発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

寺田寅彦著『日本人の自然観』は大変すぐれた論文です。

日本人は無常をうけいれますが、西洋文明はうけいれません。また、「山車火宅」にはみんなが全員たすかる思想がありますが、「ノアの方舟」には選民思想があります。選民思想にはヒーロー(英雄)を生みだす素地があります。ヒーローを生みだしはしますが、犠牲者も生みだしてしまいます。

このよう観点にたつと、原子力発電所を建設した人は選民思想にたつヒーローだったのです。

何らかのプロジェクトを実施する場合、市民社会組織・政府機関・営利組織の三者が協力してプロジェクトを立ちあげて取り組んでいく時代になってきました。従来は、ひとつの既存の組織内でプロジェクトを立ちあげるというのが常識的でしたが、これからの時代は、固定された組織にとらわれない独創的で柔軟なプロジェクトがもとめられます。

ここでいう市民社会組織とはいわゆるNGO/NPOのことです。立ちあげるプロジェクトでは、プロジェクト・リーダーとプロジェクトチームメンバーを決め、実施期間、任期、ト目標などを明確にする必要があります。

110426Pr=Project
C=Civil Society Organization
G=Government (Governmental agency)
P=Profit Organization

151212 美術・言語・音楽

美術は視覚あるいは目の芸術であり、音楽は聴覚あるいは耳の芸術です。

これらに対し言語あるいは文学は、文字を見ることもできるし、音で聞く(あるいは音読する)こともできます。このような観点からは、言語は、美術と音楽との境界領域に位置づけることができます。

川喜田二郎著『発想法』(中公新書、1967.06.26 発行)は発想法の原典として重要です。この著書で中核となるのは第三章の「発想をうながすKJ法」です。

人間がおこなう(人間主体の)情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点から現代的にこれをとらえなおすと、発想法とはよくできたアウトプットをだす方法です。そのために、フィールドワーク(外部探検)とKJ法が有用であり、フィールドワークにより内面に情報がとりこまれ(インプット)、KJ法により文章が書けます(アウトプット)。

KJ法では、「類似性の原理」をつかって図解をつくって文章化をすすめます。情報には、似ている情報があつまるという性質がそもそもあります。類は友をよぶといった感じです。類似(相似)に気がつくことが重要です。

なお、フィールドワーク(外部探検)のかわりに、過去にインプットされた情報をつかう「ブレーンストーミング」(内部探検)をおこなってもよいです。 


▼ 参考文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)中央公論社、1967年6月26日 
同改版、2017年 

 

発想法とはアイデアをうみだす方法のことであり、本ブログでは、旅行やフィールドワークなどでえられた情報を処理し、アイデアを発想し、問題を解決する方法をあつかいます。

情報処理とはつぎの3場面からなり、人間を、情報処理をする存在としてとらえ(人間主体の情報処理)、よくできたアウトプットをめざします。

インプット → プロセシング → アウトプット

問題解決とは、情報処理を累積しながら課題にとりくみ問題を解決していくことであり、その基本はつぎの3段階です。

1. 大局 → 2. 局所 → 3. 本質

それぞれの段階の内部で情報処理をくりかえします。問題解決のポイントは大局をみて局所をせめるところにあります。


プロフィール
T.TANOKURA
東北大学大学院理学研究科博士課程修了(地学専攻)。博士(理学)。KJ法本部・川喜田研究所、ネパール国立トリブバン大学理工学部などをへて、ネパールNGOネットワーク事務局長、ブロガー、ライター


「私、生まれも育ちも葛飾柴又です、帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」

京成電鉄金町線・柴又駅の改札口をでると寅さんの銅像がむかえてくれる。寅さんは、ちょうどいま柴又を旅立つところだ。柴又をなつかしんでか、あるいは おいかけてきた妹さくらの声がきこえたのか、参道の方をふりかえっている。

