成功を目的にするのではなく、オリジナルな人間になって今を生きる。
NHK・Eテレ「100 de 名著」が三木清の『人生論ノート』を今月はとりあげています(注1)。社会的な成功が幸福とみなされ、効率をあげて競争に勝つことが目的とされる現代社会において、人生を真にゆたかにするにはどうすればよいか、一緒にかんがえていこうという企画です。指南役は哲学者の岸見一郎さんです。




成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。
 

書店にいくと、成功するための本があふれています。受験も就職も結婚も昇進も、すべてが成功のためにある。おもいどおりの成功を手にいれないと幸福にはなれないと多くの人々はかんがえます。 

しかし三木は「成功と幸福は別物だ」といいます。成功は「直線的な向上」ですが、幸福には「本来、進歩というものはない」。成功は「一般的なもの、量的に考えられ得るもの」ですが、幸福は「各人のもの、人格的な、性質的なもの」です。結局、純粋な幸福は「各人においてオリジナルなもの」であるのです。幸福は、あなたがあなたとして存在していること自体にみいだす以外にありません。


期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもっている。我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある。道徳の拘束力もそこに基礎をもっている。(中略)時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ。世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い。


周囲の期待にこたえることばかりをかんがえていると自分を見失ってしまいます。時には、周囲の期待に反して行動する勇気をもたなければなりません。これは、オリジナルな人間になるということであって、利己主義者になるということではありません。


旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。

出発点が旅であるのではない、到達点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。

真に旅を味い得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。


習慣的な行為・思考から脱却すること、到達点ではなく過程を大切にすることが人生においても重要だということです。

現代の多くの人々は、目的・到達点・結果・評価をつねに気にしながら生きています。しかし旅は過程です。目的地につくことも過程のひとつにすぎません。旅する人は誰でも過程を味わい途中をたのしんでいます。途中に注意していればあらたな発見や出会いもあります。見慣れたものも新鮮に感じられます。

たとえば最近、「ななつ星」「四季島」などのクルーズトレインが人気です。目的地に到達するために鉄道にのるのではなく、鉄道の旅そのものをたのしみます。クルーズトレインがでてくる前にも、鉄道ファンは鉄道の旅そのものをたのしんでいました。途中下車をして写真を撮ったり一泊したり・・・。1分でもはやく目的地にたどりつこうとはしません。

あるいは最近、マインドフルネスがはやっています。これには、集中力を高める、不安な気持ちを解消する、身体が健康になるなど、さまざまな効果が報告されており、これらをえることを目的にしてマインドフルネスにとりくむ人が増えているそうです。しかし座禅では、効果をえるために座禅はしません。効果や成功をえることが目的なのではなく、それを実践すること自体が目的なのであり、座禅のための座禅、修業そのものが人生であるとかんがえます。結果として自然に健康になったということです。

成功を目的にするのではなく、今を生きる。オリジナルな人間になれれば結果はおのずと生じてくのではないでしょうか。指南役の岸見一郎さんは、「いつ、どこで人生を終えたとしても、生きた瞬間、瞬間がすでに完成しているのです」と解説してます。もし目的地にたどりつけなかったとしても、今を生きて過程を味わっていれば、わかくして道半ばで亡くなって無念であったということにはなりません。

戦中という時代の制約があって『人生論ノート』はとても難解な表現になっていますが、今回の番組を参考にして、成功と目的、幸福と過程についてかんがえなおしてみれば、生き方を変えるヒントがえられるかもしれません。


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