発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

DVD『いまを生きる』を見ました。

多くの高校生は、「ともかく大学に入るまで頑張れ!」という教育をうけてしまいます。大学に入ることを勉強あるいは人生の目的にしている生徒がいます。そして、自分が本当に好きな分野を専攻しない生徒がいます。

高等学校は、初等教育の上位、大学の下位に位置づけられるため、そこの教師は「中間管理職」的な者が多くなってしまうのはアメリカも日本も同じだということがわかりました。

生徒の主体性が本当は必要なのです。「ともかく」の人生をけりかえすことが重要です。

オーディオの祭典、ハイエンドトウキョウショウ2012にいってきました。

最近は、オーディオの高音質化がいちじるしくすすんでいます。

しかし、高音質になればなるほど個々の音は繊細によくきこえるのですが、録音時のノイズやひずみもきこえてしまうという問題が生じます。これは、映像が高画質(ハイビジョン)になればなるほど、粗も見えてしまうということと似ています。

また、個々の音がよくきこえるようになりすぎると、音楽がとてもかたくつめたくなり全体のまとまりやバランスも欠いてしまいます。これは、映像が高画質になればなるほど線がくっきりとうかびあがり、 かたくつめたい画像になって雰囲気やうるおいがうしなわれてしまうことと似ています。

高音質化と高画質化に一直線にとりくんでいるときりがなく、これらをつきすすめるやり方はまちがっているとおもいます。そうではなくバランスをもとめるべきです。私たちは、音を聞くのではなく音楽をきこうとしているのです。

かつてレコードは、ななめらかでバランスのよい音楽を再生していました。今回のあるプログラムで、なめらかでバランスのよい音楽を再生するためには、 アナログ回路(アナログ系)を改善するのがよいことをおそわりました。デジタルデータがアナログに変換されて音楽が再生されるのですから。

SRS特別講習会「波動法」に参加しました。「共鳴と加速により、潜在意識を活性化させることができます。そのためにはよい波動をえらび、身近な波動を改善していきます」

様々な現象が共鳴連鎖するとには波動の力がはたらき、おもわぬところにおもわぬつながりが生じてくるものです。そのようなことにまず気がつくことが、連鎖を活用できるかどうかのポイントになるのでしょう。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を素材とした劇映画「希望の国」(園子温監督)が公開されます(注)。

原発が制御不能となり、泰彦と妻の智恵子も退避を迫られますが、泰彦は牛を飼い、ブロッコリーを育て、家族の歴史を代々きざんできた地を離れまんせんでした。やがて、妻の智恵子は認知症になり「かえろうよ」とさけびつづけます。「かえろうよ」といってもここが自分の家なです。

実は、「かえろうよ」とは、あのころに「かえろうよ」といっているのです。妻の智恵子の心の中では不可逆な時間軸がとっぱらわれていて、そこには時間はなく空間だけがあります。原発から遠くにはなれて、あの美しい日々にかえろうとしているのです。爆発した原発と美しい日々は時間の枠組みをこえて心のなかに存在しているのです。

このように、いくつもの出来事が空間的に配置された世界からこの原発事故をもう一度とらえなおしたとき、因果関係や論理という常識ではつかみきれない福島の人々の心の一端が見えてくるとおもいます。

注:「映画にできること 園子温と大震災」(NHK, ETV特集)

プロ野球・読売ジャイアンツが2009年以来3年ぶりのセ・リーグ優勝をきめました。

優勝監督インタビューで原監督はファンにむかって「優勝、おめでとうございます!」と大きな声をはりあげます。

「応援、ありがとうございます」ではなく、「優勝、おめでとうございます」とファンにむかってよびかけています。主役・主体は誰なのか。ファンが主役・主体なのであり、ファンやサポーターが、自分たちが優勝したのです。

チームがあって、ファンはただ単に応援をするだけという時代ではなくなりました。私はこの言葉を聞いたとき、これまでとはちがう時代の変化を感じました。優勝したファンやサポーターはどれだけうれしかったことか。

人間は、基本的に情報処理をする存在です。つまり、環境から情報を取り入れ、情報を処理し、その結果を環境にアウトプットしています。

よくできた情報処理ができると、人間と環境との適切な相互作用をうみだすことができます。すると人間と環境とは調和し、人は環境に適応できるようになります。人間は、環境から一方的に影響をうけるのではなく、環境をうまく利用するという観点も重要です。

このようにかんがえると、環境は、単なる生活の枠組みということでなく、ひろい意味で人間の延長であり、大きな意味での自分の部分にもなってきます。

演出家の宮本亜門さんは、「段階を踏んで演出家になることを目指して、まずダンサーになりました。その後、ダンス指導者をへて演出家になりました。最初は自費を投じてオリジナル・ミュージカルを上演しました」(注)。

