第3部 人類の統一
第4部 科学革命


本書では、ホモ・サピエンスという種の生き物(現生人類、わたしたち人間)をさすときには「サピエンス」という言葉を、ホモ属の生き物すべてをさすときには「人類」という用語をつかっています。

人類進化論によると、人類(ホモ属)とチンパンジーは共通の祖先をもっており、およそ600万年前に、その共通の祖先から人類とチンパンジーにわかれたとかんがえられています。そしておよそ20万年前に東アフリカで、人類のなかからサピエンスが進化してでてきたとされます。

サピエンスは、しばらくのあいだは東アフリカでくらしていましたが、およそ7万年前に、それ以外の場所に断続的に侵出しはじめます。

その後、サピエンスの複数の生活集団が、ネアンデルタール人をはじめ、ほかの人類種のすべてを中東からおいはらったばかりか、地球上からも一掃します。サピエンスは、ヨーロッパと東アジアに達し、4万5000年ほど前には、それまでは人類が足をふみいれたことがなかったオーストラリア大陸にも上陸します。

また約7万年前から約3万年前にかけて舟・ランプ・弓矢・針などを発明し、芸術とよんでもよいような作品もうみだし、宗教や交易、社会的階級化をしめす最初の証拠ものこしています。

このような人類史上前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力におこった革命の産物であるとかんがえられ、あたらしい思考と意思疎通の登場を「認知革命」といいます。

認知革命により、情報の伝達は高度化し、おおきな集団での計画的な行動が可能になり、社会が発達していきます。こうしてサピエンスは高度な文化をうみだし、その文化の変化と発展はどこまでもその後つづいていくことになり、この変化のことを「歴史」といいます。したがって認知革命は、歴史が、生物学からの独立を「宣言」したということであり、認知革命以後は、歴史的な物語が生物進化論にとってかわり、歴史を理解するためには、遺伝子やホルモン、生命体の相互作用などを理解するだけではたりず、思考やイメージや空想の相互作用なども考慮にいれる必要があるということになります。




そしておよそ1万2000年前、サピエンスは、いくつかの動植物種の生命を操作しはじめました。種をまき、作物に水をやり、雑草をぬき、ヒツジを草地につれていきました。こうしてサピエンスは「はたらく」ようになって、それまでよりもおおくの穀物や肉を手にいれるようになりました。「農業革命」です。これはサピエンスのくらし方における革命でした。

たとえば紀元前9500〜8500年ごろ、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で農耕への移行がはじまりました。紀元前9000年ごろまでに小麦が栽培植物化され、ヤギが家畜化されました。エンドウ豆とレンズ豆が紀元前8000年ごろに、オリーブの木は紀元前5000年ごろまでに栽培化されました。紀元前4000年までにウマが家畜化され、紀元前3500年にブドウの木が栽培化されました。こうして紀元前3500年までには栽培化・家畜化のピークはすぎました。

このような農耕は、中東の単一の発祥地から世界各地へひろがったとかつてはかんがえられていましたが、現在では、中東の農耕民が農耕技術を輸出したのではなく、さまざまなほかの場所でも完全に独立した形でそれぞれに農耕が発生したとかんがえられています。

農業革命以後、永続的な村落にサピエンスは定住するようになり、生活の時間の大半を農耕についやすようになります。そして食料の供給量がふると人口が増加しはじめます。女性は子供を毎年うめるようになります。すると食物はもっと必要になり、さらにおおくの畑で栽培をおこなわなければならなくなります。もっとおおくの働き手がそのために必要になり、さらにおおくの子供をうみそだてていきます。当時は、子供の死亡率はとてもたかかったですが、死亡率の増加を出生率の増加がうわまわり、サピエンスはかぎりなく人口を増加させていくことになるのです。

こうなってくると人々の負担はふえるばかりです。一連の改良はどれも生活を楽にするとおもっていたのに、おかしいな? 一生懸命はたらけば、いままでよりよいくらしができるとおもっていたのに。より楽なくらしをもとめたら、もっとおおきな苦難をよびこんでしまいます。サピエンスは、認知力がたかいはずだったのに初歩的な「計算間違い」をしてしまい、おおくの人々がこの間違いに今でも気づいていません。

