地震予知ができないことを国がみとめました。日本列島のどこでも大地震がおこりえます。いつどこでおそってくるかわかりません。誰もがそなえておかなければなりません。
NHK・BSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」で「幻の地震“予知” 日本を揺るがした大論争」を放送していました(注1)。

おきることがあらかじめわかれば多くの命がすくえる。地震予知は日本の長年の悲願でした。

しかし昨年9月、中央防災会議の有識者会議報告書「南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応のあり方について」(平成29年9月)において、地震予知はできないことが明言されました。

「現在の科学の実力では、3日後に確実に地震が起きるということは言えません」(東京大学地震研究所教授・平田直)
「政府としては、これまでの対応を早急に見直します」(菅義偉官房長官)

できるといいつづけてきた地震予知ができないことをはじめて国がみとめた瞬間でした。
 
しかし防災・減災にとりくむことはできます。建物を補強する、家具などの転倒を防止する、火災をださない、避難経路や避難場所を整備する、大津波対策・・・。政府も、地震研究にではなく、防災・減災対策にこれからは予算配分をしなければなりません。




かつて、地震の研究が日本ではじまったころ、東京帝国大学教授の大森房吉と同大学助教授の今村明恒とのあいだに論争がありました。

大森房吉は、「地震がおきる地震帯があり、地震の発生には規則性がある。ひとたび地震がおこれば、おなじ場所では地震はおこらない」と主張しました。大森は、防災と地震予知を研究の柱にかかげていた国の研究機関・震災予防調査会の幹事でもありました。

一方、今村明恒は、地震に関する歴史資料をしらべ、関東では 100 年に1度、上越では 77 年に1度地震がおこっていることなどをつきとめ、「大地震には周期性がある。おなじ場所でもふたたび地震がおこる」と主張しました。

両者は対立していました。

そして 1923年9月1日、関東大震災がおこりました。マグニチュード 7.9、死者・行方不明者 10 万 5000人以上、死者の9割以上が焼死でした。

大森房吉は、「今度の震災について私は重大な責任を感じています。譴責されても仕方ありません」とのべ、同年11月、失意のうちに息をひきとりました(享年55)。

関東大震災から2年後の 1925 年、東京帝国大学に地震研究所が設立され、地震学の拠点として大きな役割をその後はたしていくことになります。

地震研究は、戦時中の停滞などもありましたが徐々にすすみ、1962 年には、「地震予知 現状とその推進計画」(通称ブループリント)が発表されました。

10 年後にはこの問いに信頼をもって答えることができるであろう。

地震観測網を全国にはりめぐらせ、えられたデータの統計にもとづいて地震予知につなげようという内容でした。 

そして 1965年に第1次地震予知計画(4ヵ年計画)がはじまりました。予算は 10 億円でした。

1978年1月、伊豆大島近海地震が発生しました。あとで、観測データをみなおしたところ、前兆とおもわれるさまざまな異常現象がみつかりました。

前兆をとらえることができれば地震の予知ができるにちがいない。

1979年、国は、大規模地震対策特別措置法(大震法)を制定しました。地震予知のターゲットは東海地震でした。同年、第4次地震予知計画を開始、予算は 310 億円でした。そのご第5次地震予知計画では 300 億円、第6次では 360 億円、第7次では 786 億円もの予算が投じられました。

ところが、

1995年1月、阪神・淡路大震災が発生。マグニチュード 7.3、死者・行方不明者 6400 人以上。
2011年3月、東日本大震災が発生。マグニチュード 9.0、死者・行方不明者 約 1 万 9000 人。

