問題意識を鮮明にして、課題や対象にしっかり心をくばると情報のインプットがすすみます。

心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」(『大学』)という名言があります。

現代の情報処理の観点からこれをとらえなおすとどういうことになるでしょうか。視る(見る)、聴く(聞く)、食う(味わう)とは自分の意識の内面に情報をインプットすることです。「心ここに在らず」とは課題や対象にしっかりと心がくばられていない、意識がむけられていないということでしょう。

つまり問題意識が不鮮明で対象に心がくばられていない、意識がむけられていないと情報のインプットはうまくできずにその後の情報処理もすすまないということではないでしょうか。意識をしていないために見ているようで見えていないということは誰にでもおこっています。

このようにかんがえると情報のインプットとは自動的におこるというものではなさそうです。情報は、むこうからやってきて自分の意識の内面にどんなものでもそのままはいってくるというものではなくて、むしろ自分の方から意識をもっていく、心をしっかりくばってこそ情報はキャッチできる、インプットできるということでしょう。インプットとは自分の意識の問題であるわけです。

そうだとすると、どこに・何に・どのように意識をもっていくか、どこまで自分の意識の場をひろげるかといったことが大きな問題になってきます。おなじ場所にいておなじニュースに接しても、それぞれの人の意識の状態によってインプットされる情報はことなってきます。そしてその後の情報処理も当然ちがってきます。その人の意識(心)のくばりやりかたや意識(心)の大きさが重要だということでしょう。

このような心くばりをすすめるためには、まずは、自分自身の問題意識を鮮明にするところからはじめるのがよいとおもいます。


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