農耕は、何ヶ月にもおよぶ耕作に短期の収穫期がつづくという季節のながれにそった生産周期をもっています。しかし旱魃や洪水・悪疫などのために不作の年がかならずおとずれるため、農耕民は蓄えをのこすために、自分たちが消費する以上のものを生産しなければなりません。

このような未来の心配からくる農耕計画と余剰食糧が経済をうみだします。農業革命は、農耕の技術革新にとどまらず、経済の発展をもたらし、経済が発展してくると、都市あるいは社会の秩序をたもつための制度がつくられます。政治家や役人が出現します。さらに豊作をいのるために、また農耕民の不安やストレスをしずめるために宗教(精神文化)が発達します。聖職者(精神的指導者)もうまれます。




農業革命以後、サピエンスの社会はしだいにおおきく複雑になり、みずしらずの膨大な数の人どうしが効果的に協力できるようになります。この人工的な本能のネットワークのことを「文化」といいます。どの文化にも、典型的な信念や規範・価値観がありますが、それらはたえず変化しています。文化は、環境の変化に対応してかわったり、近隣の文化との交流をとおしてかわったり、みずからの内的ダイナミクスのせいでかわったりします。文化は、矛盾におりあいをつけようとし、この過程が変化にはずみをつけます。

文化の発展は、技術革新、経済、制度、宗教の発展といった形で具体的にあらわれ、経済の発展においては貨幣の発明が決定的に重要でした。貨幣は「最強の征服者」として、その後のサピエンスを支配していきます。わたしたちは、赤の他人も隣人さえも信用しませんが、彼らのもっている貨幣は信用します。貨幣は、みずしらずの人どうしのあいだに普遍的な信頼をきずきますが、親密な人間関係やコミュニティや人間の価値をこわす危険ももっています。経済は、デリケートな「バランス芸」であるといえるでしょう。

そしてついに帝国が出現します。帝国は、みずからの基本的な構造もアイデンティティもかえることなく、異国民や異国領をつぎからつぎへとのみこんで消化していきます。多様な民族集団と生態圏を単一の政治的傘下に統一し、サピエンスと地球のおおくの部分を融合させていきます。




およそ500年前になると、「科学革命」がはじまります。科学とテクノロジーのあいだに強固な絆がむすばれたことが重要であり、今日の人々は両者を混同することがおおいです。科学研究がなければテクノロジーの開発は不可能であり、あたらしいテクノロジーとして結実しない科学研究には意味がないとかんがえます。

また科学革命以前は、進歩というものをサピエンスはほとんど信じていませんでした。しかし解決できないとおもっていた問題を科学が解決しはじめると、あたらしい知識を応用することで、どんな問題でも克服できるとおもいはじめ、進歩が永遠につづくと誤解しはじめました。

そして科学と産業と軍事テクノロジーがむすびつくとたちまち世界が一変します。帝国主義と資本主義と科学と進歩が原動力になって数々の悲劇がうまれます。

たとえばタスマニアの先住民には悲惨な運命がまっていました。1万年間孤立していきてきた彼らは、イギリスの探検家 ジェームズ=クックの到着から1世紀のうちに、大人も子供も最後の一人にいたるまで、この地上から消しさられました。ヨーロッパからの入植者たちは、もっともゆたかな土地から先住民をおいはらい、その後、のこっていた未開地までもほしがって、先住民を組織的にさがしだしては殺していきました。先住民たちは、科学と進歩の近代世界の餌食になりました。

科学革命と帝国主義はきってもきれない関係にありました。ヨーロッパによる1850年以降の世界支配が、軍事・産業・科学の複合体と魔法のようなテクノロジーとをおおきなよりどころとしてきたのはたしかです。近代後期に成功した帝国は例外なく、テクノロジーの刷新を期待して科学的な研究を奨励し、兵器・医薬品・機械の開発におおくの科学者が帝国のために時間をそそぎこみます。さらに欧米の科学者たちは、ほかのどの人種よりもヨーロッパ人はすぐれており、「劣等人種」を支配する権利をもっているとする「科学的」根拠を提供します。

