NHK歴史秘話ヒストリア(2014.10.15)で「飛鳥は石の都だった」と解説していました。

日本にもあった?謎の巨石文明 ~目覚める 飛鳥“石の女帝”~ >

清明天皇の陵墓(牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん))は八角形のピラミッドでした。80トンの巨石の内部をくりぬいて石室をつくりました。

益田岩船(ますだのいわふね)などは、失敗作あるいは未完成の石室であるという仮説がたてられました。

石の都としての飛鳥は、朝鮮半島の百済と友好関係にあったことが大きく影響しています。

わたしがここでおもいだしたことは、川喜田二郎の「騎馬民族倭人連合南方渡来説」です。

どうして、飛鳥と百済とは友好関係にあり、白村江の戦いでは連合軍をつくって共に唐と戦争をしたのでしょうか?

「騎馬民族倭人連合南方渡来説」によれば、飛鳥の人々と百済の人々は民族学的におなじ起源をもち、南方から黒潮にのって北上してきた人々であり、その一方は九州から西日本に入り飛鳥にたどりつき、他方は朝鮮半島南西部(百済)にたどりついたのです。元々はおなじ人種ですから仲がよいのはあたりまえであるというわけです。白村江の敗戦で百済が滅亡したときには百済の人々が多数 日本にのがれてきました。現在の大阪や近江に居住したようです。

今回の番組ではここまでつっこんだ説明はしていませんでしたが、石室にかかわる仮説などはとても説得力があり興味ぶかかったです。

このように、仮説をたてて歴史をとらえなおすと、今まで見えていなかったことが想像できてとてもおもしろいです。仮説は、情報を処理し考察をすすめ問題を解決するのためのポイントになります。


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