言葉のむこうにいる人々のメッセージをうけとるようにします。
石牟礼道子著『苦海浄土 わが水俣病』(講談社)の第一章「椿の海」の第三節は、「四十四号患者」について記述しています。
 



四十四号患者
おとろしか。おもいだそうごたなか。人間じゃなかごたる死に方したばい、さつきは。わたしはまる一ヵ月、ひとめも眠らんじゃったばい。九平と、さつきと、わたしと、誰が一番に死ぬじゃろかと思うとった。(中略)上で、寝台の上にさつきがおります。ギリギリ舞うとですばい。寝台の上で。手と足で天ばつかんで。背中で舞いますと。(中略)人間じゃなかごたる声で泣いて、はねくりかえります。ああもう死んで、いま三人とも地獄におっとじゃろかいねえ、とおもいよりました。

部落じゃ騒動でしたばい。井戸調べにきたり、味噌ガメ調べたり、寒漬大根も調べなはった。消毒ばなあ、何人もきてしなはった。

コレラのときのごたる騒動じゃったもん。買物もでけん、水ももらいにゆけんとですけん。店に行ってもおとろしさに店の人は銭ば自分の手で取んなはらん。仕方なしに板の間の上に置いてきよりました。箸ででもはさんで、鍋ででも煮らしたじゃろ、あのときの銭は。七生まで忘れんばい。水ばもらえんじゃった恨みは。村はずしでござすけん。


昭和29年(1954年)、最初の患者が日窒病院に入院し死亡しました。その症状は、これまでまったく知られていなかった奇異なものでした。

調査の結果、確認された患者数は、28 年1名、29 年 12 名、30 年9名、31 年 32 名(つづいて 11 名発症)・・・

患者には番号がふられていきました。近代科学技術文明では番号で個人を識別します。近代文明は物質文明ともいわれ、人間の尊厳をみとめず、物あるいは物質として人間をあつかいます。

患者たちには共通の症状がみられました。手足の先がしびれ、物がにぎれません。あるけません。モノがいえません。舌もしびれ、味もせず、のみこめません。目がみえなくなり、聞こえなくなります。手足がふるえ、はげしい全身痙攣をおこします。食事も排泄も自分ではできなくなります。死をまぬがれた人も身体障害や精神障害をのこします。

その後、漁場をうしない、続発する患者をかかえた漁民たちは、新日本窒素に補償要求をだしましたが、工場廃液とこの奇病とは関係ないとし、漁民たちと患者たちを同社は無視しつづけました。




そしてその後、昭和43年(1968年)、


原因はメチル水銀化合物で、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が排水に含まれ、水俣湾内の魚介類を汚染した。


厚生省がはじめて企業責任をうちだしました。最初の患者が確認されてから実に 15 年が経過していました。

患者とよばれている人々は完全な被害者であり、この「水俣病」事件は無差別大量殺人行為だったといってもよいでしょう。これは、確信的なおこないにもとづいた人災だったのです。

本書中で「新日本窒素」とよばれる会社は近代科学技術文明がつくりだした「化け物」でした。近代文明の闇といったレベルでは理解できない大きな問題がここにあります。


 

近代化とは現代の不問の目標であり、その目標のもとで人間は、際限なく欲望を拡大させていきます。いのちの尊厳をもうちくだきます。公害や環境汚染といった人災は姿をかえ場所をかえ、くりかえしくりかえし、いろいろな形でおこってきます。

たとえば福島原発事故もそうです。近代文明が、東京電力という一つの化け物をつくりだしました。化け物は、まるで一つの生命体にように成長し、ひとかたまりになってつきすすんでいきます。一度うごきだしたらとまりません。しかもそれは、特有の癖をもっているのでやっかいです。そこではたらく人々(社員)は、一人の人間(個人)としてよりも、化け物をつくる “細胞” のように機能します。

近代化による公害や環境汚染をかんがえるとき、わたしたち誰もが、近代文明の一員(“生命体” の “細胞” のように)になってしまっていることに気がつくことはとても重要なことです。

もはや、文明の “癖”(人格?)を、直線的な開発型から、循環的な調和型へと転換する以外に道はありません。




水俣病にくるしんだ人々とその家族たちがもとめているものは、心をかよわせて生きていくことだといいます。

本書に記述された言葉のむこうにいる人々のメッセージをうけとることが大事です。残酷なまでのくるしみを生きぬいた人々の、言葉にはならない祈りの世界がそこにはひろがっています。




著者の石牟礼道子さんは、熊本県宮野河内村(現・天草市)にうまれ、生後まもなく水俣町(現・水俣市)にうつりました。1958年、谷川雁らの「サークル村」に参加、詩歌中心に文学活動をはじめました。

1969年、水俣病患者の姿をつたえる『苦海浄土』第1部を刊行、1970年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞にえらばれたが辞退しました。1974年に第3部『天の魚』をだし、2004年の第2部『神々の村』で『苦海浄土』(全3部)が完結しました。2018年2月10日、90歳の生涯をとじました。


▼ 参考文献
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)講談社、1972年12月15日
若松英輔著『100分 de 名著:石牟礼道子 苦海浄土』NHK出版、2016年8月25日
 
▼ 関連サイト
水俣市立 水俣病資料館