さまざまなたとえ話をつかって仏法をときます。
NHK・Eテレ「100 de 名著」、今月は『法華経』を解説しています。指南役は、仏教思想研究家の植木雅俊さんです。『法華経』は、聖徳太子・最澄・道元・日蓮・宮沢賢治ら多くの人々に影響をあたえ、またさまざまな文学作品にも引用され、その精神は、日本文化の底流に脈々とながれつづけています。



『法華経』には、いくつもの比喩がつかわれているという特色があります。


三車火宅の譬え

ある資産家が豪邸に住んでいました。その家の中で、その資産家の子どもたちが遊んでいたとき、家が火事になりました。資産家自身は無事に脱出できたのですが、子どもたちはまだ家の中にいます。火事が危険なものかを知らないため、父親がいくら外から「逃げなさい」と言っても遊びに夢中になって耳を貸そうとしないのです。

さて、どうするか。「そうだ、息子たちが日頃から欲しがっていたものがあった。おもちゃの羊の車と、鹿の車と、牛の車だ」と資産家は思い出し、それらをあげるから外に出てくるようにと言います。すると子どもたちはわれ先にと飛び出してきました。そして「お父さん、さっき言っていたおもちゃの車をください」と言ったところ、資産家は本物の立派な牛の車を子どもたちに与えました。



火事になった家はくるしみにみちた現実世界を、子供たちは衆生(人間)を、資産家は如来(仏)をあらわしています。

資産家は、腕力によらずに方便によって、火事になった家から子供たちを脱出させ、そのあとに、子供たちに「大いなる乗り物」をあたえました。

この話では、方便を駆使して自覚的行動をうながしています。その人がみずから自覚し、自分の意志で行動することを尊重しています。超能力や神がかりによって救済をしようとしているのではありません。




長者窮子の譬え

ある資産家の息子が幼い時に出奔 しました。父親は息子を捜し回りましたが、見つかりませんでした。その後息子は五十年もの間、他国を流浪して困窮したあげくに、ある家の近くにたどり着きました。実はそこは、彼の父親の邸宅でした。(中略)

その男を見て父親は、彼が自分の息子であることが分かり、連れてくるようにと侍者に命じます。男は捕まって、「俺は死にたくない」と悲嘆の声を発し、恐怖のあまり気絶してしまいます。(中略)

その後、父親は一計を案じます。二人の侍者に命じて、「いい仕事があるから一緒に働かないか」と男を誘わせます。何の仕事かと聞かれたら「 肥溜めの汚物処理だ」と言わせることにしました。その結果、男は父親の邸宅で働くことになりました。(中略)

息子は真面目に働き、徐々に父親の身の回りの世話をするようになります。こうして、息子の気後れや引け目は薄れていきますが、なかなか完全に払拭されはしませんでした。(中略)

やがて晩年を迎えた父親は、息子に財産の管理を任せます。息子は財産のすべてを完全に掌握しますが、全く無欲で、自分とは無縁のものだと一線を画しています。(中略)

臨終の間際になって、父親は王様・親戚・近所の人々などを集めて、「皆さん、この男は何十年も前にいなくなった私の実の息子です。一切の財産を掌握しているこの息子に財産のすべてを贈与します」と宣言します。そこで息子は、財産管理人から財産相続人に転じました。息子は、「この上ない宝物を求めずして自ら得た」と語ります。



父親が、本当の息子だということを彼にわからせるまでに 20 年ほどの時間がかかりました。自分をとても卑下していた息子に対して父親は、「お前は最高のものをもっているのだ」とわからせようとしました。父親は徐々に彼をみちびいて、最終的に理解させるという手法をとりました。

こうして息子は、うしなわれた自己を回復しました。真の自己にめざめました。

「法」をよりどころとして、みずからをたよりとし、他人をたよりとするなかれ。他人が自分をどうみているかということではありません。




良医病子の譬え

ある名医が外国へ旅に出て留守にしている間に、子どもたちが誤って毒薬を飲んでしまい、苦しみ 悶えていました。(中略)名医は、色も香りも味も具えた卓越した薬をつくり、子どもたちに与えました。毒気が深く入っていない子どもたちは素直に服用し、たちどころに快癒しました。ところが、毒気が深く入り込んでいる子どもたちは、薬を口にしても「まずい」と言って吐き出してしまいます。

そこで名医は、「巧みなる方便を用いて、この薬を飲ませることにしよう」と考え、再び旅に出ます。自分がいると甘える心が子どもたちに生じて、そのために薬を飲もうとしないのだと考えたわけです。そして旅先から使いを出して、「お父さんは亡くなりました」と子どもたちに伝えさせます。子どもたちは「寄る辺なきものとなってしまった」と悲しみにくれます。

悲しみのあまり意識が正常になり、薬の卓越性に気づき、子どもたちは薬を口にします。「その時、実にその医者は、それらの息子たちが苦悩から解放されたことを知って、再び 自分の姿を現した」となり、父と子どもたちは再び対面します。



薬は『法華経』、名医は釈尊、子供(患者)たちは衆生をあらわしています。本当の名医は患者にいつまでもつねによりそっているわけではありません。つきはなすこともします。人間は、みずから気がつくことによってのみ変われます。

最後に、名医(父)と子供たちが再会します。わたしたちは、『法華経』をよむことをとおして、釈尊と出会うことができるとおしえています。




上記の3つの例から、けっきょくは、みずからの主体性が重要であるということがよみとれるのではないでしょうか。

『法華経』は、数多くある仏典のなかで、日本の精神文化形成にもっとも大きな影響をあたえた経典だとかんがえられます。しかし漢文で書かれていたため、ほとんどの人は読むことができませんでした。

そんななかで、植木雅俊さんの現代語訳はたいへんわかりやすく、重宝されています。日本のみならず東洋の精神文化を理解するために、このような古典の現代語訳をよんでおくことは大事なことだとおもいます。


▼ 注
NHK・Eテレ 100 de 名著:『法華経』

▼ 引用文献
植木雅俊著『NHK 100 de 名著 2018年4月』(『法華経』)、NHK出版、2018年4月1日

▼ 参考文献・関連書籍
植木雅俊著『サンスクリット原典現代語訳 法華経(上)』岩波書店
植木雅俊著『サンスクリット原典現代語訳 法華経(下)』岩波書店
橋爪大三郎・植木雅俊著『ほんとうの法華経』(ちくま新書)筑摩書房
植木雅俊著『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』(中公新書)中央公論新社
植木雅俊著『思想としての法華経』岩波書店