〈1. 大観 → 2. 分析 → 3. 総合〉の3段階をふむと認識がふかまります。


たとえば目の前に象がいたとします。対象からある程度はなれて全体を見ればそれが象だと誰でもすぐにわかります。全体を見ることは大観とよんでもよいでしょう。

それに対してたとえば分子生物学者は、象の細胞をとりだしてくわしくしらべます。これは分析といえます。

もうひとつ別の方法があります。たとえば「群盲象を評す」というおしえがあります。
 

あるとき、目の不自由な人たち6人が象をさわりました。
 
足をさわった人は「柱のようです」と言いました。
尾をさわった人は「綱のようです」と言いました。
鼻をさわった人は「木の枝のようです」と言いました。
耳をさわった人は「扇のようです」と言いました。
腹をさわった人は「壁のようです」と言いました。
牙をさわった人は「パイプのようです」と言いました。


象のことなる部分をそれぞれにさわればたしかにこのように感じるとおもいます。

しかしこのままでは象の本当の姿はわかりません。そこでこれらの情報(データ)すべてを総合して、またそれぞれの部分の空間的な配置をとらえて象の姿(全体像)を想像することが必要になってきます。象の全体像がわかれば、象の部分を実はさわっていたのだということにも気がつきます。これは総合の方法です(注)。




このように何かを認識する基本的な方法として大観・分析・総合の3つの方法があります。

ここでよく混同されるのが大観と総合です。

大観は、対象の全体を瞬間的に見る方法です。見ることができれば わかるわけです。それに対して総合は、断片的情報(データ)を集積・構築して「こうではあるまいか」と全体を想像する方法です。 両者はことなる方法ですので注意が必要です。


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たとえば地球を認識するとき、近年では、地球の全体を宇宙からとらえた画像やデータが簡単に手にはいります。このような情報をつかって地球の全体像を見るのは大観です。

それに対して、特定の地域のフィールドワークをしたり、地球の火山を集中的にしらべたり、地球の物質を研究したり、現地住民の暮らしをしらべたりするのは分析です。

そして世界各地に存在する断片的情報(データ)を集積・構築して地球の全体像や本質を考察するのは総合の方法です。




けっきょく、大観・分析・総合の方法は、それぞれの利点をいかしながら時と場合によってつかいわけていくのがよいでしょう。そのときに、まず対象を大観し、つぎに分析し、そして総合するという手順をふむと認識がふかまります(下図)。

160229 認識の方法
図 認識の3段階


認識がふかまるということは、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)がすすむということであり、問題解決の道がひらけるということです。大観・分析・総合という3段階のそれぞれの段階の内部で情報処理をくりかえしておこなうようにします。問題解決とは情報処理の累積です。


▼ 注
「KJ法」とよばれる方法は総合の方法を技術化したものです。