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彩の国さいたま芸術劇場
 
シェイクスピアは結論や思想をおしつけるのではなく、さまざまな問題をわたしたちに提起しています。シェイクスピア劇をきっかけにしてみずから自由にかんがえてみるとおもしろいとおもいます。


彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾、シェイクスピア作『尺には尺を』(演出:蜷川幸雄)をみました(注1)。


舞台はウィーン。

「法律を厳しく施行するなり手心を加えるなり、君が良いと思うようにすればいい」
と貴族アンジェロにいいのこして、ここをおさめていた公爵ヴィンセンショーは国外に出立しました。公爵ヴィンセンショーは、権力が人をどう変えるのかを観察しようという目論見をもっていました。

領地の全権を委任されたアンジェロは、自制心と禁欲を旨としていたためきびしい取り締まりをはじめます。厳格な法の運用を決め、あるとき、わかい貴族クローディオに死刑を宣告しました。

するとそこに、クローディオの妹で修道女になろうとしていたイザベラがあらわれ、慈悲をもとめます。
「どうか兄をおたすけください」

話をきいているうちにアンジェロはイザベラにひかれていきます。なんて利発で聡明な女性なんだろう。
「またああして話すのを聞きたい」
こともあろうにアンジェロはイザベラに恋をしてしまったのです。そして、何としてでもイザベラを自分のモノにしたい・・・


イザベラに心をうばわれたアンジェロは「兄を生かしてやれ」といいます。しかしそのあとで「なぜ俺はこんなことを言ってしまったのか?」とあわてます。アンジェロの心がゆれうごいていきます。

自制心と禁欲を旨としていたアンジェロのこの変わりよう。おもいもよらなかった自分の姿。これを喜劇とみるか、セクハラとみるか、人間の愚かさとみるか。いずれにしても人間は簡単に豹変することがあるのです。 




アンジェロとイザベラ、二人の背後にいるのが公爵ヴィンセンショーです。公爵は実は、修道士の姿に変装して国内にどどまり、すべてを見ていたのです。公爵はアンジェロを試したのです。公爵はいわば「実験」をおこなったのです。実験をおこなってアンジェロを観察したのです。アンジェロはすべてをあばかれてしまいました。普段のままでいたら決して見ることができないことが、特別な条件を設定して実験をすると見えてきます。しかしこれはかなり高度な方法であり危険をともなうやり方です。

シェイクスピアは、本作にかぎらずしばしば実験をおこなっています。しかしそれらはあくまでも演劇でありフィクションです。実生活のなかではヘンな実験はやらない方がよいでしょう。

今回の演出では、劇のはじまりが、いかにもこれから実験をはじめますといった感じのはじまり方でした。開演15分前に幕があがると舞台上には楽屋があり、上演にむけて準備をしている俳優とスタッフの姿がありました。そして「開演5分前です」と俳優にむかってアナウンスがありました(観客にむかってではなくて)。そして準備がおわって俳優が一列にならんで挨拶をし、さあはじめましょうといった感じで開演となりました。

 

 
『尺には尺を』(原題『Measure for Measure』)というタイトルについては、会場で販売されていたプログラムに本作翻訳の松岡和子さんが解説しています。


 原題の「Measure」という単語は、「人を裁くな、自分が裁かれないために。あなたがたが裁くときその裁きで自分も裁かれ、あなたがたの量るその量りで、自分にも量り与えられるであろう」(新約聖書)から引用されています。これは復讐を否定しています。

しかし「尺には尺を」といういいまわしは、旧約聖書に由来する「目には目を」「歯には歯を」という復讐の言葉を彷彿させます。

 「人を裁くな」なのか「復讐せよ」なのか? タイトルは二律背反のテーマを孕んでいます。


『尺には尺を』は喜劇といえば喜劇ですが、何だかしっくりこなくて後味も悪いといった印象です。この劇は喜劇ですが「問題劇」ともいわれます。

シェイクスピアは、結論や思想をわたしたちにおしつけるのではなく、わたしたちに問題提起をしているのだとおもいます。タイトル自体が問題提起です。「人を裁くな」なのか「復讐せよ」なのか? あなたならどちらを選択するでしょうか? また劇の中では、いろいろなことを試しています。つまり実験をおこなっています。さらにストーリーは完結していません。『尺には尺を』のラストシーンも結論はしめしていませんでした。イザベラはどうなったのでしょうか? わたしたち一人一人への問題提起です。

シェイクスピアは、このようにさまざまな問題をわたしたちに提起しています。シェイクスピア劇をきっかけにして、みずから自由にかんがえてみるとおもしろいとおもいます。シェイクスピアの一番のたのしみ方です。

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世界的な演出家・蜷川幸雄さんは2016年5月12日に逝去されました。彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』は蜷川さんの追悼公演として上演されました。本作は、蜷川さんのプランにもとづいて演出補の井上尊晶さんとスタッフ・キャストが協力してつくりあげたものであり、蜷川さんの遺作となりました。
 
シェイクスピア全37作完全上演を目指していた蜷川幸雄演出・監修「彩の国シェイクスピア・シリーズ」はあと5作の上演で終結するところまできていただけにまことに残念でなりません。カーテンコールで蜷川さんの遺影がかかげられたとき、会場の誰もが涙をおさえることができませんでした。

しかし彩の国さいたま芸術劇場はシリーズを続行すると発表しました。のこりの5作を上演するとのことです。どのような形になるのでしょうか。期待しています。


▼ 注1
シェイクスピア作『尺には尺を』(彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾)
演出:蜷川幸雄
演出補:井上尊晶
翻訳:松岡和子
アンジェロ:藤木直人
イザベラ:多部未華子
ヴィンセンショー公爵:辻萬長
会場:彩の国さいたま芸術劇場 

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