第1章「錯視とは」では、わたしたち人間の視覚と錯視についてわかりやすく説明しています。
私たちの目に外から届く光は、網膜で画像としてとらえられる。(中略)眼は光の分布を検出するセンサーであり、網膜像はその検出結果である。
次に、この画像は脳へ送られる。そして、脳で、その画像が解釈されて、目の前の世界がどういう状況なのかが判断される。
外の世界は三次元の広がりをもっているのに対して、画像は二次元であるから、情報が欠落しており、解釈の可能性は一つとは限らない。(中略)ここで解釈を間違えると、事実とは違ったように見える。これが錯視である。だから、錯視は脳が作り出していると言ってよい。
この説明を、情報処理の観点から整理すると、わたしたちの目に光がとどき、網膜でそれを、二次元画像としてとらえることは、インプットにあたります。
次に、脳で、画像を解釈することは、プロセシングです。
わたしたちは、このような、インプットとプロセシングにもとづいて、はなしたり書いたりといったアウトプットをしています。
インプット→プロセシング→アウトプット
したがって、錯視や錯覚がおこるということは、プロセシングで、情報処理のエラーがおこるということであり、プロセシングにエラーがおこると、おのずと、アウトプットも間違ってしまうことになります。事実とはことなる間違ったアウトプットはさまざまな誤解や混乱を生みだします。
もうひとつ重要な点は、目の網膜にうつる画像は二次元ですが、脳の情報処理によって、それを三次元にしているということです。脳は、たりない情報をおぎなって全体像をつくりだしているのです。具体的には奥行きをつくりだします。
このような情報処理については、へたな理論書を読むよりも、このような図鑑をつかって、みずから実体験した方がわかりやすいです。本書をつかって、実際に錯視を体験していると、自分の意識のなかで情報処理がおこっていることを自覚することができます。正確な情報処理をおこなうためには、錯視の問題をさけて通ることはできないこともわかってきます。
▼ 文献
杉原厚吉著『錯視図鑑』誠文堂新光社、2012年7月31日
錯視図鑑―脳がだまされる錯覚の世界