寅さんにわかれをつげ、駅前から参道に入る。参道をすすんでいく。おもったよりもせまくてこぢんまりしている。まるで映画のセットのようだ。だんご屋がある。高木屋老舗、映画のなかのだんご屋とらや(のちにくるまや)のモデルになった店である。大勢の観光客が草だんごを買っている。

さらにすすんでいくと、うなぎ屋や土産物屋などのいろいろな店が立ちならんでいる。参道は雑然としていて決して洗練されておらず、庶民くささがのこっている。ここは庶民のふるさとだ。

さらにあるいていくと正面に豪壮な門が見えてくる。帝釈天の山門、二天門だ。「柴又帝釈天」と彫った大きな石碑が立っている。この寺の正式な名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)、日蓮宗の名刹である。寛永6年(1629)、日忠上人の草創とつたえられ、本尊は、日蓮上人自刻の帝釈天の板仏だという。

二天門をくぐると左手に大鐘楼が見える。源公がうつ鐘はいつもここから聞こえてくる。正面には帝釈堂が、右手には本堂がかまえている。たくさんの子供たちがあそんでいる。御前様が今にもあらわれそうな とてもなつかしい空間だ。ここはもう寅さんの世界そのものである。左手には「瑞龍の松」が横たわり見事な枝をひろげている。日蓮宗の僧・日栄がこの松の根元に霊泉がわく様子を見て、ここに庵をむすんだという。さらにその左には御神水がこんこんとわきでている。寅さんはこの御神水の産湯につかった。

帝釈堂の裏にまわると彫刻ギャラリーがある。法華経の物語を視覚的に再現している。回廊式のギャラリーを一周していくと、けやき材に奥深く刻み込まれた彫刻が見事な三次元空間をつくりだしている。まるで木に命がやどったかのように躍動感にみちあふれている。大正11(1922)年に名匠・加藤寅之助が一枚目を創作、すべて完成したのは昭和9(1934)年だったという。

帝釈堂の裏手には大庭園(遂渓園、すいけいえん)がひろがる。しずかな回廊式庭園である。庭園をのぞむ大客殿には、直径約30センチメートルで日本最大級という南天の木をつかった床柱がある。

柴又界隈でくりひろげられた『男はつらいよ』の数々の名場面をおもいだしながら、帝釈天をあとにし、寅さん記念館へむかう。帝釈天の裏手から江戸川の方へすすんでいくと、土手のわきの小山の地下に寅さん記念館がある。

入口を入ると とらや(のちのくるまや)がまっている。ここでは、とらやそのものの中に入ることができる。とらやに入ると草だんごを食べる客席があり、その奥には茶の間と土間があり、土間の右手には寅さんがいつも二階にのぼっていく階段がある。

寅さんはいつもこの店にかえってくる。ひさしぶりにかえってくると、何だか中に入りにくいが、今度こそは、とおもって足を踏みいれる。しかしやっぱりけんかをしてしまう。とらやの客席にすわってそんな光景をおもいだしながら、しばらく夢の中をただよっていく。寅さんの世界を外から見ているのではない。寅さんの世界の中に入りこんでしまう。映画の世界は空想の世界である。しかしその空想の世界に実際に入りこんだ現実がここにはある。これは空想なのか現実なのか。なんとも不思議な体験だ。

寅さんの世界は、『男はつらいよ』をくりかえし見ることによって私たちの心の中につくりだされてきたものである。それは、ながい年月をかけて私たちの心の中にイメージとして記憶されたもので、架空であり空想である。

わたしたちは通常は、どこかの物理的な空間をおとずれ、そこに入りこむことによって、様々なイメージや出来事を心の中に入力し記憶し、心の奥にそれを蓄積していく。つまり物理的空間が先にあって、それから心の中にその世界が形成される。

しかし今日はちがう。寅さんの世界は心の中にすでにできていた。そのすでに存在した心の中の世界に、物理的に入りこんだといった感じである。今回は、心が先にあり、実際の空間はあとになった。常識とは逆の体験をしたことになる。心の中に入りこむといった体験である。このようなことによって寅さんに関する理解が格段にすすんだ。これは、何とも不思議なフィールドワークである。

