目をつかって外界から光情報をとりいれ、脳が情報を処理することによって見るという知覚が生じます。

藤田一郎著『「見る」とはどういうことか』(化学同人)は、誰もがおこなっている「見る」という日常の何気ない行為を最新の脳科学の立場から追究しています。

目 次
第1章 見るなんて、心のうち?
第2章 知覚と行動のつじつま
第3章 見るための脳の仕事
第4章 見る脳を覗く
第5章 心をつかさどるニューロン活動を求めて
第6章 二つの目で見る
第7章 脳、心、脳科学と私


本書では、「見る」ということをつぎのように説明しています。

目のなかの網膜が外界の光情報をとらえる。光情報は生体電気信号に変換されて脳におくられる。脳の中でそれらが処理されて「見える」という知覚意識が生じる。


「見る」ということを分析的にとらえるとこのようになります。著者の言葉をつかえば「脳が見ている」ということです(注1)。

このことは、本書中に多数掲載されている錯視図形を見ることで実体験(実験)することができます。錯視とは、えがかれたもの、目にうつったものとはちがうものを見てしまう現象です。本書をひらいてたのしみながらやってみるとよいでしょう。

また脳に損傷がおこると、目は正常であっても見え方に障害がでてくることからも脳の役割が説明できます。

そして人間が知覚をするときには、「世界の構造に関するルール」を脳が知っていてそこからヒントをえていることや、自分の経験・記憶が大きく作用していることに気がつくことも重要です。

あるいは「ものが見えるという主観体験が生じる」ことと、「見ることに依存して行動を起こす」ことが独立に起こりうるという指摘も興味ぶかいです。本書中では、情報処理のインプット・プロセシング・アウトプットという用語はつかっていませんが、知覚とか「主観体験」はプロセシング、行動とはアウトプットといってもようでしょう。

* 

わたしたちは、色や音や臭いや味はわたしたち人間がいてもいなくても存在すると常識的にはかんがえていますが実際にはそうではなく、わたしたち人間の存在と無関係に色や音や臭いや味は存在しません。

わたしたちは外界から情報をとりいれてそれらを処理することによってそれらは認知され存在するようになるのです。たとえば光そのものは色をもっておらず、わたしたちが認知するからその色が存在するというわけです。

なんだかむずかしい話のようですが、最先端をいく脳科学者が何をかんがえているのかを知ることができる一冊です(注2)。


▼ 引用文献
藤田一郎著『「見る」とはどういうことか 脳と心の関係をさぐる』(Dojin選書)化学同人、2007年5月20日
「見る」とはどういうことか―脳と心の関係をさぐる (DOJIN選書 7)

▼ 注1
本書をよめば、人間が情報処理をする存在である、あるいは人間が情報処理システムであることがよくわかります。

▼ 注2
情報処理と問題解決の実践という立場からは脳という物質にとらわれる必要はありませんが、現代の脳科学の研究がどこまですすんでいるのかを知ることは意義のあることです。

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