読書をしたら、みずから熟慮し、かんがえたことを発信しなければなりません。「インプット→プロセシング→アウトプット」の三拍子が大切です。
NHK ラジオ英会話のテキストでは、ジャーナリストの池上彰さんが「こんな本どうですか」と題して連載をしています。8月号では、ショウペンハウエル『読書について』をとりあげています(注1)。


本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。(中略)ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。

熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。(ショウペンハウエル『読書について』)


ショウペンハウエルは読書の危険性についてのべています。読書が危険だとはおどろきました。小さいときから「本を読め」と誰もが説教されてきました。教師や親も、どうやって子供に本をよませるか、苦労してきました。読書は重要なことでした。

しかしショウペンハウエルは読書が無用だといっているのではなく、「消化」を例にだして、本を読んだらみずから熟慮することが必要だとのべているのです。じっくりかんがえぬくことで「栄養」になるということです。


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このことを、人間主体の情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からとらえなおすと、読書とは情報を内面にインプットすることです。熟慮とか消化はプロセシングです。インプット、プロセシングとくれば、あとはアウトプットです。あなた自身がかんがえた内容を発信するようにします。

すなわちショウペンハウエルは、インプットにとどまっているかぎり、インプットをいくら大量にしていも意味がなく、かえって心をそこなってしまうと警告しています。読書をしたら、内容を熟慮し、かんがえたことを発信しなければなりません。読書・熟慮・発信の三拍子が必要です(図1)。これは、食べ物をたくさんたべても、消化や排泄がうまくできなければ身体をそこなってしまうこととよく似ています。

180831 読書
図1 読書・熟慮・発信の三拍子


このことは、学校の先生など教育関係者にはとくにかんがえなおしていただきたいことです。インプットと暗記にかたよりすぎた学校教育が日本では長年つづけられてきました。これにより子供たちは心身をこわしていきました。情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット) 、なかんずく初歩的なアウトプット訓練をもっとしなければなりません。生命の原理からいって当然なことです。

さらにショウペンハウエルはつぎのようにのべています。


紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。


読書・熟慮・発信にとどまらずに、これらをふまえて、今度は自分の目で現地・現場をみる。資料館や博物館にいってみる。ほかの資料にもあたってみる。つまり、フィールドワークをおこないます。書籍は、そのための手段としてつかうべきものです。こうして、情報処理の中級コースへすすんでいくことができます。


▼参考文献
池上彰「こんな本どうですか 第5回:ショウペンハウエル『読書について』」(『NHK ラジオ英会話 2018年 8月号』NHK出版、2018年7月14日