寅さん記念館をでて、江戸川の土手にのぼってみる。この川のほとりでも数々の出会いと別れがあった。とおくに「矢切の渡し」が見える。すこし肌寒くなってきた。そろそろ日が暮れようとしている。



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レオナルド・ダ・ヴィンチは、考察をおこなう際に論敵を想定して、彼らとの問答形式で議論を展開していたことが「レスター手稿」に記録されている。こうした問答形式による論証法は、ソクラテスやプラトン、アリストテレスなど、古代ギリシアの哲学者たちがすでにもちいていた方法であるという(注)。

問答形式を利用して議論を展開する方法は現代においても非常に有効である。つまり、何らかのプレゼンテーションをする際に、感想や意見・批判を参加者から積極的にあつめ、それにこたえる形で議論をすすめる。

ウェブサイトに「質問&回答集」をつくってもよい。自分の発表に対する反対意見や批判は一見するとマイナスのようであるが、このような問答形式を採用することにより、それらは重要な情報として機能し、あらたな情報を生みだしていく。問答形式は、聴衆や読者あるいは論敵との共同作業をすすめるようなものであり、これにより探求はさらにふかまっていくことになる。

このように、感想や意見・批判は重要な情報であるのだから、何かを発表するときには、周囲から意見などが出やすいようにあらかじめ工夫しておくことが大切だろう。たとえば、発表をする前に、感想や意見を記入する用紙をあらかじめくばっておくのがよい。



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▼ 注
裾分一弘・片桐頼継・A.ヴェッツォージ監修『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』(図録)、TBSビジョン・毎日新聞社発行、2005年


森アーツセンターギャラリー(東京、六本木ヒルズ森タワー52階)で、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が開催されている(注)。

本展は、一年に一度一カ国にだけ展示される、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の直筆ノート「レスター手稿」を日本初公開し、万能の天才がえがいた自然観・宇宙観を読みときながら、レオナルドののこした科学と芸術の足跡を最新のデジタルメディアを駆使した展示空間で再現するという企画である。

第一展示室に入ると、レオナルドの研究成果の概要が紹介されている。レオナルド・ダ・ヴィンチというと、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」といった絵画が有名なため、偉大な芸術家といったイメージがつよいが、レオナルドは芸術だけでなく、天文学・地球物理学・水力学・建築土木など科学技術者としても大きな業績をのこしている。

奥の部屋には、直筆ノート「レスター手稿」の概要が紹介されている。レオナルドは、自身の研究の記録を「手稿」とよばれる手帳やノートにのこしており、その数は3800枚、8000ページ以上にものぼる。ここに展示されている「レスター手稿」とは、そういった中の一部であり、長い間、英国の貴族レスター卿が所蔵していたためにこのようによばれる。現在は、アメリカ・マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長夫妻が所有する。

「レスター手稿」は、レオナルドの晩年、1505年、1507~1508年に書かれ、その後も加筆がおこなわれており、彼の研究の集大成として位置づけられている。また、そのすべてが「鏡面文字」で書かれており、鏡にうつすことでただしい文字として読めるようになっている。

第二展示室に入ると、「レスター手稿」全18枚、72ページの実物がすべて展示されている。保存状態を維持するために、室内は暗くされ、手稿をてらす照明も一定時間ごとに光量がおちるようになっている。1枚1枚バラバラに展示されているため、全ページを見ることができる。その紙葉は、1ページが縦29.5、横21.8センチメートル(ほぼA4版)であり、多くに、チューリップの花その他を型どった透かし模様がみとめられる。

手稿内で言及されている実験件数は905件、挿図は383図におよぶ。その内容は、天文、地球の内部構造、河川・湖水・海洋の水に関する観察の三分野からなっている。

天文では、太陽・地球・月の間の主として光に関する相互関係、すなわち、太陽光線による地球・月の間と光と影の問題などをとりあつかっている。第1紙葉表には、「地球から太陽までの距離を最初に証明し・・・地球の大きさを見つけたのは、私である事を記録する」という加筆がある。