「お客様によろこんでいただくことだけをかんがえてやっています」と宮本さんは言います。自分のためにということではなくお客様のためだけに。

座標軸の原点を相手にうつすことが創造の過程では必要です。しかし多くの場合、自分のためだけにはたらいて自我を拡大してしまいます。創造するとは没我にむかうことです。

注:「舞台流コミュニケーション術」(仕事学のすすめ)Eテレ、2012.08.09放送。

「家電市場における最近の顧客は、まずサイトで価格を比較、そのご実物をチェックしに量販店へ行き、最終的にはサイト上で最安値の商品を購入するといった人が増えている」(注)そうです。つまり、(1)インターネットで広く情報を収集し商品を比較・検討、(2)実店舗に実際に行って実物を手にとって確認、(3)納得して購入、というプロセスです。これは、(1)広く浅く検討、(2)実物を手にする、(3)納得する、という三段階になっています。

顧客は、インターネット上だけの情報だけではやはり不安がありますから、気に入った商品の実物をお店にチェックにいきます。しかし、大量の商品の実物をすべて手にとってみる時間はないし、そのようなことは物理的に不可能です。そこで、インターネットであらかじめ広く浅く検討し、よさそうな商品をいくつかピックアップしておき、それらに関してのみ実物をしっかりチェックします。その方が効率がいいだけでなく、じっくり実物と対面することができます。すると、心から納得できるようになるのです。

このようなあたらしい顧客の動向を踏まえて、ヤマダ電機も「店舗とネットの連動をすすめている」(山田会長)といいます。上記の三段階の行動パターンは家電市場以外でも成り立つ21世紀のあたらしいパターンです。

注:「家電量販店再編、ヤマダ首位固めへ布石 業績不振のベスト傘下を急いだ理由」SankeiBiz 2012年7月30日(月)8時15分配信(Yahoo!Japan ニュース)

日産では、「会議の議事録はつくらず、模造紙数枚と大量の付箋紙を用意、参加者は付箋紙に自由に意見を書き込み模造紙にペタペタはり、最後に、模造紙全体をデジカメで撮影して関係者に配信、それが議事録の代わりになる」(注)そうです。

日産の会議の特徴を要約すると以下のようになります。

・議事録はつくらない。

・意志決定者は会議には出席しない。

・その日のうちに結論をだす。

・会議の構成メンバーは、部門を越えたメンバーとする。

・「課題定義書」を会議前に配布する。

・「課題定義書」に結論をだすことで得られる「効果金額」を明記する。

これは、KJ法創始者の川喜田二郎が創案した会議法と本質的には似ているやり方です。意見や情報を迅速にあつめるためにも、このような参加型会議やチームワーク方式は有効です。「KJ法グループ作業」とよばれる方法は時間がかかると誤解されてあまりおこなわれていないようですが、このようなやり方は、大局的にみれば時間を効率的につかうことになることに気がつくべきでしょう。

注:「なぜ日産は会議の議事録をつくらないのか」プレジデント、2012.7.29(YAHOO! JAPAN ニュース 11:04 配信)

ネパールで活動するあるNGOは、ネパール西部山岳地帯のディリチョールに立派な学校校舎を建設しました。すると、そのあたりで暮らしている多くの生徒たちが、ディリチョールの学校に是非かよいたいということになり、周辺部に元々あったいくつもの古い学校はいちじるしく衰退してしまいました。古い学校は校舎が悪く、みすぼらしく感じられるようになったからです。

ディリチョールに鉄筋コンクリートの立派な校舎が建ったために、それまでの古い校舎は相対的に劣化してしまったのです。古い学校は何もしなくても、ほかが高級になると相対的に悪くなってしまいます。これは、たとえば、皆が平等にくらしていた村において、何らかのインパクト(援助)によってごく一部の人がお金持ちになると、その他の村人たちは、何もしなくても相対的に貧しくなってしまうこととよく似ています。

変化は、自他の関係の中で相対的におこってくるものです。貧富の差、格差はこうして生じてしまいます。貧富の差、格差とは相対的なものであって絶対的なものではありません。すべては相対的に決まるのです。

貧しいからといって経済的発展や経済効果をすぐにねらっていく国際援助専門家が実に多いですが、かえって貧富の差を拡大してしまっています。私が所属するNGOネットワークでは、ネパールだけではなくタイでも同様なことがおこっていることを確認しています。

ものごとの格差は相対的にきまることをあらかじめ理解しておくことが必要です。

「そうだったのか」とニュースをわかりやすくつたえるジャーナリスト、池上彰さんが子供にむかってインターネットの仕組みをおしえています(NHK, Eテレ)。

おしえている内容は基本中の基本です。池上さんはインターネットの専門家ではないですが、相手が子供だからおしえられるのだと誤解してはいけません。子供にもわかるように説明できるようになるためにはかなりの勉強と工夫が必要です。

一方で、子供にもわかるように説明できるようになることは、その分野の基本を習得する方法でもあります。おしえることによって基本の基本が自分にとってもしっかり身につきます。基本が身につくと応用がきくようになります。

このようにして、大人向けのニュース解説をおこなうときにも、専門家顔負けの実にわかりやすい解説ができるようになるのでしょう。

すぐれたサッカー選手は、1個のボールと周囲の選手の動きとを同時に見ることができ、ボールがどこへ飛んで行くかを予見できるそうです(NHKスポーツ解説)。つまりその選手は視野が非常にひろく、個と全の両者の変動を瞬時にとらえることができるということです。