地震予知はできませんでした。つぎの大地震は東海地震でもありませんでした。

2017年9月、中央防災会議は、地震予知はできないことをみとめました。最後までのこしていた東海地震の予知についてもできないとしました。

最新の科学的見地をいかした、あらたな防災対応の構築をいそぐ必要がある。




番組では、日本地震学会会長の山岡耕春さんと天文学者の池内了さんが解説をしていました。

「大森房吉は、(今日の)地震学者が東北の地震(東日本大震災)でうけた感覚とちかい 一種の無力感を感じたとおもいます」(山岡)
「大森と今村のような論争を『場外乱闘』といっているんですけど、学問のなかできちんと議論をする、学問の土俵のうえでやるべきで、外でけんかしてはいかんのではないか」(山岡)
「しかしこの地震の問題は、生活に直接影響をあたえるのであり、学問の場のなかだけでは閉じないんですよ」(池内)
「地震学者は理学の人ばかりなので、社会にむきあうことができない人が多いんです」(山岡)
「地震がおこる確率が 30 年で 50 %といわれても、『いずれ地震がおこるんですよ』ということとかわらない」(池内)
「予知は確実にはできないんだけれども、ある種の統計的評価はできるんです。どのくらいの確率になるのか理解しておくことが重要です。そのたりの評価ができるようになることが(地震学の)つぎの目標です」(山岡)




防災・減災の立場からは、予知と確率はちがうことであることを理解しておかなければなりません。
確率と予知はちがう - 地震災害にそなえる -

たとえばA地域で、30年以内に、マグニチュード7クラスの大地震がおこる確率が 70 %だとしましょう。それはいいかえればおこらない確率は 30 %だということです。30 年以内におこるかもしれないし、おこらないかもしれません。

あるいはB地域では、おこる確率が 20 %だったとしましょう。80 %の確率でおこらないから安心だとおもうのはまちがいです。おこる確率が 20 %あるのですからおこりえます。30 年以内におこるかもしれないし、おこらないかもしれません。

日本列島のどこでも大地震はいずれおこります。北海道や日本海側だから安心だということは決してありません。いつどこでおそってくるかわかりません。したがってどこにいてもそなえておかなければなりません。地震学者がいう「どのくらいの確率になるのかを理解しておく」必要はまったくありません。 地震学者が計算する確率は、確率のひくい地域の人々を油断させるので百害あって一利なしです。実際、確率のひくかった熊本で2016年4月に大地震がおこってしまいました(注2)。

今日では、地球は「複雑系」であることがあきらかになっています。複雑系は「カオス」とよばれることもあります。複雑系では、わずかな初期条件のちがいによって結果がちがってくるので予知はできません。複雑系あるいはカオス理論からも地震予知はすでに否定されています。地震学者は、複雑系を勉強したことがありませんでした。
複雑系とゆらぎに気がつく - バタフライ効果 -

大地震は人命にかかわります。これだけの人々が亡くなっているのです。地震は、学問のなかだけで閉じることは決してありません。「社会にむきあうことができない人」に予算をあたえる必要はありません。東京大学の地震研究所も減災研究所にすみやかに改組したほうがよいでしょう。

地震学者の「つぎの目標」も意味がありません。地震学者は、目標をみあやまっていたことがあきらかになりました。そもそも研究の方針がまちがっていました。方針をあやまると、その後の努力も予算も無駄になります。日本国のひとつの歴史的教訓がここにあります。

「地震予知計画」という形でながいあいだ予算がついてきました。予知という言葉をのこしておけば研究費がでます。研究費があることは地震学者にとっては心強いです。地震学者の甘えがあったことはあきらかです。

寺田寅彦は、「天災は忘れた頃にやってくる」といいました。地震予知は原理的に不可能であることを知っていました(注3)。寅彦がのこした教訓こそ、肝に銘じなければなりません。



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▼ 注1
「幻の地震“予知” 日本を揺るがした大論争」(フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿)NHK・BSプレミアム、 2018年2月22日放送

▼ 注2
2016年4月、熊本地震が発生。マグニチュード 7.3、最大震度7、死者 258人、負傷者 2,796 人、避難者 約18万4000 人。

▼ 注3
地震予知ができないことを継続して主張しつづけている異端の地球物理学者として東京大学名誉教授 ロバート=ゲラーさんがいます。ゲラーさんの解説はわかりやすくて参考になります。また故竹内均も、地震予知ができなことを主張していた数少ない地球物理学者のひとりでした。また地質学者のほとんどが地震予知はできないことに当初から気がついていました。