帝国の生産性は爆発的に向上し、農業も、工場のような「施設」で大量生産をおこなうようになります。動植物でさえもが機械化されます。

そして労働者が大量にうまれます。労働者は、まったくおなじ時刻に出勤して配置につき、空腹かどうかにかかわらず誰もが一斉に昼休みをとります。そして仕事をやりおえたときではなく、就業時間が終了したことをつげる合図があったときに全員 家にかえります。産業革命以後、時間表と製造ラインは、サピエンスのあらゆる活動の定型になりました。工場だけでなく、学校でも病院でも官庁でも小売店でも居酒屋でも交通機関でも、時間表がすべてを支配するようになります。サピエンスそのものの機械化です。

これらにともない、地域コミュニティと家族が崩壊していきます。サピエンスは本来は、親密な小規模コミュニティのなかで家族とともにくらしていました。認知革命と農業革命がおこってもそれはかわらず、コミュニティと家族は人間社会の基本的構成要素でありつづけました。ところが産業革命は、わずか2世紀あまりのあいだにこの基本的構成要素をバラバラに分解してのけます。非常におおくの人々が、コミュニティと家族の崩壊を経験し、またそれらに対する関心もうしなっていきます。サピエンスは個人になるのだ! そしてコミュニティと家族が従来はたしてきた役割の大部分を、国家や自治体あるいは市場がまかなうようになるのです。




本書の課題は、認知革命・農業革命・科学革命が、人類や地球上の生物にあたえた影響を物語るということでしたが、その先はどうなるのでしょうか?

最近、ハーヴァード大学のジョージ=チャーチ教授は、「ネアンデルタール人ゲノム計画が完了したので、今や私たちは復元したネアンデルタール人の DNA をサピエンスの卵子に移植し、三万年ぶりにネアンデルタール人の子供を誕生させられる」とのべました。代理母になることをもうしでた女性もすでに数人います。

ネアンデルタール人がよみがえる。遺伝子工学あるいは生物工学の急激な発展により、こんなこともできるようになりました。しかしこれは、ホモ・サピエンスが生命の進化に手をくわえるということであり、このようなことは地球の進化史上これまでにはなかったことです。地球に生命が誕生して以来もっとも重大な「生物学的革命」が今まさにおころうとしています。

サピエンスの遺伝にサピエンス自身が手をくわえることももちろんできます。受精卵を操作して、支配者や親の欲望にかなったサピエンスをつくりだすことができます。しかしホモ・サピエンスに手をくわえすぎれば、それはもはや、ホモ・サピエンスではなくなる可能性があります。こうして「超ホモ・サピエンス」の時代がやってきます。




7万年前までは、サピエンスはとるにたらない動物の一種でした。ところが7年万年前の「認知革命」を皮切りに「農業革命」「科学革命」をへて、サピエンスの力は大幅に増大し、地球の主となり、いまや、生命の進化をあやつる「神」になろうとしています。

サピエンスは、動植物を征服し、環境を征服し、帝国をうちたて、広大なネットワークをつくりあげましたが、一方で、動植物たちの境遇は悪化の一途をたどり、環境の破壊はとりかえしのつかないところまできています。

ひるがえってサピエンスの境遇はどうでしょうか? 幸福になったのでしょうか?

おどろくべき数々のことがわたしたちにはできるはずなのに、どこにむかおうとしているのかもわからず、大きな不満をつねにかかえています。わたしたちは地球を支配するほど強力ですが、その力を本当は何につかえばよいのかわかりません。なんだか漠然といきています。ネアンデルタール人をよみがえらせてどうしようというのでしょうか。あまりにも無責任です。

自分自身の快楽だけをおいもとめていて、それ以外のことには無関心になれても、決して満足できません。著者のユヴァル=ノア=ハラリが最後にのべます。「自分が何を望んでいるのかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」


