善と悪の背景には、人間の基本的な能力である共感があります。共感が集団をつくりだします。善人をそだてる教育やトレーニングが必要です。
世の中に、善人と悪人がいるのはなぜか?『ナショナルジオグラフィック』2018年2月号では、「善と悪の科学」と題して脳科学の研究からこの答えをさぐっています。




マーシュの研究チームは、並外れて親切な人々について研究しようと考え、その理想的な研究対象として、腎臓の臓器提供者を選んだ。何の見返りも受け取らずに、見ず知らずの人に、自分の腎臓の一つを提供する人々だ。

その一人一人に、恐怖や怒り、無表情など、さまざまな表情を写した白黒写真を1枚ずつ見せながら、MRI で脳の活動状況や構造を調べた。

すると、恐怖を浮かべた表情を見ているときの腎臓提供者たちは、一般の被験者よりも右側の扁桃体に大きな反応が見られた。また、臓器提供者たちの扁桃体は、一般の人々よりも平均して8%ほど大きいことも確認された。

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腎臓提供者のような善人がいる一方で、殺人や性的暴行、誘拐や拷問といったおぞましい行動をとる悪人がいます。人間はむずかしい生きものです。

悪人に関する同様の研究では、善人とは逆の結果がえられています。あるいは前頭葉に事故で傷をおったり、病気で腫瘍ができたりしたら、それまで礼儀ただしかった人が急に冷淡になったり、人格がかわったりしたという例も報告されています。脳の障害が、悪人をうみだすことに影響していることが示唆されます(注)。

本項では、「共感」をキーワードにして考察をすすめていて、共感がうまれるしくみ(メカニズム)を脳のモデルをつかってくわしく解説しています。共感すなわち他者の気持ちを理解する能力は善悪どちらにもふかくかかわっているのではないかとかんがえられます。共感は、おもいやりの火をともし、こまっている人をたすけたいという気持ちをかりたてます。




共感とは、相手との関係あるいは人々のあいだでうまれるものであり、共感がうまれると、心がかよいあい、たすけあう集団ができあがります。一般的にはすばらしいことです。

しかし脳のある部位が損傷をうけていたり、適切な共感の回路がはたらかないと悪人になるといいます。はたらかない理由は、遺伝、病気、ストレス、トラウマ、敵対する社会条件などです。

ところが悪人も、悪人同士で心をかよわせ、おたがいに助けあったりします。共感は、助けあいをうみますが、それは悪人たちのあいだでもおこるのです。悪の共感です。その結果、悪人の集団ができあがり、組織で悪事をはたらきます。大規模な殺戮をおこなう場合もあります。悪人の集団がなくなる気配は一向にありません。

このように、共感というのは善でも悪でもおこり、それぞれを増幅させていきます。共感は、不思議でおそろしい現象ですが、人間のもつもっとも基本的な能力のひとつです。これまでにあなたは、どのような人たちに共感して生きてきたでしょうか? この機会にふりかえってみるとよいでしょう。

本論の著者らは、やさしい心をそだてる教育をして、ただしい共感の能力を身につけることを提案しています。また脳は柔軟なので、大人になってからでもトレーニングすればやさしさや寛容さをそだてられるとしています。かなり楽観的な見通しをもっているようです。善と悪を、観念的・思想的に論じるのではなく、医学的・科学的に追究しているところが本論のおもしろい(?)ところです。


▼ 注
44-45ページでは脳のモデル図をつかって説明しています。通常の人の脳は前頭前皮質の活動がつよく、殺人犯の脳はその活動がよわいことが一目瞭然です。前頭前皮質に異常があると暴力をふるいやすいとかんがえられます。また極端に利他的な人は扁桃体が大きく、神経活動も活発です。扁桃体は、学習した情緒的な反応と苦痛をともなう刺激の処理にかかわっています。

人間主体の情報処理の観点からいうと、脳に、障害や異常があるということは、プロセシングがすすまないかすすんでもエラーがおこってしまうということをしめしています。それが、言動(アウトプット)にそのままあらわれてしまいます。

▼ 参考文献