地球の内部構造では、山頂からながれる水脈、また、丘陵から発掘される貝殻の問題などをあつかい、貝殻の化石は、旧約聖書の「ノアの洪水」によるものではなく、海底の隆起による現象として説明している。

河川・湖水・海洋の水に関しては、ながれる水とそこにおかれた障害物とがえがく渦巻きに注目し、障害物の大きさと形態による変化する水がえがく波紋などについてとりあつかい、堤防の構築、護岸工事の問題にまで言及している。

第三展示室では、レオナルドの工学的業績、年表、その他の手稿のファクシミリ版が展示されている。最後には、レオナルドが自然探求の成果をいかに絵画の中にとりいれたかについて映像で解説している。レオナルドは、自然の理を知らずに自然をえがくことはできないとし、「芸術は科学である」ととなえ、研究成果のすべてを芸術にいかした。たとえば、自然の観察は「モナ・リザ」の背景に、水の波紋の観察は「最後の晩餐」に。「最後の晩餐」では、イエス・キリストの声が、使徒たちとの晩餐の空間に同心円状に “波紋” をひろげていく(伝播していく)様子をえがいているという。

展示室を出るとミュージアム・ショップになっており、「レスター手稿」のすべてについて解説された図録、レオナルドの生誕地や「レスター手稿」・絵画などを収録したDVD、『ダ・ヴィンチ・コード』など、すでに出版されているレオナルドに関する著作などが販売されている。

このように今回の特別展では、「レスター手稿」の展示を中核にして、レオナルドの業績の概要が短時間でつかめるように工夫されている。

近代科学の祖は一般にガリレオ=ガリレイ(1564~1642)とされるが、レオナルドは、実験によって命題の真偽を実証し、現象を定量的にとらえようとした点においてガリレオの先駆けであり、近代科学の開拓者であったといえる。重要なことは、レオナルドが、自然現象を観察しながら自然の本質をとらえようとしたところにある。つまり、自然のうわべの現象だけを見るのではなく、その奥にかくされた原理や法則を解明しようとした。これは、自然や標本を記載し分類していただけの従来の博物学とはあきらかにことなるアプローチであり、ここに、博物学をのりこえ、近代科学へむかって第一歩をふみだしたレオナルドの足跡を見ることができる。そのような意味ではレオナルドは博物学者ではなく科学者だったのある。

また、レオナルドは地球を一つの天体とかんがえていた。レオナルドは、さまざまな分野に関する科学的研究を一本にまとめ、個々の分野が有機的なつながりをもった一つの世界像をえがきだそうとした。そして「芸術は科学である」とし、科学的研究の成果のすべてを芸術にいかした。つまり、レオナルドの分析的な科学研究は、人間と自然についてのグローバルな世界観の構築をめざしたものであったのである。そもそも、レオナルドが生きたルネサンス時代は、自然界すなわちこの世界に存在するありとあらゆる物について、人間が自分の目で観察し、自分の頭でかんがえることをはじめた時代であった。

こうして見てくると、レオナルドは、博物学をのりこえた近代科学の開拓者であると同時に、近代科学の先にあるグローバルな世界観を展望していたということがよくわかってくる。さらに、レオナルドの生涯を通して、博物学から近代科学をへて一つの世界観を構築するという、三段階の探求の方法や歴史が存在することを知ることもできる。

今日、レオナルドが晩年に「レスター手稿」を書いてから500年が経過した。この500年間の近代科学の進歩はいちじるしいものであった。そして人類は今、近代科学の成果をふまえてグローバルな世界観を構築しようとしている。私たちはまさに、「三段階」の過程をふみしめて進歩してきているのであり、ここに、現代において、レオナルドの業績を再認識する大きな価値をみとめることができる。


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▼ 注
レオナルド・ダ・ヴィンチ展:2005年11月13日まで、森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)

▼ 参考文献
裾分一弘・片桐頼継・A.ヴェッツォージ監修『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』(図録)、TBSビジョン・毎日新聞社発行、2005年。


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