錯視体験をとおして、光のインプットと情報のプロセシングがおこっていることを自覚するとよいです。
『Newton 錯視と錯覚の科学 明るさと色の錯視』(Kindle版)は、目の錯覚がなぜおこるのか、実際に錯視を体験しながら理解をふかめられる好著です(注)。



つぎのような錯視を体験することができます。


  • 同じ色でも、明るさがことなるとちがいう色にみえる(明るさの対比)。
  • 照明の色がかわっても、ものの色は一定である(色の恒常性)。
  • 赤っぽい色で囲まれたときに、灰色が若干水色をおびてみえる(色の対比)。
  • 近づいたり遠ざかったりすると、明るさがかわる(明るさがかわる錯視)。
  • 一つの図にいくつもの錯視が含まれている(最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視)。
  • 輝きの錯視で瞳孔が収縮する(輝き効果)。
  • あるはずのない色が見える錯視。
  • ギラギラしてみえる錯視(オブ効果)。


見るということは、眼球にはいってきた光が、電気信号に変換されて神経をとおって脳におくられ、脳がそれを処理して認知するということです。

周囲の状況がかわるとおなじ色でもちがう色に見える一方で、色が変化したのにおなじ色に見えることがあります。脳は、エラーをおこすこともあり、情報を補正して本来の色をとらえようとすることもあります。対象との距離がちがっただけで明るさがかわったり、あるはずのない色が見えたりするのは、脳の処理は絶対的ではないことをしめしています。

そもそも光とは電磁波の一種であり、電磁波には色はついていないことが物理学的にしられています。色とは、人間のプロセシングにより、電磁波の波長の違いが色として認知されて生じたものです。錯視は、光のインプットと情報のプロセシングがおこっていることをわたしたちに自覚させてくれる貴重な体験になります。

本書のなかでなかんずく印象的なのは北岡明佳教授の作品「朝日」(輝きの錯視)です。朝日のようにまぶしくかがやいています。しかし実際には、かがやいて見える部分の白色は周囲の白色とおなじであり、グラデーションがうみだす錯視なのです。ライトをつかわなくてもかがやいてみえるこの効果は芸術の分野ではときどきつかわれているとおもいます。

2012年に実験がおこなわれ、この作品を見た被験者の瞳孔が収縮することがあきらかになりました。瞳孔は目にはいる光のとおり道であり、まぶしく感じると瞳孔は収縮して目にはいる光量をへらします。


この実験により、瞳孔の収縮は、実際に目に入る物理的な光の量によってだけおきるのではなく、「まぶしい」と思うことによってもおきることがわかりました。


この結果は、わたしたちの視覚系の情報処理のなりたちを知る手がかりになります。「思うことによってもおきる」というところが重要です。思うことによって、実際にはそうではないのに、そう見てしまうことがあるのです。固定観念や偏見によって情報処理のエラーがおこります。

したがって冷徹なインプット、情報処理の適切なコントロールが重要です。そのためにも、錯視を体験し、インプットとプロセシングがおこっていることを自覚することがまずは必要でしょう。


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▼ 注:参考文献
『Newton 錯視と錯覚の科学 明るさと色の錯視』(Kindle版)ニュートンプレス、2016年9月26日
※ この電子書籍は、2013年4月に発行された『錯視と錯覚の科学』(ニュートン別冊)の第2章を電子版にしたものです。