たとえば、相手チームの選手Aにボールがきて、選手Aは選手Bにパスをしようとおもっています。選手Aのところにまだボールがあるのに、選手Bがけるボールが飛んでいく所がすぐれた選手にはわかります。Aではなく、そのあとのBがけるボールがどこへ飛んでいくかを、AとBとそれらの周辺にいる選手の動きから予見しているのです。予見のために、1個のボールの動きとともにフィールドの全体もが見えなければなりません。このような選手は視野が非常にひろく、中心視野とともに周辺視野をフル活用しているといえます。

視野をできるだけひろくすることは球技だけではなく速読やフィールドワークにも通じる重要なことです。

千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』(日本経済新聞社、1988年6月)を読みました。

川喜田半泥子は、KJ法創始者の川喜田二郎の父であり、本書は、川喜田半泥子の本格的な伝記です。半泥子は、銀行家にして鬼才の陶芸家、複線的な人生を生涯つらぬき通しました。


半泥子は、自然の素材に対して忠実であることを美の特徴であるとした。半泥子の茶碗には自然の姿がある。半泥子は、ほとんど茶碗に絵付けをしない。茶碗そのものに自然をうつした。わざとらしい人工の跡を見せない。これは、荘子の「無為自然」の思想に通じる。無為自然とは、人為をすてて自然のままに生きることである。文明人は、本来渾然として一体をなしている自然を、認識のために分解してしまうが、自然のまま無差別の世界に生きることにこそ本来の道がある。

半泥子の子、川喜田二郎はKJ法を創始しました。その実践の究極は「本然」に到達することです。本然とは、もともとそうであること、自然のままであることです。わたしたちはいずれ、もともとの姿、本然にたちかえることになります。KJ法でとく「データをして語らしめる」とはそのための筋道であり、こうして、渾沌それ自体をして語らしめることができるのです。

データをして語らしめるKJ法の本質は、自然の素材をして語らしめる半泥子の方法に通じています。川喜田二郎は、著者・千早耿一郎に、「しらずしらず父親の影響を受けたかもしれませんね」とかたったそうです。


▼ 参考文献
千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま - 評伝 川喜田半泥子 -』日本経済新聞社、1988年 
おれはろくろのまわるまま―評伝・川喜田半泥子


「オーディオの音質を向上させるのは、写真ではなく絵画の技法です。原音にこだわっている間は、生演奏を超えることはできません」(注)

そもそも音楽とは音の記録ではなく芸術です。たとえばベートーヴェンの交響曲第5番「田園」は、小鳥のさえずりや小川の流れ、村人の様子などを音であらわしていますが、ベートーヴェンは原音を再生しようとしたわけではなく、田園の原風景からエッセンスをとりだし、それらを音にたくして私たちにつたえようとしたのです。したがってすぐれた演奏をきけば、なまの現実をみる以上にそのエッセンスがよくわかるのです。

このように、絵画が現場の記録写真ではないように、音楽も音の記録ではなく、作曲家がメッセージをつたえようとしているのですから、私たちは絵画をみるように音楽をきいて、作曲家からのメッセージをうけとり理解することが重要です。

このような観点からオーディオ装置をとらえなおすと、いかに忠実に原音を再生するかではなく、どれだけ作曲家のメッセージがつたわるかが大事であることになります。


注:逸品館メルマガ 2012-4-28

第201回SRS特別講習会「深層法(多重深層意識開拓法)」に参加しました。印象にのこったことは次の点です。

人生のほとんどすべては深層意識が決めています。深層意識とは探究するものではなくて、つくりあげていくものです。

東洋は目(視覚・図形)の世界を重視し、東洋人は「目の人」であるのに対し、西洋は耳(音・言語)の世界を重視、西洋人は「音の人」です。目は直観に通じ、耳は論理に通じます。東洋では、風水とか陰陽五行などを通して潜在意識の存在はすでに知られていましたが、西洋では潜在意識を、フロイトと彼の弟子のユングらがはじめて世に知らしめました。

感覚でとらえている環境は、実は、自分の外にではなく中(心の中)にあります。根っこにある潜在意識はすべてつながっています。環境を見れは潜在意識の状態がわかります。

「ビジョンをもって、そのときに、今やるべきことをひたすらおこなう」ことの重要性をまなびました。ビジョンをもつということがポイントです。こうして直観力をきたえます。直観にしたがうと表面意識と深層意識の連動共鳴がおこるということです。また、周囲の人々とのコミュニケーションは「たとえる」ことにより可能になります。何かをはなすとき「たとえば・・・」とつづけるのがよいです。
 
地上(表面)にまっすぐそだつと、 地下( 深層)に貫徹する力が生じ、たくましく成長できるのだとおもいます。その反対に地上でまがっていると、地下もまがってしまいます。バランスがとれ調和した心の状態が大切なのでしょう。

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