人間は、群れたがる性質をそもそももっています。私たちと彼らという構図が対立を生みだします。対立や紛争を解消するためには第三者による仲裁が必要です。
『ナショナルジオグラフィック』( 2018年4月号)では「対立の心理学」について解説しています(注1)。「私たち」と「彼ら」。世界各地で対立と紛争がたえません。人間は、敵か味方かに他人を区別し、集団をつくる習性があります。その心理をかえることはできるのでしょうか?




フツとツチ
民族対立に植民地時代の負の遺産が重なり、大量虐殺が起きた。

イスラエルとパレスチナ
領有権をめぐる争いに、平和的共存の余地はほとんど残されていない。

ロヒンギャとビルマ族
少数民族が国籍を得られず、弾圧を受けて難民となている。

人間は「同一性を求めてやまない」と進化心理学者のジョン・トゥービーは指摘する。それは仕方がない。人間は生まれつき「私たち」と「彼ら」を区別するようにできているからだ。脅威に直面すると、無意識にでも「私たち」を優先することは避けられない。

この実験を始め、過去20年間に行われた同様の研究から「同一性を求めてやまない」人間の脳について重要な事実がいくつかわかってきた。たとえば、集団に対する認知や情動の多くは意識街でうまれていて、コントロールが利かない。(中略)新しい集団同一性は、古いものとすぐに置き換わるのだ。


「この実験」とは、米ニューヨーク大学の神経科学者で、集団同一性を研究しているジェイ=バン=ベイベルの実験です。

わたしたちは、どの集団に自分が属しているのか、周囲にあるどの集団が自分にとって重要なのか、心のレーダーをつねに作動させています。他者をみるときも、その人がどの集団に属しているかを瞬時に判断します。

一方で、あたらしい集団にはいる可能性も敏感にさぐっています。たとえば学生のときには、学生運動のグループにはいって活動をしていた元気のいい人が、就職すると、その会社や組織の一員になって言動がとたんにかわります。自分の集団をちゃんとわきまえます。

このような集団帰属に注意をはらうことは無意識におこなわれます。読み書きや車の運転とちがって、あとから学習する必要はありません。

進化論からみると、人間のみならず霊長類は、単独で行動する動物では元々なく、みな集団をつくります。相互依存と集団生活が生存のために必要だったからです。

このように、心理学や脳神経科学・進化論の研究からみると、「群れたがる性質」は人間がもつ普遍的な性質であるといえます。かつての日本のインテリは、「日本人はすぐに群れる。日本は村社会だ。日本は特殊だ」などとよくいっていましたがこれはあやまりでした。

したがって人間社会はどこにいっても「私たち」と「彼ら」という構図になって、状況によって対立が生じます。おそらく大昔、人口がすくなかったころは、それぞれの集団が「住み分け」をすることによって対立や闘争をさけていたのでしょう。しかし人口がふえすぎた現代は世界各地で紛争があとをたちません。このような状況からぬけだすのは容易なことではありません。




しかし絶望しているわけにもいきません。ナショナルジオグラフィックはいくつかの試みを紹介しています。

近年、注目されているのは科学的なとりくみです。人間の心理と行動・社会について検証可能な事実をもとに仲裁方法を考案します。たとえば非政府組織と平和団体が対立する2つの村にはいって仲裁し、対立を解消できた例があります。村人には、対人交渉と紛争回避の講習にも参加してもらいます。心をおちつかせるための瞑想にちかい方法も実践します。瞑想は、特定の宗教の方法ではありません。

ささやかなとりくみかもしれませんが、このようなとりくみを拡大してかなければなりません。

わたしが注目したのは第三者が仲裁にはいるという点です。非政府組織(NGO)・非営利組織(NPO)にも期待がかかります。ゴリラでも、けんかがおこると第三者がかならず仲裁にはいり、仲裁者が両者をおちつかせ、仲直りをさせることがよく観察されています(注2)。「ゴリラ方式」に人間はまなぶべきです。


 ▼ 注1:参考文献
『ナショナルジオグラフィック日本版』(2018年4月号)日経ナショナルジオグラフィック社

▼ 注2
特別展「人体」開催記念特別講演会「ゴリラから見たヒト」(講師:山極壽一)(国立科学博物館、2018年4月15日)