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こうして、サピエンス全史(人間の全史)を一気に概観してみると、サピエンスは優秀なはずなのに、なんだかずっこけているとおもえてきます。非常な高学歴をもった人なのに、ポイントがなんだかくるっている人がときどきいます。あれです。

サピエンスは、実にいろいろなことをやってきたのに、一向に心はみたされません。心をやんでいます。

進化論的には、文明人としてはサピエンスはまったく不完全なのかもしれません。進化のまだ過渡期にあたっており、今後、「超ホモ・サピエンス」あるいはサピエンスにとってかわる生物があらたな進化により出現するのかもしれません。進化論・地球史的にみて、サピエンスの時代がおわり、つぎの生物の時代に代替わりするのではないかということです。

現在、地球環境は危機的状況にあります。ここで、その各論にはいっている余裕はありませんので、サピエンスの人口増加について指摘しておきたいとおもいます。国連の2011年版「世界人口白書」によると、2011年10月31日に世界人口は70億人に到達したとされます。また国連の2017年版「世界人口予測」によると、地球の総人口は、現在は75億5000万人であり、2030年には85億5100万人に達し、2055年には100億人を突破するとされています。すべての人々が、アメリカ人並みの生活をおくるとしたら、地球5個分の資源が必要になり、このままではエネルギーの枯渇は必至で、世界的な資源不足によって緊張・対立がふかまり、資源の争奪戦が勃発するのではないかと懸念されています。

人口増加はつづいており、一方で地球は有限ですから、どこかで限界がきます。火星に移住すればいいとかんがえている人がいますが、10億人単位で移住しなければ問題は解決されず、そのようなことは不可能です。したがって限界がくるまえに人口増加をくいとめなければなりません。わたしの友人に、人口抑制プロジェクトに発展途上国でとりくんでいる者がいます。一般の人々は彼をかるくみたり馬鹿にしたりしていますが、実は、地球でもっとも重要な仕事をしています。サピエンスは何よりも、人口抑制プロジェクトにとりくまなければなりません。

あるいは地球はひとつのシステムですから、システムのバランスをとりシステムを維持するために、サピエンスの人口をへらす現象・作用がおこるかもしれません。気候変動、大災害、大飢饉、疫病・・・。あるいはサピエンス社会の内部の矛盾葛藤が爆発して社会システムが内部から崩壊して人口がへるかもしれません。

しかしそれらによってサピエンスがただちに絶滅するわけではありません。人口増加がとまり人口減少期にはいるということです。そして人口はしだいにへっていきます。どこまでもへっていきます。そしてサピエンスの時代はおわります。しかし地球上の空白をうめるようにつぎの生物が進化していきます。

いずれにしても、サピエンスの人口曲線は、地球でもっとも重要な曲線ですから今後とも注目していきたいとおもいます。

そもそも人口増加は、農業革命から顕著になり、そして科学革命以後に人口爆発となりました。そしてこれらの革命の基礎となったのが認知革命でした。現代人は、これらの革命をひきずっていきています。

そしてやっかいなのが、科学革命で身につけた「永遠の進歩」という妄想です。わたしたちの開発はどこまでもつづき、わたしたちは永遠に進歩し、どこまでも成長するという誤解です。情勢が悪化しているのに “開発屋” は「持続的開発」などといって頑張ろうとします。しかし地球は有限ですから永遠はありえません。ものごとをかんがえるときには前提が必要だということがわからないと迷路にはまります。

したがって開発・進歩から循環へ、文明のタイプを転換しなければなりません。これは、まったく容易なことではありませんが、たとえば「環太平洋文明」などに希望がみいだせます。

本書『サピエンス全史』をよめば、各論におちいることなく全体像がわかります。サピエンスが大観でき、大観することによってはじめてわかることがたくさんあります。各論をつみあげるのではない次元のたかい考察ができます。

読書テクニックとしては、できるだけ短時間で一気に最後までよむという方法がよいでしょう。細部にはあまりとらわれないで。速読法が実践できればなおよいです。


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▼ 参考文献
ユヴァル=ノア=ハラリ著(柴田裕之訳)『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』河出書房新社、 2016年9月20日