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港川1号頭骨(2万年前)(平行法で立体視ができます)
旧石器時代遺跡の発掘、年代測定、DNA 分析によってえられたデータにより、東南アジアや南中国でもともとはくらしていた人々が琉球列島にやってきたのではないかという仮説がたてられます。
企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」が東京・上野の国立科学博物館で開催されています(注)。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -

琉球列島の旧石器人はどのような顔をしていたのでしょうか。発掘された人骨から復元されています。


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港川I号復元模型



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白保4号人骨(2万 7000 年前)



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白保4号復元模型

2010年、新石垣空港建設中に、白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)が発見されました。いちばんふるい人骨片は約 2 万 3000 年前のものであることが年代測定の結果あきらかになりました。

発掘のときにはばらばらにみえた人骨片は個体ごとに実際にはまとまっていたことがわかり、ここの旧石器人たちは、遺体に土をかぶせない風葬という葬法でほうむられたと想像されます。旧石器時代の墓所がみつかったのは日本ではじめてのことです。

最近では、分子生物学の発展によって古人骨からも DNA 情報をよみとることができるようになっています。白保竿根田原洞穴遺跡の人骨を DNA 分析したところ、現代の南中国や東南アジアの人々と関係のあるタイプであることがわかりました。彼らは南方からやってきた人々であったようです。




復元模型をみると、朝鮮民族・漢民族系の人々の顔とはあきらかにちがうようにおもいます。旧石器時代に琉球列島にやってきた人々は東南アジアや南中国でもともとはくらしていた人々であり、朝鮮半島から対馬海峡をこえて日本列島にはいってきた人々とはことなるのでしょう。

それではこのような南方系の人々は日本列島のどこまで北上したのでしょうか。九州まできていたのでしょうか。本州・四国まできていたのでしょうか。そして時代がくだって、このような人たちが縄文人になったのでしょうか。そしてその縄文人たちが熊襲とよばれるようになったのでしょうか。

一方、朝鮮半島から対馬海峡をこえて日本列島にはいってきた人々が弥生人だったのでしょうか。その人たちの子孫が最初の日本の国家権力をつくったのでしょうか。

これらについては謎ですがいずれにしても、近年の発掘・研究により、日本列島への南方系の渡来ルートがあきらかになりました。日本人の起源と日本文化の深層を探究するうえでとても画期的なことです。


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▼ 注
企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」
会場:国立科学博物館・日本館1階・企画展示室
会期:2018年4月20日~6月17日